聖書の世界観と現実の歴史
2020/06/24 07:33
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
聖書の記述に基づき普遍史を形成していたがエジプトや中国に天地創造より古い歴史の記述があることに接し聖書の記述を見直さざるを得なくなっていく過程を述べた本。現在、我々が使っている西暦が宗教性を剥奪されて紀元前という考え方で過去にどこまでも遡れるようにしたという話は面白い。(以前は創世紀元という天地創造を元年とする紀年法で過去に遡れなかったし、補助的に使われていたキリスト紀元も紀元前という考え方はあまりなかった)
電子書籍で読み直したいキリスト教史観
2018/05/27 11:33
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投稿者:Otto Rosenthal - この投稿者のレビュー一覧を見る
普遍史観の台頭により、聖書の記述に基づいた歴史観の更新を余儀なくされたキリスト教会。変わりながらも信仰の求心力を失わなかったキリスト教のしたたかさを、紙媒体から電子書籍に受け継いで伝えています。
「信仰」 対 「科学」
2018/05/27 07:58
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投稿者:Otto Rosenthal - この投稿者のレビュー一覧を見る
先進国で信仰されているので信徒の版図は拡大するが、それゆえに先端の科学からの批判にさらされ続けたキリスト教。科学的な「普遍史」が明らかにされるたびに、渋々ながらもその史観を変えていくキリスト教団のしたたかさを感じました。
柔軟で頑固なキリスト教
2016/07/03 09:29
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投稿者:Otto - この投稿者のレビュー一覧を見る
中東の一地域的な信仰であったユダヤ教が、キリスト教として
世界宗教になっていく中で、聖書の記述と歴史的事実に折合い
を付けていく経緯が興味深い。平易な記述で知的好奇心を刺激
する良書です。
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普遍史から世界史への移り変わりを話題にした本。普遍史ってのは聖書を基準にして歴史を構成する分野。中国やエジプト、カルデアの歴史の長さに次第に圧倒されていくのが寂しい。まあ、それが西洋人一般に大好きな進歩ってやつでしょう。
年号の計算はややこしい。理解不可。まあ、脳みその血の巡りがいい人にはわかるのでしょう。私には無理だ。
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天地創造から6000年で人類は終末を迎えると聖書はいう。では、アダムとエヴァより古いエジプトや中国の歴史はどうなるのか。聖書と現実の整合性を求めて揺れ続けた西欧知識人の系譜。
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神様が七日で世界、そしてアダムとイブを作った。
そこから始まる聖書の中の「歴史」観がどのように広がり小さくなっていったか。そんな本。
だいたいの流れ
↓
キリスト教の黎明期、キリスト教の正当化のために
聖書より(古い)エジプトやメソポタミアの歴史をこねくり回しながら聖書に入れる
そんな教父たち。
↓
「海の向こうには何があるの?」「アジアの向こうはどうなってるの?」
アジア人は首無しふたなり人間なのぉ!←(やや語弊あり)という世界観を
最近の欧州人の心に植えつけた偉大なる聖書ベースの地図の話
↓
大航海以後、欧州人の「世界」が広まった。新大陸を聖書的にはどうみなすか?
中国の歴史ってめっちゃ古!という矛盾を解決してきた人たち。それに納得できなかった人たち。
宗教改革やルネサンスを経た欧州に!聖書的歴史観の危機が訪れる!!!!
パスカル、ホッブス、モンテーニュ!あなたの歴史観きかせてね!
ニュートン「エジプトの歴史長すぎ、大して何もしてない王様は省く。異論は認めない。」
↓
エジプトのこととか聖書のバージョンによって年代違う。マジで泣きそう。
聖書は聖書、歴史は歴史。そんなアウトな考えをし始めた時から、「世界史」のはじまりはじまり
聖書ってどれだけ西洋人の思想を支配してきたんだろう。凄いと思う
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キリスト教世界観とはなにか、という副題とは全く異なり、年代史の話で最初がっかり。
しかし、キリスト紀元が唯一の年号になったのはつい最近で、それまではいろんな暦が 使われていたとは意外。そしてキリスト教の優位が崩れた結果、キリスト紀元が年代 として普及したという逆説には驚き。
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聖書の出来事がいつ起こったかをつきとめる年代学についての話。ヨーロッパの人々がこんなに必死になって解釈しようとする聖書という存在に驚いた。
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[ 内容 ]
天地創造から6000年で人類は終末を迎えると聖書はいう。
では、アダムとエヴァより古いエジプトや中国の歴史はどうなるのか。
聖書と現実の整合性を求めて揺れ続けた西欧知識人の系譜。
[ 目次 ]
第1章 普遍史の成立
第2章 中世における普遍史の展開
第3章 普遍史の危機の時代
第4章 普遍史から世界史へ
第5章 普遍史と万国史
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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キリスト教がどのように世界の歴史を認識してきたのか、という過程について論じた本。聖書の世界の歴史は”普遍史”(Universal history)と訳される。
周知の通り、キリスト教はローマ帝国でその地位を磐石とするまで、帝国や異教徒から迫害を受けてきた。その対抗手段の一つで作られたのが普遍史で、教父・アウグスティヌスが天地創造→人々が原罪を背負う→救済→”神の国”実現の過程として作る。
中世には神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世(バルバロッサという通称で有名)の叔父にあたるオットー・フォン・フライジンク司教がローマ帝国の後継者として中世普遍史を完成させる。
普遍史の転換期が訪れたのは近世。天動説や自分たちの世界の外には化け物が住んでいるといった既存の価値観が否定され、聖書の世界観、歴史観が危機を迎える。モンテーニュが『随想録』で中世普遍史の絶対性を否定し、ヨーロッパとアジアを相対化したように。
中国史を研究したマルティニは『中国古代史』で中国の神話上の伝説的存在だった伏羲の代から史実に認定するなどして普遍史を再編しようとしたが、この動きは時代の流れから見れば、蟷螂の斧に過ぎなかった。
啓蒙思想家のヴォルテールの時代となると人間の理性、進歩史観といったことが強調され、19世紀にシュレーツァーが『世界史』で人類史を6000年とし、天地創造を否定することで、ようやく歴史の叙述と信仰が切り離された。
全体として、キャッチーなタイトルと異なり、実直な内容の新書である。この本に登場する歴史の当事者たちは、自分たちの知りうる世界の外に別の文明、文化体系を持つ人々が存在するという事態に直面してきた。私はこの本を読んで、そういうことに思いを馳せた。
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なぜこの本を買ったのか、読みながら不思議になってしまった。思い返してみると「キリスト教史」「神学史」を知りたくて数冊買ったうちの一冊だった。しかし、自分の目論見と別に、キリスト教がどういうふうに聖書に基づいて世界史を取り込んだか、のようなことが書かれていて、正直「別に」という感じだった。この書自体の質の可不可ではなく、私の興味という点ではハズレ。
11/12/13
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テーマは、誰でも一度はふっと興味が湧く事柄です。
でも読み物としてはちょっと退屈でした。
中国の歴史が聖書よりも古いので西欧の人たちは困り果てた、というあたりの話が面白かった。
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聖書が語る歴史と、教科書的な世界史が矛盾していることについてずっと気になっていた。なにしろ世界的なベストセラーである聖書に記載された歴史なのだから、矛盾をどのようにこれまで理解、解消されてきたのか知りたかった。
結果として解消は諦められたのですね。中国やエジプトが説明のつかないほどとんでもなく古い歴史を有していることを発見し聖書に取り込むことを諦め、歴史家の解釈によって年表がずれてしまう創世記起源の年号を諦め…
これが18世紀のことだということは、19世紀に「神は死んだ」と言われる前に神は瀕死の重傷を負っていたのかもしれません。その前後に地動説の市民権獲得もあるわけですし…
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聖書を文字通り字句通りに理解する時代にあっては、エジプトそして中国の歴史の古さをどう解決するかを真剣に悩んだということは確かに考えられることです。創造紀元で年数を数え、ADやBCという考え方が意外と新しい時代のものであるということは想像もしなかったことで、新鮮でした。6世紀のディオニシウスという修道士が525年にキリスト紀元を導入し、3月25日(日)を復活祭と定めた、そして3月25日が天地創造の日、受胎告知日とも考えられていたということも初耳で興味深いことです。また新大陸発見のキリスト教への影響、法王が「インディアンも私たちと同様の真人間」と1537年に宣言する意味も、教会が揺さぶられたからだと思う。そこにまでノアの大洪水が及んでいたのかという深刻な問題だったからである。中国史に洪水が登場しないことも同じ問題を教会に与えていた。今では考えられない話しです。