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投稿者:masaya - この投稿者のレビュー一覧を見る
本著は、アダム・スミスの挙げた資本主義の道徳的条件を満たすための挑戦を、体系的に把握しようと試みたものである。
「お金儲けがフェア・プレイの精神から切り離され、ただの利潤獲得機械になってしまうことを、いかに抑止するか」という点で、J.S.ミル、A.マーシャル、ケインズ、マルクスが取り上げられる。
最も印象的だったのは、「資本家たる所有者が資本主義の主役から降りていく」経済思想史の流れで、「お金儲けの暴走によって邪魔されることなく、庶民の努力を引き出すことが、豊かな国を作り出す本筋」という、時代を超えた経済学者の連続したアプローチである。
歴史からひも解く
2018/07/30 22:37
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投稿者:凄まじき戦士 - この投稿者のレビュー一覧を見る
経済思想を過去の経済学者の考えを中心に紐解いていく本で、比較的わかりやすく書かれている印象を受けました。
著名な経済学者を中心に書いているので、経済学の所学者などには参考図書としてお勧めです。趣味的に読むとしても面白い内容だと思いました。
経済思想史が手に取るようにわかる良書です!
2018/06/26 11:49
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、巷に溢れている様々な経済思想を説いた書とは一線を画す画期的な経済思想書です。まず、非常に分かり易く、丁寧に解説されているとともに、読者の素朴な疑問に寄り添うように書かれているので、これまでなかなか理解できなかった経済思想が、具体的なイメージをもって理解することを可能にしてくれるという大きな特徴があります。二つ目は、経済思想について基礎的な知識が無い方でも、ある程度、興味関心をもって読み進められるように構成されていることです。本書が、経済思想をより幅広い読者層に受け入れられることを期待したいと思っています。
経世済民を考えた人たち
2019/08/03 19:58
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投稿者:akihiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
マクロ経済学の参考書を読めば指標値の計算方法はわかりますが、それがなぜ「経世済民」になるのかは書かれていないことが多いと思います。
本書で紹介されている人物は、労働者の貧困、戦争、恐慌などの社会問題から世を助けるために、解決策を考えた人達です。アダム・スミスが考えた道徳的な条件など、方法論よりも本質的な経済の概念を知ることができました。
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本書は「スミスの挙げた資本主義の道徳的条件を満たすための挑戦として,スミス以後の経済思想史」を平易にだが,本質的に把握しようと試みたものである。
「お金儲けがフェア・プレイの精神とも,社会全体との富裕化とも切れた利潤獲得機械になってしまうことを,いかに抑止するか」という筋で,J.S.ミル,A.マーシャル,ケインズ,マルクスが取り上げられる。
一方,その筋からはずれると著者が考えるハイエクとフリードマンは傍流として位置づけられる。傍流ではあるが,現代の経済政策などに強い影響力をもつ経済思想という位置付けだ。
そして,最後に「組織の経済学ー現代の経済理論における株主の位置づけ」が置かれる。これは,「所有者が主役から降りていく」経済思想史の流れのなかに位置づけられる「経済学の本流」の最前線だからだ。
新書の帯には「一冊で経済学の歴史がわかる決定版入門書!」とあるが,経済学の歴史というよりも経済思想の流れであり,それは「お金儲けの暴走によって邪魔されることなく,庶民の努力を引き出すことが,豊かな国を作り出す本筋」という著者の思想によって紡がれたストーリーである。
しかし,そのストーリーは非常に説得性に富み,示唆に富んだものだと言えよう。
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アダム・スミスを語るときに道徳感情論に着目。「道徳性」や「公正さ」と資本主義との両立ができていない「悪いお金儲け」(「よいお金儲け」の対義語)が力を持った時にどう対処するかという観点で一本筋が通っている経済思想史。経済思想史上の錚々たる有名人についてちょうど良い分量で語っていて、読みやすいです。
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私は、経済に無頓着ながら生活できる以上の金は欲しいと思っている典型的庶民である。
アダム・スミスは資本主義に道徳を付加することで正当なものとなると考えた。やはり金儲け悪いことになりがちなので、良い金儲けをするには道徳が備わっている必要がある。しかし現実はそうはいかず、制度を誰がが作って資本主義社会を運営していかなければならないとスミスに続くミル、マーシャル、ケインズ、マルクスは考えた。というのが、経済思想史の本流で、今流行りのハイエクやフリードマンは市場を至上とする市場主義は史上では傍流ということかな。
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経済学は、良いお金儲けを推進し、悪いお金儲けに対抗する学問であるということからはじまり、このテーマに関して、250年前のアダムスミスの時代から現在に至るまで、経済のあり方の変化と著名な経済学者の思想とともに、一本のストーリーのように綴られている。
この本のなかで、主要な経済学者として、スミス、ミル、マーシャル、ケインズ、マルクス、ハイエク、フリードマンが登場する。彼らの思想が時代の流れとともにどのように生まれたかが、非常につかみやすい構成だった。
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経済思想史が「良いお金儲け」にまつわる道徳の歴史であることがわかった。
ユダヤ教にしか認められていなかった私有財産をアダムスミスが認めたということは神の人間化のような宗教観の変化もあるんだろう。
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アダム・スミスにはじまり、ミル、マーシャル、ケインズ、マルクス、さらに現在の市場主義的な常識の形成に影響をあたえたハイエクやフリードマンの思想についてわかりやすく解説している本です。
著者は「はじめに」で、「本書では、あえて経済学の歴史を一筋のストーリーとしてとらえたいと思う」と述べています。著者はまずスミスの思想について解説し、資本主義経済を正当とみなすことができるための条件として、「自由競争市場がフェア・プレイに則った競争の場であること、特に資本を動かす人間がフェア・プレイを意識する人間であること」「資産を事業に活用するのではなく、貸し出して利益(利子・地代)を得ようとする場合、その行動が資産をよい用途に向けていく助けになり、全体の富裕化を促進すること」「強者が弱者を支配せず、相互利益の関係を結び、弱者の側の能力も活かされること」の三つの条件をあげます。そのうえで、その後の歴史的展開のなかでこの三つの条件を回復する試みとして、ミル、マーシャル、ケインズ、マルクスの思想を解説しています。
わかりやすいストーリーに載せて経済思想史を解説しているので、著者自身の立場にそった解説となっており、どうしても一面的な見方になっているようにも感じますが、「はじめに」で述べられている著者のねらいは十分に果たされているように思います。
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スミス、ミル、マーシャル、ケインズ、マルクス、ハイエク、フリードマン。経済学者をきりつめるとこういう感じになるのね。
と思ったが、よく読むとなんか微妙なところがあるな。
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まさに経済学が実学としてどう適応されてきて今後どうなるかをわかりやすく体系化した入門書。社会福祉国家の行き詰まりから哲学的自信を失った経済学が道を誤った1980〜の40年間。そこからようやく抜け出そうとしている兆しを書いている。
また、会社は何のためにあり誰のもの?という経営と労働に関する手引きにもなる。
経済学部以外の大学生が教養原論として通って欲しい1冊。もちろんこれは筆者の意見というストーリーに揃えられているのだが、反対派の意見や推薦図書も出てくる。そこも学んで自らの見解を持てるとなおよいと思う。
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アダム・スミス以来の経済学が、時代に合わせてどうとらえ直されてきたのかという観点の経済学の思想史。
経済学を勉強している時、ケインズの理論があまりに突然変異的に出て来て学問的な連続性を感じ取る事が難しかったのだけれど、ケインズの背景として「大会社が登場して会社の所有と経営が分離した時代に、金融が公正な競争の足を引っ張る様になったので、それを解決するために出されたのが一般理論」(意訳)という話を読んで、自分の中の経済学の理解にやっと一本の筋を通せた気持ちにさせられた。
全体の「アダム・スミスが、経済において必要だと考えていた道徳に紐づく諸条件があり、時代の変化とこの諸条件をすり合わせるのが経済学の思想史」という流れは面白いのだけれど、アダム・スミスが考えていた諸条件が絶対視されており、その理由の解説が特になかった事は少し気になる。
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中村隆之(1973年~)氏は、京大経済学部卒、京大大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学、鹿児島国際大学経済学部准教授等を経て、青山学院大学経済学部教授。専門は経済学史。
私は、世界に広がる格差と、それを生み出す資本主義に問題意識を持っており、これまで、ジョセフ・E・スティグリッツ、広井良典、水野和夫、トマ・ピケティらの著作、斎藤幸平『人新世の「資本論」』等を読んできたが、今般改めて資本主義の経済思想史的な変遷を整理したいと思い、本書を手に取った。
本書は、題名の通り、経済学の父アダム・スミスから新自由主義の旗手フリードマンまでの思想を追ったものであるが、読了して、いい意味で二つ裏切られた。一つは、単にそれぞれの思想を紹介するのではなく、スミスが挙げた資本主義の道徳的条件を軸に、それ満たすためにそれぞれが挑戦・工夫をしてきたという流れで論じていることであり、これは新自由主義に強い違和感を持っている私には、得心しやすいものであった(ただそれ故に、“はじめての”経済思想史として適しているかは疑問であるが)。二つ目は、最終章で、これまでの歴史を踏まえて、「会社は誰のもの(であるべき)か」が考察されており、これは自分の仕事に直結する問いであり、参考になった。
大まかな流れは以下である。
◆スミスは、市場の機能を「見えざる手」と呼び、資本主義経済の始祖と言われているが、お金儲けや格差を無条件に肯定したのではなく、自由競争市場を肯定するためには、フェア・プレイに則った競争の場であること、社会全体の富裕化を促進することなどが道徳的条件であるとした。
◆ミルとマーシャルは、スミスの道徳的条件を逸脱して労働者をフェアに扱わなくなった現実に対し、あるべき事業経営者像を示した。
◆ケインズは、一般的にスミスの思想と対立すると考えられているが、その本質は、株主等の資産所有者と事業経営者等の資産活用者の分離が進み、資産所有者による悪いお金儲け(=金融)が事業経営者による良いお金儲け(=産業)を阻害するようになり、資本主義の歪みが大きくなった現実に対し、それを改善するために政府が積極的な役割を果たすような改革を提唱したことである。
◆マルクスは、スミスの条件が満たされなく究極の要因は「私有」財産権にあると考えた。よって、ミル、マーシャル、ケインズ、マルクスらは、いずれもスミスの条件を回復しようとした経済学者と位置付けられ、また、それらは「所有者が主役から降りていく」という大きな流れの一環といえる。
◆1980年代以降、世界の趨勢となった新自由主義は、ハイエクやフリードマンの思想を背景としたが、それは「所有者が主役から降りていく」という流れに逆行するものであり、経済思想史の観点からは傍流に位置付けられる。
◆現代の経済理論においても「一応の株主主権」が暫定的結論ではあるが、株主を支配者とした場合に「利益の自己目的化」を超えることは難しい。「所有者が主役から降りていく」という歴史の流れも踏まえれば、いずれは、会社の利益・資源は従業員組織に託し、株主(所有者)は従業員組織の活動をチェックす���ような制度が望まれる。
近代経済思想史を、スミスの思想をベースに大きな流れとして整理した好著である。
(2021年10月了)
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アダムスミスから、現代経済学に至るまで、会社と個人のあり方を整理した経済思想史を概略。
非常に分かりやすい一つの筋が通っている。
この考え方がメインストリームかどうかは別にして、著名経済学者の立ち位置が明確になった。