陸奥宗光の実像に迫った一冊
2018/11/02 23:18
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投稿者:figaro - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の梗概にもあるように、日本政治外交史の若手研究者が、日本外交の祖と呼ばれる陸奥宗光の実像に迫った一冊だ。
数多くの史資料や最新の研究成果を踏まえ、いわゆる「神話」の類いを排しながら、丹念に陸奥宗光の生涯が綴られるとともに、彼の政治信条や外交政策の背景に対する詳細な考察が為されていて、学ぶところが非常に大きかった。
同じ著者の『帝国日本の外交1894-1922』<東京大学出版会>を併読することで、日本外交史における陸奥外交の独自性と共通性についての認識がさらに深まると思う。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
有能で頭が切れ、「剃刀大臣」とも呼ばれた陸奥宗光の評伝。資料だけでなく、逸話なども紹介して、陸奥宗光の人物像に迫っている。
西南戦争の際に、政府が負けることも考えて、大江卓の決起に賛同したという話は、陸奥の有能なるが故の失敗として、印象深かった。また、この出来事がきっかけとなって明治天皇の信用を失い、後の政治参画の障害となったことも興味深かった。
明治外交をリードした外交官の評伝
2020/08/30 10:59
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投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
陸奥宗光と言えば、条約改正、日清戦争と、明治前期から中期にかけて、日本の外交をリードした外交官として知られる。
本書は、陸奥の生い立ちから思想形成から書き起こす。日清戦争の外交指導について、蹇蹇録の読み直しなど、最新の研究成果をもとに読みやすく叙述された本書から、学ぶことができた。
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投稿者:本読み人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
陸奥宗光といえば日清戦争での活躍が真っ先に挙げられると思うが、本書では外交のみならず、議会政策や地方政治での活躍も書かれており、その点が貴重だと感じた。
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クーデター計画に関与
禁錮5年 山形獄中生活 M11 1878- 35歳時
労役なし 待遇良し 読書
その後外遊 英国で学ぶ
M21 中米公使
日墨修好通商条約 はじめての対等条約
M24 1891 大津事件 警察官津田三蔵 ロシア皇太子に斬りつける 殺人未遂は無期懲役 そのとおりとした
長年日本外交を支えた外務省顧問デニソン
M27/7 日英通商航海条約 11 日米通商航海条約
M28/6 ロシア M29/4 ドイツ 8フランス H30/12 オーストリア
日清戦争中の陸奥は、外務大臣として、戦況を見極めながら戦勝の対価としてとれるものはとる
はじめ清は権限不十分をおくってきた
下関条約 李鴻章狙撃事件
遼東半島割譲 ロシアフランスドイツ 三国干渉
三国干渉後朝鮮では日本の威信が落ちる
M28/10 三浦 王宮襲撃事件 閔妃殺害
M29/2 露館播遷
ロシアとの交渉
M29/5 小村・ウェーバー協定
山県・ロバノフ協定
M30/8/24 54歳で死亡
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陸奥宗光についての評伝
海援隊で坂本龍馬と時を共にし、日本の外交の祖と謳われる傑物
合意形成に至るまでの事前準備の大切さ
評伝よりも物語を個人的には欲していた
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条約改正や日清戦争を導いた外交指導者、陸奥宗光。坂本龍馬との活動、投獄からの再起、内政への情熱、その外交手腕――実像に迫る。
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「抑も政治なる者は術(アート)なり学(サイエンス)にあらず。故に政治を行うの人に巧拙(スキール)の別あり。巧みに政治を行い人心を収攬するは、即ち実学実才ありて広く世務に練熟する人に存し、決して白面書生机上の談の比にあらざるべし。亦た立憲政治は専制政治の如く簡易なる能わず。故に、其政治家に必要する所の巧且塾なる者も、一層の度を増加すべし」
「アート」、「サイエンス」、「スキール」はいずれも、陸奥自身が記したフリガナである。この後も陸奥は繰り返し、超然主義であるとか、政党外に立つといったことについて、そのような考えなのはよいがそれで実際に国会が開かれたときにいかにして対応するのか、と問うた。理念や理想ではなく現実を考えるように、という陸奥の持論である。(p.130)
陸奥の手腕が重要な意味を持ったのは、国内対応の面である。繰り返し述べているように、条約改正事業がなんども頓挫してきた原因は、列国の側よりも日本国内にあった。(中略)陸奥の議論は、良く言えば巧みな合意形成術、悪く言えば、まやかしか詭弁であった。そうした陸奥立論と、有力政治指導者との緊密な連携は、政府方針を統一するのに大いに寄与した。
(中略)大国を相手に策を駆使して条約改正にこぎつけた、というのが一般的な「陸奥外交」のイメージだとしたら、残念ながら、そのような事実はない。陸奥の寄与は、もっと地味である。しかしそれは、誰が外交を担当しても結果は同じだった、ということを意味しない。イギリスとの新条約締結まで内閣が内紛を生じさせることなく持ちこたえたというのが、直接的には条約改正の最大の要因であり、そこに置いて、陸奥の働きはまぎれもなく、必要不可欠であった。(pp.195-196)
本書末尾で触れる通り、即断即決、快刀乱麻ではなく、研究と準備こそが陸奥の真骨頂であるというのは、息子の広吉も述べている。そして条約改正は、外務次官として陸奥を支えた林薫の右の言にあるように、まさにそうした陸奥の特性が功を奏した取り組みであった。(p.197)
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はじめに
第1章 幕末―紀州出身の志士
第2章 維新官僚―能吏の自負と焦燥
第3章 獄中生活とヨーロッパ遊学
第4章 議会開設前後―再び政府のなかで
第5章 条約改正
第6章 日清戦争
第7章 日清戦後の内外政―知られざるもう一つの活動期
終章 近代日本と陸奥宗光―陸奥をめぐる人々
おわりに
文献案内
年譜
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幕末から明治のひとりの政治家の生き方として、様々な発見があった。陸奥宗光の外務大臣としての功績は日本史の授業参観で学んだが、彼の人生の半分も知らなかったということを痛感した。彼は役人ではなく生来政治家だったのだろう。
紀州に生まれ、幕府と明治政府それぞれに接点があり、坂本龍馬とも接し、西南戦争でも西郷側とも通じて後に投獄される。政界に進出した後も自由党との距離の持ち方も巧みさと、思うように行かない部分が垣間見える。自らが思う道に進むために一方にベットしない姿勢は外務大臣のあるべき姿にも通じたのかもしれない。
歴史をつくるのは人間。日本史の副読本にしてもよいのではと感じた。