『食の人類史』の著者による農学や文化の視点を交えながら論じる一冊
2020/03/27 20:42
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人にとって特別な食・コメ。そもそも稲はどこから日本列島にやってきたのか、最初の水田は誰がつくったのか、東北地方で栽培が遅れたのはなぜか等、稲作の起源、米食文化が花開いた近世、さらに富国強兵を支えた近代を経て現代まで、農学や文化の視点を交えながら論じる一冊です。米を通して日本史を見直すという好奇心くすぐられる新書。中公新書は人類にとって不可欠な「食」をテーマに歴史を学べるから読んで楽しいし、いろんな食を食べたくなるから結果人に優しくなれるような気がします。
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投稿者:ジョージア - この投稿者のレビュー一覧を見る
農学系の研究者による米を中心とした日本通史といった性格の書物です。参考になる点も散見されるのですが,新書本1冊で日本史を通代的に取り上げている上に,未来への展望まで加わっているため,やや早足だった印象があります。日本史を概観するので有ればもう少し紙幅があれば,よかった気がします。
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<目次>
はじめに
第1章 稲作がやってきた~気配と情念の時代
第2章 水田、国家経営される~自然改造はじまりの時代
第3章 米づくり民間経営される~停滞と技術開発が併存した時代
第4章 米、貨幣となる~米食文化開花の時代
第5章 米、みたび軍事物資となる~富国強兵を支えた時代
第6章 米と稲作、行き場をなくす~米が純粋に食料となった時代
第7章 未来へ「米と魚」への回帰を
おわりに
<内容>
タイトルは「日本史」だが、歴史家ではなく、農学者による日本での米がどのように扱われてきたか(作ることから食べることまで)を俯瞰した本。歴史科の視点ではないので、各章の区切りもユニークだし、その視点もユニーク。それだけに刮目される話が多い。例えば弥生時代には、コメは作られても食料の主流にはなり得なかったとか、中世から近世はともかくたくさん穫れることが目的だったとか(味は二の次三の次)…。
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いかに米を栽培し、腹一杯食べるか。縄文以来、品種改良や災害・病虫害との戦いなど、執念ともいえる米への欲求が時代を動かしてきた
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日本人の食性のみならず生活文化の根幹をなす「米」の来歴についての本書は実に興味深い。日本人がどこから来たかとの起源にも思いを馳せたくなる知識にはロマンを感じた。
本書を読むと田作りの膨大な作業量に気がつく。人の営みとは実に偉大であると思った。我が祖先は勤勉だった。
「米」というものはいつの時代でも政治史・民衆史と繋がる。歴史を読み解く時の背景史として本書の知識があると、より深く想像と理解の翼が拡がるとも思えた。本書を高く評価したい。
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タイトルは『米の日本史』ですが、著者は農学者で、米と日本人の出会いと歩みを農業、植物、遺伝、歴史、民俗、地理、食文化など、さまざまな学問分野から重層的に描き出そうと試みています。それゆえ、歴史学的な記述は非常に大雑把なものですが、米(稲作)を通して自分の視野が日本史以外の他分野へと大きく広がった思いがします。ジャポニカ米とインディカ米の名称の由来とか、二毛作を支えた肥料とか、興味深く読みました。
ただ、時代区分とその呼称が非常に独特で、「気配と情念の時代」(弥生時代前半まで)や「停滞と技術開発が併存した時代」(奈良時代から室町時代まで)など、ぱっと見ていつのことかわからないことが多くありました。
なお、著者は現在、京都府立大学文学部和食文化学科特別専任教授・京都和食文化研究センター副センター長ということで、本書には日本中世史の上田純一先生や日本古代史の本庄総子さんといった同大学の教員の名前が出てきます。上田先生といえば『看聞日記』の史料講読で「酒を飲んだ後すぐに風呂に入ると危険(死ぬ)」とおっしゃっていたことを妙に覚えています。
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日本人にとって特別な食・コメ。稲はどこから日本列島に伝来し、どのように日本に普及したのかなど、稲作の起源を解説します。各時代の中でどのように米が作られ、そして水路建設するほど水利に力を入れ、お酒や和菓子づくりなど米食文化が花開いた近世時代を紹介します。さらに、戦国時代、明治の富国強兵、そして、先のアジア・太平洋戦争を支えた米と兵站・ロジスティックの相関も考察します。農学や文化の視点を交えながら「米食悲願民族」日本人の歴史を解き明かします。最後に、日本の少子高齢化と低成長、あるいは社会の縮小を前提としたときに、「地球環境」の視点で、持続可能な社会のために「米と魚(淡水魚)」のシステムこそが日本の持続可能なシステムであることは、歴史が如実に物語っているとまとめます。
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米の歴史は非常にスリリングでミステリアス。
一読して、そんな感想を持ちました。
本書はタイトル通り、米の歴史をひも解いています。
まず、その歴史区分がユニーク。
章立てが、そのまま歴史区分となっているのでご紹介します(カッコ内は分かりやすいよう評者が加筆)。
①稲作がやってきた―気配と情念の時代(おおむね弥生時代の前半まで)
②水田、国家経営される―自然改造はじまりの時代(弥生時代後半から古墳時代、飛鳥時代まで)
③米づくり民間経営される―停滞と技術開発が併存した時代(奈良時代から室町時代ころまで)
④米、貨幣になる―米食文化開花の時代(戦国時代の後半からほぼ江戸時代いっぱい)
⑤米、みたび軍事物資になる―富国強兵を支えた時代(明治時代から第2次世界大戦敗戦まで)
⑥米と稲作、行き場をなくす―米が純粋に食料になった時代(戦後から今まで)
まず①では、米の渡来経路を俎上に載せます。
実は、古くから議論が行われてきましたが、米の渡来経路の問題は、いまだに決着がついていません。
著者はイネの「開花日」に着目します。
「多くの品種で、開花の日は栽培地が北になるほど、つまり緯度が高くなるほど遅くなる」からです。
イネの品種の開花日の多様性から、著者は「イネの渡来経路は朝鮮半島経由のほか、少なくともさらに低緯度の地域からの渡来を想定する必要がある」と主張します。
②では稲作が日本列島に広がり、国家が経営する過程を、③ではそれが民間にまで広がっていく過程を、それぞれ詳述します。
弥生時代後半から古墳時代にかけては、水田生態系は「米と魚」という、著者の言うところの「糖質とタンパク質の同所性」を取るようになったとの指摘が興味深い。
水田は「米と魚」というパッケージだけではないようです。
蔀屋北遺跡や池島・福万寺遺跡などを調査したところ、当時の人々は、小麦を栽培して、その一部をウマの餌にしていたらしい。
家畜の飼養と麦作を組み合わせたパッケージもできていた可能性があるのです。
民間経営に移行すると、二毛作が登場しますが、その理由はよく分かっていません。
ただ、「食糧不足への対応」ではないかと推察する研究者もいます。
麦作の良否が飢饉時の人々の死亡率にも関係したそう。
麦が駄目なら米を、逆に米が駄目なら麦を―というわけですね。
当時は世界的にも気候の寒冷期にあたり、イネの不作がしばしば起きたそうです。
さて、弥生時代前半までに日本列島にやってきたイネは、ほとんどが「ジャポニカ」でした。
イネのもう一つの種類である「インディカ」はなかった。
なぜなら、日本にやってきたイネのルーツであった中国・長江流域が、ジャポニカの生誕地だったからです。
熱帯生まれのインディカが日本にやってくるようになったのは、イネの最初の渡来から実に2千年以上経ってからのこと。
③の時代の中ごろになると、その多くがインディカとみられる「大唐米」が、日本列島の西半分の地域に広まります。
もともと干ばつに強い性質を持っており、あ���り環境の良くない田にもよく適応したそうですが、現代までにほぼ完全に絶滅してしまいます。
④の時代には、米が金や銀といった貨幣の通貨レートとして使われるようになります。
ちなみに1石は、成人男性が1年間に食べる米の量に当たります。
ですから「加賀百万石」というのは、100万人もの人を食べさせることができたという意味です。
当時の人口は1千万人前後ですから、いかに存在感があったかが分かります。
この時代には米食文化が花開き、弁当やおにぎり、和菓子なども、この時代に誕生したそうです。
⑤の明治維新の時代には、米は富国強兵を支える物資となります。
この時代に作られた品種の名前が「神力」と「愛国」だったというのが、この時代の空気をよく表しています。
19世紀も後半を過ぎたころ、わが北海道でもようやく水稲稲作が始まります。
ただ、原野の開墾は困難を極めました。
北海道は今でこそ、「日本一の米どころ」などと呼ばれますが、先人の苦労がなければ到底、今の姿は実現していません。
あらためて肝に銘じようと思いました。
さて、そうして官民挙げて全国津々浦々まで稲作は普及しましたが、現代になると「米余り」が常態化するようになります。
これまで見てきたように、有史以来、日本の歴史は米と共にありましたが、「米余り」は初めて経験する事態です。
著者は本章で、示唆的な話を紹介しています。
1945年の敗戦で、日本は「カミの信仰」という大きなものを失ったというのです(著者がカタカナで「カミ」と書くのは、ゴッドを意味する西洋の「神」と区別するため)。
やや長いですが、重要な指摘だと思うので引用します。
「カミガミへの祈りは、祀りという形で表現されてきた。荒ぶるカミをしずめ、カミガミがもたらす豊穣に感謝するために、あるいは病気の平癒を祈るため、またときには他者を呪うために、人びとはカミガミに祈った。祈りは定式化され、また方式を整備した祭祀、まつりとなった。
けれども1945年の敗戦は、日本社会からカミガミをも奪ってしまった。カミガミは日常から遠ざけられた。いな、カミガミとその信仰は、非科学的なもの、前近代的なものとして学校でも教えられなくなった。祀りは次第に形骸化し、いまでは『祭り』として、楽しみの場、遊興の場、観光の場と化している。祀りと祭りの違いは、端的にいえば、捧げる、提供するのと、貰う、享受するとの違いである。祭りの一体感がいわれることがあるが、一体感は捧げるところに生まれる気持ちであって何かを求めてやってくる観光客(よそもの)がいくら増えたところで祀りの精神性は復活しない。」
冒頭で、本書の章立てを紹介しましたが、実は本書は7章構成。
その最後、第7章のタイトルは「未来へ『米と魚』への回帰を」です。
著者は、自然改造の時代に、生産面で「米と魚」の原型ができた―と書きました。
水田や灌漑施設が淡水魚に生息域を提供したのです。
それだけではありません。
森や田んぼは豊富なミネラルを、川を通じて海へと安定供給し、私たちが食べる海の魚をも育んでいるのです。
「日本の国土で作られた米を食べることは、水田や里の機能を守ることにつながる。それを放棄すれば、米が得られなくなるだけでなく、わたしたちは魚の資源を失うかもしれない」
著者の指摘に、虚心に耳を傾けたいと思います。
一読どころか、二読も三読にも値する本です。
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「モチはウルチに対して劣性になる」なんですって。
モチ米は意図的に育てないとウルチ米になってしまうってことですね。
意図的な選別の結果ですね。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/483352110.html