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まさに現代社会の理論。
2018/08/20 09:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:oo - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学で学んでいるが、こんな理論が書けるようになりたい。こんな精緻な文章を書けるようになりたい。
薄い本だが内容は大変濃い
2020/08/22 13:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代の情報化・消費社会に関しての考察の書である。薄い本だが、内容は大変濃い。色々な資料をあげながら大変わかりやすく書かれている。貴重な論考だ。ただ、バタイユとボードリヤールの違いはよくわからなかった。
ひっくり返って見た朝の陽は
2002/11/02 23:49
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投稿者:ミニパンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
■本書はあくまでも未来を想定した本である。見田自身この仕事を「ライフワーク」と位置付け今後の継続が期待できる。本書はそのための現状認識の理論書である。
■結論から言ってしまえば、副題にあるように「情報化」と「消費化」がキーワードになる。見田はそれらを否定しない。それらを分析し内部から「転向」することを提案する。
■4章—3で「消費化」に言及する。現在の消費は手段としての「必要の大地」からの離陸を目的と履き違えた。本来の目的である「需要の空間の無限性」を保持したまま、<人間の生きることの歓び>(=バタイユ的consumation)という原義的な大地への着地が必要だと言う。
■4章—4で「情報化」に言及する。<情報化>それ自体はマテリアルな消費に依存することのない、つまり自然収奪的でなく、他者会収奪的でない仕方で、知と感受性と魂の深度のごとき空間の広がりをはじめて可能としたと言う。しかし、とはいうもののそれらは目に見えず、洞察のベースとなる経験(あるいは見えにくいものに対する視力)が人々の内にないなら共有することが不可能だと言う。
■本書の画期的な点は「消費化/情報化」という、やもすると使い古された、もはやネガティブな概念を、—繰り返しになるが—徹底的に解体することで転向し、内側から未来を志向することにある。ひっくり返ってみると、「歓喜と欲望」「朝の陽光」…など、根源的なものが浮かび上がる。見田のライフワークは「どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることが出きるか」という「アクチュアルで「リアル」で「実質的」なものに(著者の意図するよう)受けとめられる。
鋭い分析と、共感を呼ぶメッセージ
2002/07/24 17:35
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投稿者:木の虫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
少々仰々しくも感じられるタイトルを冠せられたこの著書で、著者の見田さんは「自由」をキーワードに、その名のとおり「現代社会」を鋭く分析する。1950年代のアメリカで萌芽した「現代社会」は、われわれ人間の自由な欲望によって自己矛盾を克服し、前世紀末には冷戦に(相対的に)勝利した。第一章では、現代社会の光の部分に焦点を当て、その「基本的なダイナミズムの骨格」が提示される。
そして第二章、第三章では、現代社会の闇の部分、環境問題や南北問題も、同じ切り口で鋭く分析する。はじめの三章を読めば、現代社会の特質を理解できると共に、その光と闇が、まさにコインの表裏であることを理解できるだろう。
これらの闇の部分を、現代社会は解決することが出来るのだろうか? しかしながらこの本は、著者も言うとおり、「現代社会」を分析したものであって、そこで生じている問題群の解決策が示されているわけではない。これがこの本を少々物足りなくしていることは否めないだろう。
それでもぼくが著者の見田さんに共感できるのは、彼が、その解決の方向性として、「をその根本の理念としないような社会に」はっきりと「魅力を感じない」と言いきっているからだ。自由を制限するようなやり方でそれらの問題を解決したとしても、そんな社会にぼくらは魅力を感じない、それはぼくらが第一章で得た教訓だ。
環境問題というと、すぐに目くじらを立てて「あれはいけない」「これもいけない」という、「何かを制限する」ような方向性でしか物事を考えられない人たちがたくさんいる。多くの場合、そういった人たちは「自由な社会を捨てたくない」というメッセージに対して感情的に反発をする。曰く、「自分勝手だ」「我慢しろ」「もうちょっとまじめに考えろ」…。この本を読めば、見田さんが環境問題を軽視してなんかいないのは明らかだ。見田さんのスタンスですべてが解決しうるかといえば、それは多少楽観的過ぎるかもしれない。でも、それを完全に捨ててしまうような社会が受け入れられないのは、明らかだろう。
見田さんの意見に賛成するか、反対するかは読者の自由だけれど、分析の鋭さと、そこから出てくる彼のメッセージをじっくりと味わうべし。星1つ分は、彼の次の仕事に取っておこう。
[木の虫]
木洩れ日を浴びながら読書
2007/07/18 19:08
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
T「はーい、待った~?」
Y「民子さん20分遅れね。ま、いいけど」
T「ごめんなさい。でも、たまには読書会を外でやるのもいいわね」
K「うん、ここの木陰は涼しくて気持ちがいいんだよなあ。カフェオレ飲む?」
T「ありがと。じゃ、はじめましょっか。レポーターは誰だっけ。あ、宗男君ね」
Y「おいおい、そろそろ起きろよ」
M「ふぁー、はい。それじゃあ、いきます。この『現代社会の理論』、章構成は実にシンプルです。1章は現代自由社会の『明部』が描かれます」
K「礼賛しているわけでもないね」
T「シッ、黙って」
M「えっと、2章は環境の臨界、3章は南北問題でして『暗部』ですね。これを受けて4章では良い所は保持しながら、『暗部』をどうやって少なくしていくかという話です。1章で印象深かったのは、現代の『情報化/消費化社会』こそが純粋な資本制システムの完成形であるという件です。これはマルクスも予想できなかったと」
K「資本主義のシステムは、プロテスタンティズムの倫理も否定して、純化・完成するんだよね」
Y「全体的には、自由社会の擁護論としては弱い気もしたけど、こんなものかな」
T「2章と3章はどう?」
Y「学者の常だけど、他の本からの引用に頼りすぎてる」
K「それも有名なのばかり。『沈黙の春』『成長の限界』『西暦2000年の地球』『地球白書』『環境経済学』『地球環境報告』『世界の半分はなぜ飢えるのか』などだ」
Y「厳しい批判を浴びた本も多いよ」
K「ああ、DDTをやめたらマラリアが蔓延したとかいうやつ?」
T「それだって、どうかしらね」
M「思うんですけど、見田さんやいろんな本の言ってること、大筋では正しいんじゃないかと。細かい予測が間違うことはあるでしょうけど、自然だって資源だって有限であることは動かせない事実です」
T「ここはそれでいいと思うわ。次はどう?」
K「最後の章は、結論としては弱いかな。そんなに都合よくいくんだろうか?」
《〈情報〉のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方にあるものに向かって解き放ってくれる。》
Y「俺もそう思う。こういう『解放幻想』を言挙げして終わっちゃう本も多いな。具体的な解決法はぼやかしたままで」
T「理論書にhow to本みたいなのを期待してもしょうがないわよ。マテリアルな消費にこれ以上依存しなくても幸福な社会にできるという主張は、私にはよく分かる」
Y「だけど、著者は『外部問題』の解決にかこつけて、『真の生の喜び』なるものを押しつけてるような感じがするんだよなあ。宗教っぽいのがいまいちだ」
T「いいじゃない。受け入れるかどうかの決定権はこちらにあるんだから」
Y「まあ、そうだけど」
T「あらっ、もうこんな時間。わあ、夕日がきれ~い」
K「ほんとだ。民子さんもきれいに染まってるよ」
Y「ぷっ、こいつはまた・・・」
M「シー、いいじゃないですか。バタイユの『至高性』ですよ」
《バタイユはこの朝の陽光という単純な至福のうちに、最も奢侈でぜいたくな〈消費〉の極限の一つをみている。他の何ものの手段でもなく、測られず換算されない生の直接的な歓びの一つの極限のかたちをみている。けれども、この生の「奇跡的な要素」、「われわれの心をうっとりとさせる要素」は、どんな大仕掛けな快楽や幸福の装置も必要としないものであり、どんな自然や他者からの収奪も解体も必要とすることのないものである。》
Y「こりゃ、『アルプスの少女ハイジ』みたいな生活だよ」
M「あこがれますねえ」
Y「俺みたいな、物欲の塊には無理だな」
T「ほらー、もう、おいてくわよー」
Y「あああ、待ってくれよー。うわっ眩しいや」
消費をめぐる有限と無限
2002/05/29 03:17
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投稿者:sai - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕らが生きている「現代社会」とはどんな社会か? 本書は、社会学の道具を用いて、「現代社会」にメスを入れていく。ぼくらがものを買う場合、機能や性能は二の次、三の次、まずは商品のデザイン・イメージから選ぶ。テレビのCMでも、商品の性能にはほとんど触れやしない。「情報をとおして欲望をつくりだすことができる」こと、情報は無限につくりだせること、この二点から、ぼくらの消費には限界がない。
しかし、大量生産の前には「大量採取」が、大量消費の後には「大量廃棄」が、あることを忘れてはならない、と著者は説く。消費の欲望に限界がなくても、「大量採取」「大量廃棄」には限界がある。それになかなか思い至らないのは、「限界」が身近に感じられず、遠い南の国々の出来事となってしまうからだ。こうした現代社会の問題に対する分析は極めてシャープだが、本書後半部での「解決」案は、やや現実性を欠くので、「分析」部分(第一〜三章)だけを読んでもよい。評論用語が頻出しているため、受験生には現代文の勉強にも役立つはず。