紙の本
自身の中にあるレジリエンスを引き出す文化芸術の力。 春樹ワールドから帰ってきたら、少しだけ、何かが前に進んでいた。
2023/01/18 10:21
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
子どもの頃に慣れ親しんだ童話の世界のように。
仏典に説かれた時空を超えた説話のように。
物語に寄り添い、共に時を過ごす中で、これまで気が付かなかったものに気が付くことが出来る。
昨日の自分より今日の自分。
今日の自分より明日の自分。
先の見えない洞窟のなかにいるような苦難にあっても、それを乗り越える術は、自分自身の中にある。
全ての出来事には意味がある。
目の前に見えていても、見えていなくても、繋がっている。
自身の中にあるレジリエンスを引き出す文化芸術の力。
春樹ワールドから帰ってきたら、少しだけ、何かが前に進んでいた。
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騎士団長殺し4
2019/05/20 22:02
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投稿者:ごんちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
秋川まりえも面色さんもゆずもおさまるところに収まった感じで爽やかなラストがよかったです。イデア、メタファー、二重メタファーなど時空を超えた世界が展開されて村上ワールドを満喫できたと思います。
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村上春樹氏の独特のワールドの最終回です!
2019/04/22 08:57
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、独特の世界観を創造し、読者を魅了してきた村上春樹氏の『騎士団長殺し』文庫版の最終巻です。騎士団長は「私を殺せばよい」と言うが、その意味は、彼が犠牲を払い、主人公である「私」が試練を受けるということではなのだろうか。そして、姿を消した少女は一体どこに行ったのだろうか?また会えるのだろうか?この秘密の物語は希望を導いてくれるのだろうか?読者に読み進めないではいられない興奮渦の中に巻き込んでしまう一大巨編の最終回です!
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村上春樹の最新作が文庫化。
単行本を読んでいたので再読。久しぶりに読むとけっこう細かいところは忘れているが、読んでいるうちに思い出してきた。
前作は文庫まで買うのもなぁと思って単行本だけで済ませたが、今回は文庫も買ったのは、矢張り終盤の、老人ホームから『庭の穴』に再び出て来るまでの旅路が好きだったから。特に派手でも何でもない、何とも村上春樹らしい『冒険』だが、どうもあのシーンが好きなのだ。
しかし、単行本の時はさほど気にならなかったが、4分冊の文庫になってみると、随分、薄く感じる。これなら単行本と同じく上下巻か、いっそのこと1冊に纏めてくれても全く構わないってか、その方が逆に嬉しいのだが、今時、余り分厚い文庫本は流行らないのだろうか。
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1Q84風の終わり方だなあと感じた。
目に見える、周りが正しいという何かが、必ずしも正しいわけではないし、自分が信じようと思えるものを信じて進めばいいのだと思う。
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第2部(下)。
いやあ、浸りました。こうして読み終えてしまうと、若干の物足りなさといいますか、もうちょいこの世界に浸っていたかったなと思ってしまいます。
エピローグの章がなくて(プロローグはあるのに)、結局“顔のない男”の肖像画は完成せず・・。という事ですかね。(ま、他にも解らないままの事がありますが、これも村上ワールドのお約束です。)
ラストは良き方向に向かっていくような予感を感じさせるもので、じんわりと温かな余韻が残りました。
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正直言って第1部(文庫2冊目)と第2部(文庫3冊目)の間がそれほど待ち遠しいというわけではなかった。もちろん第1部でも免色さんの秘密とか、騎士団長が出てきたあたりはニヤリとさせられたわけだけれど、話の展開がゆっくりで、おだやかで、さほど先が早く知りたいという気持ちにはなれなかった。「1Q84」のときほどには。だから、木曜日に文庫3冊目、4冊目を購入したあと、すぐには読み始めなかった。読みかけの本を終えて、土曜日の午後あたりから読みだした。そこからは一気である。日曜日に3冊目を読み終え、その後、講習中で早朝から深夜まで仕事ということもあり、3日かけて、やっと木曜午前に読み終えた。心地良いひとときであった。雨田継彦の遺書あたりからぐんと引き込まれ、そして「記憶は時間を温めることができる」ということばに惹きつけられた。ゴッホの郵便配達夫、確かに。さあ、第2部後半(文庫4冊目)、いよいよ雨田具彦との対面である。意識はほとんどない。しかし、ほんのわずかな顔の筋肉の動きで、相手の感情を読み取ることができる。私が最近、両親を看取って感じたことでもある。こちらの勝手な思い込みかも知れない。しかしそう信じていたい。穴へ入りこんでからはジェットコースターでてっぺんから一気に下っていく感覚であった。そして、まりえの告白。いつ、まりえも穴に入りこむのか。え~、そのまま帰ってくるのか~。ページ数残りわずか。そこに、このあとどう話は展開するのか。ワクワクドキドキしながら読み進む中、まりえのハワイ旅行のあたたかな話。その件は必要なのか。しかし、興奮気味のこころをクールダウンさせるために、そういう流れがあってよかったのかもしれない。はあ、終わった。ユズとの会話。むろの登場。そういえば、村上春樹の作品に、こんな幼い子どもが登場することはあっただろうか。短編にはいくつかあったか。むろが遺伝的にも私の子どもであってほしいと思う。そういえば私の名前は何であったか。もちろん、ワタナベノボル(なんと安西水丸の本名であったか。初めて知った。ネットの力)ではあるまい。さてさて、スバル・フォレスターの男は何者か。謎は深まるばかりだ。
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私は春樹世代ではない。
春樹の年齢に近くもないし、春樹の流行に立ち会った世代でもない。
流行からも名声からも完全に切り離されたところで、「風の歌を聴け」をまるで事故のように読み、うわお!と驚愕し、追ってきた次第。
確かに「いるかホテル」とか「羊男」とか「やみくろ」とかには、酔った。
しかし「海辺のカフカ」の、僕の若い肌がシャワーの水を弾いて云々、という記述で、あれれ、と感じ始め、
「1Q84」の二つの月がうんたらかんたらという陳腐なイメージには辟易した。
そう春樹の近作に接すると辟易という言葉がしっくりくる。
それはアマゾンだかで読んだ「もはや彼の言う孤独は私の孤独とは重ならなくなった」というレビューと同じく。
すなわち幻滅。
ちなみにこのへん、マスコミがわざわざノーベル賞秒読み!?式の特集を、時期に合わせて組むことの無粋さと関係する。
だって取り上げ方が、「ハルキスト未見読書会」といった、かつてのヲタクバッシングに似たものだもの。
んで、この「騎士団長殺し」も、同じ感想。
あいかわらずスノッブ(語の悪い意味において)な30代の男が、別れた奥さんをうだうだ思いながらも、人妻とセックスしたり少女に信頼されたりして、甘やかされている。島耕作? 渡辺淳一? ゴルゴ13?
ただしここまでくれば春樹的人物は、自家中毒というのか自覚が生まれてきたというのか、自分の持って回った冗長な言い回しや韜晦癖を自認しているふしもある。
つまりはネカチモでエライ青年のハナモチナラナイモノローグを、あえて行っているという、老年春樹のエクスキューズ込みの地の文なのだ。卑怯。
でも、かつてシティライクな感覚で打って出(て売れ)た作家が、ジジイ・ノスタルジイに浸っているところに、わざわざ好意的に寄り添う必要は、読者にはないのではないか、と思う。
春樹が前もって張っている予防線に、果然として言ってもいいのではないか、「ダサイよ!」と。
そもそも単行本の装丁がダサイ。
文庫においては見直された、新潮社文庫部内には比較的良心的な本の作り手がいたということだろう。
さらにいえば本作ではミステリーの枠組みを利用しているけれど、ミステリ作家がどれだけ苦心していると思ってるの?
枠だけ使って真相はワカラン、だって純文学だもんねー、じゃジャンル小説への無礼極まりないよ。
この点でも「甘やかされている」、だって村上春樹の作品だからね。でもこれで本当にいいの!?
「1Q84」でもそうだったが、こんなに電話を手軽に導入してしまって、いいの!?
個人的には、回想が行ったり来たりする叙述を整理して、なるべく時系列順にするべきだと思う。
そうすれば私の妹への思いも、妻やまりえが妹の変奏曲に過ぎないということも、はっきりする。
要するに、語り手が妹を失ったせいで歪んでしまったその歪みが、より直裁に現れてくるのだ。
この歪みを認めたくないがゆえの迂遠さが、この小説に成っている。
思春期の歪みを、見ず、いまも見ずにいる、から、状況が、���ざわざ穴を用意して、穴に潜って出るという、本来無用な経験を強制せねばならなくなった。
これもまた「甘やかされすぎ」。
春樹は私小説を必ず批判し、それが日本の作家ではなく世界の作家であるという自負を荷っている。
が、大江健三郎のような新しい私小説とは別の意味で、春樹式私小説家的作家自身の境遇を、もはや体現しつつあるのではなかろうか。
つまりは子供を持たないということについて。
2ちゃんだか5ちゃんだかの小梨だか小蟻だかのルサンチマンの渦巻くじゅくじゅくに、少しでも触れてみればいいのだ。
逆にいえばそういったルサンチマンの書き手がこの小説をどう読むのか、あるいは春樹の奥様がどう感じたのか、は想像するだに、……。
思い返せば「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」でも、夢の中で強姦すりゃあ俺の子供が生まれるんだよ、という酷くマチズモな考えが、あった。
春樹はいかにも女性の立場に立った柔らかな意見の持ち主、という感じが、エッセイからは立ち昇り、糸井重里と同じくそのイメージに寄りかかっているところがあるが、実は作品においてはひどくマチズモで女性蔑視的でミソジニーなのだ。
さらにいえばサリンジャーのホールデンにとってのフィービーと同じく、イノセントへの回顧と同時に間違いなくインセストタブーへの志向を示している。
さて、最終的に春樹ファンにとって不快なことを書いてしまうが。
春樹の精髄は短編小説(本作のベースは「木野」だし)。
長編を読むと、ベッドで妻の隣に横たわったまま、甘く自身の性器をダラダラとシゴき続けるような、生理には準じながらも生物としては反するような、いわばアナーキーな感覚に、浸される。
そんな中、ただ天井裏にみみずくた佇む光景だけが、清い。
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なんというか、いつも通りの村上春樹、って印象で「マンネリ」って言葉も飛び交いそうに思えるけれど。
秋川まりえに関しては、「ダンス・ダンス・ダンス」に登場するユキや、「ねじまき鳥クロニクル」に登場する笠原メイ程には魅力を感じられなかったのだけれど、それでもいつもの村上春樹的少女だったので、惹かれることは惹かれる。
僕は熱狂的な(あるいは盲信的な)ハルキストではないけれど、やはり好きな作家の一人なので、なんだかんだ言っても面白く読み通すことはできた。
ラストは後日談みたいな展開で、これはちょっと意外だった。
村上作品でこういう終わらせ方ってあまりなかったような記憶が(「国境の南、太陽の西」が似たような感じだったかなぁ……記憶が曖昧)。
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ラストは珍しく丸く収まっているが、納得はいかない。
村上春樹はこんな終わり方を書く人だったろうか?
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小学校の頃身体が入るギリギリの狭い穴に入って遊んでいた、そこそこ長いその穴を抜けると渓谷に出た記憶が今では現実か夢か分からないものになっている事を思い出した。
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村上春樹っぽさは存分に堪能。
今後の登場人物たちの人生は希望に溢れていると感じたが、その感覚は今までの村上春樹作品でもっとも大きかったように思う。
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こういう終わり方なのか?そうなのか。
4巻はこれまでの3冊のストーリを巻き取って収束していく。
まだ終わってほしくないという気持ちを持ちつつ読んでいたけど、掃除機のコードのように、容赦なく巻き取られてしまった。
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村上春樹作品の中でも読み易い作品でした。
イデア、メタファー。
ファンタジーにして哲学的。
これぞといった内容でしたね。
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途中まで、不思議な世界に入り込み、どうなるのかわからなかったけど、案外最後は普通にハッピーエンドで、ちょっと拍子抜けした感がしなくもありませんが、久しぶりに続きが気になって、読書に没頭させられてしまう本でした。
やっぱり、村上ワールドが好きだな。