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つい本屋で買ってしまったものの、惹かれるところが少なくサッと流し読み。以下、第一論点を得ただけでもよかった。
○女はエンパシー能力でリーダーシップを発揮できる。やんわりと人を率い、信望を得る。男がエンパシーを示すと、弱く見えて不利になる!
○女らしい外見は、おそらく女性の世界におけるマウンティングのツール
○勝つことをやめて、聞くことを始めよ。
○ブルシットワーカー
○互いに個人として交わすことのできる会話の欠如もまた、個人性の喪失につながる。
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読み始めた、
これはすごい、
共感という概念ってなに?
わかったつもりでいた
シンパシーとエンパシー
自分は自分自身を生ききることが
できるからこそ
他人の靴もはける
金子文子の話読みたい
『他者と関わる手段は、会話であること』と
みかこさんは言っている
この映画も見に行った。
PRISON CERCL
https://chupki.jpn.org/archives/8383
他者の靴をを履くということは
自分自身が何者であるか知ることにつながるなと
思った。
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『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだあとにこの本を読み始めた。
プレイディみかこさんは、私の古い概念をとっぱらい、今の時代の多様性についてどのように理解していくべきかを指し示してくれる。
他者の靴を履く(エンパシー)という概念を教えてもらえた。
頭の硬い日本の政治家さんたちに、ぜひ読んでもらいたい一冊。笑
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304-ブレ
300865490
エンパシーempathyとはどういうことか。シンパシーsympathyとどう違うのか。他者のために「優れたQOLサポーター」となることを目標とする本学学生の皆さんには、「エンパシーとは」と一度は考えてみて欲しいと思います。どうしたらエンパシーが身に付くのかまで考えさせる刺激的な一冊です。
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エンパシーの弊害に陥る人は多いと思う。
エンパシーは人のためである、感情的なものという印象が強かったが、むしろ自己理解にもなりうる、知的作業であることがとても参考になった。
意識して他人の靴を履き想像し
きちんと靴を返すことを忘れないようにしたい。
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シンパシーは、意味は理解でき聞き慣れてはいるが、エンパシーは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでなるほど…と思っただけで
突き詰めて考えたことはなかった。
今回は、かなり深く社会的にも政治的にも話しを広げていて引用されている文献も興味深かった。
この中でエンパシーの達人、金子文子が取り上げられていたが彼女にも興味が湧く。
子どもたちに他者と関わることを教え、考えさせる〜決めさせる〜解決法を見つけ出すこと。これが重要なのだと感じた。
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◆ポール・ブルーム『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』白揚社 (2018.2.2) https://booklog.jp/item/1/4826902018
◆映画『プリズン·サークル』 https://prison-circle.com/
◆デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店(2020.7.31) https://booklog.jp/item/1/4000614134
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英国の近況、コロナ情勢から過去のサッチャーの政策まで例にしながら、エンパシーの重要性を述べる。シンパシーとの違いもわかりやすく、エンパシーの多種にわたる差異も興味深かった。
でも一番印象に残ったのは、エンパシーの毒性についてで、権力者とエンパシーの結びつきなどだ。そしてここでサブタイトルに繋がってアナーキックエンパシーということになるのだと深く納得した。
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「エンパシー」について、ニーチェから金子文子まで取り上げて、良い面悪い面様々な角度から語ってくれるブレイディみかこさん。一回読んだだけではすべてをなかなか理解できないけれど、なんか賢くなった気がした(^0^)。とにかく自分は信念を持ってぶれないようにしながらも、他者の靴を履くことは重要だということは理解した。
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ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーという本でブレディみかこさんのことを知り、子どもとの関わり方にすごく魅力を感じた。視野が広く、謙虚で、あらゆる物事を決めつけずに受け入れて考える姿勢に憧れていた。その根幹にある考えが、他者の靴を履く、いわゆるEmpathyなのだと理解できた。
Empathyについてはさまざまな人が良いとか悪いとか、いろんな意見をいうけれど、民主主義にも通づるとても重要な能力であり、元来持っているものではなく大人になるにつれて育っていくものだと。
そう考えると、子育ての中で、自分が正解で自分の価値観を子どもに押し付けるのではなく、小さい頃から子どもの考えを尊重し耳を傾けることがとても大切なのだと改めて感じた。
これは子どもへの関わり方だけでなく、新人や部下の教育、ひいてはあらゆる人間関係に通づるものなのだろう。
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ベストセラー“ぼくイエ“で話題となったエンパシーをテーマとした論考。内容は極めて高度。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の主題の一つである「エンパシー」。シンパシーと良く似た言葉。他者の靴を履くことに喩えられる。
内容が抽象的、哲学的でありかなり高度な内容。筆者も認識しているが「出羽守」にならないよう慎重に思索している。
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ブレイディみかこさんが「アナーキック・エンパシー」について語る本。
日本人は特に、「他人に迷惑をかけるな」「自分がされて嫌なことを人にするな」と無意識の(エモーショナル)エンパシーを求められてきた民族だと私は思います。「迷惑をかけない人は存在しない」し、「何が嫌なのかはその人に聞かなければ分からない」と意見する人を「屁理屈」と取り合わずに現代まで来てしまいました。
本書では、エンパシーを大まかに「エモーショナル・エンパシー」と「コグニティヴ・エンパシー」に分け、エモーショナルの方を「共感・共鳴」、コグニティヴの方を「相手の靴を履いてみること」として説明しています。
そこから、(本人の気持は別として)相手に共鳴し、自分がそうであろうと想像した気持ちにリンクするエモーショナル・エンパシーよりも、他人の置かれた状況を冷静に丁寧に分析したり、本人との交流を通じて得た情報をもとに(善悪の判断をせず)相手の立場に立って考えるコグニティヴ・エンパシーの方を身につける重要性を説いています。
そしてさらにそこから発展して、エンパシーは単独だけでは上手く機能しないので、一緒にアナーキズムが必要だ、と(筆者が)考えたことから、「アナーキック・エンパシー」へと話が展開してゆきます。
こう書くと、本当に複雑な話が展開されているように感じる方もおられるかもしれませんが、具体的な例や引用を用いて内容が進むので、複雑さや小難しさはそれほど感じません。寧ろ、ひとつの毛糸のほつれが気になっていたのに、解きほぐしていくと実はもっと奥の方が大変なことになっていたんだ! というような気づきがあり、読後は達成感がありました。
この本を読んで本当にそうだと感じたのは、
【ストックホルム症候群やDVなどにおける犯人が為政者で、被害者が民衆、と置き換えることすら可能であるような悪政が行われている場合にも、エンパシー体質の人々は権威に支配され続ける。そして、権力に反旗を翻そうとする人々を「わがまま」と言って糾弾することにさえなるのだ。】
(244ページより引用)
というところ。私は日本で暮らしたことしかないので日本のことと対比しながらこの本を読んだのですが、これは最近のコロナ禍でも「政府に協力できない人間は(無条件に)自分勝手でわがまま(だからそういう人間は皆で攻撃してもいい)」となっていた構図にも通じるなと思いました。
そして、日本人は戦争をしていた時の、「お国のために」や「欲しがりません、勝つまでは」「一億玉砕」をずっと続けていくのだろうか、と疑問に思いました。
フランスでは年金受給年齢が引き上げになることに対するデモを必死で行っていますが、日本では当然のように年齢は引き上げになっていきます。その根底には、上記のような考えで「政府も財政難だから」という考えがあるのでしょうか。それだけではないにしても、日本でそういったデモの類がほとんど見られないのも、こういった昔から続いてきた日本人の(エモーショナル)エンパシーの影響が強いと感じます。
暴力をふるう夫に対して妻が言う「夫も大変だから」という言葉。いじめの加害者に対して周囲が言う「彼(女)は可哀想な子だから」という言葉。改めて思い出してみると、本当に沢山、そういう言葉・メンタリティーがあることに驚かされます。
「本人に確かめたわけではないけれど、多分そうだろう」という想像の元で「暗黙の了解」が山ほど積み上がった国が日本なのだろうかと思うと、やはり手遅れになる前に少しずつで良いから変えていかなければならないのではないかと危機感を覚えました。
日本を訪れた外国の方が、公共の場でマナー違反をしたとき、何がダメなのかは直接指摘されず、ただ冷淡な視線が注がれたことで「自分は何かいけないことをしたんだな」と知る、という話を聞くにつけても、これからの展望(将来的なこと)を考えると、日本人のエンパシーはコグニティヴに、さらに言えばアナーキック・エンパシーに変えていかなければならないのかもしれません。
もはや鎖国は不可能なのだから、内外が交流するこれからの時代において、日本全体がエモーショナル・エンパシーに染まっていては重大な問題がある、というふうに感じました。
今までの日本で、外国からやって来た人が「非常識」「理解できない」と言われてきたのは、恐らく日本人の“エンパシー社会“に問題があったのではないかな? とも思います。
飛躍しすぎかもしれませんが、この本で述べられていることは「男尊女卑」や「家父長制」などと関連していて、アナーキック・エンパシーを広めることができたら、上記のような事柄にある問題点なども解決に近づくのではないでしょうか。
日本人、危ういかもしれません……(戒めとして)
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ぼくはイエローで…の流れからこちらを読むと、少し読みづらいかもと思いました。ところどころ入る息子さんや著書のエピソードは鮮やかですが、それ以外はすでに結論にたどり着いている著者の、結論に至るまでの思考の経緯が示されており、「〇〇はこう書いている」が続くと、少しついていけなかったです。
とはいえ内容は、アナーキックエンパシーの重要性にはおおいに賛同し、過去のイギリスが日本の現政権と重なるところもあり面白かったです。
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エンパシーとシンパシーについて語られていくなかで、クロポトキンについての言及があって面白かった。エンパシーを育てることと、アナーキーに生きることがつながっていく考察、静かに力強い。どちらもなかなか難しいけれど、手にしたいチカラだ。
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エンパシーというあまり聞きなれない概念。シンパシー(共感、同情)とどう違うのか、さまざまな文献や観察から著者が、この自分と他者における人間関係のありかたの概念に輪郭を与えようと試みる。「思考の旅になった」と著者がいうように、その考えはとめどもなくあちこちをさまよっているような印象を受けるのは、著者の性急な結論を出さない、最初から決めつけで書かない、という方針が感じられてとても誠実な印象をもった。エンパシーとは、共感のように感じるという行為よりはむしろ、他者の立場に立ってその人物の思考のありようを得る「能力」「スキル」である。これなくしては多様な価値観の他人同士が良好な社会を営んでいけないとしながら、他者を受け入れることで自己を失ってしまい、独裁者に妄信してしまう民衆や加害者に対し「悪いのは自分」とむしろ自分を否定しまうDV被害者、というような例をとりあげ、エンパシーはあらゆる支配から自立しなくてはならないアナーキーであること、すなわちアナーキック・エンパシーが重要なのだと着地していく。