チンパンジーとミツバチ
2019/11/14 15:42
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
道徳と慣習を区別する程度は文化によって異なるにもかかわらず、正義心同士の闘争が右派と左派の対立を生んでいる昨今の現状を、死んだ愛犬を食べる話や国旗を雑巾にする例え話を通して道徳を考える、冷静になりましょうという書。
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翻訳本は、本当に読みづらい。そして600ページもあるので、読み終わるのに時間がかかってしまいました。持ち歩くのもかさ張るし。でも、いろいろと気づきの多い本でした。
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地政学・戦略学博士の奥山真司さんがおすすめしていたので読んでみた。人間は理性的であるべきだしそういった人物によって統治されるべき、という哲学者の言葉に疑問を感じていたので(で、そんな超人はどこにいるの?)なぜ哲学者や合理主義者がそんな事を主張するのか納得はしないが理解の手がかりになった。リベラリストにとっては耳の痛い話が多いと思う。注釈が死ぬ程多いので少し読みづらい。日本、米国、欧州では保守とリベラルの定義が少しづつ違うのでそれを理解していないと混乱するかも
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原題は「正義の心」副題は左右ではなく政治と宗教。
左右に分かれる理由ではなく、分断されてしまう理由を考察している。
内容はそれなりに興味深いが文章がおそろしく読みにくい。
政治や道徳の話になると、牽強付会にもほどがあるこじつけを堂々と語る人がいる。
自分と違う立場の人のトンデモろんりを見ると、よくここまで破綻した主張ができるなと思う。
でもあっちからは私がこう見えるんだろうとも思う。
多様な価値観を認めたいのに、それを否定する人を見ると、道徳的な差異を許せなかったり脅威を感じたりもする。
なぜそうなってしまうのか、道徳を巡る心理的メカニズムを説明する部分は面白い。
これはリベラルが保守を理解するための本。
その逆ではない。リベラルなつもりだった著者が自分の実感にもとづいて書いた本だから。
ゆえに、双方向の橋渡しをするには力不足かな。
保守がこれを読んでも「これだからリベラル(笑)は」にしかならないと思う。
リベラルの「道徳」は精製されているから、他の「道徳」の雑味を理解できない。ってのはなるほど。
論理に忠実であろうとすると潔癖かつ排他的になりやすいかも。
後ろに行くにつれて著者の主張が目立ってくる。
特に宗教と政治は著者の「道徳」に引きずられている。
「道徳は人を結びつけるが盲目にもする」という本だから、著者自身の無自覚な偏りが目についてしまう。
元リベラルを自称するにもかかわらず、保守もリベラルも「彼ら」としてしか語らない、ひとごと全開な姿勢が気に入らない。
読みたい内容ではあるけれど読むのに時間がかかった。
文化もしくは価値観の違いにつまづき、不適切な比喩と論理の飛躍に疑問を感じる。そのうえ訳が悪文。
いろんな意味で読みにくい。
先行研究の引用も半端だから、対照群はどうなのかとか因果は本当にそっちかとか、納得できない部分が多い。
この調査に私が答えたら、私の意図とは真逆の解釈をされてしまうだろうと思うところがいくつもあった。
リベラルは/哲学者はこう主張するが云々というフレーズがよく出てくるが、誰の主張なのか書かれていない部分が多い。こんなに注だらけの本なのに。
こういうのも、仮想敵を肥大させるパターンじゃないのかなあ。
書き方がわかりにくすぎる。
この本を読むと「疑念がわくのは信じたくないがゆえのバイアス」だろうかと考えてしまうけれど、私はこの内容を信じたい派だ。
内容以外のところで頭を使わなければいけないので疲れる。
性的「嗜好」という訳語はいまどきどうなの。
リベラルが保守を知ろうとする本なら
『社会運動の戸惑い』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4326653779のほうがしっくりくる。
追記
『一冊で知るキリスト教』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/441531550Xを読んだらちょっとわかった気がする。
自由を拒むようにみえる保守(カトリック)は、広い道徳(聖人信仰など)を包摂しているのに対し、論理(聖書)を重んじるリベラル(プロテスタント)はひとつの価値観(三位一体)を絶対視する。
この本で描かれる「リベラルの狭い道徳」は、「プロテスタントの一神教」と考えたほうが私には納得できる。
私の考えるリベラルは著者の描くリベラルよりも多神教的だから、書いてある感覚がしっくりこなかったみたいだ。
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タイトルの問いをこの本が解明しているかどうかは疑問である。政治というより心理学、倫理の話。道徳心理学というのかな。ベンサムの功利主義から白熱教室のその先へ。政治は理性は無く、感情の産物であることよ。8章あたりアメリカの政治、近年の民主党と共和党の理解がないと読むのが苦しい。ちなみにこれが書かれたのはオバマ当選以前であります。
9章から10章あたりが遺伝子や人間の行動パターンの話題になってようやく面白くなるから、ちょっと分厚い本だけどガマンして読むと楽しい。11章からデネットやドーキンス。保守を理解したい(アメリカの)リベラルの位置にいるひと向けの本。
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「なぜ」というより「どのように」分かれているかを分析しており邦題に問題あり。リベラル・リバタリアン・保守の違いを〈ケア/危害〉〈自由/抑圧〉〈公正/欺瞞〉〈忠誠/背信〉〈権威/転覆〉〈神聖/堕落〉の6つの道徳基盤への強弱で解説しているのはわかりやすい。この図からは自分はリベラルとリバタリアンの中間ぐらいで、保守ではない事がはっきりする(後半3つの基盤はどうでもいいので)。ただし、原理主義→相対主義→多元主義へのSTEP感は意識しておきたい所。右も左も主義主張はいろいろあるんだろうが、最低限お願いしたいのは法律は守ってよって事だけど。
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読書
社会はなぜ左と右にわかれるのか
ジョナサン・ハイト著
高橋洋訳
まず直観に基づく道徳的判断
道徳的判断を下す際、それは直観ではなく理性によって導かれると、普段、私たちは考えるが、実際には逆らしい。
本書は膨大な心理実験から「まず直観、それから戦略的な思考」が立ち上がることを明らかにする一冊だ。道徳的な判断が理性的な思考にのみ基づくと考える理性偏重主義を退け、道徳における直観や常道の重要性を腑分けする。
著者は、両者を「象使いと象」の関係にたとえる。「心は〈乗り手〉と〈象〉に分かれ、〈乗り手〉の仕事は〈象〉に仕えることだ」。乗り手は、私たちの意識的思考であり、〈象〉とは、残った99%の非意識的な心のプロセスのことだ。
〈象〉がほとんどの行動を支配しているから、道徳に関する説明とは、常に理性の後出しジャンケンである。ただし、直観礼賛は本書の意図ではない。直観の裏付けのない理性の暴走も、理性の裏付けのない直観の暴走も極めて危険だ。
本書は道徳の認知プロセスだけでなく、その功罪も明確に示す。いわく「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」。集団内の紐帯としての道徳は、異なる人々との衝突をもたらすのだ。回避するには、道徳一元論を引っ込めるほかにない。
政治や宗教など異なる集団間で、見解の不一致は残るとしても、互いを尊重し合う「陰と陽の関係。を築くべきだと著者は提案する。対立的な議論が先鋭化する現代、著者の実践思考の意義は大きい。(氏)
紀伊國屋書店・3024円
--「読書 社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト著」、『聖教新聞』2014年07月26日(土)付。
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http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20140730
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道徳心理学である。右と左はアメリカの政党のことで、アメリカの政党について、とのタイトルならば、購入はされないであろう。タイトル負け。
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道徳心理学の本。
右左については、ケア/危害、公正/欺瞞、忠誠/背信、権威/転覆、神聖/堕落の五項目の道徳の基盤に依存している。
そして、政治、宗教の対立は、「私たちのこころは、自集団に資する正義を志向するように設計されているから」である。
と説く。
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波頭亮さんが大絶賛していたので読んでみた。
未だに整理できていないのが左とは右とは何ぞやという事。自分の中で右は英訳でrightounesであるように唯我独尊というイメージ。ただ経済では保守だったり政治だと革新にいく人もあるので単純にあの人は右だとか左だとか言っても意味がない気がした。
正義は人それぞれの道徳に基づいている筈で筆者の分析によるとそれを「ケア/危害」「公正/欺瞞」「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」の6種類に分類されるという。それは育った環境・教育・文化・脳内ホルモンの完治状態によって人それぞれ変わるものなのだ。
いわゆるリベラルの人は前者2つだが、保守の人は全てをバランスよく重視する。保守の人は軸が多く向社会性だが反対に権威主義や全体主義、軸が多すぎてまとまりがつかない感じになるのだろう。リベラルの人は軸が少ない分最適化で物を考える人が多い気がする。いわゆる成功者はリベラルの人が多いんで、それに影響されて社会に出ると保守の人が多い事、多い事。
ただ上記の「忠誠」「権威」「神聖」も確かに社会の秩序を保つのにはある一定の役割をしているのでリベラルの人も保守の人を完全に存在を否定すべきではないという事。多分左も右もうまくバランスが取れているのが良いんだろうなと思う。あと右とか左とかはいつもどっちがどっちかわからなくなる、この辺はまた勉強したいと思った。
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ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学』
副題が本体の社会心理学の啓蒙書。原書2012年当時の神経科学、遺伝学、社会心理学、進化生物学の知見を踏まえ「私たちは皆、独善的である」との真理に迫る。
引用
思考は、自分が望むほとんどどんな結論にも導いてくれる。なぜなら、何かを信じたいときには「それは信じられるものか?」と自問し、信じたくない場合には「それは信じなければならないものか?」と問うからだ。その答えは、ほぼどんなケースでも、前者は「イエス」、後者は「ノー」になる。158
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人々が政治思想で分かれてしまう原因を検証しようとする本。よくある「~だから○○主義者は正しい(or間違ってる)」という主張から一歩引いて科学的に道徳・政治の主張の源を解明している。人々がどういった心理でどんな政治的主張に熱心になるのかを知りたかったのでとても良かった。自分の思想を冷静に見つめなおすのにも役に立つ。訳文はわかりやすい方だと思う。注がかなり多いが無視して読み進めても全く問題ない。
あと、保守主義者からは所詮これもリベラルの視点だという意見が多いようだが、著者も言うように最後の第12章を除き「~である」的分析に専念しているので「イズム」ベースの批判は無意味に思える。批判するなら理論やデータ分析に目を向けて欲しい。
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全米でベストセラーになった道徳心理学の名著、「なぜ政治的な主張が異なる人々はこうもわかり合えないのか」を科学的見地から(本書にも断りがある通り)記述している。実験、アンケート、先行研究の引用を基に、直感を肯定するための理性、6つの道徳基盤、集団と一体となるミツバチスイッチ、宗教の合理性などなどの概念を提唱し、最後に道徳(道徳資本)について機能論的な定義を与えている。
道徳といったふわふわしたものに対して科学的ににじり寄ろうとする姿勢、構造主義的な書きっぷりが非常に印象的で好印象だった。文句なしに★5つ
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・心は<乗り手(理性にコントロールされたプロセス)>と<象(自動的なプロセス)>という二つの部分に分かれる。<乗り手>は、<象>に仕えるために進化した。
・誰かが道徳的に唖然としているところを観察すれば、<乗り手>が<象>に仕えている様子を確認できる。何が正しく、何が間違っているのかについて直観を得たあとで、その感覚を正当化しようとするのだ。たとえ召使い(思考)が正当化に失敗しても、主人(直観)は判断を変えようとしない。
・社会的直観モデルは、ヒュームのモデルから出発して、さらに社会関係を考慮に入れる。道徳的な思考は、友人を獲得したり、人々に影響を与えようとしたりする、生涯を通じての格闘の一部と見なせる。つまり「まず直観、それから戦略的な思考」である。道徳的な思考を、真理と追求するために自分ひとりでする行為としてとらえる見方は間違っている。
・したがって、道徳や政治に関して、誰かの考えを変えたければ、まず<象>に語りかけるべきである。直観に反することを信じさせようとしても、その人は全力でそれを回避しよう(あなたの論拠を疑う理由を見つけよう)とするだろう。この回避の試みは、ほぼどんな場合でも成功する。p97
この効果は「感情プライミング」と呼ばれている。というのも、最初の単語が引き金となって、ある一定の方向に傾くよう、その人の心を準備させる感情の突発が引き起こされるからだ。p107
覚醒を引き起こす文化心理学の力に関して、シュウィーダーは1991年に次のように述べている。
「私たちは他人のものの見方をほんとうに理解するとき、自分の理性の内部に秘められた潜在的な可能性の認識に至り、...そのような見方が、初めて、あるいは再び重要なものとして立ち現れ始める。私たちの生きる世界に、均質的な「背景」などない。私たちは生まれつき多様なのだ。(Shweder, R. A "Thinking Through Cultures: Expeditions in Cultural Psychology", 5p)
道徳心理学の歴史を通してもっとも簡潔で先見の明に富んだ文章で、ダーウィンは道徳の進化の起源について次のように述べている。
「最終的に、私たちの道徳的な感覚や良心は、高度に複雑化した感情の形態をとる。社会的直観に端を発し、おもに他の人々の称賛によって導かれ、理性、利己心、そしてやがては深い宗教感情に支配され、教育や習慣によって確たるものになる。」p305
さて、私の提起する道徳システムの定義が、次のようになる。
:道徳システムとは、一連の価値観、美徳、規範、実践、アイデンティティ、制度、テクノロジー、そして進化のプロセスを通して獲得された心理的なメカニズムが連動し、利己主義を抑制、もしくは統制して、協力的な社会の構築を可能にするものである。p416-417
イデオロギーに関するもっとも基本的な問いに「現行の秩序を維持するのか、それとも変えるのか?」というものがある。1789年、フランス革命時の国民議会で、現状維持を支持する者は部屋の右側に、変革を求める者は左側に座った。それ以来、右と左は、保守主義とリベラルを意味するようになった。p426
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内容は豊かで結構分厚いのにサクサクと読めてしまい、しかも感銘を受けてしまった。書き方も上手い。内容は次のようにまとめられると思う。
・道徳的な判断は思考ではなく直観に基づく。思考は後からそれを合理化するのに長けており、自分は合理化しているだけだということにしばしば気がつかない。
・直観は、自己反省よりも、他者からの説得や共感によって変わりうる。
・危害の軽減・公正の追求・抑圧からの自由だけが道徳的判断に関わるのではなく、ほかにも権威・忠誠・神聖などの感覚が道徳的判断に関わってくる。それは先天的なもの(もちろん育ちにも影響を受けるが、どう育つかにも関わるような)である。
・前者三つは個人として人間を理解し集団を派生的なものと見なすことで重要さが導かれるが、逆に、集団の必要性から考えるならば、権威・忠誠・神聖などの感覚にも合理性を見出すことができる。
・われわれは両方をバランス良く取捨選択しなければならない。
まさに自分が個人主義的な考え方に染まりきっていたので、それ以外の考え方の合理性をエビデンスに基づいて説明されることには、目を開かれる思いであった。
あと、どうでもいいのだが、ヒュームとかデュルケームとかの人文知の引き方が、リベラルな人たちの直観を逆撫でしないようになっているのも上手かった。