紙の本
大人の続編、という言語化は、さすがな表現だと思いました。
2021/08/14 20:36
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオハシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつものように読み終わってから帯に戻ってきて、ナルホド感を確認する営みを実施したのですが、今回の帯は、多量の情報が載っており、三点のみ抜粋しておきたいと思います。
『「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」に次ぐ「大人の続編」本』
『他者はあまりに遠い。“共感”だけではたどり着けない。ジャンプするために、全力で「考える」知的興奮の書!』
『エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに』
帯ってうまいこと書くなぁ、と、いつも思う。 でもほんとその通りで、「大人の続編」という表現がごもっともだし「全力で考える」だし、「読み手の知性が試される」も、そうだが、ぐいっと一気には読み切れない、内容が濃い本だ、という印象。
エンパシーに関する議論や見解、歴史の偉人が残してきた論点に関して整理し、(誤解の招かれやすい)アナキズムに関しても丁寧に説明してくださったりしている。 前任者の論点を紹介しつつ、著者としての解釈を述べていく記載の仕方、学術的というか研究者的というか、そういうニュアンスを自分としては受けた。難しい本であったが、考えさせられる、というか考え方のヒントをまた与えてくださる本だった。
帯だけでは伝わらない方も、「はじめに」の部分を読めば、なぜブレイディみかこさんは「大人の続編」に至ったのかもよく伝わるので、(自分なりの解釈としての)抜粋引用としたい。
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2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。わたしは自他ともに認める売れない書き手だったが、その本だけは例外的に多くの人々の手に取られることになった。
それでけでも驚くべきことだったが、この本にはさらに驚かされたことがあった。本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ。
それは「エンパシー」という言葉だった。
(中略)
わたしの推測が正しいにしろ、間違っているにしろ、あの本はそのうち「エンパシー本」とさえ呼ばれるようになった。しかしそれが素朴に「エンパシー万能」「エンパシーがあればすべてうまくいく」という考えに結びついてしまうのは著者として不本意な気がした。なぜなら、米国や欧州にはエンパシーをめぐる様々な議論があり、それは危険性や毒性を持ち得るものだと主張する論者もいる。すべての物事がそうであるように、エンパシーもまた両義的・多面的なものであって、簡単に語れるものではない。
ならば、そうした議論があることを率直に伝え、もっと深くエンパシーを掘り下げて自分なりに思考した文章を書くことは、たった4ページでその言葉の「さわり」だけを書いてしまった著者がやっておくべき仕事ではないかと感じるようになった。
(中略)
そして、わたしが「わたし」という一人の人間として物事を考え始めると必ずどこからか現れるアナキズムの思想が、いつの間にか当然のようにわたしの隣を歩き始めて、エンパシーと邂逅を果たした旅の記録とも言える。「わたしがわたし自身を生きる」アナキズムと、「他者の靴を履く」エンパシーが、どう繋がっているのかと不思議に思われるかもしれない。しかし、この両者がまるで昔からの友人であったかのようにごく自然に出会い、調和して、一つに溶け合う風景を目の前に立ち上げてくれたことは、この旅における最大の収穫だった。
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紙の本
エンパシーは単純ではない。
2021/10/01 15:12
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「他者の靴を履く」ようなものと解説される「エンパシー」。ただ共感や相手の感情を想像できる能力とすると、「シンパシー」と違いが解らなくなる。
情動面の共感をも含む、理屈や認識まで広い意味での想像があるのが「エンパシー」だ。
著者の言う「anarchy」はギリシア語由来で「archy」(支配)の否定語だ。先入観やジェンダーバイアスで物を見ていないか?政治家や大資本家の価値観に染まっていないか?「anarchy」であるとはまずその疑いを持つことだ。
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相手の個性を認め、自分の個性を消さないこと。できそうでなかなかできない。話をしていても物事を初めから否定する人は多いだろう。
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【〈多様性の時代〉のカオスを生き抜くための本】「意見の異なる相手を理解する知的能力」エンパシーをめぐる思索の旅。“負債道徳”からジェンダーロールまで思い込みを解き放つ!
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『エンパシー』なんて考えたことがなかった。
だけど意味を知ると、自分にとって無関係でないことが分かる。
エンパシー=他者の感情や経験を理解する能力。
他者と共生するうえで欠かせない能力だと思った。
だけど自身を振り返ってみて、はたと気づいた。
私は自分の靴を履いたまま、他者の靴を履いていたんだなあと。
求められるのは共感でなく理解。
簡単そうに見えて難しい。
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シンパシーとエンパシー。わかっているようで勘違い、捉え違いをしてしまう言葉を理解できた。エンパシーは学び、意識をして身につけることができるスキルであり、
人には”エンパシーの闇落ち”という脆さ弱さもある。エンパシー×アナーキーではアナーキーとう言葉も改めて理解できた。
ニーチェ他の思想・考えに触れる点も興味深く読んだが、少し引用が多いからか思ったより読み終わるのに時間がかかった。
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難しいので途中でやめちゃった。政治とかよくわかんないし。
この人はほんとに貧困家庭で育った保育士なんだろうか。相当本読んでる。
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エッセイ以外は止めておこうと思ったばかりなんだけど、本作の謳い文句、イエローの続編、みたいな感じだったんだもの。と書くのは、やっぱり本書は、著者の近著同様、ニッチな話題の深い論考、という体だったから。特に前半、ひたすら”エンパシー”が掘り下げられていく。とか書きながら、『でもこう書くこと自体、エンパシーを欠く行為かも』って、いったん立ち止まれるようになったことは実は進歩?あまりに繰り返し述べられるから、正直ちょっとげんなりもしたけど、おかげで感情たる”シンパシー”と、能力たる”エンパシー”の違いもそれなりに理解できたし、能力なら伸ばせるよな、と考えられるようになったのも進歩かも。というかそもそも、自分の読書欲求のうちのかなりの部分を、エンパシー入手欲が占めている気もする。是非身につけて伸ばしていきたいぜ、エンパシー能力。
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他者の靴を履く、エンパシーについて。
ぼくはイエロー…の続編とも言われていたがなかなか難しい。
エンパシーって一言で言うけれど本当に奥が深くて複雑なものだと思った。
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説明長く 沢山あって 哲学書っぽくって
しんどかったです。
もっと軽く読めるかと期待してましたが
好きな人には 良いでしょうけど
軽めの本好きには おすすめできませんねー
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著者の言葉を借りれば「目の前に広がっているカオスから目を背けず、前に進むための叡智」が詰まった一冊でした。
SNSにおける承認欲求についての言及は、ステレオタイプ過ぎるきらいもあるのだが...。自身のエンパシー力の低さを実感した。
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20210907
「僕もイエロー..」と同じようにノンフィクション小説のようなライトなものと予想していたが、少し固めな印象。
「エンパシー」という概念には、さまざまな観点があることが最大の気づき。
特に印象に残ったのは、「他者の靴を履ける人は、他者にも自分の靴を履かせる人」という考え方。
自分の弱さとか見せずに1人でやれるまでやるスタンスを貫いてきたけど、もっと肩の力を抜いてオープンスタンスになることが第一歩かな。
「互いを煩わすことを悪いこととする社会は、表層的には他者のことを慮っているように見えても、実は誰とも関らず1人で生きていく人の集団だ」
迷惑かけてはいけないっていう考え方そのものが、
1人の檻に自分を閉じ込めてる自虐行為だし、
相手との空間的な繋がりも絶ってしまい、
共感、共助から遠のく行為なんだな、と納得。
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ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で一番印象に残っていた言葉がこの「エンパシー」というもの。これ、私と同じような人が沢山いたらしい。
英国公立校の7〜9年生で導入されるシチズンシップ・エデュケーション。試験問題に「エンパシーとは何か」というのがあって、息子さんの回答が
「他人の靴を履いてみる」
だった。
エンパシーってまさにこれ。
立場が違えば見えるものもまったく違う。
戦争やテロリズムや人種差別やLGBT問題。例えればキリがない。
結婚すれば強制的に改姓させられる制度だって、改姓させる側は改姓する側の苦しみに気づかない。立場が違うから。自分がその立場になるとは考えもしないから。
大小なり誰もが自分の中に差別意識は持っている。
エンパシーをもって見れば、自ずとそれに気づくはず。
シンパシーじゃない。エンパシーだ。
この違いもきっとこの本に書いてある。
“エンパシー”
“他人の靴を履いてみる”
今の日本人にこそ必要な感覚だと思う。
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”同情・共感”を意味するシンパシーが、相手の心情と同じベクトルを向くのに対して、”相手の立場・心情に対する理解心”を意味するシンパシーは、決して相手の心情と同じベクトルを向くわけではなく自分とは全く真逆の意見を持つ相手に対してこそ意味を持つ。英国での子育てを綴った前作でエンパシーという概念に興味を抱いた著者が、そのテーマを掘り下げた論考が本書。
面白くないわけではないのだが、なんだかとっ散らかった印象の本、という感想をストレートに抱いてしまった。前作が英国での子育ての面白さという実体験を主にしたものに対して、本作はある概念を巡る抽象度が高い議論であり、それをうまく消化しきれていない感覚を受けた。例えば、古今東西の様々な著作物からの引用が本書は目立つが、あまりにも引用が多すぎるせいで、何を論じようとしているのかが曖昧になる場面も多い。もう少し地に足の付いた議論の方が、著者には向いているのでは、と思うし、読み手としてはそうしたものをやはり期待してしまうのが正直なところ。
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ブレイディさんの過去作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中でも出てきたエンパシー(共感)について語られた一冊。エンパシーというのは意見の異なる相手を理解する知的能力のことで、タイトル通り「他者の靴を履く」と表現できる。本書では、エンパシーについて政治・経済・労働・教育など様々な視点から(イギリスや日本の著書を絡めて)語られる。ビジネス本でよくある共感本とはやや異なる内容、わかりにくい部分もあったが概ね理解でき面白かった。