京都で学生時代を過ごした人達に特におすすめ
2022/03/13 11:13
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投稿者:はるか - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代を京都で過ごした個人的な経験と重なることもあり、大好きな一冊です。
私と私の友人たちのとある一日の話かな?と錯覚してしまうくらいリアルで懐かしく、胸が暖かくなるのです。
柴崎さんの本はその土地の描写が細かく、土地勘のある人が読むとその情景がかなり明確にイメージ出来るのが魅力の一つだと思っています。
現役京都の大学生、京都の大学生OBOGの皆さんにおすすめの小説です。
柴崎友香氏による、映画化もされた傑作です!
2020/05/23 11:17
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、柴崎友香氏の小説であり、彼女の単行本デビュー作でもあります。また、2004年には映画化されたことでも有名です。 内容は、京都の大学院に進学する正道の引越祝いに集まった仲間たちを中心に話が展開します。恋人の真紀、親友のけいと、そして中沢たちが集まります。そんなごくありふれた「大学生たちの一日」を描きながら、それぞれの登場人物に焦点をあてて、代わる代わる断片的にエピソードが展開されていくという、傑作です。
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、映画で見て、関西出身ではない俳優たちが、案外上手に関西弁を話していて、なんか微笑ましく思いました。それにハマって、DVDやメイキングDVDも買って、この本も買って読んで、更に後日譚かスピンオフ的な本も買って楽しみました。
なんてことない(トンデモ出来事も少し起こりますが)日常が楽しいお話です。
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投稿者:なお - この投稿者のレビュー一覧を見る
これがデビュー作とは知らず。
若い男女7人が、ただ酒を飲み、深夜の街を歩き回り、言いたいことを言って時間が過ぎて行く。
何も特別なことはなく、この年代ってこんな感じだったかな、と思ったりする。
全編通しての関西弁と構成が、読む人を選ぶかも。
長過ぎる解説が鬱陶しかった。不要。
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読もー読もー、と思っててやっと。
読みやすい文体。イメージしやすい大学生たち。何気ないのにそれがいいなぁ。
みんなかわいい。
いつ朝がくるんだろう、って素朴な気持ちがわかる、この日をいつ終わりにしていいかわからないような。もうとっくに学生じゃないのにそんな名残惜しさをすごく感じる。
きょうの出来事。
きょうの出来事を読み終わったことでよしとしよう。なぜか〜10年後の方を先に買って積ん読してたので次はそれを探して読もう。それはきっと、あしたの出来事。
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◎あらすじ◎
引っ越し祝いの飲み会に集まった男女7人。
各々の人生を生き、一時混ざり合う「きょうのできごと」を様々な視点から綴った1冊。映画化に伴い作者が映画撮影に立ち会う「きょうのできごとのつづきのできごと」、番外編の「もうひとつの、きょうのできごと」も収録。
◎感想◎
章ごとに語り手も、語られる時間も変わっていく作品。
おおきな出来事は特に何も起こらない。
でも、関西弁でテンポよく繰り広げられる会話と、まざまざと目に浮かぶような情景描写が混じり合って、するすると読めた。
語り手が変わっていくので様々な「きょう」を知ることができる。
彼らが一緒に過ごす「きょう」は、人生のほんの一部であり、毎日はその前にも後にも当たり前のように続いていく。それを想像しながら読むと、7人が交わるこの時間がより輪郭を持つ気がしたし、「きょう」の前に生きていた彼らの人生も知りたくなった。
中沢と真紀が2人で過ごすシーンは心地よかった。
真紀のことがかわいくて仕方のない中沢と、そんな中沢を自然と頼る真紀の様子を想像すると、ほっこりした気持ちになって。
未来はわからないけど、ふたりの「きょう」はとても幸せそうだなぁ、と思った♪
私はいま30代なのでこの一夜の様子を、
こんな風に過ごせる時代が懐かしいな…と思って読んでいたけど、
もし同年代だったら、また違う共感があって楽しそうだなと感じました。
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面白かった。
久々に面白い小説にめぐり逢えた気がする。
大学生の頃のかわいさ、甘酸っぱさにあわせ、作者自身の、また作者を通しての登場人物の視線や視点にいちいち共感でき、その度にゾクッとするような心地よさを感じることができました。
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今まで気がつかなかった日常に転がっている些細な出来事の素晴らしさや美しさ。 そういうものを気がつかさせてくれる、そんな作品でした。
日常生活の些細な出来事を描いてるので、読んでいて頭の中でイメージしやすく、するする読むことができました。
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幼なじみの中沢とけいと、けいとの友だちで中沢の彼女の真紀ちゃん、中沢の友だちのかわちくん、その彼女のちよ、正道、坂本、西山。正道の下宿に集まった中沢、けいと、真紀、坂本、かわち,西山。下宿での飲み会の風景との、それぞれの1日。私も京都での学生生活を過ごしたので、懐かしい。お風呂やさんやラーメン、鴨川…訳もなく鴨川で、たたずんだよな。あー青春(笑)しょーもないことで、もめたり笑ったり。なんでもないその日1日が、なんでもなくないのかも知れないと今ごろ気づいたり。
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大学院に入る友人の引っ越し祝いに集まった男女。それぞれの視点でそれぞれの過ごした24時間ほどが描かれる。
時間はバラバラなので、先の話で出てきた人のことや関係が後の話(時間軸は前の時間になる)で明かされたりして話が続く。
誰が主人公かわかったようでそうでもない。細かな描写で少しずつ過ぎてゆく時間が描かれる。
何にもないけど面白かった。
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飲み会の夜の空気を書くのがすごい、面白すぎる、しかも退屈とか呆れとかそういう、一見ドラマティックじゃない感情も書いてて、でもその書き方は鮮やかだから大したことが起きてないのに読んでいて引き込まれる。解説読んでなるほど、と思った。視点や語り方の移動。すごいなあ。
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保坂和志の『プレーンソング』を読んだ後に著者の作品を読みたくなって読んだ。解説も保坂氏が担当しており、それも納得の青春日常系小説でオモシロかった。大阪で大学生活を過ごし今は関東に住む身からすると懐かしさもあいまって望郷の念も抱いた。
京都に引っ越した大学生の引っ越しパーティーの一夜をメインにその前後を描いた話。本当にどこにでもありそうな男女のたわいもない会話が続いていく。三人称で群像劇として描くのではなく一人称の複数の視点で構成されているのが特徴的で各登場人物に対するイメージや当人が思ってることを主観で直接知れるので三人称の客観的視点よりも没入しやすくなっている。
増補新版では本編のつづき、さらにそのつづきとエピソードが追加されている。映画化されたことを踏まえて現実とフィクションの境目を溶かしていくスタイルが読んだことないタイプでかっこよかった。この手の追加エピソードは蛇足になりがち。しかし、カメラに撮られることに対する著者の考えだったり、映画という新たな視点の話が導入され、さらに保坂氏の解説も視点にまつわるものであった。こういった内容が加わることで小説におけるフレーミングとは何たるかを知ることができる最高の良著と言っても過言ではない。日常系と一言でいってもそのスタイルは千差万別であり、その視点の置き方で個性を表現する、そんな小説の奥行きを楽しめる作品だ。個人的にそれを一番感じたのは中山という登場人物が高校時代を回想するシーン。モラトリアム小説において主人公が教室の窓際の席で遠くを見ているというステレオタイプを裏切り、教室中央の座席から友達二人が窓際で外を眺めているのを見ている描写が印象的だった。読めば読むほど発見がある著者の小説はやはり大切に少しずつ読みたい。
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何か事件が起こるわけではないけどいろいろなことが詰まった日々。若いというのはそのいろいろを感じられることなのだろう。
精緻で淡々とした描写がいいと思った。
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今回のレビューは、まず登場人物たちの会話に耳を傾けてみましょう。
『でもいいなあ、正道くん。大学院受かって。わたしも京都で学生生活してみたいなあ』
『そうやなあ。京都ってなんか知的な響きやしなあ』
『毎日今日みたいに飲み会できそうやし』
『飲むことばっかり考えてるよな、けいとは。さっきも飛ばし過ぎやって。かわちもひいとったで』
『そうかなあ、やっぱり。だって、男前がいてるとうれしいやん。あ、聞いてえや、かわちくんと遊びに行く約束したで』
『どうせ無理に承知させたんやろ。かわちも気い弱いしな。彼女おるから無駄やって言うてんのに』
いかがでしょうか?どうやら関西の大学生の男女二人の会話のようです。正道という学生が京都の大学院に進むことになり、今日は飲み会が開かれたようですね。次に遊びに行く約束までしたこともわかる、なんだか楽しそうな会話です。とは言え、なんのことはない、だからどうということのない日常会話の一コマを切り取った、そんなイメージでもあります。このような会話は私たちの誰もがしそうなごく普通の会話です。それ以上でもそれ以下でもありません。では、あなたはこんな会話に満たされた小説があるとしたら読んでみたいと思うでしょうか?
( ˘•ω•˘ ) ナヤムナー
さてここに、関西に暮らす大学生たちの日常を切り取った物語があります。何が起こるわけでもない淡々とした日常が描かれるこの作品。流石に小説だから何かは起こるだろうと期待するも見事に何も起こらないこの作品。そしてそれは、どこまでも淡々とした物語の中に、人のほんの些細な心の機微を感じる物語です。
『光で、目が覚めた。右側から白い光が射していて、中沢が窓を開けて少し身を乗り出すのが黒い影で見えた』と、『一瞬、朝になったのかと思ってしまった』のは けいと。『たぶん、京都南インター・チェンジの入口で、窓の外では、金属の四角い箱の縁に光が反射してい』ると、『座席に深くもたれたまま、その作業を眺め』る けいとは、『いつ眠ったのか覚えてないけど、ずっと頭を垂れて寝ていたみたいで、首の左側にシートベルトが食い込んで、ちょっと痛』いと思います。やがて、『料金所を出ると、やっぱり周りは夜だった』という中、『なんや、けいと、起きてたんか』と『ルームミラーで後ろの座席をちらっと確認』する中沢に、『うん。今起きた。珍しいね、高速乗るなんて』と答える けいと。『わたし、いつから寝てた?』と訊く けいとに『もう、すぐやで。正道の家出て、二つ角曲がって、東大路に出るぐらいにはもう寝てたな』と答える中沢は『真紀は車出す前から寝てるしな…飲みすぎや、おまえら』と続けます。『寂しかった?ごめんなあ』、『その代わり高速代出してな』、『えー』、『当たり前やろ。おれは貧乏学生や』と会話する二人。一方の真紀は、『シートに横になり、中沢のコートをかけて丸くなってよく眠ってい』ます。『でもいいなあ、正道くん。大学院受かって。わたしも京都で学生生活してみたいなあ』、『そうやなあ。京都ってなんか知的な響きやしな』と起きている二人は会話を続けます。そして��『窓の外で、車が追い越していったり追い越されていったりし』ているのを見る けいとは、『いくつかの車のテイルランプを目で追いながら、今日あったことを思い返し』ます。そして、中沢とさまざまに会話するも、『防音壁の周りにときどき見える暗い木々を見ているうちに、また眠』りにつく けいと。そんな けいとが『次に起きたとき、周りには高い建物がたくさん見え』ました。『もう大阪市内なんか、と、ぼんやり外を眺めていると』、『やっと起きたな。寝るなって言うてんのに。寂しいやんけ。こんな夜中の道を一人で走っとったら』と中沢は けいとを見ます。『だって眠たいもんはしかたないやん。まだ眠たいから、たぶんまた寝るわ』と言う けいとに『なに言うてんねん。起きとけって言うてるやろ。そうや、しりとりや、しりとりするぞ。なかざわよしひろ、はい、ろや、ろ』と言う中沢は『止めたほうがおごりで来週焼肉な。ろや、ろ。十秒以内』と続けます。『勝手に決めんとってや。もー。ろ?ろ、ろ、ロンドン…橋』、『ロンドンって言いかけたやろ。今、ロンドンて。もう終わりか。早や』、『ロンドン橋ですう、ば、し。はい、し、やで』、『しか』、『カーミット』、『とかげ』、『現金に体を張れ』、『れいし』…としりとりを続ける二人。中沢の運転する車で深夜の高速を大阪に向かう三人。そんな車内で、特にどうということのない会話を続ける中沢と けいと。そんな様子があくまで淡々と描かれていきます…という〈「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」三月二十五日 午前三時〉。何が起こるということもない、全くもってどうということのない場面にも関わらず、どこか印象に残るなんとも不思議な短編でした。
“京都で開かれた引っ越し飲み会。そこに集まり、出会いすれ違う、男女のせつない一夜。芥川賞作家の名作”と内容紹介にうたわれるこの作品。行定勲監督が映画化した5つの短編から構成された「きょうのできごと」という本編に、「きょうのできごとのつづきのできごと」と、「もうひとつの、きょうのできごと」という短編が合わさって一冊の作品として刊行されています。
ここでは本編について主に見ていきたいと思いますが、まずは表現的な部分二つに触れたいと思います。一つ目は、関西弁でテンポよく会話が続けられていくところだと思います。大阪生まれの大阪育ちという柴崎友香さんの関西弁は当然本物であり、極めて滑らかに関西弁の会話が語られていきます。では、酔っ払った学生さんの会話の場面を抜き出して見ましょう。酔っ払った けいとと、冷静な かわちくんの会話です。
『あんなあ、酔うてるときって、卵の中におるみたいな気がせえへん?』、『卵っていうても鳥の卵じゃないねんで』
『おたまじゃくしの卵ですか』
『そんな感じせえへん?おたまじゃくしの卵の中みたいやなあって。おたまじゃくし。どう?』
『おたまじゃくしの卵って、変じゃないですか?かえるの卵でしょう?』
『え、だって、おたまじゃくしが生まれてくるからおたまじゃくしの卵やん』
『でも、最終的にはかえるになるんやし、かえるが産むからかえるの卵とちゃうんですか?』
『うーん、でも、おたまじゃくしの前段階やし…』
『だけど、にわとりの卵とはいうけど、ひよこの卵ってあんまりいわへんでしょう?』
『そうやけど…』
いかがでしょうか?あまりにたわいのない話に、何これ?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、会話している様子が目に浮かぶようなリアルな関西弁が、場の雰囲気感を上手く醸し出しています。そして、この場面を取り上げたのはこの作品の雰囲気感を是非知っていただきたいと思ったからです。そう、この作品はもう全編に渡ってこのようなゆる〜い会話が交わされていく雰囲気感が一貫しているのです。
一方でこの作品は柴崎さんならではの文字を読む読者に小説に描かれる情景を映像として鮮やかに浮かび上がらせていくような記述にも満ち溢れています。こちらも見てみましょう。最初の短編、深夜の高速道路を大阪へと向かう車中の三人という場面です。
『一定間隔で並んでいるオレンジ色のダイオード灯が作る影と光が、真紀ちゃんの長い髪や体に形を合わせて通り過ぎた』。
これはもう鮮やかなまでに浮かび上がってくる光景です。映像が文字の上に見事に落とし込まれている雰囲気感のある表現です。では、視線を前方に移動させるとどんなものが見えてくるでしょうか?
『少し下りになってからまた上りになっているので遠くまで見通すことができ、走っている車線には同じような間隔で赤いテイルランプが二列並んでいた。対向車線には、黄色いヘッドライトがやっぱり二列続いてる。赤、赤、赤、赤。黄色、黄色、黄色、黄色』。
こちらも映像が浮かび上がります。深夜の高速の車内と車窓、電気の消えた暗い車内と、暗闇の中に鮮やかに浮かび上がるダイオード灯やテイルランプ、ヘッドライトの対比、文字を読んでいるのにそこには深夜の高速道路を走る車内のリアルな光景が見えてきます。一方で、そこで交わされる会話は極めてたわいのないものであることが一貫してもいます。これは、早々に映画化された理由が分かるような気もしました。
そんなこの作品は癖のありそうな短編タイトルがつけられた五つの短編が連作短編を構成しています。では、そんなタイトルとそこに登場する人物および場面を簡単にまとめておきましょう。
①〈「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」三月二十五日 午前三時〉
・京都から大阪へ高速道路を走る車中
・中沢(運転)、けいと、真紀(就寝中)
②〈「ハニー・フラッシュ」三月二十四日 午後六時〉
・正道の引越し先の京都の家
・正道、中沢、けいと、真紀、かわち、黒セーターの人、緑セーターの人
③〈「オオワニカワアカガメ」三月二十五日 午前四時〉
・京都から大阪へ高速道路を走る車中
・中沢、けいと(就寝中)、真紀(就寝中)
④〈「十年後の動物園」三月二十四日 午後一時〉
・天王寺動物園
・かわち、ちよ
⑤〈「途中で」三月二十五日 午前三時〉
・正道の家近辺
・正道、かわち、黒セーターの人、緑セーターの人、山田、山田の彼女
という感じでしょうか?なんだかよくわからないと思いますが、一つ気づくのは��れぞれの短編には『三月二十四日』と『三月二十五日』という二つの日付と時間が記されていることです。五つの短編は『① → ⑤』という順番で収録されています。しかし、時系列で見てみると
④ → ② → ① → ③
→ ⑤
という別の順番が見えてきます。そうです。この作品はここに記した大学生たちが『②』の短編において、大学院に進学が決まった正道を祝うために正道の家に集い、それに前後して、『④』では、そのうちの一人の人物のその直前の行動が、そして、『②』の後に二つに分かれた面々の行動が『①、③』、『⑤』として記されていくのです。とは言え、そんな概要が分かったからと言って、この作品にとってはネタバレでもなんでもありません。数多の小説は、その中に何かしら山場があって、全体として一つのドラマが形作られていきます。ドキドキハラハラ、もしくはあまりの感動に号泣する、それこそが小説を読む醍醐味とも言えます。しかし、この作品はそういったものとは最も縁遠い位置にあると言えます。上記で少しご紹介した通り、そこで交わされる会話はあまりにたわいないものです。このような会話は、あなたの飲み会の場でも普通に交わされていることだと思います。また、高速の車内でしりとりをする二人という場面も、だからどうというようなこともありません。いったいどこに行き着くのだろうと心配になる物語。しかし、私たちの日常の本当の姿はこうではないでしょうか?特に大きなことが起こるわけでもない一見真っ平な日常こそが、おそらく私たちの一生のうちの大半を占めるものなのだと思います。一方で、そんな日常を見る中に、なんでもない会話に、なんでもない仕草の一つ一つにも、私たちの感情が微妙に揺れ動かされるのを感じます。それは、大きな出来事がないからこそ気づく感情の機微でもあるのだと思います。小説に感動的なドラマを求める人にとってこの作品は読み終えた瞬間に、何も残らないものだと思います。しかし、そんな何か起こるでもない物語の中に、どこか自分の日常を重ね合わせてみる感覚を掴んだ方には、この作品を読んだ感覚が不思議といつまでも残り続けると思います。それこそがこの作品の味わい、柴崎さんが「きょうのできごと」と名付けられたこの作品の魅力なのだと思いました。
『わたしはいくつかの車のテイルランプを目で追いながら、今日あったことを思い返していた』。
誰にでもあるそんな瞬間の一つひとつを淡々と綴っていくこの作品。そこには、大学生たちのたわいもない日常の一コマが記されていました。関西弁の味わいが物語の雰囲気感を上手く形作っていくこの作品。どこまでも淡々とした内容に、他人の日常をぼんやり見ているような感覚にもなるこの作品。
映像が目に浮かぶ柴崎さんの巧みな筆致に、行定勲監督の映画も見てみたくなる、そんな作品でした。
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6割ほど読んで離脱。
良くも悪くも、なんでもない話。
最後まで読もうと引き留められるほどではなかった。