上達の方法がわかります
2017/07/20 00:12
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ねったいぎょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェスの世界チャンピオンが太極拳に挑戦し、世界チャンピオンに。普通に考えれば、室内ゲームのチェスと武術の太極拳は別のものである。しかし、彼には上達の方法のノウハウがあった。一つの分野に秀でている人は他の分野でも上達する傾向にあるが、彼のような例は聞いたことがない。一体、どのような訓練を積めば、ここまで上達できるのか。具体的に、わかりやすく、そして物語としてもおもしろく書かれている本書は、値段は高いが、買って何回も読みたい本である。
武術をチェスの技法から習得
2016/12/29 01:07
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:パットマンX - この投稿者のレビュー一覧を見る
前半は幼少時からチェスの世界チャンピオンになるまでの話だが、内容としてはおもしろい。チェスを通して勝負師として成長していく過程が丁寧に紡ぎ出されている。
後半は、太極拳推手で世界チャンピオンになるまでの話である。チェスで培った技法を武術に応用とはどういうものか興味があった。ここで強調されているのは、単なる技法ではなく、物事に対処するときに適切な考え方・心のあり方とは何かを提示していることだ。自分の感情を否定するのではなく、受け入れ、それに流されることなく、それをアドバンテージに転化する。プレッシャーの中で、最高の力を発揮するには自分にとっての最適な「サンダルを作る」ことだと。
本書を読み始めた頃にユーチューブで著者の推手の試合の映像を見てみた。単なる力ずくの押し合いのように見えた。読み終えた後に、再び映像を見てみると印象は全く違った。映像は推手世界選手権の定歩と活歩の決勝戦だった。相手の力を受け流し、逆に利用して倒していたりする。著者の詳しい解説で、心理面・技術面での対応がよくわかる。本書と共にユーチューブの映像を見ることをお勧めする。私自身太極拳を長年学んでおり、推手も学んでいる。著者は相手からの攻撃を合理的な方法で観察する。観察することを精密化することで瞬時に察知できるようにしていく。著者は神秘を否定する。西洋的な合理主義だ。推手について基本的なやり方を書いている本はいくつもあるが、実戦での対応をくわしく解説された本はほとんどないので、最後の試合の記述は武術的な観点でも価値のある内容である。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミスターマーケット - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェスと太極拳という異分野でトップを極めた著者。
この学習方法は他の分野で習得する上でも役立つ方法だ。
プロセスはあるが、やはり練習量と反復は基本となる。
それがあって初めて自分独自の方法を身につけることができるのだろう。
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集中すると何も耳に入らない友人が1人いる。
そんな彼から分析的な話を聞いたことはないが、本書の著者は、それを具体例を交えながらわかりやすく教えてくれる。
習得の出発点になる自己分析の徹底ぶり、身につけるべき知識、動作の分析など、これまでの自分の取り組みの深さとの違いに愕然とさせられた。
どうでもいいけど、チェスと太極拳をやってみたくなった。
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徹底して基礎を繰り返すこと。
ビギナーマインドをもって、恥を恐れずに失敗した先にこそ、学びがあり、成長があること。
集中するトリガーは自分で創ること。など、習熟のための情熱が実体験をもとに抱えていて刺激ある一冊!!
【外に原因を求めない】
海の上で生活するためには、今という瞬間にしっかりと心を置き続け、状況を自力で無理やりコントロールしようとする気持ちを捨てなければならない。波のリズムに身を預け、どんなことがあってもそれに対処できるよう心の準備を整えておく以外にない。
【トップを目指す】
頂点につながる狭き門をくぐれるものとくぐれないものの差はどこにあるのか?
そこまでする意義は本当にあるのか?
大志をもつということは、裏を返せば大きな失望の可能性をはらんでいる。それなのにわざわざ最高峰を目指す必要があるのだろうか?この2つの疑問を解くカギは、やる気を誘発するように考えつくされた学習アプローチ、さまざま異なった分野で探求した内容どうしを関連付けることのできる能力、日々のプロセスを楽しむこと、の3点にあると思う。
【増大理論】
実体理論者の子供たちは「自分はこれが得意だ」という言い回しをよく使い、成功や失敗の理由を、自分の中に深く根付いていて変えることのできない能力のレベルにあるとする傾向が強い。つまり、ある特定の課題における知能や技術のレベルそのものを、進歩させることのできない固定された実体として捉えている。
増大理論者は、結果がでたとき、「頑張って取り組んだおかげだ」、または「もっと頑張るべきだった」というフレーズを使う傾向が強い。知能のあり方を習得理論で解釈する子供は、頑張って取り組めば難しい課題でも克服することができる、すなわち、初心者でも一歩一歩進むことで漸次的に能力を増大させ、ついには達人になることだって可能だという感覚を持つ傾向にある。
【結果よりもそのプロセスに学ぶ】
成功者のほとんどは、より高いところに目を向けてあらゆる戦いで危険を冒しているし、目先のトロフィーや栄光なんかよりも、頂点を目指す過程の中で学んだことの方がずっと意味があるということを知っている。長い目で見たとき、身に染みる敗戦の方が、勝利の栄冠よりもずっと価値がある場合だってある。「嬉しい経験」か「苦い経験」かに関わらず、その経験から知恵を引き出せる人ならば、道を逸れることなく最後まで突き進むことができる。
目先の成果に捉われることは、数学の勉強法を覚える代わりに、先生の机からテスト内容を盗み出す習慣を身に着けることに似ている。たとえテストで良い点が取れたとしても、何一つ学んではいないし、何よりも学習の価値や美しさを味わって認識することが一切できない。
試合に勝った者だけが勝者であると教え込まれた少年バスケットボール選手が、勝敗を左右するシュートを外したら望みをすっかり失ってしまうだろう。完ぺき主義で通っているビジネスマンという自己イメージを確立させたものが、仕事でミスを犯したら、果たしてその間違いから何かを学び���ることができるだろうか。
【敗戦を恐れないために】
大きなプレッシャーがのしかかっている場合でも、負けることへの恐怖心よりもチェスに対する激しいほどの情熱がいつも優っていた。それはきっと、初タイトルを獲る以前に痛切な配線を経験したおかげで、瀬戸際でも戦える心理状態を築けたということだと思う。
【負けたときの慰め方】
自分のもっているすべてを賭けて臨み、そして敗れた。そこで母親はなんて声をかけるべきか。とにかく、決して言ってはならないことは、勝ち負けは重要じゃないという言葉だ。それが真実ではないことを彼は理解しているし、現状についてウソをつかれることで、悲嘆に暮れる彼は更に孤独になる。重要じゃないというなら、それに勝とうとしていた自分は何だったのか?私のこれまでは価値のないものだったのか?勝ち負けは重要なものだし、そのことを彼は心得ている。ここで求められるのは、まず「共感」だ。
お母さんは、その気持ちが理解できるし、何よりも彼のことを想っていること、そして卓越するための道のりに失望はつきものだということを言葉で伝える。少し落ち着いたら、静かな声で、今の試合で何が起こったのかを自分で理解しているかを尋ねてみる。
これにより、彼はいかなる配線も成長のためのチャンスだということを学べる。
心のこもった、思いやりのある、習得志向の両親や教師がいれば、大志をもつ子どもは心を解き放ち、こんなにあっても勇敢にむかえるようになる。全力で挑戦しなければ、そこから何一つ学ぶことはできないものだ。困難無くして成長はない。もっている力を出し尽くして、その限界の先に何があるのかを見つけ出し、ようやく何かを学ぶことができるのだ。
【スポットライトを浴びて失敗する心構え】
日常的に競争が繰り返される中で、数週間だけパフォーマンスにこだわらなくてもいい期間を設けても大丈夫なんてことはまずない。本当に初心者であれば負の投資を行うことは容易かもしれないが、人々の視線と期待を一身に浴びながらパフォーマンスする立場にいるものにとっては、恥をかいても一切気にすることのないオープンな心を保って学ぶのは容易ではない。
心をオープンにして増大理論の学習アプローチをとり、ピーク状態でパフォーマンスできない期間を時に許容することは、学習の過程において絶対に必要である。個の時、ベストを目指すためにはこれが必要なのだと世間にわかってもらうことを期待するのではなく、その責任を自分自身で背負うこと。偉大な人物は、剣に火をくべて磨きをかけるためなら、やけどなど厭わないものだ。
マイケル・ジョーダンだってそう。試合終了直前にシュートを決めてチームを勝利に導いた試合数がNBA史上最多というのは有名だが、最後のシュートを外してチームを敗戦に導いた試合数も一番多い。ジョーダンを偉大なプレーヤー足らしめるのは、彼が完璧だからではなく、ギリギリの状態に自分を追い込むことを厭わなかったからだ。2万人のファンを悲しみにどん底に突き落として家路に向かわせた夜、彼の心は辛苦にさいなまれていただろうか?もちろん、そのはずだ。それでも彼はバスケットボール界に普及の名を残す道のりの中で、戦犯として責められる��とを恐れたりはしなかった。
【集中力を保つルーチンをもつ】
一流のパフォーマーは、リカバリーするために何らかのルーチンを行っているという特徴を発見している。とても重大な試合で生き残れる選手の大半は、プレーとプレーの間の短い隙間にリラックスできる選手なのだという。
例えば、水泳が好きな人には次のような方法がある。くたくたになるまで泳ぎまくってやめるのではなく、身体に無理のないぎりぎりのところまで泳いだら、1~2分間のリカバリータイムを入れ、ふたたびギリギリまで泳ぐということを繰り返す。他にも、読書中に集中力が切れたと思ったら、一旦本を置いて、何度か深呼吸してから、リフレッシュした気持ちで再び本を手に取る。仕事中に精神的スタミナが切れたら、休憩して、顔を洗い、新たな気持ちで戻ってくる。
【引き金を構築する】
ここぞという瞬間を上手に待てるようにならなければいけないというよりも、むしろ、待つこと自体が大好きにならなければいけない。なぜなら、待つことは、実は待つことではなく、人生や生活そのものだからだ。残念なことに、多くの人々が精神をフル活用することなく日々を送りながら、本当の人生が始まる瞬間を待つような生き方をしている。退屈な日々が何年続いても、いつか真の愛を見つけたときに、または、天啓を授かった時に、そおから本当の人生が始まるのだから大丈夫だと考えている。しかし、悲しいことに、今という瞬間に心を置き続けておかなければ、たとえ真の愛が目の前を通り過ぎたとしても、まるで気づかないだろう。単純な日常の中に価値を見出すこと、平凡なものの中に深く潜っていき、そこに隠れている人生の豊かさを発見することが、幸福だけでなく成功も生み出すはずだと強く信じている。
そのために、日常の中で一番心静かに集中できることを考えよう。
それが思い浮かんだら、それを行うまでに4~5つのルーチンを作ろう。
そのルーチンが身に沁みついたら、それを重要なMTGがある朝にやってみよう。
【激怒をスイッチにする】
相手に問題があるのではなく、これは自分が抱える問題なのだということをしっかりと認識することから始まる。世間には不愉快なやつなんていくらでもいる。そういう人々と冷静な頭で渡り合えるようにならなければならないのだ。激怒してみたところで人生は何も変わらない。
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素晴らしかった。
途中から格闘技の話になって
ついていきにくい部分もあったけれど、
”習得”という観点で見て行くと
よくわかる
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ノンフィクション的にも面白く読めるが、
やはりメインは「上達論」。
過度に精神的でもなく、極めて普遍的な内容。
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素晴らしい内容でした。チェスだけの人が書いても、武術だけの人が書いてもこの濃密さは出ないだろう。
「数を忘れる為の数」など、哲学的とも言える言葉の数々は脳細胞を非常に刺激されました。
ただある程度読み手を選ぶ内容かもしれません。
個人的には読んで損はないと思います。
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私はチェスを体系的に学んでいるわけでもないし、太極拳の稽古経験もないが、それでもこの本の実用性に圧倒された。
凡百の自己啓発本を百冊読むよりもこの本を繰り返し読む方がずっとためになると思った。
まさしく学びのアート。
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チェス神童が、チェスや太極拳の学びを通じて、Learningについて語る本。
読み物としては面白い。実用書としては、本人の能力が高いからか、なかなか一般人には参考にならないように感じた。
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友人の紹介で読む。
例えるなら「羽生善治がムエタイのチャンピオンになるまで」的な自伝。つまりノンフィクション。
僕はワークライフバランスという言葉が好きではなくて、やっぱりどれだけのめりこめるか、だし、面白いことに集中できればそれはもう充実のライフだし成果があがらないわけが思うんですよね。集中力を切らさない環境づくりをもっと意識しないと。
この人はそれが極端で(だからチェスと太極拳推手の両方で世界チャンピオンになるんだけど)、「1万時間」どころの騒ぎじゃない。やりすぎです。
集中と弛緩(全くのリラックス)のコントラストも鮮やか。日本のサラリーマンも、海外のように1ヶ月や1年っていう長期休暇をとれば何かが変わるかも。
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まるで現代の修行者のような道を歩んだ男がいる。チェスの神童として知られ、後に太極拳の推手で世界チャンピオンとなったジョシュア・ワイツキン。彼の著書『習得への情熱』は、表向きは学習論の体裁を取りながら、実は古来より伝わる秘伝の現代的解釈とも読めるのだ。
幼き頃のワイツキンは、チェスの盤面に隠された神秘的なパターンに取り憑かれていた。彼は徐々に、初心者が執着する表層的な「数」の理解(ポーンは1点、ビショップとナイトは3点...)から、盤面全体を流れる「気」のような力の存在を感じ取るようになっていく。それは東洋の達人たちが語る「見えない力」の理解に驚くほど近いものだった。
面白いことに、彼のチェスの極意は、古代の武術の奥義と不思議なほど重なる。たとえば、エンドゲームでの駒の動かし方。それは単なる「勝つための手順」ではなく、相手の動きを制限し、空間全体を支配する―まさに古来の兵法書が説く「形なき戦い」の本質そのものなのだ。
チェスの修練を極めた彼が次に導かれたのは、意外にも太極拳の世界だった。しかし、これは偶然ではないのかもしれない。推手という、一見するとチェスとは全く異なる技法の中に、彼は同じ真理を見出すのだから。
推手では、二人の修練者が互いの「中心」を探り合う。それは見た目には単純な押し合いに見えるが、実は古代中国の道家が説く「気」の運用の実践そのものだ。面白いのは、ここでもチェスと同じ原理が働くということ。相手の力が強ければ強いほど、それを利用できる―これはチェスで相手の強力な攻めを誘い込んで反撃するのと、本質的に同じ思考なのだ。
「投力」という太極拳の奥義がある。これは単なる技術ではなく、道家の言う「全身の気が一点に集中する」状態の表現だ。ワイツキンは、この感覚がチェスでの決定的な一手を放つときの感覚と酷似していることに気づく。どちらも、個々の「技」を超えた、より深い「理」の現れなのだ。
彼の修練法は、道家の内丹術を思わせる。チェスの特定の局面を数百回、太極拳の単一の動作を数千回と繰り返す。それは表面的には異なる実践でありながら、実は同じ「道」への沈潜だった。
特に興味深いのは「形から無形へ」という彼の悟りだ。チェスでも太極拳でも、最初は決められた形を学ぶ。しかし真の達人は、最終的にそれらの形を超越する。これは禅の「守破離」の思想や、道家の「無為自然」の境地と驚くほど重なってくる。
「ソフト技術」という彼の概念も、実は道家の「柔よく剛を制す」の現代的解釈として読める。チェスでいう「地形を譲って反撃の機会を作る」という戦略も、太極拳の「相手の力を借りて制する」という原理も、実は同じ深い真理を指し示しているのだ。
ワイツキンは意識していたのかもしれないし、いなかったのかもしれない。しかし彼の探求は、古来の修行者たちが追い求めた「道」の、現代における再発見として読むことができる。チェスと武術という、一見かけ離れた二つの道を極めることで、彼は普遍的な真理に到達したのだ。
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原題Art of Learningの方が適切。チェスのジュニアチャンピオンが太極拳の大会で優勝するまでの著者自身の経緯の中で、どのように学んでいったかを詳細に述べる。
数を忘れるための数、基礎的な原理のトレーニングを一つづつ重ね、体と頭にしみこませるこれをいくつもの原理に対して集中し無数に行うことで、その原理同士が繋がって競技のレベルを一段階以上上げていく。そのためには虚栄心を捨て、初心に帰り、失敗を繰り返す、負の投資を行わなければならない。原理を理解すれば、それを徐々に省略し本質のみに絞り込むことができる。これは外部から見ると派手さは全くなく、よくわからない技術的な差異となる。訓練を積めば重要なことがわかり、そこに焦点を当てることで制度が高まる。
また、集中するためには外部の雑音をシャットアウトするのには限界があり、むしろ外部の雑音を受け入れてその上でさらに集中できるようにした方が良い。
チェスや太極拳など一対一の大会なので、特に相手の出方をこちらの微動で引き出し、それを利用するテクニックがある。そのためには自己の挙動を客観的に見てコントロールしなければならない。
教育の方法としては、ある確かだと思われる方法を押し進めるのとその人の状況を診て合っていると思われるのを考慮する方法があり、著者は後者を取る。
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勝負の世界に身を置くものにとって、最も示唆に富む書籍である。著者自身も学習理論を学んでいるからだろうか、凡庸で真新しくない研究の解説もある。しかし、それらの解説と彼自身の体験、理論が交わり、具体的にいかに上達し、勝負に勝つか、プラグマティックな方法論の展開される点が魅力である。子供時代に読んだ伝記が将来の職に影響を与えたという話も多いように、伝記には自己啓発的な効果も期待されるが、自らが勝負師であるか、何らかの世界で勝負師として生きたいと思うのであれば、本書は最適である。勝負の世界を生きる優れた方法論と、自己啓発的な効果とを兼ねる伝記は他に存在しない。
<学習以前の心構え>
努力すれば能力は漸次的に伸ばしていけるもの(増大理論)だと考える人ほど、実際に上達する(『「やればできる!」の研究』に詳しい)。この考えが根付いていると、困難は自らを成長させる機会であると、長期的な観点から捉えることができる。ジョッシュ自身も、「成功者のほとんどは、より高いところに目を向けてあらゆる戦いで危険を冒しているし、目先のトロフィーや栄光なんかよりも、頂点を目指す過程の中で学んだことの方がずっと意味があるということを知っている」と自らの経験を振り返る。ただ同時に、「傷ついている戦いの真っただ中で、こういった長い目で見た大局観を維持できるかどうか」は最大の難関であり、習得技法の核にあたるものであるとも語っている。
<ふたつの集中>
脆い集中と柔軟な集中がある。まず、リラックスとは対極にあるような多分な緊張を含む集中は「ハードゾーン」と呼ばれ、その神経をすり減らす心理状態は、外部要因によって簡単に崩れてしまうものである。しかし「ソフトゾーン」は、静かに深く集中しリラックスしつつも、精神的な活力が漲っている心理状態であり、その状態にあっては、どんな自体が起こっても、その心理状態のまま意識は流れ、ハードゾーンでは障害にしかならなかった外部要因を逆にインピレーションを喚起する素材として自らに取り入れることも可能になる。世間でいわれる「ゾーン」は後者で、アスリートにとっての理想的な心理状態である。
<心の平静>
心の平静は達人クラスの人間にとっては不可欠なものである。自らにとって不都合な事が起きれば、衝動(感情)が発生する。ジョッシュは、不都合な出来事とそれに伴う感情への対処法は、それら否定するのではなく、むしろアドバンテージとして利用することにあると語る。彼は、不快を感じたとき、それを避けるのではなく、その状況の中でいかに平安を見出すかを考えるようになったという。こうした鍛錬は日常的に行える。あえて騒音の只中で読書をするのも良いし、嫌な人間と積極的に関わるのも良いだろう。不快を、自らを成長させるものだと捉えなおすことは、良い精神状態を生み出すリフレーミングである。彼は本能的に、チャレンジが必要な困難を探し出そうとしているそうだ。呼吸するかのごとく、今の瞬間に心を留められるようにならねばならない。
<澄んだ精神状態は勝利を呼ぶ>
ジョッシュが少年少女にチェスのコーチ���した際、彼らに教えたのは、重大なミスをしても澄んだ精神状態をすぐに取り戻し、「今」という瞬間に気持ちを据え続けることの大切さだったという。彼は2本の平行線で、時間と心のあり方をイメージで捉えているという。今に集中しているときは、時間と意識が同時並行で進んでいるため、刻々と変化する状況も捉えることができる。しかし、ミスをした際に、ミスをする以前の状態に拘っていると、心は過去に留まり、実際の状況との乖離が進む。時間と状況は進むが、心は過去に留まったままでは、状況を捉える能力は減退する。
<負の投資>
ジョッシュは、「心をオープンにした増大理論の学習アプローチをとり、ピーク状態でパフォーマンスできない期間を時に許容することが、学習の過程に絶対に必要である」と語っている。ベストを目指すためには、世間が理解を示すか示さないかに関わらず、この「負の投資」を自ら責任で背負うことが重要だそうだ。古い信念を作りかえるためにも、時には負け続けることが必要なのだ。彼は、この心構えで太極拳のレッスンを受け続け、自ら、そして他人のミスからも何かを学び取ろうと心がけた。そして数ヶ月も経つと、2、3年学んでいるという人を相手にしても渡り合えるようになったという。ミスを直視することの重要性は、『才能を伸ばすシンプルな本』でも書かれている。
<より小さな円を描く>
ある分野で秀でるためには、まず、基礎技術をシンプルな形で徹底的に覚えていく。それが無意識にまで浸透した段階で、それを応用分野に適用することで、無理なく着実に進歩し続けることができる。複雑な応用分野から着手すると、ミスをしないことばかりに気を取られ、進歩は難しくなる。達人級の人間は、徹底的に覚えた基礎技術(*応用技術も段階を経るごとに基礎技術になっていく)におけるエッセンスの真髄を保ちながらも、外形的にはそれを小さくしてゆくのではないかと、ジョッシュは語り、それを「より小さな円を描くメソッド」と呼ぶ。徹底的に覚えることで、その技術は無意識の段階に到達し、最終的には頭で考えるのではなく、感覚として捉えられる段階に達している。その感覚を維持しつつも、目に見える外形的な技術は限りなくそぎ落とすのである。小さな円を描くことで、同じように小さな円を描ける者以外には実際に何が起こっているのかを知られることがない、分解さえすれば基本的な原理に従っているにも関わらずだ。何かに熟達した者であれば、理屈としてはすぐに理解できるだろう。初級者は上級者がどういった原理原則に従ってプレイしているかは検討も付かないが、上級者からは、初級者が何を考えているのか、あるいは何も考えていないか全て筒抜けである。上級者を越えた達人級になるためには、基礎技術を徹底的に深く学び、ただの知識を無意識に、そして感覚にまで落とし込むことが必要だ。ジョッシュいわく、「どんな分野でも深さは広さに勝る」である。
<チャンク化とその先>
特定のパターンや原理についての情報を統合することをチャンク化・チャンキングという。彼はチャンク化と神経回路の開墾が物事の熟達に必要だと語る。神経回路の開墾とは、チャンク化のプロセスと、複数のチャンク間を行き来するナビシステムを作り上げる作��のことだという。基本原則から段階的に学習していき、十分チャンク化が為されたときに応用原則へと進んでいく。上位原則までそれを繰り返していくことで、上級者へと達する。上級者なだけのプレーヤーと偉大なプレーヤーの境界線は、心を今に留め、意識をリラックスさせ、無意識を活用できるかどうかにあるという。視野狭窄に陥るか、周辺視野をも活用できるかの違いである。チェスのグランドマスターとただのエキスパートでは、意識的にものを見ている量は、前者の比率がずっと少ないという。グランドマスターのチャンク化がより優秀であり、無意識で処理できる量が多く、少ない意識的思考で、多くの情報を取り扱えるということである。意識する必要のある要素が少ないのであり、グランドマスターとエキスパートでは、同じ時間単位の中で、扱える情報量が大きく異なる。
<疲労をせずゾーンを保つ>
「ストレス・アンド・リカバリー」というコンセプトがある。プレーによってストレスに晒された心身をリカバリーすることが重要なのはもちろん、一流のパフォーマーは、何らかのルーティーン(後述)を行っているという特徴があるというのだ。まず、ジョッシュはチェスの対局中、片時も気を抜くことなく熱を込めて集中することがないという発想を持てたことで楽になったという。自分の手番でないとき、相手の思考中も局面に集中することが当然と考えていたが、この概念を知って以降、頭の緊張を取るために機会を利用するようになる(席を立ち水を飲む、顔を洗いに行く)。席に戻れば、エネルギーは充填され、プレーのパフォーマンスも向上したらしい。思考が揺らぎ始めたと思えば、少しの間すべてを忘れて回復させ、フレッシュな状態で戻ってくるようにする。肉体のトレーニングもリカバリー能力の向上には効果がある。心肺機能をトレーニングすることで、精神的疲労からの回復に大きな効果があることがわかったのだ。
<ルーティーン(引き金)の作り方>
ルーティーンは自らをリラックスさせ、ゾーンに入るために有用なツールである。ジョッシュは自らをリラックスさせる引き金を探すのでなく、ルーティーンを作り、それを引き金にせよという。まず、リラックスできるものを用意する。例えばお気に入りの音楽を聴くなど。次に、4~5ステップからなるルーティーンを作る。例えば、1.顔を洗う 2.お茶を飲む 3.瞑想をする 4.お気に入りの音楽を聴く これを繰り返し、リラックスした精神状態と、ルーティーンとの間に生理学的な関連性を持たせる。完成すれば、あらゆる活動の合間に行うことで、リラックス状態を呼び起こすことが出来る。慣れてくればステップを緩和しても良い。上の例で言えばお茶をどんな飲み物でも良しとするとか、顔を洗うのを手を洗うでも良しとするとか。徐々に変化させることで最終的には大きな変革、短縮も可能である。
<感情を利用する>
感情を遮断したところで状況の解決にはならず、感情を利用することで有効な状況へと導かなければならない。感情の波がやってきたら逆らわずにたゆたうのは基本として、自分にとって良いパフォーマンスを生み出す感情を探し、それを引き金にすることをジョッシュは勧めている。怒りの感情が自分に向いているのであれば、嫌な状況���例えば相手からの盤外からの口撃などを引き金にし、感情を増幅させる。それでいて今の瞬間に心を留めるのだ。自らが怒っていること、そしてそれがパフォーマンスを向上させることを客観的に理解しつつ行うということだ。こうした引き金作りを彼は「サンダルを作る」と表現している。
<上達法に関するまとめ>
まず、複雑性を排除した局面を研究し、確固たる基礎的土台を作る。土台が完成したら複雑な状況へと適用させていく。ひとつの技術を徹底的に磨き上げれば、その感覚を指標に、さまざまな対象に応用することができる。ミクロを通してマクロを理解する原理である。土台があると閃きが起こる。閃きとは決して神が与えたものではなく、自ら作り上げたチャンク同士の関連、既存知識から生み出されたものであり、閃きと既存知識の間には必ず関連がある。閃きが起きた際の次の段階は、そこに確かに存在する閃きを生み出した技術的要素を見つけることである。
その他メモ
・自分が優位に立てるかどうかは、闘いのトーンをコントロールできるかに懸かっている。
・体力を保つため、長いチェスの間には45分ごとにアーモンドを食べるのが良い。
・著者のプラトーに対する態度。『もちろん停滞期だってある。次の成長段階へと跳躍する準備として、必要な情報を取り込んで自分のものにする間は成績が横ばい状態になってしまうものだが、それはまるで気にならなかった。燃えるほどチェスに恋していたので、困難な時期も「やればできる」という態度で臨むことができた』
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実態理論←→増大理論
結果をほめるのではなく、過程をほめること
負の短期的な投資が可能になる増大理論で物事を学んでいくスタイルをつくる。