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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
マスメディアの虚像と実像について、わかりやすく解説されていて、よかったです。影響力の正体を気にしておきたいです。
読者には 偏見あるの わかるけど
2024/03/01 23:55
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投稿者:清高 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1.内容
インターネットが普及したご時世、マスコミに対する批判は厳しい。ときには「マスゴミ」と揶揄されることがあるのを皆さんも見たことがあるだろう。健全なマスコミ批判はいいが、それならばマスコミは不要なのか。また、マスコミ批判をする側に問題はないのだろうか。このような問題意識をベースに、強力効果論や限定効果論、新しい強力効果論(第4章参照)といった過去の研究を「手法」(はじめにp.5)とともに紹介し、インターネットを批判(分析)するものである。
2.評価
(1)マスメディアが人びとに与える影響が、読者のイメージとはちょっと違うこと(人々の意見を変えさせるまでの力はないが、「ゲートキーピング機能」(p。128)はあるかもしれない)、ならびに、読者がマスコミに対してバイアスを持っていること、などがわかり、有益な本であった。
(2)ただ、本書の展開にいくつか疑問を持った。1点だけ。もちろん、マスメディアは民間企業が営むものであるから、多数に売れないと事業が継続できないので、偏向はあまりないのだという(第3章参照)。もちろん本書は1.で書いたように読者の問題点を問うものである。しかし、メディアに携わる人も人間なわけだから、バイアスがあるに決まっているが(マスメディアに偏向がなく中立でも、同じ事件でも記事の内容が違うのは、例えば複数の新聞を読み比べればわかるだろう)、その旨が無視されている。
(3)以上、(1)が5点、(2)で1点減らし、4点とする。
冷静に分析・マスメディア批判に異論を唱えています。
2022/09/03 10:27
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
マスメディアについて、著者が統計学など、様々な科学的分析を実施。その結果を踏まえ、昨今のマスメディアが批判一辺倒という世の傾向に「違うのではないか」と異論を唱えている1冊です。
感情に押し流されず、冷静に分析する著者に感心しました。さすがは現役の大学教授だと。
ですが、どうしてもクールな内容になっているので、読み進めるに当たって退屈感が出るのは否めません。当書の良さは、各分析の一行一行をしっかり理解して読み進めて、初めて実感できるのではないでしょうか。
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マスメディアの「影響力」を科学的に分析。偏向報道、世論操作などの実態を解明し、SNS時代のメディアのあり方の検討を試みる。
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マスメディア研究の系譜を丁寧に説明した本である。新書でありわかりやすいので、学部生がマスメディアを独学で学ぶのに最適な本であろう。さらに教科書として、参考書としてもいいかもしれない
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ナチスがプロパガンダをがんがん展開して国民を騙したという言説は、ある種「責任回避」のための有効な言い訳(「神話」!)だったという(p11)。裏を返せば、マスメディアにそれほどの影響力はないらしい。
人々の意見を変える説得効果は小さく、もともと持つ意見の強化がマスメディア効果の中心だという。また、マスメディアは「何を伝え、何を伝えないか」という情報の選択(ゲートキーピング)を通じて、人々の現実認識を構成する効果を持っていた。ここが個人化されたインターネットによって切り崩されているのが現状だという。
マスメディア研究の基本書。過大視するでもなく、軽視するでもなく、ごくまっとうな研究入門といえる。
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『マスメディアとは何か』という書名ではあるが、中身はマスメディアの人心や世論に対する効果を巡る学説・研究史といえばよいだろうか。
推移としてはナチのプロパガンダに代表される強力効果論→限定効果論→新たな強力効果論→インターネットの時代という流れ。
メディアには直接人の行動を変えるほどの効果は無いが、少なくとも認識の枠組みを規定することはインターネットの時代になっても変わらないと言えそう。
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マスメディアにまつわる研究史を辿りながら数々の知見を整頓、再検証し、現代にはびこる「マスメディアへのステレオタイプな理解」を解体することが目指されている。過度に貶められてきたマスメディアに対する擁護の書ともいえる。
通常の文脈ではマスメディアに対置され、対立構造で語られがちなインターネットもまた、ともにメディア効果論という同一の領域内で扱いうる(あるいは扱われるべき)ものとして、一章を割いて検討の対象とされている。
メディア環境と民主主義の相関についての掘り下げ、現代のメディア環境においてマスメディアが改めて担うべき役割の提唱など、単なる教科書的記述に留まらない射程を持っている。
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ダメだこりゃ。
著者は「中の人」なので、メディアは善意で無力という自己イメージを補強したい動機が垣間見える。しきりにメディア効果の過大視を戒めるが、メディアの効果を過小評価することは過大視以上に危険である。特に著者のように無自覚な場合は。
いくらメディアの力を否定しようとしてもコロナ禍の報道で誰もが嫌というほどその力を実感しただろう。古くは日露戦争後の日比谷焼き討ち、米騒動、太平洋戦争開戦。いずれも新聞、ラジオの論調が世論の形成に大きな役割を果たしたことは常識である。これを否定しようとする試みはヤバい。
メディアの力を過小評価したい著者の論拠はエリー調査とディケーター調査である。これには以下の問題がある。
エリー調査
メディアの論調は投票先を決定しないというが、アメリカのような二大政党制が根付いている国では投票先の選好は半ば確立している。何しろ選択肢が2つしかない。アメリカという特殊な国の、選挙という特殊な意思決定を以てメディアの力全般を語るのは研究者としての見識を欠いている。
ディケーター調査
この調査で「マスメディア」とされているのは広告である。フェスティンガー実験も公共広告であった。どこの世界にCMに心動かされて直接購買行動に走る人がいるのか。本書で問題にしているのは広告ではなく報道である。全く別の議論だ。逆説的にそれでも世界中でメディアを使った広告が溢れているのは、潜在的に広告には「力」があるからである。これも否定しようのない事実だ。
更にメディア偏向について、最もターゲットの多い層にアプローチするのに偏向報道は損だと言うが、どのメディアも中立だと他社との差別化ができないから、ある程度「色」をつけて記事を書くことは理に適っている。顧客のターゲティングと商品のポジショニングはマーケティングの基本のキである。人数が多い層に向けて商売するのが得、という発想はあまりにも幼稚だ。許認可業種である放送は別にして、新聞各社に特有の色があることは常識なのに、何故これを否定しようとするのか全く理解できない。
最後にインターネットに言及しているが、インターネットはマスメディアではない。1対多の一方向伝達であるマスメディアと対照的に、多対多の双方向通信がその本質である。だから同列に比較論考すること自体がナンセンスである。見た目は似ているが機能も役割も異なるものだ。
現在インターネットやSNSの普及でマスコミを信じない人が増加していると言うが、これはクリティカルシンキングをする人が増えていることを意味し、むしろ望ましい状況である。
結局マスコミに対する人々の本質的な不満は以下の3点であるように思われる。
1)不必要に不安を煽る。
2)物事を過度に単純化するために世論形成を極端化する。
3)権威を傘に着た啓蒙主義(上から目線)と、その裏面のご都合主義
そして重要なことはこれらがマスコミ各社の利益目当てであることが見え透いてしまっていることである。
放送局も新聞社も出版社も営利企業であるから、センセーショナルで分かりやすい記事をたくさん売��たい、スポンサーに不利な報道はしたくないという動機は当然である。そうであれば「不偏不党」「第4の権力」「社会の木鐸」などのタテマエを脇に置き、社説で偉そうなご高説を垂れ流す前に「そうは言ってもイチ民間企業でございます」と素直に認めることから始めてはどうかと思う。
インターネットがあればマスメディアは不要かと言われればNOだ。情報の一元的な収集、選別、事実関係の検証、重要度の提示、などマスメディアでしかできないことがある。だからこそ健全なあり方を期待したいのだが、残念ながら期待に応えているとは言い難い。
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インターネットが身近な時代にマスメディアの立場とは?
マスメディアが私たちの生き方に影響を与えていることを否定する人はいないだろう。また、インターネットの攻勢によってマスメディアの影響力が小さくなってきたと考えている人もいるだろう。ある人は誰もが自由に発信できるインターネットがあれば一定の立場からの情報しか提供しないマスメディアは不要だと考えているかもしれない。
これは「なんとなく」持っているマスメディアへのステレオタイプを解きほぐしてインターネット時代のマスメディアの捉え方についてまとめられた本である。現代までのメディアに関する研究を紹介しながら「マスメディアが人の行動にどのように影響するのか」の研究の歴史を追う構成になっている。
専門用語もあり数多くの研究が次々と紹介されるため読み進めるのは決して簡単ではないが、ところどころに議論のまとめがあるので脱落することはなかった。特に第5章や第6章では、それまでのマスメディア研究の蓄積をインターネットの研究にどのように活かしていくかについても述べられており、今後の研究に興味がわいた。
見たいものを見られるインターネットだから、あえて観るべきものを提供する必要がある、それが社会的にも益になることである、という著者の指摘は重要だと思った。ここに広く多くの人へ同じ情報を届けるマスメディアの存在意義がある。
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結局は、人は色んなものに影響されるし、能動性も期待できるのだから、マスメディアへの偏見に囚われるな!という話だった。統計の妥当性とかは気になったな。