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ものすごく悲劇。泣きます。
泣かされた感のある話は嫌いですが、これはそうじゃないです。
程度は違えど、誰のなかにもある恐怖と絶望を、理性と感情に乗せて描いています。
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あれ?既にオイディプスが結婚してしばらく経ってからが始まりなんですね、意外。
もーこれ誰も幸せになんないじゃないですか。本当に悲劇。
次々と疑惑が晴れてみんなが顔面蒼白になっていくあたり、「もういいよ、そこまでにしときなよ!!」って止めたくなりました。
09.07.19
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ずっと読もうと思っていた古典名作ものをやっと読めて
個人的に満足。
あ〜神々の呪いオソロシヤ〜
考えたらオイディプス自身に非は全くないのよね。誰も責めることができないところが
そもそも悲劇なのか・・・
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必死に抗おうとし、探求しようとする善意による行為こそが運命に操られている。
ただ、アリストテレスや解説が絶賛するほどに素晴らしいか?
後の人々にも多大な影響を与えている点を考慮するとしても、
シェイクスピア悲劇のが悲劇的だし、ラシーヌのがより形式的古典性でも精度が高い(また内容でも同等以上)と思う。
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かなり面白かった。古典中の古典のしかも傑作みたいに言われていますが、本当にそうだと思った。野村萬斎のを観たことがあるので話は知っていましたが、ゾクゾクする感じは本でも充分に味わえると思います。アリストテレスの書いた「詩学」というのを読んでみたいです。
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ギリシア悲劇の中でも特に有名な作品(多分)
「お前は父を殺し母と結婚する」
そんなことをいきなり言われてねーよ!と思うオイディプス王。
しかし、悲劇は起こってしまうのでした。
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2008/11/15(〜p50),16(〜p86),17(〜p126終)
オイディプス王の話は結構いろんな本の中で紹介されているのを見かける。
私が今もぐりで受けている授業でも使われていた。
教授の話術などによってちょっと気になったので読んでみた。
物語自体は嫌いではない。
オイディプスは生まれてすぐに「実父を殺す」という呪いの言葉のせいで実父に殺されかけ、召使のおかげで命はとりとめた。
しかし、大人になったオイディプスは道端で老人を殺める。それが実父だということをを知らずに、ことは進み、実母と婚姻を結び、実母との子供をもうける。
なんとも残酷な、悲哀な話である。
しかし、私としては期待していたのとはちがかったw
まあ、読んでみればわかるのだけれど、
物語の始まりが予想していたのとは違っていてちょっとショックだった。
でも面白い一冊でした。
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五つ★を振り切って星を10つけたいぐらい面白かった。
オイディプス王は尊厳と道徳を供えた人徳豊かな王。
総ての登場人物がそんな王を幸福にしようと努力をするのだが、
その結果真綿を締めるように王の残酷な宿命を暴き立てる。
うーん素晴らしいです。
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「ありえんだろ!」とつっこませつつもそのドラマチックな展開(現代ではありえないけれど、書かれた時代では絶対面白いはず)はすごいなあと思う。なんか何千年も前にこれが書かれているのだと思うと、鳥肌が立ったね。
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ことば
されば死すべき人の身は はるかにかの最期の日の見きわめを待て。
何らの苦しみにもあわずして この世のきわに至るまでは、何びとをも幸福とは呼ぶなかれ。
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15ページ目くらいで挫折した。これのひとつ前の話、オイディプスが即位されるまでの本は出ていないのかな。
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テーバイを襲う疫病。テーバイにかけられた呪い。オイディプスが知る自らの正体。
2010年3月20日読了
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ソポクレスの「オイディプス王」において、主人公であるオイディプスは作品中で死ぬことはない。この作品の中でオイディプスは最も絶望を味わう位置にありながら、彼は自らの目を潰すに留まっているのである。実の父を殺し、実の母と交わり、自分は最後になるまでその事実を悟らない。そんな彼に降り注ぐ多すぎるほどの不幸は、しかしながら彼ではなく、彼の妻であり母であるイオカステを殺すこととなる。そこで私は、イオカステの死がオイディプスに与えた影響について考え、オイディプスが死ではなく失明を選んだ理由について探っていきたい。
まずはイオカステの死がオイディプスに与えた影響についてである。エクソドスの場面においてイオカステは自らの悲運を嘆き首を吊り、それを見たオイディプスはイオカステの身につけていた留金で自らの目を刺す。オイディプスはこの場面では真実を知り、死を選ぶことができた。しかし彼はその選択を選ばず、盲目になることを選んだ。ここにイオカステの死の意味を見出したい。まず、イオカステの留金である。これはライオスがオイディプスの踵を刺したものでもあり、オイディプスはイオカステの留金で歩くことと見ることの両方を失うことになる。絶望の中にいたオイディプスにとって、留金は一つの避難口となる。イオカステの死による影響というのは、留金という要素の参入による、死以外の選択肢の提示であるのだ。
つぎに、オイディプスが死ではなく失明を選んだ理由についてである。「妻にして妻ならざる人、自分と自分の子らを二重に宿した母親のありかを、捜し求めておいででした」(岩波文庫藤沢令夫訳「オイディプス王」/P.114/9行目)のくだりがある。真実を知り、自分が存在悪だと悟ったオイディプスに残ったのは、母体回帰という無条件の愛だったのではないだろか。谷崎純一郎の「春金抄」でも見られるように、失明とは一種の愛情表現でもある。ハデスの国で待っている母と対峙するにあたって、これはオイディプスからイオカステへの甘えであり、その愛欲から彼は死ではなく失明を選んだのではないか。
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何度目かの再読。やっぱりおもしろい。ギリシャ悲劇の最高傑作なのは当然として、いままで人類が書いてきた創作の中でも最高峰のひとつだと思います。
テバイの国に厄災をもたらす犯人の姿が徐々に明らかになっていくスリリングさ。有名な話だから、犯人が誰なのか読み手はみな知っている(たぶん当時の観客も)。にもかかわらず、ページを捲る手は止まらない。
そうして明らかになった真相は、人間の能力ではどうあがいても回避不能な、そして絶望的なものでしかない。誰一人として悪い人はいない、落ち度のある人はいない。それぞれが良かれと思ったことがすべてつながって、ある最悪の悲劇を産み出してしまう。その人間の卑小さそのものがある意味悲劇でもあるように感じる。
読めば読むほど非の打ち所のないように思えるこの作品が、2500年も前に創られたという事実がまた考えさせられます。
ちなみに、翻訳の藤沢令夫は、ギリシャ哲学の第一人者。お弟子さんの一人にうかがったところ、この「オイディプス王」は藤沢先生の翻訳の中でも名訳の一つとのこと。
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初めて読んだ古典演劇。
叙情的な演出と名訳によりとても味わい深く読むことができた。
短いながらとってもよくまとまっており、起承転結のお手本だと思う。
作中に度々でてくる「見ること」についての流れも面白い。見るべきものを見ることのできない目とは何なのか、「目あきにして盲」とは何なのか。
専門の視覚科学とあわせてみるとまた違った楽しみかたが出来るかもしれない。
以下抜き出し。
・事を成すことを恐れぬものが、なにとて言葉におびえよう(オイディプス)
・ああ!しっているということはなんという恐ろしいことであろうか。知っても何の益も無いときは(ティレシアス)
・目あきにして盲であるとは、あなたのことだと(ティレシアス)
・人間は、ただ時のみがよくこれを表すものであるから。これに反してよこしまなものは、ただの一日にしてあなたの前に、その正体を暴露するであろう(クレオン)
・人間には、運命の支配が全て。先のことなど何一つ、はっきりと見通せるものではありません。出来るだけその時々の、成り行きに任せて生きるのが、最上の分別というもの(イオカステ)
・もはやお前達は、好みに降りかかってきた数々の災いも、小野が自ら犯してきたもろもろの罪業も、見てくれるな!今より後、お前達は暗闇の中にあれ!目にしてはならぬ人を見、知りたいと願っていた人を見分けることの出来なかったお前達は、もう誰の姿も見てはならぬ!(オイディプス王)
・げに何事も、潮時が大切(クレオン)
・されば死すべき人の見はるかにかの最期の日の見極めを待て。なんらの苦しみにも会わずして、この世のきわに至るまでは、何人をも幸福とは呼ぶなかれ(コロス)