「何かをしたかのような気分」と「何かを理解すること」との間には、越えがたい距離が広がっている
2023/06/01 13:33
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の蓮實先生は冒頭から私をドキッとさせる、「何かをしたかのような気分」と「何かを理解すること」との間には、越えがたい距離が広がっている、「齟齬の誘惑」が社会には満ちていると、耳の痛い話をのっけからあびせられた
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
何かを理解したかのような気分に逆らうことを目指していた世紀末の東大総長の適当以上の式辞等。部外者からは単純に奥深く感じる。
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難しくてとばしたところもあり。
最後の文庫本にあたってで、大学やイベントの挨拶で、あえて普通の型にはまったことを言わないようにしてたということで納得。
知識と経験から、こうも物事を違うこと角度捉え方、表現ができるのかとため息がでる...
塔から寄港地へ。
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2024年4月2日
東大総長のお言葉記事に紹介
https://gendai.media/articles/-/126856?media=gt&s=09
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東大総長時代の、答辞や会合での挨拶等をあつめたもの。これぞ蓮實節ともいわんばかりの言い回しが特徴的。高尚なようでもあり、よくわからんという気持ちもある。まあ、“理解すること”を[拒絶する/否定する/憂慮する]ことは一方で大切かもしれないなと思いつつ。大学を“塔”ではなく“寄港地”というたとえで認識するのはたしかにそうだ。開かれたコモンズはどんな人にも重要。
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著者が東大総長だったときの入学式や卒業式の式辞、各種式典やシンポジウムでの祝辞や挨拶、広報誌等への寄稿文、それに小津映画に関する講演等をまとめた一冊。
著者はあとがきで「入学式の式辞なり祝辞なり来賓挨拶なりを、そのつど真剣かつ真摯に書いていたということができようかと思う」としているが、確かにその通りだと思う。(自分もあいさつ文の案を結構書いたりしたので、本書収録の文章を読んで、それを実感した。)
特に印象に残ったのは、大学の歴史とこれからの大学の在り方について論じたところ。中世ヨーロッパに成立した、神学や形而上学を学問の中心に据えていた「第一世代の大学」、これはその背後に「神」や「真理」のような超越的な秩序を備えていた。次に、19世紀前半、国民国家の近代化にふさわしい制度として生まれた大学、ここでは人間が知識の主体として位置付けられ、真実の位置が大学に移行するという転回が起こった。それを象徴するのが縦の垂直の構造である「塔」。それに対し、これから求められるものはネットワーク型の横の組織、人の交流のある「寄港地としての大学」、それを「第三世代の大学」、と著者は名付ける。
このように東京大学総長として著者が語っていたのが、およそ四半世紀前。大学法人化等大学を取り巻く環境はだいぶ変化しているようだが、外部にいる自分のような人間には、その内情は良く分からないものの、少なくとも大学全体としては良い話はほとんど聞かない。日本の研究・教育はどうなっていくのだろうか。