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絶対と信じていた現実があっけなく崩れていく恐怖。おぞましい罪の上に生きていた自分。これまでの人生は何だったのか?
でも、これって他人事かな?
人生は、そのほとんどが不確実な地盤に立っている。
ソポクレスが「コロノスのオイディプス」を遺してくれて良かった。
「暗い不義の臥床が、父上に失明を招いたのだ」『リア王(福田恒在訳)』これって昔話のお約束みたいなものなのかな。
人は皆、彼らが当然知らなければならないことをすべて知っているということは、到底できるものではない。自分一人だけでは、求めている事柄のすべてを見つけることができないのは確実だ。
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ギリシア古典文学/演劇。悲劇の物語。
信じがたい運命に逆らうことはできないのか。誰も救われないことに対し、悲しさを超えて怖さを覚えました。
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人道的に良かれと思って取った行動が、全て裏目に出ていく恐さ。知らなかった自分の罪が自分の手で明らかになる恐さ。転落のスピード。古典なのに夢中になって読んでしまいました。
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この作品は明治時代の一人の文豪を想起させる。博覧強記であるが故に《知》に蝕まれ死んだ男を。
オイディプスは《未知》への冒険心が故に自分の身の上を知り、自ら眼を潰し、国を去る。
ここには《知》というものにはパルマコン(これは薬とも毒とも訳せる言葉である)があるということを端的に示している。
オイディプスは疫病から国を救おうとして探しだした《知》により自らを苦しめることになる。
人を救うための《知》であったはずなのに、自らはそれが呪詛となる。薬も人によっては、量によっては毒となる。オイディプスは《毒》が自らに入り込まないように眼を潰して、扉を閉ざす。
現代の日常でもこの構図は変わらない。
日常に於いて、勉強や他人とのコミュニケーションで得た《知》というものは《情報》と換言しても差し支えないであろう。
私達はいつでも《毒》を盛られて半ば神経衰弱状態で生きている。与えている側としては相手の為と思いやってのことだから面倒この上ない問題だ。(もちろん虚偽やメディアコントロールといった故意によるものもある)
過ぎた日を省みてみれば、興味本位で得た《知》によって必要のない憂いに翻弄され、何事にも勘ぐりをしていた日々ばかりで「知らなければ良かった」と思う人が大半であろう。
古典経済学の大家J.Sミルの有名な言葉で「満足した豚より、不満足な人間の方がよく、満足した愚か者より、不満足なソクラテスの方がよい」という功利的な言葉がある。
その言葉に倣えば不幸な《満足した豚》を喜ばしき《不満足な人間》になることが《知を得る》ことなのかもしれない。
実際、今でも思想界の一大勢力として鎮座している《実存主義》という考えの基本は「悩み苦しむことこそ自分らしく生きている証拠」といったような意識が根底にある。
果たしてその通りなのだろうか。《知》を与える行為を一般に《啓蒙》や《啓発》、また日常的に用いる言葉なら《教育》というだろう。
《啓蒙》は「蒙きを啓らむ」といった漢字の語義やenlightenment,illuminationと言った原語からも分かる通り「暗いもの、世界を明るくして理解する」ことである。
確かに暗い空間は何があるか分からず不安であろう、しかし暗い空間を想像する楽しみを奪っていることも確かだ
《教育》でも基本形は変わらない。加えて言えば、教えられたことが真実であるかは極めて不確かである。
また真実か否かは別として、教えたことによってその人を悩ませ、苦しませること、いわば《毒を盛って悩める人間にすること》が本当に幸せなのであろうか。
私は最初に《ある文豪》を想起すると書いた。
彼は博識にして、世界を見聞きし、教育者であった時期もあった。
《毒》を盛られ、そして自らも盛った彼も「知らなければ良かった」という後悔の念に苦しめられたことを著作で語っている。
(閑話休題:今でも私は教師というのは嘘つきか詐欺師とならぶような犯罪者だと思っている)
出来れば《知》に遠ざかって生きて行きたいが、世界的に依存症を起こしている情報社会では、そうも��かない。《薬》の過ぎた服用によって《毒》になる、そんな中毒症状に陥らないように生半可な気持で服用しないことだ。
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うん、おもしろい。
ギリシャ悲劇ってやっぱり大仰だし、いちいち神様にお伺い立てんことには何もやらないし、神託受けたら受けたでややこしいことになるし、なんしか呆れちゃう部分もあるんだけど、なんかすごく大衆演劇の土壌がここにあるように思うな。
色んな本同時に読み過ぎてちょっと混乱してるけど(最近読んだ本、やけにオイディプスを引き合いに出してくるから)たしか「量子の〜社会哲学」に、discoverの語源と絡める形で指摘されてた、「発見」=「自己否定」という図式が面白い。
歌の挿入や、結末は先に観客に知らせて、それまでの過程を見せるやり方が、ブレヒトに影響を与えたのかな〜。
ちっ、ギリシャ悲劇も広がりありすぎて、まだまだ読まなきゃならないじゃないか。
とりあえず次は新学期の課題図書「アンティゴネ」(オイディプスの娘のはなし)、で同時並行でアリストテレスの「詩学」で理論補完かな?
ぷすー
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筋と結末を知っていても心をうたれた。運命からは逃れられないのか。国を救った英雄であり王から一転して二重に罪深い罪人への転落。死ぬことも能わず生きて贖わねばならない。真実を追求し正義を行うことにより自ら墓穴を掘ってしまい、善意が逆に仇となる。ライオスは自らの所行に対する罰だが、運命に翻弄されたオイディプス、イオカステに何の罪があったのか。盲目の予言者テイレシアスの知っているとはなんと恐ろしいことかという言葉は重い。知っていても避けられないものが運命だから。
19世紀にハーバード大学で専門家を総動員して完全に再現し台詞もギリシア原語で上演すると観客は最初から最後まで呪縛されたかのごとく魅せられて動かず、深い沈黙、爆発的な歓声と拍手、静粛な沈黙のうちに帰ったという。完全再現した舞台で是非観てみたい。
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世界史にも出てくる名著。
世界史の先生が、是非一回は読んでおけとおっしゃっていたので、この機会に手に取ってみた。
思っていたよりもずっと激しく、引き込まれるような文章であり、想像していたよりもはるかに良かった。
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オイディプスが先王殺害犯人の探索を烈しい呪いの言葉とともに命ずる発端から恐るべき真相発見の破局へとすべてを集中させてゆく緊密な劇的構成。発端の自信に満ちた誇り高い王オイディプスと運命の運転に打ちひしがれた弱い人間オイディプスとの鮮やかな対比。数多いギリシア悲劇のなかでも、古来傑作の誉れ高い作品である。
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ギリシャ悲劇の傑作。オイディプスの感情の揺れ動きが見事に表現されていました。紀元前にこのレベルが達成されていたというのは驚き。
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受験勉強の一つの区切りのとき
久しぶりの読書でこれを読んだ。
ギリシア悲劇なんて難しそうって思っていたけれど話も分かりやすいしわかってくるとすごく面白いしでとても良い読書ができた。
スフィンクスがこういう怪物だったなんて初めて知った・・・!
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運命に抗えない王を描いたところにソフォクレスの権力批判が現れてるような気がした。
村上春樹が「海辺のカフカ」のヒントを得た古典。
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いわずと知れたギリシア悲劇だが,これまで読んだことがなかった。もちろん,この作品はフロイトの「エディプス・コンプレックス」,そしてそれを批判したドゥルーズ・ガタリ『アンチ・オイディプス』として有名で,男の子どもが母親を性愛の対象として欲望し,その障害である父親を殺害するという物語であることは知っていたが,まずは原典を読まなくては。
私は以前にアポロドーロスの『ギリシア神話』を読んでいたし,旧約聖書も『創世記』は読んでいた。わたしたちが「物語」という言葉で表現される文章を読む際に頭のなかにある文学形式は歴史のなかではかなり新しく形成されたもので,本書のように紀元前には当然当てはまらない。それを知りつつも,『ギリシア神話』や『創世記』のなかの多くの物語はわたしにとって意味不明だった。なので,本書もある程度は覚悟をして読んだのだが(だからこそ,今まで読むのを避けていたのかもしれない),その心配は無用だった。
この作品はまず演劇のために書かれたことを念頭に置く必要がある。この頃の劇の特徴として途中途中に合唱隊の歌詞が挿入される。もちろん,それも物語と関係するものだ。それ以外は台詞とト書きによって構成される。訳者によって冒頭に「劇がはじまるまでの出来事のあらすじ」が書かれてしまっていて,いわゆる「ネタバレ」なのだが,そのことは作品を読み進める上での興奮の妨げにはならない。さきほど私が書いた物語の短い概要によれば,父親を殺害するオイディプスはそもそも自身の性愛の相手が自身の母親であることを知り,殺害する相手が父親であることを知っているような書き方であったが,この作品では違っていた。オイディプスは人を殺したことがあることは認めていたが,その相手が父親であることは知らなかったし,その後結婚して子どもをもうけることになる相手が自分の母親であったことも知らなかった。だからこそ,その事実が少しずつ明るみになる過程で,自分が犯した罪の大きさを知る瞬間が読者に大きな衝撃を与えるのだ。もちろん,それはオイディプスだけでなく,その母であり妻である女性にとっても。
ともかく,この21世紀に読んでも全く遜色のない物語であった。先日観た映画『灼熱の魂』の土台にもこの物語があるのだと改めて知る。
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ギリシアの有名な悲劇の一つとして挙げられることが多いため、そして個人的にギリシアに興味があることから手にとって読んでみました。この一冊を読み終わった時に、フロイト思想であるエディプスコンプレックスの所以やら、悲劇というものがどんなもので、など、今でも忘れられない感動をそしてギリシア文学への興味を掻き立てて貰った本です。おすすめ。
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現在を生きる自分はそりゃあもう沢山の物語に囲まれています。それなのに遥か昔のギリシアで書かれた物語が今でも人々の心を掴むことは良いものに時代は関係ないということを示してくれているのでしょう。自分はなにも懐古主義者というわけではありませんが時の洗礼を受けてもなお人々に読み継がれてきた作品はやっぱり充分な魅力をたたえていると思っています。
今は昔と違い手軽に本を読めるようになり読者の層も広がっていますね。そのせいか教養、あるいは文化としての読書から娯楽のためだけの読書になっている気がしてなりません。もちろんそれが一方的に悪いことだとは思いません。けれどもこのような風潮の中でギリシアの偉大な作品たちのように時代を超えて人々を虜にする物語が生まれるかどうかには疑問が残ります。そしてもしそういったものが生まれないとしたらそれはすごく寂しいことだと思います。
これから、いったいどのように本と向き合ったら良いのでしょうか。売れる作品だけが世に蔓延りまだ見ぬ名作が陽の光も浴びぬうちに埋れているようで、すごく寂しく感じます。って何様。
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初めて読んだ時に、この作品は「完璧」だと思いました。悲劇のお手本のような作品です。私は物書きでもなんでもありませんが、作者に「こんな面白い作品を生み出すことができるなんて…」と嫉妬するくらい。オイディプスの話は有名ですが、その結末を知っていたとしても、そんなことは関係なく、読者(あるいは観客)を話に引きずり込む力を持っていると思います。
先代の王が殺害され、オイディプス王が下手人を探すことから物語は始まります。そこから次々に恐ろしい事実が明らかになり、それを否定するために登場人物たちは良かれと思って様々に行動しますが、それが結果的に更なる悲劇を招き、坂を転がり落ちていくように破滅に向かっていきます。その過程を一分の隙も無く積み重ねていく緻密な構成と、そこから生み出される緊迫感が圧倒的です。
内容自体も面白いのですが、もう一つこの作品で素晴らしいと思うのは、時代や場所を越えて、物語は人の心を動かす力を持っているということです。2500年前に書かれたものが、今も傑作として生き続けていることに心が震えます。