シュロモの声を永遠に響くようにするのは、これからは若い世代の責任
2019/02/17 17:50
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投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーによって、第二次世界大戦で、400万人ものユダヤ人がアウシュビッツなどの絶滅収容所で殺された。戦争中,ナチスに処刑されたユダヤ人の総数はおよそ 570万人と推計されている。
本書は、絶滅収容所に送られた中から、選別されたユダヤ人が、同胞の遺体処理をする特殊任務部隊に配属された過酷な実態が、生き残ったシュロモ・ヴェネツィアへのインタビューで明らかにされている。
本書の巻末には、「歴史のノート」の章で、アウシュビッツ専門の歴史家マルチェッロ・ペゼッティが、アウシュビッツが作られるまでの経緯を紹介している。ナチスは当初ユダヤ人の殲滅を目的に、征服した村や町,都市のユダヤ人を射殺し,近くの共同墓地に埋め、また,犠牲者を密閉したトラックなどに押し込め,排気ガスを荷台に引き込み,共同墓地に向かう途中で死にいたらしめるという方法をとっていたが、あまりにも効率が悪いために,人里離れた「絶滅収容所」で殺人と火葬を行なうという計画たて、1942年「ユダヤ人問題の最終的解決」として,ヨーロッパの占領地全体からユダヤ人を東部の収容所に組織的に移送し,「しかるべき扱い」に処するという決定をする。
「しかるべき扱い」とは、大量処刑であり、特別に建設されたガス室に消毒のためと称してシャワー室だと偽装し、移送されてきた大量のユダヤ人を押し込め殺人ガスで死に至らしめ,ガス室から運び出された遺体は隣接する火葬場で火葬し、遺骨を粉砕し、近くの川に流すというもの。
この処理をしたのが特殊任務部隊であり、シュロモがインタビューでその詳細を包み隠さず語っている。特殊任務を行っていたときの心のありようも語られながら、遺体の様子、処理される様は読み進めることも辛くなる。また、特殊任務部隊が反乱を企てるが、その顛末も証言されている。貴重な歴史的な記録だ。
本書の序文に寄せられたショアー記念財団会長のシモーヌ・ヴェイユのことば「シュロモの声は、すべての強制収容者の声と同じように、いつかは消えるでしょう。忘れることなく、シュロモの声を永遠に響くようにするのは、これからは若い世代の責任です」は重い。
ホロコースト・サバイバーへのインタビュー
2023/01/19 10:27
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ホロコースト・サバイバー(生還者)へのインタビュー形式で、ナチスの強制収容所で何があったかを教えてくれる。インタビューですから、疑問に思うこと知りたいことを結構ピンポイントで聞いているのが分かりやすい。それに、インタビューの相手は、ガス室で特殊任務をしていたユダヤ人である。本書では、特殊任務と訳してしまっているのが残念だ。ゾンダーコマンドと原語を示し、説明として特殊任務とすべきだろう。その任務の内容については、よく分かる説明がされている。
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衝撃の内容。これがこのまま事実であるならば。
この本を心で深く読み込んだ読者であれば、一度、強制収容所跡を訪ねてみることを強く薦める。10年以上前になるが、ベルゲン・ベルゼン、ダッハウ、テレジンを訪れたことがある。その記憶を重ね合わせてこれを読み通した。
殺されたユダヤ人も、加担させられたユダヤ人も、殺したドイツ人も、どこまでもいけば最後は孤独なひとりだ。結局、ここで行われた残虐だとされることも、その孤独なところにおいては誰しもが真の残虐なひとりになる。人はそういうものかもしれない。
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アウシュヴィッツのガス室や焼却棟で働き生き残ったユダヤ人S・ヴェネツィアへのインタビューをまとめたもの。言うまでもなくとてつもない内容で、これまでに接したホロコースト関連作品(本や映画など)の中でもトップクラスの重要性がある。
ホロコーストの生き残りの証言ということでは『SHOAH』も読んだが、本書は1人の人物へのロングインタビューであること、そして証言者がガス室での殺戮の実態を誰よりもよく知る特殊任務部隊の隊員(ゾンダーコマンド)であることで、特権的な地位を占める。様々な人物のインタビュー集である『SHOAH』は、多角的な視点から強制収容所の実態を明らかにするが、こちらは一人の人間の目を通した定点観測なので、圧倒的な深みがある。
もちろん一人の人間の見たことであるが故に、全てが普遍的事実だとは限らない。そもそも50年も前の話なので、細部に多少の記憶違いや誤りはあると考えるのが当然。実際 読んでいても腑に落ちないところは幾つもあった。そのような間違いは『SHOAH』のように多くの人の証言を突き合わせることで明らかになる。それを検証し注釈として生かすことは当然大切だが、細部に多少の間違いがあったとしても、この貴重な証言は未来永劫受け継がれていくべきものだ。
一人の人間が、これだけ膨大な回想を、このように理路整然と話せるわけがない。やそらくは、行きつ戻りつし時には取り止めのない話を、インタビューアーのベアトリス・プラスキエという人物が編集・再構成してこのような形にまとめたわけで、その巧みさにも頭が下がる。
内容について語り出したら切りがないので、特に印象に残ったエピソード3つを語るにとどめる。どれも「悲しみ」とか「残酷」とか「悲惨」とかそのような言葉では言い表せない、人生の何か重要なものがごちゃ混ぜになってゴロンと転がり出てきたようなものばかりだ。
1つは、ガス室の遺体から、信じられないほど美しい女性を見つけたという話。まるで古代彫刻のような美しさで、その姿形を焼却してしまう決心がつかず、最後までそばに置いておいたという。あらゆる感情を殺して機械的に作業しているヴェネツィアが、作業中に唯一 女性という存在に心を動かされたケースだという。その光景を想像すると、レイ・ブラッドベリの小説の一場面のような詩情が感じられる。
2つ目は、ヴェネツィアが唯一目撃したガス室の生き残り。死体の山から、母親のおっぱいにしがみついた赤ん坊が生きて発見されたというのだ。おっぱいを吸っていたが故に毒ガスから隔離されたらしい。もちろんその子は、すぐに殺されてしまったのだが、ガス室の死体の山の中で母親のおっぱいにすがって生き延びた赤ん坊…前の美しい女性の死体と同様、この世界の両極が同時に存在してしまった光景は、既存のいかなる単語でも形容不可能な感動を覚える。
3つ目は、最後の「この極限の経験で奪われたものは何ですか?」という問いに対する答え。「人生です。普通の人生が奪われました。うまくいくとは思ったことがなかったし、他の人のように、ダンスに行ったり、無心に楽しむこともなか���た…。すべてが収容所に結びつきます。何をしても、何を見ても、心が必ず同じ場所に戻るのです。あそこで強いられた《仕事》が頭から出ていくことが決してない…。焼却棟からは永遠に出られないのです」
前にも書いたように、一人の人間が50年ほど前のことを語るのだから、多少の記憶違いはあるだろうし、ここまで理路整然と語ることもできるはずがない。それは編集の手腕である…それは原則的に正しい。しかし、この人の場合、普通とは違うのではないかという疑問も生じる。この人は収容所から解放された後も、決して収容所の思い出から逃れることができず、通常の時間概念を超越した形で当時の体験を昨日のこと…と言うより、日常の習慣のように克明に覚えているのではないか? だからこそ、ここまで詳細な証言が出来たのかもしれない。
そんな感想も、本書の(特に印象的ではあるが)ごく一部に過ぎない。ここから受け取るものや学ぶものはあまりに多い。人生の必読書と言って差し支えないだろう。
最後に本書自体の感想とは直接関係無いことをまた3つ。まずAmazonの書評(単行本の方)などを見ると西岡昌紀という人物が、本作を虚構であると批判している。この西岡というのは、例の「アウシュヴィッツにガス室は無かった」説で、マルコ・ポーロ誌廃刊の原因を作った人。確かに彼の論に一定の説得力があるのは事実で、私も読んでいて「処理後の換気はどうしたのか?」という疑問を素直に抱いた。ただこれに関しては「アウシュヴッツ 換気」で検索すれば、様々な反論が出てくる。私はツィクロンBの専門的知識などないし、アウシュヴィッツの廃墟に行って大きさ等を入念にチェックしたわけでもないので、断言はしない。しかし両者を読み比べると、西岡氏の論は部分的に正しい指摘はあったとしても、やはり全体としては無理があるように思う。
2つ目。この本は劇団チョコレートケーキの『あの記憶の記録』の参資料になったもの。読んでみると、ほぼそのまんまなエピソードもあるし、そもそも証言者であるヴェネツィアと彼の兄が、あの作品の主人公兄弟のモデルであることは明らか。他にも、あの劇に出てきた看守は、本書に出てくる何人もの看守をミックスしたものか…などいろいろ。あの芝居に感動した人は、ぜひ本書も手に取って欲しい。
最後に。本書と同じくゾンダーコマンドを主人公にした映画『サウルの息子』を2年前に見て、ユダヤ教では土葬が本来の決まりであり、火葬は敬虔なユダヤ教徒にとって忌むべきものであることを知った(ヴェネツィアは敬虔ではないので本書には言及無し)。それを知った上でこの本を読むと、ガス室で殺されたユダヤ人がゴミのように機械的に焼却処理されていくのは、彼らにとって二重の屈辱であったことに思い至り、さらに沈痛な気持ちになる。
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序文 ショア―記念財団会長 シモーヌ・ヴェイユ
本文によせて ベアトリス・ブラスキエ
まえがき
第1章 収容前―ギリシャでの生活
第2章 アウシュビッツでの最初の一か月
第3章 特殊任務部隊―焼却棟
第4章 特殊任務部隊―ガス室
第5章 反乱と焼却棟の解体
第6章 強制収容所―マウトハウゼン、メルク、エーベンゼー
歴史のノート―ショア―、アウシュビッツ、そして特殊任務部隊 マルチェッロ・ペゼッティ
ギリシャのイタリア系ユダヤ人―大失策の小史 ウンベルト・ジェンティローニ
ダヴィット・オレールについて
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十二時間労働の二交代制で強制的にやらされた「汚い仕事」の流れ作業は、脱衣室で犠牲者につきそって、待ち受ける悲惨な運命を感づかれないようにできるだけ早く服を脱ぐ助けをし、SSが犠牲者をガスで殺しているあいだに彼らの衣類を集め、ガス室から遺体を出し、義歯と金歯を抜き、女性の髪を切り、これらの遺体を焼却炉または野外の共同墓穴で焼き、遺骨を砕いて遺灰をヴィスワ川に捨て、ガス室を掃除して壁を石灰で白くし、次の「処理」に備えることだった。
歴史のノート より
『サウルの息子』でゾンダーコマンドの存在を知ったのは数年前。それ以外にはBBCの数時間くらいのドキュメンタリーシリーズを視聴していましたが、書籍でナチス収容所、ホロコースト関連のものをちゃんと読んだのは『夜と霧』くらいだったので拝読。
今まではユダヤ人が大量に虐殺された、という事実だけを捉えて理解していたつもりでしたが、本作はインタビュー形式で淡々と語られる体験記でもあります。ユダヤ人のひとりひとりに、出自が、国籍が、慣れ親しんだ言語があり、そしてまるで排斥されるために象られたような人種があります。日本国内だけで暮らしていて、触れるメディアも国内産のものが多いと意識しにくい部分かもしれません。
アフリカ系アメリカ人の多くは奴隷として連れてこられたが、ヨーロッパのブラックの多くは移民であるように、当然ユダヤ人にも様々な背景があることに今さら気付かされました。
シュロモ・ヴェネツィア氏はギリシャ出身のイタリア系ユダヤ人。インタビューは収容前のギリシャでの生活や家族の話を中心に進み、捕まり、アウシュヴィッツでの一ヶ月、ゾンダーコマンドとしての仕事など、丁寧に語られていきます。
『サウルの息子』でも遺体を杖の柄に首根っこを引っかけて運ぶ描写があったのをぼんやり思い出しました。収容所によって内情や仕事内容に差はあったかと思いますが、アウシュヴィッツは特に主要な鉄道が交差する重要な分岐点にあったらしく、集まる囚人の数も多かったはずです。その残虐かつ過酷な環境が言葉によって伝えることの意味を考えさせられます。
この極度の経験で奪われたものは何ですか?
「人生です。普通の人生が奪われました。うまくいくとは思ったことがなかったし、他の人のように、ダンスに行ったり、無心に楽しむこともなかった……。
すべてが収容所に結びつきます。何をしても、何を見ても、心が必ず同じ場所に戻るのです。あそこで強いられた《仕事》が頭から出て行くことが決してない……。
焼却棟からは永遠に出られないのです」
第6章 強制収容所 マウトハウゼン、メルク、エーベンゼー より
自分だけは大丈夫。関係がない、とは思えません。ナチスのホロコーストに目が行きがちですが、『カティンの森事件』ではソ連によるポーランド人の虐殺、略奪行為はありました。現在でもウイグル人の迫害やBLMなど遠い国の話ではないはずです。『異端の鳥』にあったような、色を塗られた鳥を弾くような行為はそれこそ身近に感じます(作中内ではユダヤ��かジプシーかを尋ねる描写もありました)。
人はこれほどまでに残酷になれることを教えてくれる。背負う業、あるいは間接的に背負うかもしれない業でもあるのかもしれません。
最後に一点だけ、気に入らない点というかいちゃもんをつけるのなら、タイトルが悪いように感じました。原書が手元にないので何とも言えませんが、ゾンダーコマンドを直訳すると特殊任務部隊になります。ナチスの軍所属やSS内部の特殊部隊はだいたいこの名称だったらしいです。ゾンダーコマンド・ヒドラとかゾンダーコマンド・ノルトとか。
編集や訳す際の伝わりやすさ、あるいは大人の事情があったのかもしれませんが、ゾンダーコマンドという単語が触れられるのは訳者のあとがきとカバーの英語表記くらいでした。
本来、書籍の持つ役割のひとつとして、言葉や知識が受け継がれ、伝えられることにあると考えています。50年経って、100年経って、この歴史を語る際に残る言葉が「特殊任務」なのか「ゾンダーコマンド」なのか。自分は後者であるべきなのでは、と思うのです。というか風化せずに残っていてほしい、という一種のわがままみたいな感じ。その言葉の裏にある意味や背景、悲劇的な出来事、おぞましさ、傷ましさのようなものが想起されてこそ、本というメディアの意味が最大限に発揮されたと言っても良いかもしれません。だから「ゾンダーコマンド」という単語は前面に出したほうが良かったのでは、と。
蛇足かもしれませんが、それを差し引いても本書の資料的な価値は他に類を見ないもののように思えました。
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『夜と霧』が意識して客観的に書かれていたのに対し、本書はインタビュー形式ということもありかなり主観的な話を聞くことができます。
アウシュビッツの中でも、ガス室や焼却炉という特殊任務に当たっていたゾンダーコマンドの経験です。基本的にこの作業に当たった収容者は秘密保持のために処分されたため、かなり貴重です。
印象的なのは、解放後に人に話をすると頭がおかしいと思われて信じて貰えなかったという点です。
この経験を語ろうとするまでに40年以上かかったそうです。
あんまりにも酷い出来事は、信じないことでなかったことにしたいのかもしれません。
勇気をもって告白してくれて有り難いです。
大切に読むべき本です。
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ユダヤ人をガス室に送り、処刑された後ガス室から折り重なり皮膚がドロドロに溶けた遺体を外に運び出し、その遺体の髪を切り、銀歯金歯を引き抜き、焼却場で焼き、遺灰を川に捨て、ガス室を綺麗に清掃する、そんな任務を負っていたのが「特殊任務部隊」で同じ強制収容されたユダヤ人で構成されていた。そしてその任務内容が外に漏れないように部隊の者も定期的に処刑されていた。しかしながら奇跡的に生き逃れたシュロモ・ヴェネツィアがその壮絶な内容を赤裸々に語っているのが本書だ。彼が重い口を開いたのは解放から47年後で69歳だった。
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どうしても強制収容所跡地が見たくなって、学生時代にドイツを訪れたことがある。何故かアウシュビッツにこだわって結果諦めざるを得なかったのだが、旅程の関係でダッハウへ行った。アウシュビッツにこだわったのは、そこが有名でアイコン的だったからだと今になって思う。両収容所におけるガスによる大量虐殺の違いや収容者の違いを当時は知らなかったから。世間知らずで、希望が叶わず残念に感じながらもダッハウも強烈な悲劇を残していて、それで胸がいっぱいになった。その夜、現地で知り合った友とドイツの酒場に入り、ドイツ人と日本人が生まれながらに抱える宿痾のような定めを考えた。
本書は、アウシュビッツで生き残った著者による実体験を語った回顧録。内容について多くを語る必要もないと思う。どうして悲劇が起こったのか。勧善懲悪の二元論で語って良いのか、あるいは、同調圧力、時代の空気、服従の心理の連鎖のような末路なのか。
日本でも起こる猟奇的な殺人事件に対し、これは特異な人間が起こした事件だと考えられているが、これをホロコーストに当てはめるなら、人間誰しも猟奇的な殺人を犯す生き物だという事を認めざるを得ない。もしかすると、猟奇的な殺人は、その瞬間、そこだけホロコーストと同じような原理が働いたとも言えるのではないか。
強盗が増えている。殺人事件も含まれている。人間を過信しない。原理が解明されぬ限り、我々は常に加害者にも被害者にもなり得る存在であり、あるいは崩壊に向かって日々を蓄積しながら向かう「その瞬間」が来やしないかと恐怖しなければならない生き物なのかも知れない。