上には上の悩みがある
2023/01/07 14:21
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
御親藩、譜代大名、外様大名…それも100万石から1万石まで。
そりゃあ格差も生まれます。
そんな上の方々の悩み。
上の人たちなりに細い細いレールを踏み外ように必死だったのが理解できた。
登城するとき、駕籠から降りるの、それとも乗ったまま?
2022/01/12 22:27
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
足利将軍の末裔、下野国の喜連川家が4500石の所領しかないのに、10万石の大名として厚遇されていたとか、登城する時に駕籠から降りるか、乗ったままかという格差があったとか、面白い話がたくさんあった
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こうした史料は大歓迎!
徳川家の政治力というか、能力がよくわかりますね。
これでは幕府に太刀打ちはできないわ~。
とても面白かったですし、これを参考にしてさらに歴史小説が楽しめそう♪
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メモ
○地元の石高が江戸藩邸の広さを決めた
明治2年の調査:江戸の総面積1705万338坪、うち武家屋敷は1169万2591坪(70%)町人地269万6000坪(15%)寺社地266万1747坪(15%)
・武家地~将軍の直属家臣(御直参)である幕臣(旗本・御家人)の屋敷と大名屋敷となる。
・大名屋敷は幕府から下賜された拝領屋敷(無税)と、大名が買得した抱屋敷(税あり)に大別。
・拝領屋敷~最低3つ。
上屋敷(1つ):藩主が住む。江戸城近く。
中屋敷(1つ):世継ぎや隠居した大名が住む。
下屋敷[複数の場合あり):別荘、倉庫、避難所として活用。
・抱え屋敷:江戸近郊の農地を購入、年貢納入の義務。所有主たる大名は農民に代わって領主の幕府代官などに年貢を納めた。
※安政3(1856)調査:拝領屋敷560万坪、抱屋敷147万坪
拝領屋敷の広さの基準
10万石~15万石:7000坪
・・
1万石~2万石:2500坪
300石~900石:500坪
(例)
国持大名・土佐藩山内家(表高20万石)貞享元(1684)
江戸藩邸に住む家臣:計5195人(男3049人、女146人:住込の奥女中)
上屋敷:鍛冶橋(1683人)7052坪
中屋敷:芝(1295人)8429坪
下屋敷:品川
<「江戸博覧強記」小学館 幕末期>
国持大名、国持各大名あわせて:20家
城持大名:128家
城餅格大名:16家
城なし大名(1万石以上):111家
〇国持十八家~1か国以上、あるいはそれに準じる規模の所領を支配する外様大名は「国持大名」として格付けし優遇した ◇戦国大名の系譜 △織田信長、豊臣秀吉に取り立てられる
△加賀藩前田家:加賀、能登、越中102万5000石
◇薩摩藩島津家:薩摩、大隅、日向、琉球72万9000石
◇仙台伊達家:陸奥62万石
△熊本細川家:肥後54万1000石
△福岡藩黒田家:筑前52万3000石(のち支藩を立て47万3000石)
△広島藩浅野家:安芸42万6000石
◇長州藩毛利家:長門、周防36万9000石
佐賀藩鍋島家:肥前35万7000石
△鳥取藩池田家:因幡、伯耆32万5000石
津藩藤堂家:伊勢、伊賀32万3000石(のち支藩を立て27万石)
△岡山藩池田家:備前31万5000石
徳島藩蜂須賀家:阿波25万7000石
久留米藩有馬家:筑後21万石
◇秋田藩佐竹家:出羽20万6000石
△土佐藩山内家・土佐20万6000石
◇米沢藩上杉家:出羽15万石
福井藩松平家:越前32万石
松江藩松平家:出雲18万6000石
この2家は徳川一門の親藩大名だが幕府からは敬して遠ざけられており、幕政への発言権を持っていない点では外様と変わりなかった。
2020.12.21第1刷 2020.12.24第2刷 図書館
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大名は、気楽な稼業だと思ったら色々面倒なことでがんじがらめだった。
参勤交代の人数、江戸屋敷、江戸場内での振る舞い、格付けなど目がクラクラしてきそうだな。
参勤交代を見ると意地の張り合いで窮屈な生活を送っていたのだなと思う。
参勤交代の理由は徳川幕府が各大名がお金を貯め込んで幕府に反旗を翻さないためと長年言われてきた。
ところが、スーパーリッチでは困るが、かと言って自己破産でも困る事情があった。大名による統治がうまくいかなくなると幕府にも悪影響が及ぶ。
実際、幕府は参勤交代の人数を減らすように諸大名に命じていた。しかし、大名は見栄っ張りなので、地元と江戸では今で言うところの「日払い労働者」を雇ってでも参勤交代での威厳を保とうとした。
他の大名、特に格上の大名とのすれ違いを避けていた。その理由は、プライドがぶつかり合って無用な争いが起こる可能性があったからだ。実際に、宿泊を巡って血が流れる事例もあった。
教科書では分からない歴史の一面が見えて興味深かった。
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大名は石高、冠位、いつから徳川家に臣従したか、など様々に格付けされていた。それが「秩序」であり、江戸幕府の礎だった。
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令和4年のGWに部屋にある本を全て整理することにしました、この本は読みかけの本でした。読むことでためになるポイントはあるとは思いますが、部屋の整理を優先することにしました。いずれ読む時間が取れれば嬉しく思っています。
評価は星一つとなっておりますが、内容に問題があるのではなく、時間が取れず読了できなかったためにこの評価になっています。
2022年5月3日作成
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江戸時代は、徳川将軍家が率いる幕府と大名家が率いる約260の藩が共同統治する幕藩体制。本書は、大名がどのように格付け(コントロール)されたかを5つの視点から明らかにしたもの。石高でみる格差、将軍との関係でみる格差、江戸城でみる格差、江戸藩邸でみる格差、参勤交代でみる格差。 安藤優一郎「大名格差」、2020.12発行。
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江戸時代、武士の社会にも格差は存在した。石高に応じた収入の差はもちろん参勤交代の負担や城の維持費など大名の財政状況は厳しかった。
この財政難に苦しむ大名たちの実情を描く。借金にあえぐ大名もいれば倹約と改革で財政を立て直した者もいた。
格差は財政だけにとどまらない。幕府への忠誠度や外交力も藩の存続を左右した。
現代社会にも通じるこの「格差」の構造を知ることは歴史の教訓であり浮世も同じ、立ち廻り上手くやらねば。