紙の本
十七八より
2022/03/17 22:42
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
私にとって本作は、乗代雄介の小説として2018年の「生き方の問題」以来、二作目に読んだものにあたる。今回文庫化されたので、改めてデビュー作からと思って読んでみた。正直何かテーマがあったり、事件が起きたりするわけではないのだが、それにも拘わらず、読ませる内容だった。特に発展するわけでもなく、それゆえ自然な感じで引用される文学作品が、語り手が叔母に憧れるということを示しているようで、よかった。シリーズものらしく、ほかの作品も読んでみたい。
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癖になる乗代節が光る中篇作品
2022/02/28 22:44
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
十七、八の頃のどこか独特な感性を持った少女の日常を描くデビュー作。乗代さんはデビュー作からこの調子だったのかとある種の感動があった。主張の強い語り部、語られそうで語られないキーポイント、つかみ所のない展開、そして謎に解像度の高い日常描写。それが癖になる。
特に物語の中盤でそこそこの長さで描かれる、家族で焼肉屋に行って本当に他愛のない会話をするシーンが素晴らしく乗代さんらしい。母親が子供に世話を焼き、子供はそれをいなし、父親はそれを見ていない。組手のような会話の応酬をしながらも各々食いたいものを食う、そこに現れる家族のリズムが秀逸。
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のっぺり
2022/03/13 01:06
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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初の見開きに
のっぺりと広がった文字の海に
ちょっとイヤな予感はしたけれど、
その感じのまま読了してしまった。
一昔前のよくわからないものを純文学と持ち上げていた、
そのままの文体という雰囲気。
こういうのを読んで面白いと思える感性を持っている人は
素直に羨ましいけれど、残念ながら自分にはないみたい。
巻末の書評を読んでも、
「よくわからないけれど言葉に力がある」みたいな感想で、
そんな文章は詩にしろ、
なんていう情緒も身も蓋もないことを思ってしまう。
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第58回群像新人文学賞受賞作。デビュー作。
芥川賞候補『旅する練習』は既読、『皆のあらばしり』は冒頭10頁既読、で本作にいざ挑戦!
あれ?これは乗代さん?文体が既読の作品と全然違って翻訳の直訳文のような文章…という戸惑いを隠せないまま読み進める。
文学好きのある少女(阿佐美景子)の、叔母とのやり取りを軸に置いた他愛のない日常。「少女」は、弟の「姉」であり、叔母の「姪」であり、主語が場面によって変わる上に、文章自体もなかなか独特かつ難解。
家族の前では茶目っ気もあり、教師とのやり取りでは時に大人びていたり、病院の待合では不可解な大人に怯えたり…。少女の日常はありふれた事が次々に起こって時間が過ぎていく。
太宰の『女生徒』を思い出しました。いつの時代も女子の頭の中ではくるくると言葉が生まれるんですね。
高橋源一郎さん、多和田葉子さん、辻原登さんの選評が掲載されています。特に辻原さんの
「この中身のない小説を受賞作として強く推した」というのはとても理解できます。一文読むたびに「才能の塊や…」と感じるんですが、その塊が延々と置いてあってそれを拾っているうちに道に迷わされている読書体験でした。読む人を選ぶ作品ではあると思いますが、面白かったです。
#十七八より #NetGalleyJP
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評価の難しい本。小難しい表現を折り重ねていて、決して読みやすい文章ではない。それでいてそんな表現の向こうに17、8歳の少女の微妙に揺れ動く心情が垣間見える。そんな小説です。
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群像新人文学賞受賞作ということで読んでみた。当時の評価は「鮮やかな文体」とか「圧倒的なリアリティ」と絶賛されているが、今ひとつピンと来なかった。村上春樹とかフィッツジェラルドの作品のように、少し変わった例えや直接的に噛み合わない会話、主語が変わるセリフなどと同じ手法なのかなと。識者には評価された文体のおかげで肝心のストーリーが入ってこなかった。
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最初の一ページで拒否反応がでた。
読みにくい。文章がぜんぜん頭にはいってこない。
なんだろう、いちおう日本語で書かれているらしいのに、どこか別の国の言葉にみえてしまう。
それくらい読みにくかった。
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favoriteな作家の1人である著者のデビュー作ということで読んだ。こんなにヒネりまくっているのがデビュー作だということに驚きつつ楽しく読んだ。この分かりそうで分からない要素こそが著者の大きな魅力なんだと気づくこともできた。
三人称視点で高校生の少女が過ごした数日を描いていて単純な三人称視点ではなく語り手(著者なのか?)の考察も多分に含まれていてオモシロい。少女の身に起こることは日本のどこかでも今起こっているだろう他愛もないことなんだけども、それを文字を使って文学として再構築している、そんな印象だった。
本著の最大の魅力は会話の描写。メインは亡くなった叔母との対話で叔母と少女のあー言えばこー言う、その掛け合いの中でバシバシ出てくるパンチラインがとにかく良い。この会話は日常というよりも先述のとおり文学における会話であり、引用を多く含んだ様式美が好きだったし、こういうの読みたくて本を読んでいるなと思った。本著には会話かどうか問わず本当に好きなラインがたくさんあるのだけど一番好きなやつを引用しておく。
注意深く、あまりに弱い光をもらって過ごすあまり、彼らの目は退化し、あるいは研ぎ澄まされ、ある時には心地よく視界に入れていたものすら、いつしか差異を失い、捉え難くなってしまう。こうしてますます卑小な生に、嬉々として閉じ込められていくのだ。
並の作家であれば、1冊の中で1つのパターンに終始すると思うのだけど、本著ではまた別の会話の魅力も含まれている。それが家族4人で焼き肉を食べに行くシーン。それは小説、ドラマ、映画、もしくは実際の生活で何度も繰り返し見た風景でしかない。なんだけどもその風景における会話描写の圧倒的なリアリティに本当に驚嘆した…焼き肉を家族で食べに行く、これも文学なんだと気付かされる。このシーンを読むだけでも本著の価値があるだろう。(電車で読んでて「トレペ」のくだりでツボに入って笑い過ぎて不審者と化した)で異常なまでの高い粒度で描写したあとの締めの言葉がまた最高だったので引用。
家族の会話というものはどんなにでたらめに配列しようとも、さしあたり電球がつかいないということはないらしい。
過去読んだ著者のどの作品にも叔父もしくは叔母が登場している。肉親ではないが他人でもない存在が子どもに与える影響について非常に意識的なのだろう。その一方でロクでもない大人は世の中に跋扈していることも描かれている。自分の子どもの頃を思い出しても確かに従兄弟や叔父の言動で強く覚えていること多いし、ロクでもなかった学校の先生のことをレミニスしたりした。
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ブログの方のミック・エイヴォリーのアンダーパンツの方を過去に時折読んでおり、素っ頓狂な発想と文章に感心していた。
その著者の小説デビュー作が文庫になったので読んでみたのだが、これまた内容よりも文章主体の一風変わった作品。巻末の評にある通り衒学的でもってまわった表現、ともすれば読みにくい翻訳小説の如き文体で彩られている。やたらめったら描写の細かい挿入エピソードや作中作などは先のブログから引っ張ってきたかのよう。
小説に結末を期待する人には受け入れにくいかもしれないが、文体を愉しむという点では申し分なし。「あの少女」の振舞を自らに当て嵌めたり、考察したりなど野暮なことはするまい。
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たまたま書店で文庫化されているのを知った。著者の作品は「最高の任務」を読んで以来、ずっと好感を持っていくつかを読んできたが、この作品は未読だった。
著者の「最高の任務」や「旅する練習」を読んで、端的に言ってしまうと、私はいずれも、「既に故人である親族への温かみのある眼差し」のようなものを感じ取っていた。文体こそあえて晦渋な、わざとらしく理屈っぽいようなものだが、その文体に隠されているのは、どちらかというと読者にとっても身近な、理解のしやすい、家族に対する割と直線的な感情なのではないかとも思っていた。それで、本作にもそういった要素を期待してしまっていたのが正直なところであった。
つまり、本作を読むことで、私はまた、今あげた2作で感じたような「身内への温かみをもった眼差し」を再体験したかったのだと思う(もちろん、そういったある効果を狙って本を選ぶことにはリスクがあるけれど)。しかし本作では、読了後にそうした印象はなかった。架空の語り手の彼女自身にしか意味が取れないような文は、もともと著者が多用するところだが、この作品では全体にわたって、そんな調子だった。親族の特定の誰かにあてた視線ではなくて、本作では、かなり変則的ではなるけれどやはり「少女」にとっての一種の青春の、成長?の過程の物語なのではないかとも思う。しかしそこでは、叔母その人の人物像は、ウィットの効きすぎている会話の中に埋もれて良く見えなかった。もちろん、そういう意図なのかもしれないが。
世阿弥をめぐる講義の内容は例外的に分かりやすかったし、それに、焼き肉屋の家族の会話の場面も理解しやすく、それに、生き生きと描いている感じもする。あの焼き肉屋の会話の場面は、この作品では表層的なシーンなのかもしれないけれど、私は素直に著者の書くああいう場面も心待ちにしてしまっていたのかも、と思う。
「性」もここでは大きなテーマだったと思う。女性が主人公だから、理解しきれていないところもあるかもしれないけれど…。個人的なことであって、だからただの感想になってしまうようだけれど、のちに東大に進学したという男子生徒との最後の会話の場面は、興味深かった。あの場面でも、誘いに乗らない、あるいは乗れないで、どちらかというと男子生徒の方が冷静に思えるようだけれど、…。高校生の時点で、性的なことに対して、どんな体験をして、どんな姿勢だったかによって、どういう違いがあったのだろうか。
自分が読んできた著者の作品は、かなり「判りやすく」?書かれている方なのだと思った。再読したり、読んだ人と話し合ってみたい作品だと思う。
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これは意味わからなかった。全くもって理解不能。何がいいのこれ?
というところで評価出来ないが、最後まで読んだというところは凄くないですか?
普通は途中でやめるし。笑
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「ミック・エイバリーのアンダーパンツ」で果てしのない饒舌さに挫折し、「皆のあらしばり」を会話の応酬の末のストーリを堪能し、なんだか知らないうちに気になる作家No.1になってしまった乗代雄介。次なるターゲットは「旅する練習」と決めていましたが、文庫でデビュー作を見つけ、途中下車読書しました。第58回群像新人文学賞受賞の作品ということです。デビュー作には、その作家の特質がすべて込められている、と誰かが言っていたような、言っていなかったような…しかし、この「十七八より」には乗代雄介の作家としての文学観が決意表明として表されているような気がしました。(すいません、読み始めたばっかりなのに、すべてを知っているような言い方、まずいですね…)感じたのは「ミック・エイボリーのアンダーパンツ」と「皆のあらしぼり」の真ん中に位置する小説であるということ。世の中での自分の置き方を持て余している若者と、独特な自分を社会の中で飼いならして来た年長者とのスペシャルな関係。答えの用意されていない溢れ変える感情。そして、その感情の入れ物になったり、物差しになったりする文学作品。これ、今のところの乗代フォーマット。たぶん、作者はこうやって文学や文章と付合って来たのかもしれません。「あの少女」は作者です、きっと。
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なんでしょうねぇ、この表紙の写真
岡上淑子 「ダンス」1951年
1950年からわずか6年間のみ美術界に姿を現し、幻の作家とも言われている彼女のコラージュ作品
最初に叔母の亡くなる時の話がある。
主人公は女子高生。過激な事をわざと口走ってしまったりし、学校で嫌な事が起こると帰りに寄る、叔母のいる眼科の受付
叔母は相談に乗るようで、解決してるのかどうか私にはわからない。
叔母との関係は「口に放り込んで味わいかける瞬間のあめ玉のように気を逸らす役割を担っていた」らしい
文学に詳しく、相談した時の返事も文学から。
古文教師の朗読会での教師と生徒の関係、そしてそこにいる男子1名。この男子が、自分は邪魔だから…といったあとに言うセリフが好きです。
その他家族のシーン、病院のシーンなど色々細かい描写が良かったです。
どちらにしてもどの話にも結論はなく、それが文学っちゃあ文学なんですが、もやもやは残るかも
この主人公家族は、この後の作品、『最高の任務』にまた出てきます。
このおばさんとちょっと喋ってみたい。
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一言でいえばすごく難しい。
言葉遊びにずっと付き合わされているようですごく難解。
しかし、意味など理解するのではなく真っ正面から思春期の女子の揺れに付き合うべきなのかとも思った。(著者は男性だが…)
揺れ、危うさ、幼さゆえの冒険…
すべてが十七八というタイトルに込められているようにも思う。
しかしやはり難解である。
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十七八って、青春謳歌って言うけれど、実際はもっとおどろおどろしくて、混沌としていたことを思い出させる。
彼女?少女?姉?みたいな文学少女は、こういう方向なんだろうけれど、方向や志向が違ってもきっとこういうことなんだという雰囲気は感じられた。
正直、ずっと頭が晴れる感じはなかったが、やめられない文章だった。