現在の自分を認めてあげることが依存症脱却への第一歩
2023/08/21 23:18
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投稿者:あお - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は依存症に陥る背景やメカニズム、またそこから脱却する対処法について書かれた本だ。まず、学術的に非常に興味深い。脳科学的な説明も多いが、一般化して分かりやすく書かれているのでさほど苦に感じなかった。
依存症を語るうえでキーワードとなる「快楽と苦痛」はシーソーのような関係で、快楽が大きくなれば後から苦痛が大きくなる。逆もまた然り。人体が均衡を保とうとするホメオスタシスの働きによるものだ。依存症はこのシーソー、すなわち脳の報酬回路の働きが損なわれてしまった状態であるという。
依存症が生じる背景は多因子的だが、その中でもドラッグ(本書では便宜的にドーパミン過剰放出をもたらす物質全般のことを指している)へのアクセスのしやすさが第一に指摘されている。このネット社会ではドラッグを手に入れることはいとも容易い。また、昨今は個人の幸福追求の傾向や子どもから苦痛をできるだけ取り除くような風潮が強くなっており、その結果忍耐力が低下している、そして苦痛を避けることが苦痛を増強させているのではないかと著者は語る。
依存症から脱却する、すなわち脳の報酬系を正常な働きに戻すにはその対象を断つ(自分を縛る=セルフ・バインディングと呼ばれる様々な方法を行う)こと、そして苦痛を受け入れることが必要とある。しかし一方で、苦痛そのものが依存の対象となりうることも指摘されている。
本書を通して、「誰でも、どんなものによっても依存症になる可能性がある」という事実に思わずはっとさせられた。
そして何より、依存症からの脱却において重要だと著者が説いている「徹底的に正直になること」。これは依存症でも、今そうでなくても、これからの人生に生かしたいと思える内容だった。
何かに病的に依存している自分はダメなやつ、と感じることはとても苦しく、辛いことだと思う。
しかし、そんなダメに思える自分すらも避けてしまうことがさらなる依存症の沼にはまり込み、自尊感情はますます下がっていく負のスパイラルに陥ってしまう。
どんな自分でもまずは目をそらさずに、自分の(人格部分ではなく)行動や状況に対し、感情的にならずただ事実を観察すること。
それこそ「今ここ」に集中する=マインドフルネスである。自分に正直であることは自己を受容し、自己コントロール感を得ることができ、自尊感情の回復につながると思う。そして、他者に対しても正直であることは人と人とのつながりを生む。
そうやって、自分と世界の繋がりを信じ、小さなことにも幸せを感じることができて、今生きている世界も結構悪くないのでは、と思えるようになるのだろう。
やはり、依存症は怖いと思いました。
2022/11/12 13:08
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカで精神科医を務める著者が、大麻や酒など、様々な依存症の患者さんを治療する様子をまとめた1冊です。著者と患者さんの対話などが、和訳されて掲載されています。
当書を読んで、やはり依存症は生活に悪影響を与え、怖いと再認識できました。特に、大麻依存症の患者さんの話を読んで、大麻依存の怖さがヒシヒシと伝わりました。
とても科学的な解説
2024/01/21 13:15
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投稿者:読書が好き - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者がアメリカの精神科医らしくとても科学的(医学的?)な説明がされていて興味深かった。訳がよくないのか日本語として少々読みにくい気がする。
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投稿者:さたはけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
物質依存について、自己嫌悪に陥ることがありました。しかし、ドーパミン中毒の重度の依存症の方々の体験談を読んで、自分自身が悩んでいたことが、馬鹿らしくなるくらいの思いをしました。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
快楽と苦痛のシーソーというのが、良い例えです。タイトルにしても良いくらい。快楽や苦痛は一時的に感じるものであって、どちらか重い方に傾いた状態で放置してしまうと、逆方向にそのまま……という結果に。
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感想
スマホ依存に代表される現代の依存症。個人の責任だけでなく、社会の責任でもある。自分を守るためには人間に備わっている防衛機構を利用する。
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依存とは何かをドーパミンによる報酬系を解説することで説明してくれる。特にシーソーの例えはわかりやすく、良い事があれば悪いことが相応に起こるという漠然とした格言を報酬系を用いて具体的に説明している。
個人的には後半の苦痛の追及が目から鱗で、サウナの整うもこの一つなのかなと思った。4.0
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メリークリスマス!
現在、naonaonao16gは資格試験のお勉強のため、読書はおやすみ中。
この作品を最後におやすみに入ったのですが、レビューをあげるにもなかなか時間がとれずにいました。
師走。
最近はメンタルの調子も芳しくなく、お勉強にも身が入らない日々。
だけど、それでもわたしは生きています。
この、生きづらい世界の片隅で。
生きづらさによって依存症になっているとして、その治療が、「生きやすくすること」だとしたら。
生きづらさは現実の不都合・不条理からなっていて、その不都合・不都合の中で必死で生きていくために調整しようとして依存症になる。
それなら、変に調整しようとせず、かっこつけずに素直になることが、依存症の治療、寛解だという。
でも待って。
わたしは人によく素直だと言われるけれど、それたぶん素直に見えるように振舞ってるだけなのかも、とか思い始めてしまって負のループ。
ブクログで出してることはかなり素直な根っこの感情だけれど、かっこつけて書いてるだけにやはりそこには現実とのズレが生じている、気がする。
この歪みをどうにかしない限り、わたしは孤独で居続けるのだろうか。
本当にお酒が好きなんだろうか、お酒を飲んでストレスを発散しているフリをしているだけではないのか。
かっこいい人になりたいと思って福祉の仕事をやってみたものの、実はしんどくて。
何をやっても負のループにつかまるネガティブなわたしは、どうしたら生きやすくなるのだろう。
このまま、ドラッグには手を出さないまでも、お酒と、男と、セックスに溺れて死ぬんだろうか。
人は言う、「いつまでそんなことやってんの?」
わたしだって自分でそう思う。
こんな風になる予定じゃなかった。
どこか、憧れる何かに頼るように生きていたら、寄るべがなくなって、自分だけの軸と力だけでは生きてゆけなくなってしまったのだ。
でも現実問題として、今は一人で生きていかないといけないのだ。
そのためには、強さが必要で、弱さを隠して生きていくしかなかったんだ。
だから、その弱い部分をこねくり回していたら、とっくに自分が根っこで考えていることなんて分からなくなってしまったんだ。
わたしが本当に思っていること、心から思っていることってなんなんだ。
わたしはどうやって生きていきたいんだ。
答えはもう自分の中で、出てる。
でも、その答えに向き合うのはこわくて、これまで取り繕ってきた代償として、いろんなものを失う気がする。
とにかく怖いのだ。変化と喪失が。新しい、何かが。
それなのに、刺激を求めて奔走し、傷ついている。それをずっと繰り返してる。
この依存症のような、自傷行為のようなものの正体こそ『ドーパミン中毒』だ。
メンタルの不調に苛まれたわたしは、先日久々にカウンセリングルームの扉をたたいた。
「自分の軸がはっきりしてなくて、他人に振り回されていて苦しい」と話したら、カウンセラーは言った。
「あなたは他人の気持ちに振り回されていると言うけれど、自分の気持ち���振り回されているように見える」
図星だった。
自分の中で、出てる答えに向き合ってない。怖くて向き合う勇気がない。
だけど、それをしないと次のステップにいけないことも確かなこと。
もうすぐ2022年が終わる。それと同時に、後厄も終わる。
これを機に、これまで向き合えなかった、放置してきたものに、少しずつ向き合って、自分のメンタルを苛んでいるものを、断捨離することにしたんだ。
この作品では、依存症と徹底的に戦う複数の主人公の、その回復に至るまでのストーリーが描かれている。そこにあるのは、どんな依存症だろうと、「ダメ、絶対」という揺るぎない価値観だ。
一方で、最近海外を中心に出現している考え方として、「ハームリダクション」がある。以前読んだ『叱る依存が止まらない』という作品にも出てきていた。”ハームリダクションとは、「その使用を中止することが不可能・不本意である薬物使用のダメージを減らすことを目的とし、合法・違法にかかわらず精神作用性物質について、必ずしもその使用量が減少または中止することがなくとも、その使用により生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策」“のことを言う。
(http://www.chugaiigaku.jp/upfile/browse/browse2934.pdf)
つまり、“リスクのある行動を全面的にやめることなく、有害な影響を軽減すること”を言う。
(https://www.ewel.co.jp/category/column-health/p15685/)
少しばかり抽象的だけれど、これは”赦し”の考え方で、例えばこれは、苦しい人が小説に救いを求めて、今抱えている苦しみと共存して生きていこうとするような、そんなもののように感じている。それってつまり、わたしがこれまで音楽や映画や小説から救われたのと同じで、でも現実ではなかなかうまくいかなくて、その狭間で苦しんでいたのだ。ハームリダクションは、薬物などにはまる人を責めるのではなく、その人が置かれた環境に着目しているのだろう。日本やアジア諸国はもちろん、ハームリダクションには批判的で、これからもしばらくは「ダメ、絶対」と言い続けるのだろう。
わたしが今まさにやっている断捨離(ちなみに人間関係の断捨離です)は、「ダメ、絶対」寄りの価値観でもってすすめてる。
じゃないと到底切れないからだ。
だけど、自分の気持ちに嘘をついたり、自分のタイミングじゃない時にやると、絶対にうまくいかないと思う。自分が「不要だ」と思ったら不要なんだけど、そこに至るまでにいろんな気持ち(やっぱり切りたくないな~、とかね)がある。その気持ちは大切にしたいと思うんだよね。だから、その気持ちがあるうちは、ハームリダクション寄りの価値観でいたいんだ。
この作品、ごりごりの脳科学系のジャンルだと思って読み始めたら、意図せずめちゃくちゃ自分と向き合う系の作品になったので、結構焦りました。
またしてもわたし自身「産む産まない問題」をつきつけられたような、そんな感じ。
でも、依存症に縁がない人には、シンプルな脳科学系の作品となるんだろうな。
2022年最後のレビュー。
久々ということもあって、長くなってしまいました。
近々、「BOOK OF THE YEAR2022」をアップする予定なので、またそこで��会いしましょう!
2022年、本当にお世話になりました!!
みなさんが、素敵なクリスマスを過ごせていますように。
とても寒い冬を、健康に乗り越えられますように。
心より、お祈りしています。
またnanaonao16gがレビューをあげる2月まで、みなさん、どうかお元気で。
よいお年をお迎えください!
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非常に面白かった。
実は私もこの著作の中の例としてあげられている依存的行為にふけっている(薬物や犯罪行為ではない)。自分としては依存症とまではいかないだろう、だって、日常生活に支障は出てないし、と思っていた。しかしこの本を読むと、待て、私も依存症に該当するのでは?と思ってしまう。
苦痛と快楽はシーソーの関係、と筆者は著作で述べている。同意である。一定の苦痛が快楽に変わる、という話もあった。マゾヒズムはそれが原因か?
依存症が恐ろしいもの、という感覚があったのだが、この著作を読んだ後では、回復に必要なのは何か、というのが分かるので、そこまで怖いものとは思わない。もちろんドラッグとアルコールは脳の構造を恒久的に変えてしまうことがある、と書かれていたので、それは怖いが。回復の過程が詳細に書かれているのが非常によかった。再読したい。
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依存症というと、なんだかたいそうな病気のように聞こえるが、我々の生活のすぐそばにあるもの。しかも厄介なのはそれがときに、法律に違反しない限りは破天荒な勲章みたいに(特に日本では?)評価されうることだと思う。大酒豪、性欲旺盛、大食い、仕事中毒はともかくドラマや映画、読書をひたすら楽しむことはどちらかというとよく受け止められているし。理性をなくすくらい一生懸命なことと依存は本当に背中合わせなんだなぁと感じた。アメリカみたいにこういったセラピーや依存者の会があまり一般でない日本では見えないけど依存している人はたくさんいるんだろう。
個人的にはサウナも絶叫アトラクションも、激辛料理も苦手なのだが、これだけ人気があるのはやはりドーパミンなのかなと。
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★退屈は、ただつまらないだけじゃないですよね。すごく怖いことでもあるかもしれない。だけど退屈は、新しい考えに必要なスペースを与えてくれるんです。★
『快楽と苦痛のシーソー』というのが、この本の中枢であり、とても印象深かった。
快楽や苦痛は一時的に感じるものであって、それを過剰感知してしまうと、逆方向にシーソーが傾いたままになってしまう。
これは哲学用語で“ヤマアラシのジレンマ”、方程式では“(-)✖️(-)
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我々の日常に溢れかえっている様々な快楽のもと。
依存症治療の第一人者である著者が膨大なケースを元にドーパミン中毒への対処方法について一石を投じる。
特にシーソーの原理という考え方は新しい視点だった。
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精神科医の著者がカウンセリングで接してきた患者の話が中心に語られます。
実体験なので、すんなりと信用し受け入れやすい話でした。
(患者の話を本にするにあたってのお断りは巻末にきちんとありました)
薬物依存、セックス依存など自分に関係ない話と思っていましたが、人々が依存症になるプロセスと依存症から脱しようと頑張るプロセスを読むと、依存症というのは誰しもが陥ってしまう可能性があることだと思え、読む価値がありました。
マインドフルネスなど自分の心に向き合うことは世の中で推奨されていますが、ヨガとかそういう分野にしてしまうのが勿体ないなと思えてきました。
自分の心の声をフラットにまず耳を傾けて聞くことは、生きていく上で誰しもが行えるごく当たり前のことであるべきと思います。
周りの人、親はじめ家族、友人、学校、職場の人たち、さらには世間の人たち。
社会という人の集まりで暮らす以上、協調性を持って接していくことは大事ですが、軸を失って、倒れてしまう個人が後を絶たなくなっては不健全です。
向精神薬の依存も興味深い話でした。
改善しようと思う症状があって前向きに服用し始めたとしても、それが手放せなくなって依存したら本末転倒ですね。
フェンタニルという薬が、カナダかアメリカで若者の間で流通し被害があるというのを見かけていたので、本の中で出てきてタイムリーさを感じました。
クスリ、怖いなあ。
急速なデジタル化社会の変化を見てきた世代で、以前を知っているからこそ今の異常さも気付くことができますが、Z世代など、デジタルにさらされるのが当たり前で育って生活している世代は苦しさもありながらそれが日常だと思うから脱するのが難しいのではと考えてしまいます。
うまく適応して進化する能力者みたいな優れた人もいるかもしれないですが、常に上位の人と自分を比べ続けコンプレックスに苦しむ若者が多くいそう、病むのも無理はない、、依存症までいかなくても、自分のことを蔑ろにしているんじゃないかとTikTokを見ていて思う時がある。自分より上の世代に責任転嫁をしていても変わらないので、こういう良書を読んで自覚し、自発的に行動し、社会の歯車から抜け出してほしいと個人的には思う。
生きる楽しみはいいけれど行き過ぎた消費するだけの推し文化とか、ルッキズムに侵された気軽な整形とかは、淘汰されていってほしい。
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人は不安から逃れるために、苦痛と快感のシーソーを揺らし、ドーパミンを排出させることから逃れられなくなる。
それはあらゆるもの(アルコール、ドラッグ、性行為、運動)がある。そこを避けるためには、人と繋がり、心から安心できる場所に身を置くことである。
ただ、事例が多すぎて、結論までが長いので眠くなる。
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以前の医者は、ある程度の痛みは健康的で治りを早くすると信じていた。全身麻酔をしまければ痛みが免疫系や循環器系の働きを高めるという理由。
シーソーはホメオスタシス。快楽のシーソーは、やめると反対側に行き過ぎる。
一定量の摂取では快楽が少なくなる=耐性。
快楽主義=快楽のために快楽を追及すると無快感症になって快楽を感じられなくなる。
薬物は、脳を恒久的に変える。アルコール、オピオイド、大麻など。長く辞めていても一度発火すると元に戻る。
2週間くらいで我慢の耐性ができる。
ジスルフィラム=アルコール依存症の治療薬=セルフバインディングの薬。
マシュマロを見ないようにすることで食べたい気持ちを抑える=セルフバインディングの一種。アルコールを手元に置かない。
辛いことも依存症になる。氷水に入ること、など。
断続的な断食で健康になる。一昔前なら摂食障害と呼ばれた。
シーソーの教訓
快楽の追及は苦痛になる。
回復はそれ自体を断つことから始まる=ドーパミン断ちでシンプルな報酬回路をリセットする。
セルフバインディングで壁を作る。
苦痛の依存症にならないよう注意する。