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どの部分を大事に翻訳をしているかが明快に対談されていて
勉強になる。
学生さんや翻訳家の卵たちからの質問を受けるという形、対談形式というのもあると思うけれど、意外な角度からぐっと深みに落ち込むのも読んでいて興味深かったなあ。
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柴田元幸さんの東大で受け持っている翻訳講義に
村上春樹がゲストで来た時の話。
村上春樹はやはり色々なインタビューや
小説のなかで語っているように,「リズム」を重視した翻訳にこだわりを
持っていることを主張している。
翻訳者として逐語訳か意訳のどちらかでばっさり分けて考えるというより,
自分のなかで譲れないこだわりを持つことのほうが大切だ,と言う部分には
共感を持った。
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タイトルは翻訳夜話ですが、翻訳についてよりも文章表現というものに身を捧げ、真摯に向き合った村上青年(笑)、の姿が胸を打つ本です。個人的には、「自我を極力消してそれでも出てくるものが作家性……」という話が世阿弥っぽくて好きです。
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ずっと読むのを先延ばしにしていた本。ご存じの方も多いと思うが、このコンビは80年代から「村上=翻訳者」と「チェッカー=柴田」という役割分担で多くの翻訳を手がけている。(コンビでの最初の仕事は、ジョン・アーヴィングの「熊を放つ」)柴田さんの翻訳論については、これまで何度か目にしてきたが、村上さんについては初めてなので興味深々。一番興味深かったのは、村上さんの翻訳に対する情熱かな。小説を書くことで費やしたエネルギーを、翻訳を行うことで徐々にリカバリーしていくと言う点が面白い。小説と翻訳とでは使う頭脳のパートが違うらしい。
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おもしろい!翻訳者としての立ち位置の話から、人称の使い分けなどなどいろんな翻訳の裏話が満載。おふたりがそれぞれ訳した短編を読み比べることもできます。
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もちろん職業柄というのは大きいですが、
共感したり、納得したり、感心したり、
読んでいて忙しい本でした。
ビートのない文章って、うまく読めない。
とか、
(対象との)親密で個人的なトンネルみたいなものが
あなたとの間にできれば、
そのほかのいろんな複雑な問題も、いつしか解決していく。
それは自信という言葉とはちょっと違う。
とか、
読んで「これは素晴らしい!」と感動するだけではなくて、
それを日本語に移し換えることによって
自分もその素晴らしさに参加しているという主体的な手ごたえがある。
とか。
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春樹さんと柴田さんの共著。 お二人の翻訳への捉え方がおもしろい。
最後のほうにそれぞれが訳したカーヴァーの短編があるんだけど、同じ話しなのに、うかぶイメージが違っていて、翻訳家は人気商売だなと思いました(笑)
あと、
春樹さんの文章がそもそも翻訳っぽいってとこにすごく納得しました。
あんな女言葉丸出しの文章って、春樹さんの小説読むまでは読んでこなかったから、
だから最初に読んだノルウェイの女性陣は性格がきついと感じたんだなーと1人で納得(笑)
私も翻訳やってみたいなー!
とりあえず、グレートギャツビーを英語で読んでみたい!(そこからww)
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アメリカ文学者で、翻訳家でもある柴田先生が東京大学で行った英日翻訳の講義を、実況中継のように対話形式で記録した本です。
原文(英語)の緻密な理解と訳語(日本語)の細部へのこだわりが、随所に見られます。
初めて読んだとき、こんな風に的確な言葉を選べるようになりたいと思ったのを覚えています。
原文をまず自分で訳してみて、読みながら自分で添削していくのも面白いです(が、ページを行ったり来たりするのでちょっと大変です)。
柴田先生のお友達である作家の村上春樹さんが登場するところもあります。
ちなみに、柴田先生が翻訳したレベッカ・ブラウン『若かった日々』もおすすめです。
(2011ラーニング・アドバイザー/人社 TSUDA)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1103230&lang=ja&charset=utf8
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公開教室での質疑応答等を新書にまとめたものだが、村上春樹の翻訳に対する姿勢が興味あるものだった。村上春樹が翻訳好きだということだけはわかった。
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翻訳は愛情があること。面白いことが大事だということが分った。
村上春樹の英語訳をした2人の性格の違う訳者についての見解でよくわかった。
厳密に訳そうとしても、大雑把に訳そうとしても、面白くできるかどうかが鍵なのだ。
しかも、中身に愛情があること。
柴田氏の説によれば、翻訳に3種類ある。原文のトーンに近い日本語のトーン。原文のトーンとは違うが日本語として一貫したトーン。
日本語としてトーンもリズムもないような訳文とのこと。
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何故か村上春樹とは縁がなかった。この本も柴田元彦氏が目当てだった。で、今さらながら村上春樹も良いなと思った。そろそろ世界の名作から抜け出し、自分だけの作家を見付けたいと思っていた大学1回生の頃、『風の歌を聴け』が出た。私には都会的過ぎる様な気がし、同時期にデビューした椎名誠を選んだ。後悔はしていないが、機会を逸する内に氏はどんどん有名になってしまい、益々読めなくなった。この対談集を読みながら翻訳というテーマよりも『春樹は読まない!』という呪縛から解放された様な気がする。先ずは『風の歌~』から探してみるか。
翻訳夜話 >> 柴田元幸氏の話を読みたくて、手に取ったのだが、村上春樹氏の話もなかなか含蓄がある。何故か氏の作品とは今まで殆ど縁がなかったが、読んでみたくなる。ただ、作品数が多く分厚いのが多いので、嵌まったら厄介だなあ。^^; 2012年03月10日
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村上春樹が、東京大学の柴田先生と、その生徒とフォーラムを開いた記録と、中堅の翻訳者とのフォーラムの記録が載っています。
また、そのなかで、カーヴァーとオースターの小作品について村上と柴田が競訳しているのですが、その違いが面白いです。
★★★
英語はワンセンテンスが長かったり、段落も日本語と比較すると大きいがそれをどう訳すかとか、どこまで意訳するか、文章のリズムについてとかいろいろと考えさせられます。
あと、誤訳について指摘されると傷つくか傷つかないか。
村上はこんなことを言っています。
うん。僕は間違いを指摘されてもとくに傷つかないですね。というのは、それはあくまで技術的な問題だから。技術的な問題というのは、まちがいを認めて、それを直して、もう一度同じ間違いをしなければ、それでいいわけです。すごく単純ですよね。
翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情
なるほど。
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すっごく面白かった!期待以上です。二人の競訳でカーヴァーとオースターが読めるなんてうはうは過ぎる。しかも探さなくても原作付。これは私も訳してみるしかない!と思わせますね。仕事とか生活とか抜きにして、もっと深い部分で翻訳に対して欲求を感じるようなお二人に僭越ながら、これだよこれ!と思ってしまいました。もっと理解したくて、理解して欲しくて、伝えたくて、もどかしくて、もがくような思いでいま英語と向き合っています。はい。
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何度めかの再読です。
前の感想を読み返してみたら、うんうん、そうなんだよ!なんて、自分に自分で頷いてしまうのが恥ずかしいんだけど、新たな感想の文を無理矢理にひねり出すのもなんか不自然でそれも恥ずかしいような気がするので、そのままにしておくことにしました。
あ、でも、言葉にはならないけど、今までで一番春樹さんのお気持ちがストンと来たような気がする、とだけ。(*^_^*)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
再読です。
で、やっぱり面白い!(*^_^*)
なぜ、村上春樹は現役の小説家でありながらこんなにたくさんの翻訳をしているのか?
エッセイなどでよく小説に傾いた頭のバランスを取るため、と言っておられるのがこの対談ではより私たち読者にわかりやすく語っておられ、なるほどね~~と。
小説は自分の世界に深く深く入っていくものなので、ある意味危険な作業なのだけど、翻訳は常にテキストが外部にあるからこつこつとやってさえいれば論理的に問題が解決できる、とか、
また、その翻訳作業により、自分の文体の練習(好きな作家のものしか訳さないので)になるし、小説はどんどんシンプルな日本語で書きたいと思っているところに、華麗な文体のフィッツジェラルドなどを訳すとそこでカタルシスが得られる、とか、なるほどねぇ~~。(*^_^*)
春樹さんは好きな小説を読むだけなら、ただ英語で読めばいいわけで、イチイチ日本語に直さなくてもそのまま英語で理解しておられるのだろうから、その「横のものを縦にする」過程が大事なんですね、きっと。
柴田元幸先生との三度の対談(一度は東大の講義で、二度目は翻訳学校で、三度目はプロの翻訳家たちの前で)で、お二人ともホントのことしか言っておられないんだろうな、という誠実なお話がとても嬉しい。また、同じ短編をそれぞれが訳されていて、原文も載っているのでその違いをじっくりと楽しむことができた。
柴田先生が春樹さんの訳を、段々直訳になってきてますね、と指摘されているのも、春樹さんの目指しているものが伝わってくる気がしたし。
それにしても、御自分の小説を、自分の文体の癖が気にかかってしまってそこがイヤだったりする、みたいなお気持ちをお持ちなのに、翻訳されたものも、読者から見れば、まぎれもなく村上春樹の色がついているのはどうなのか・・。私たちには嬉しいことなんですけどね。(*^_^*)
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『翻訳夜話2』を先に読んでいたのですが、翻訳にそれほど興味の無い私ですが、なぜかそれとは別の次元ですごく共感ができて面白いんですよね。
カーヴァ―、オースターを村上、柴田両氏がそれぞれ訳した短編が掲載されていて、読み比べると面白いですねえ。
村上さんは、翻訳をするときは、「とにかく自分というものを捨てて訳す」そうですが、「自分というのはどうしたって捨てられない」そうです。
で、やっぱり出てるんですよね。村上色が。
柴田さんのスタイルもシンプルで好きなんですけど、
後に残る余韻が違いましたね。
それから、フィッツジェラルドとかの「華麗なるペルソナを翻訳者として被っちゃうと、ある程度華麗方向への欲求は解消されちゃう」とか、なるほどーと思いますね。
こりゃあ、村上訳で『グレート・ギャッツビー』読むしかないですね。
原著もどっかに転がってたはずなので、引っ張り出してみたいと思います。