ものすごくわかりやすくキャッチーな言語学入門書
2024/08/10 02:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:S910 - この投稿者のレビュー一覧を見る
特に「音声学」を専攻している言語学者が小学生に講義する形で言語学の面白さを伝える対話形式の言語学入門書。
元々ポケモンの名前を分析した本があるというのは聞いたことがあったけど、「ゆる言語学ラジオ」の著者ゲスト回で結びついて興味を持ち、著作の中でも小学生向けでわかりやすいこの本を。
興味深い疑問と回答でわかりやすく、面白かった。
補足やレベルアップ解説は難しい部分も。言語を研究するのはいろんな分野に精通する必要があって大変そう。
最終的には社会のことやAIで言語学が受ける影響なんかも言及されていて読み応えがあった。
「質問ある?」、そう言えばいいのか
2023/10/02 15:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
授業の内容を小学生に「わかった?」って、聞いてはいけないというのは確かにそう。小学生は「わかった」としか思えなくなる、なるほど、じゃあ、どういえばいいのかというと「質問ある?」か、なるほど
投稿元:
レビューを見る
なぜ、おかしの名前はパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える
小学生を相手に授業をした際、私は「先生として一方的に何かを教える」という意識を極力なくして臨みました。「小学生と一緒に何かを考えたい」という気持ちが強かったのです。
教える側も教わる側に多くを学んでいますし、私は本当の学問は対話の中にこそ生まれるものだと感じています。
学びの場にあっては、「教える側」も「教わる側」も対等であるべきですし、受け身で授業に臨んでいた大学生の中にも、こちらから働きかければ、積極的に議論に参加してくれる人もいます。
言語学とは「私たち人間が毎日生活する中で使っている言話について、様々な角度から研究する学問」です。その中でも音声学では、人間が言話を使う時に発する「声の仕組み」を研究します。
音声学や言語学が「私たち人間のことをより深く知ろう」という学問であることを物語っています。ですから、本書を読む一番の効用は「自分自身について、そして人間について、より深く知ることができる」ことと言えるでしょう。
ひと言でいえば、音声学を学ぶことで世界の解像度が上がり、今まで見えなかった風景が見えてきます。その結果、人生が豊かになります。
小学生に教えるためには、相手がどれだけの前提知識を持っているかを、まずしっかりと見極めなければなりません。相手があまり前提知識を持っていなくても、どこまで自分の学問の核心を伝えられるか。この見極めのために、自分の学間を見直すのはとてもよい経験になると思います。
また、小学生は遠慮がありませんから、つまらなければ、飽きてしまいます。「わかるやつだけわかればよい」という態度は通用しませんから、しっかりとした工夫が必要になります。
1 濁点のなぞ
音声学の世界では、音を「有声性・調音法・調音点」という三つの観点から分類します。
「濁点」は「声帯が振動するかしないか」を表しています。音声学では、この違いを「有声性の違い」と表現します。
では、濁点が付けられる音と濁点が付けられない音の違いはどこにあるのでしょうか?
答えは「調音法」の違いにあります。音声にはいろいろな極類がありますが、口の中をどのように使って発音するかによって「空気の流れ方」が異なり、これを「調音法」による違いと言います。
調音法についてです。「た行」や「か行」の子音部分のように、口の中が完全に閉じる音があります。これらは口が閉じることから「閉鎖音」と呼びます。
また、ロが完全に閉じると、発音する時に口の中の気圧が上がり、閉鎖の開放とともに破裂が生じるので「破裂音」とも呼びます。
「さ行」の子音部分のように、口の中がとても狭くなって結果として乱流が起こる「摩擦音」という音があります。この「閉鎖音」と「摩擦音」をまとめて「阻害音」と呼びます。空気の流れが強く「阻害」されることからこのような名前が付いています。
阻害音の中には、二枚の声帯を開いて発音する「無声阻害���」と、声帯を近づけることで振動させる「有声阻害音」が存在します。「有声阻害音」は、日本語の「濁音」に相当します。
まとめると、「濁点が付けられる音イコール阻害音」であり、「有声阻告音イコール濁音」です。
この「有声性」「調音法」「調音点」の三点セットは、音声学の世界で音を記述する時の標準ツールとなっています。すべての音声学者がこの分頰方法に同意しているわけではありませんが、音声学者には「世界中の言語音を記述する」という共通の目標があります。その目標に向かって力を合わせるためには、共通の分類基準を使ったほうが便利なので、この分類法が広く用いられています。
また音声学では、国際音声記妙というものを用います。英語でIPAと呼びます。IPAのそれぞれの音は、「有声性」「調音法」「調音点」で定義されていて、IPAがあれば、世界中の言語音をすべて記述できるとされています。
2 ぱぴぷぺぼにまつわるエトセトラ
現代の日本語の「はひふへほ」が昔は「ぱびぷべぼ」であったということは、オノマトペにその名残が残っていたり、アイヌ語に借用された単語に残っていたりといろいろな証拠があります
50音表は、まず調音法の観点から「接近音」と「非接近音」の二つのグループに区切られていて、それぞれのグループの中で調音点に従って、前から後ろの順に並んでいるのです。普段、何気なく使っている50音表にこのような法則性が潜んでいると知ると驚きませんか?
これは偶然ではありません。五〇音表の起源は、紀元前500年頃まで遡ります。パーニニという学者によるサンスクリット語を詳細に分析した文献が残っており、その分析は、現代の音声学分析と比べても遜色のないもので、現代の言語理論に大きな影響を与えています。この時代にすでに、現代の音声分析でも用いられている調音点や調音法という概念が発見されていたのですから、驚きです。
このパーニ二の研究は、悉曇学と呼ばれる梵字研究を経由して、仏教の輸入とともに日本に伝わり、これが五〇音表のもとになったという説があります。つまり、五〇音表の起源はパーニニであり、パ— 二二音声学的な洞察力があったからこそ、 五〇音表は規則的に並んでいるのです。
また、この説が正しければ、五〇音表が成立した頃、日本語の「は」は「ぱ」であった、ということのさらなる証拠として考えることもできます。
3章 子供の言い間違いを愛でる
子どもの言い間違いを音声.学的な観点から分析すると規則性が見えてくるということ。そして、その規則性は大人の言語でも観察されるということです。
これらを考えると、子どもたちはデタラメに自分たちのことばをでっちあげているわけではないことがわかります。
この主張は私が考えたものではなく、現代言語学の根本的な知見の一つなのです、
現代言語学の根底には、人間の言語獲得能力に対する絶対的な蒔蛟があります。特定の障害がない限り、人間という種族は言語を身につけることができ、その言語知識はとても豊かなものです。
言語学の観点からは、子どもが大人と違う発音をするからといって、心配する必要はあまりないと思います。
一つ��の理由は、子どもの「言い間違い」は、規則的であることが多いからです。もう.一つの理由は、幼児と大人ではそもそも声道の構造が違っているので、大人と違う発音になるのはある意味当たり前のことだからです。
5章 ポケモンの進化は名前でわかる
研究の中で浮かびあがってきた名前と音の法則には、以下のようなものがあります。
両唇音
・赤ちゃん用のおむっの名前には両唇音が多用される。
・赤ちゃん用の粉ミルクの名前も同様。
・両唇音はサンリオキャラクターの名前にも多く登場する
・音の「かわいらしさ」を直接判断してもらうと、両唇音が「かわいい」とされる。特に「ぱ行」がかわいい。
濁音(有声阻害音)
・濁音は、ウルトラマンシリーズの怪獣の名前に頻出する。
・ドラクエの呪文の名前に含まれる濁音の数は強さとともに増加する。
・同様の傾向はファイナルファンタジーの呪文でも成り立つ。
・(ハリーポッターなどの) 呪文の名前に濁音が含まれると、英語母語話者はそれらを強いと判断しやすい。
・ディズニーの悪役の英語名には濁音が多用される。
共鳴音・阻害音
・AKBのアイドル名には共嗚音が好まれる。
・宝塚の女性役の名前には共鳴音が出てきやすい。
・萌え系のメイドには共嗚音が、ツン系のメイドには阻害音が好まれる。
・フリキュアの名前において、敵の名前のほうが味方の名前より阻害音を含みやすい。
長さ
・モンハンのモンスターの体長は、名前の長さと相関する。
・ドラクエの呪文の強さと名前の長さは相関する。
・デジモンにおいても、進化レベルは名前に含まれる濁音の数および名前の長さと相関する。
6章 原始人のしゃべり方
ソクラテスの議論展開はおもしろいもので、 彼は、まず一般論として、 道具というものは、 その用途に適した形をしていることを指摘します。確かにトンカチは、 釘を打つために先端部分が重くなっています。包丁はものを切るために、刃が付いています。
そして、ソクラテスは「言語とは、対象となるものを模す道具である」と考えます。であるならば、言語の音はその対象を模すのに適しているはずで、「名前の由来は、その性質を音で模したものである」という結論が得られます。
このような音と意味の関係は、現代の言語学や心理学の実験的研究で明らかになってきた観察ですが、2500年以上前にソクラテスはすでにそれらを論じていたのですから、驚きです。
ソクラテスが考えたような、音が意味を直接的に表す現象を、現代の渚話学では「音象徴」と呼びます。音象徴は、近年の研究では様々な言語の話者の音象徴的な感覚が分析されています。人間という種族が言語や文化の違いを超えて共通した音象徴感覚を持っているという可能性も示唆されています。
人間言語における単語がすべて音象徴的かと言えば、 そうでもないでしょう。音と意味に明確なつながりがないことを「恣意性」と呼びます。
イギリス経験論の父として知られる哲学者ロックや、近代言語学の父であるソシュ—ルが、言語における音と意味のつながりの恣意性を強調したことで有名です。
確���に、すべての単語の名前が音象徵的に決まっているとすれば、すべての言語が同じものに対して同じ名前を付けるはずで、現実世界はそのようになっていません。
最近の研究では、幼児が早期に習得するような基本的な語彙には、音と意味の音象徴的なつながりが強めに観察される傾向にあることがわかってきています。ォノマトペを多用するのは、音象徴によって子どもの言語習得を助けようとする大人の愛情の現れなのかもしれません。
音象徵というのは人間言語にとって非常に重要な性貿ではあるものの、同時に、言語全体としてみると、音と意味のつながりは恣意性を持っています。なぜかというと、人間が使う音の数には限りがありますから、それぞれの意味に適した音だけで単語をつくるとしたら、単語の数はとても限られてしまいます。
また「正義」や「真実」などの抽象的な概念は、その意味を音で模すことがそもそも不可能です。ですから、子どもが成長するにしたがって多くのものや概念に名前を付ける段階になった時、恣意性という性質がとても便利に働くのです。
言語習得の初期段階では音象徴が大きな役割を担い、ある程度村話を習得した段階になると、恣意性を駆使して、多くのものや抽象的な概念にも名前を付けることができる。人間言語はこういう二重構造を持っているのではないか。こう考えると、人間言語とはとてもよくできていると感じませんか?
7章 世界と日本の多様なことば
言語学の歴史を振り返ってみても、ある特定の.言語が別の言語よりも優れていると断じるような主張も昔は珍しくありませんでした。
特に19世紀頃には、ダーウィーーズムの影響もあり、ヨー口ツバに存在している言語のほうが、日本語や中国語のような言語よりも「進化したイコールより優れた」言語であると考える学者もいました。この考え方は、当時の差別的な白人至上主義と関連があった可能性は高いと思います。
言語学者は、すべて言語は一様に価値を持ったものであるという信念を持っています。
この信念から、方言や他言語に対する寛容性に加えて、二つの論理的な帰結が導かれます。一 つ目は、「ことばの乱れ」というものは存在しないということです。
言葉遣いというのは服のように自由に選べるべきものなのです。友だちと出かける時には、カジュアルな服装が好ましいように、友だちと話す時には、省略形などを用いたカジュアルな話し方も許されるべきですし、そのほうが心理的な親近感を表しやすいという利点もあります。
「すべての言語は同等に素晴らしい」という命題のもう一つの淪理的な帰結は、言語習得途中の子どもたちがつくり上げる独特の言語パターンも、また一つの言語体系として、大人の言語と同様の価値を持つものである、ということです。
子どもの言語と大人の言語を同等に扱うことには異論もあるとは思いますが、私が子どもの言い間違いを「間違い」とみなさないのは、この信念とも関係しているのだと思います。
対談:橋本大三郎
イギリスは小さい国じゃないですか。それに、日当たりが悪くて貧乏なんです。農業も大したことない。なんでイギリス人は船に乘るかというと、農業で食えないから。漁業をやるので、船をつくる。それに関連する産業もできます。
そのあと一八世紀に、産業革命が起こって、羊毛工業とか綿織物とかの調子がよくなった。工業は天気に関係がないからね。農産物は輸入すればいいや、になって、気が付いたら蒸気船で世界中に出かけて行って、大英帝国になった。
だからみんな英語を話しましょう、なんです。アメリカにイギリスの植民地ができて、 そのアメリカが独立して、北アメリカを支配したのも大きかった。そうやって、スペイン語やフランス語を押しのけた。いずれにしても、どこかの国語が国際語になる運命だった。
その昔、共通語がラテン語だった頃は、ラテン語を普段しゃべっている人なんかヨーロッパにはもう一人もいなかったわけだから、公平で平等です。で、17世紀ぐらいまでラテン語でやっていたんだけど、そのあとだんだん英語になった。英語圏の人はめちやめちや得する。英語圈以外の人はめちやめちや損する。
英語で成り立つ現象は、人穎共通だと考える傾向があるんです。
それで、英語にない特徴が例えば日本語に見つかると、その言い訳を考えなければならない。英語が今、世界共通語なのは、歴史的な偶然です。でも、英語こそ人間の言語の本質に近いと、どこかで考えてしまう節があるんです。
何十年か前、フィルモアという人が考えた「格文法」というものがありました。道具格とか対象格とかを設定して、日本語をあっという間に説明できる理論です。これはとても素晴らしいアイデアで、哲学的に考えても有望だと思ったけれど、主流にならなかった。日本語ととても相性がいい反面、英語と折り合いが悪いんです。
チョムスキーは、世界中のどんな言語にもあてはまる文法理渝をつくれるはずだ、と考えた点が素晴らしい。先ほどの、「いい言語も悪い言語もない、すべては人間の言語として対等だ」という考えに、理論的基礎を与えることになる。
その考えは、ー九世紀の言語学のぶ厚い蓄積の中で磨かれてきたのだと思う。イギリスがインドを植民地支配するようになって、言語学者が、サンスクリット語を研究した。すると、サンスクリット語が、ラテン語やギリシャ語などの祖捂ととても似ていて、ヨーロツパ言語と同類だということがわかった。同類なので、印欧言語(インドヨーロッパ語族) と呼ぶんです
キリスト教は、聖書を何語に訳すのも自由です。一神教にしては珍しいんです。ユダヤ教やイスラム教のやり方ではない。
キリスト教は、言語が将来どうなるか、あまり心配しないんです。神が何とかしてくれる。神が何とかしてくれない場合、テクノロジーで何とかする。
ゲルマン系の人々がナショナリストだとすると、ユダヤ人はインタ— ナショナリス卜なんです。ユダヤ人が国ごと、地域ごとのことばを話していると、ばらばらになってしまうでしょ。だからあえて、ヘブライ語(実際には、現地語のまじったイディツシュ語などのことば) を話すんです。でもそれだと、ユダヤ人と現地の人々のあいだに垣根ができてしまう。
それなら、誰でもしゃべれることばを、新しくつくりましょう。エスペラント語の誕生です。合理的といえば合理的。でも、無理といったら無理な考え方です。
チャットジーピーティーは、便利なんです。ごく近い将来、職場でも、文章を書くのにAIを使うのは当たり前になるだろう。社会がそうなれば、学校で文章を書く練習をする必要があるのか、という問題が出てくる。
もっと大きく社会を変える可能性があるのは、自動翻訳ですね。これはもう、すぐそこまで来ている。英語帝国主義が、その瞬間に終わります。
そうするとどうなるかというと、先進国と第三世界の垣根が低くなる。
第三世界の賃金は上がって、世界は平準化に向かっていく。大混乱になるのか、それとも平和になるのか、シナリオは二つあるのです。
どちらにせよ、カギは言語なんです。言語学は、学問を組み立てるのが大事なのかもしれないけれど、言語と技術が結びついて社会を改革すると、どうなるかを考えるという大きな役割もあるんじやないのか。
言語学の起こりは、植民地主義ですからね。世界の動きと連動していた。社会を考えるのに、言語の問題は避けて通れないと思います。
日本語は、漢字を輸入して日本語に採り入れ、仮名もあるという二重状態です。蘭学もあって、西欧藉の概念や発想を漢字の熟語に置き換えた。それでもはみ出す部分はカタカナにする。このやり方で、自分たちの思考や体験が開かれたり制約されたりしているはずです。その開かれ方や制約のされ方に、気が付かないとまずいと思う
中国語はどうか。私の仮説では、文字は普通、口頭言語を記述するものなのに、漢字は逆なんじゃないか。多民族状態で、複数の通訳不可能な言語があったので、漢字ができた。だから自分の言葉で、漢字をどう読んでもいい。
中国にはプートンホワというものがあって、漢宇で書くのだけれど、それを上海語で読んでも四川語で読んでも広東語で読んでもいい。音にしてしまうと、互いにほぼ理解不可能。でも、漢字は共通。文字が大小なので、音は二次的なのです。
ソシュールの影響で、現代言語学では、文字を二次的なものと捉えるんです。ある人のことを知りたい時に、その人を見ずに写真を見る必要があるのか、という喩えが使われます。
文字は写真のように、言語を写しとったものではあるが、言語の本質ではない。文字の研究は、言語学ではない、という人もいます。文字が言語の本質に影響を与えるなんていうことはあってはならない、という思い込みがあるように思います。
高校生の皆さんに私が言ったのは、試験のために勉強するのはやめましょう。点数であくせくするのは、勉強にも失礼だし、自分の頭にも失礼だ。自分の頭は貴いのだから、本当に大事なこと、一生覚えていようと思うことを頭に入れるべきで、一夜漬けの勉強なんかやるだけ無駄ですってね。
まとめますと、
①人間の学びにとって大事なことは、他人がつくった正解を覚えることではない、
②短期的な成果を求めすぎると、より大事なものを見失う可能性がある、
③完璧主義は、生きづらくなり、
④他人のミスも許せなくなる、
ということでした。
例えば、80点を目指していれば、その結果として80点を超えることも多くあるでしょう。
つまり、「期待以上の成功」という体験を多く味���うことができるわけです。これは子どもたちだけでなく大人にも有効なアドバイスだと思っています。
この思いは、あるプロの歌手の友人に教わったエピソードに強い影響を受けています。彼は舞台に上がる時に「僕の歌は30点です。ごめんなさい」という気持ちでいるそうです。すると、自分の実際のパフォーマンスは30点をどんどん超えていくので、気分がさらに上がっていき、最終的にいい結果を残せる。
逆に100点を目指して舞台に上がると、一つのミスに引きずられ、パフォーマンスは下降していってしまう。この話には目から鱗でした。
投稿元:
レビューを見る
読んだことを誰かに伝えたくなる内容です。
日本人を40年以上もやってるのに初めて知ったよ、という事実も多く。
「ライマンの法則」と「連濁」はとりわけ興味深かった!
外国人に日本語を教えるような方だと知ってるのかな。
一本→「いっぽん」
一名→「いちめい」など、自然と行っている数えかたの違いも以前から疑問に思っていて、日本語はルールがないのかなぁと思っていたのですが、この本のおかげでスッキリしました。
投稿元:
レビューを見る
サブタイトルに「言語学者、小学生の質問に本気で答える」ってあるように、小学生の質問に答える形で行われた特別授業の本。小学生の素朴で素直な質問がいいですね。その着眼点など大人では思いつかない疑問があるから面白いです。
以前「怪獣の名前にガギグゲゴが多い」というような本がありましたが、この本を読むとその理由が分かるような気がします。ポケモンの進化による次第に強くなる名前の変化、プリキュアのかわいい名前など、無意識でもこうしたルールで名前が決められているのかも。本には書いてなかったけど、同じような姿でも、「ピグモン」と「ガラモン」どっちが大きい方か、名前で分かるようになっているのかって思っちゃいました。
投稿元:
レビューを見る
大学の先生が小学生との授業を通じて分かったことを本にまとめたものです。話し言葉でまとめられているので、とっても読みやすいです。タイトルのお菓子の名前は、というのはパピプペポが可愛い印象を与える。あと、小さい子供がしゃべりやすいということに来ているようです。言語学の難しい話もありますが、結構読みやすいです。
投稿元:
レビューを見る
我々が毎日当たり前に使っている日本語の仕組みを教えてくれる言語学の授業。
「にせたぬきじる」と「にせだぬきじる」のお話はすごいアハ!体験でした。
面白かったてす。
投稿元:
レビューを見る
タイトルの通り、小学生の質問に川原先生が答えていく本。
川原先生のポケモン言語学やプリキュアの統計が知りたいけど、言語学の詳しいことはわからない人におすすめ。
本文は小学生との対話が主なのでサクサク読めて、必要な部分に解説や補足が入っている。
2時間目「ぱぴぷぺぽ」に関するエトセトラ や 3時間目 子どもの言い間違いを愛でる が特に面白かった。
なぜぱぴぷぺぽがつく言葉は外国語に多いの?や
なぜあいうえお表はあの順番なの?など、考えてみたことがなかったけれど改めて思うと不思議な謎の答えがわかる。
あかさたなはまやらわの順序にも法則があったんだ!と初めて知った。
何か新しい分野をかじってみたいけど、難しいことはわからない。でも面白いことを知りたい気分、って人におすすめ。
投稿元:
レビューを見る
著者の母校である小学校を訪ね、小学生(学年を超えた有志)を対象に行った、とても面白く、そして熱い授業の様子を書き起こしたもの。
最初は若干講義調で、事前に寄せられた質問に応えて展開していたのが、途中から児童とのやりとりが活発になっていく様子も興味深い。「分かった?」は禁句、という小学校の先生からのアドバイスが素敵。誘導尋問したらダメ。
言語学的に返答できないことについては、聖書やプラトンを提示して「昔からずっと考え続けている問題なのだ」と返したのが印象に残った。疑問を持つこと、学ぶこと、答えの出ないことを考える素晴らしさについて、繰り返し述べているところも良いなと思った。
投稿元:
レビューを見る
言語学、その中でも音声学を研究する著者が、母校の小学校で特別授業を実施。本書はその模様を書籍化したものである。
ちょっとしたコラムや巻末の橋爪大三郎氏(社会学者)との対談を除けば、あとは著者と子どもたちとの対話形式になっている。
言語学・音声学が何たるものか、事前に子供達(小学校4−6年生)から募っていた質問を基に解説。ポケモンやプリキュア・鬼滅の刃など、彼らの興味の対象を取り入れているのもユニークなポイントの一つだ。
この特別授業は、小学生だけでなく日本語を勉強中の外国人にもピッタリだと思う。大人の自分も楽しんで学べたが、本書の子供たちと同年代の子と読んだら(あるいは受講したら)もっと盛り上がりそう!!
子供たちを退屈させないよう、著者は母校の先生方にアドバイスを請いながら授業の進め方を工夫する。(そのやりとりも余すことなく綴られていて、何だか微笑ましかった*´ー`*)
その工夫の一つが発声。濁音(が行など)を発声している時の喉の動きをMRI画像で見てみたり、発声した時に抱く言葉の印象について子供たちに意見を聞いていく。他にも隣同士で口の動きを確認し合うようなグループワークを導入したりと、授業全体にハリと活気があった。
そして読んでいる側も、思わず声に出しながら口内〜体内の様子をイメージしてしまう。年末年始のどを痛めている時に読まなくて良かったー笑(押しつぶされた吐息同然の声しか出ないだろうから。。)
「研究者を続けていて思うことは、答えがないことを考えることが一番大事だってこと。答えがすぐ出ちゃう問題って考えてもつまらない」
音声学・言語学は、我々人間の体内構造を解明するための学問だけでなく、発声方法や外国語の発音のメカニズムを客観的に掴める効用もあることが分かっている。
その一方で「原始人はどのように意思疎通を図っていたのか」「いつ誰が単語を生み出したのか」といった、時間を遡らねば分からないような疑問の解明はまだ成されていないという。
不完全さで言えば、子供の言い間違えに対する著者の視点も目から鱗だった。
幼児と大人ではそもそも声道の構造が違うので、お互い楽な言い方になったり違う発音になったりするのは当然のこと。だから子供の言い間違いを憂いたりせず、優しく観察していこうと著者は促す。(ちなみに言い間違いは徐々に自然消滅していくらしい)
言語はそのように不完全な人間が紡いできた産物。そのため上出来も不出来もなく、大人たち・ひいてはお上が「不完全だ」とみなす子供の言い間違いや若者言葉・方言だって立派な人間の言葉に含まれている。だから何にでも正解や正確さを当てはめてはいけない。
完璧主義者だったという著者が、今回恩師に教えを請いたり「文責を一手に引き受けると精神が崩壊し次の仕事に取り組めなくなる」と敢えて弱さ・不完全さを露呈させているのをみて、授業内容以上に伝えたかったのってこれらのことでは?と思い始めている。
投稿元:
レビューを見る
小学生向けに行った言語学の授業を書籍化したもの。小学生向けなだけあってわかりやすいし、生徒から寄せられた質問は大人が「なんとなくスルーしがち」なものばかりで、子供のナゼナゼは改めて気付かされることが多いものです。
特に女児向けアニメ『プリキュア』のヒロインの名前分析や『ポケモン』のモンスターの進化と名前の関係についての分析は子供受けは良さそうだし身近なテーマなので大人の私も楽しめました。
古代の日本では「ぱぴぷぺぽ」がなぜか「はひふへほ」に変わってしまったという研究にはびっくり。「はひふへほ」が当たり前だったので信じられない気持ちが強いけど、アイヌ語には「ぱぴぷぺぽ」がそのまま残っているというので渋々認めざるをえない感じ。そもそも言葉がいつ発生したのか、だれもまだ知らないっていうレベルなことにも驚愕しました。
でも聖書に出てくるバベルの塔や、アダムが名前をつけたというエピソードなどが伝わっている事実は昔の人たちも言語には疑問を持っていたことを示唆していて胸熱です。
投稿元:
レビューを見る
図書館をうろうろしていたら、ゆる言語学ラジオでお馴染みの川原繁人先生の本を発見。
これ、読んでみたかったやーつ!
川原先生の母校で小学生を相手に特別授業をした様子が本になってます。
タイトルからしてとてもキャッチー。
「言語学」なんて言うと一見小学生でなくてもハードルが高そうだけど、
言語学の専門家である川原先生がアニメや漫画、ゲームの中のキャラクターの名前やセリフを駆使して(と、いうかわざわざ子供たちの為だけではなくて、普通にこの辺りを研究してらっしゃるのも面白い)面白く楽しくわかりやすく言語について素朴な小学生の疑問、質問に答えていく。
子供たちとの学びの時間をお裾分けしていただいている感じで本当にスラスラ読めるが、巻き込まれ型の内容で声を出さないとピンとこないので、基本外出先では読めなかった笑
小学生相手の内容とは言え、中身をちゃんと読めば本当に本格派。
ゆる言語学ラジオでは聞いたことがあった有声音、調音法、調音点、なんかの意味がしっかり書かれてあって、ふわっと聞いていたところがちゃんと分かるようになった。
巻末の橋爪大三郎先生との対談も難易度は高かったけど興味深かったな。
ちょうど今同時進行で読んでいる「プルーストとイカ」や、年明け最初に読んだ「今を生きるための現代詩」の中にもあった心に引っかかっている内容が、微妙にかぶっている部分も多くあって面白かった。
たとえば繰り返し子どもたちに伝えていた、答えがないことを考える大事さ。
答を早急に見つけにいかなくても良いんだよってのは自分の経験上ではあるが、ある程度歳を経ないとわからなかったことかも。
わかりたい、知りたいと思える好奇心を大事にしていたら、いつか人生の中でその伏線が回収される日が来て、それに気がつくのはとても爽快で視界が開ける気持ちになるんだと身をもって学んだのはここ数年のことだ。
そして、わたしが悔しく思うのは、言語学には、この経験を得られるヒントがたくさんあったんだな、ということ。
もっと早く出会えていたら、と思わずにいられない笑
いずれにせよ、今回の偶然出会えた読書から、自分の今年の傾向が見えたような気がする。
今年はたくさんの解けない問いや、言語化できない感情を大切に抱える年にしよう。
投稿元:
レビューを見る
筆者(言語学の研究者)が小学生に行った授業を対話型形式+補足にまとめた本。「にせたぬきじる」は「偽+たぬき汁」、「にせだぬきじる」は「偽たぬき+汁」と感覚的に分かるのはなぜ? それは日本語話者である私達が言語学のある法則を無意識のうちに知っているから……という導入からして既にめちゃめちゃ面白い! 濁点を付けられる文字と付かない文字の違い、なぜパピプペポの文字を使うのは海外の言葉が多いかなど、普段当たり前に使っているけれど意識したことのない疑問を言語学・音声学の観点から答えてくれる本。通勤電車内で読んだので声を出せなかったのが心残りで、次は実際に声に出しながら再度読み返そうと思います。巻末にある、社会学者、橋爪氏との対談からも多くの学びがあり、言語学・音声学をもっと知りたくなる。
投稿元:
レビューを見る
私たちに最も身近な言語・音声を題材に不思議を発見し探求していく本。小学生の授業形式をとっており非常にわかりやすい。
子供たちの好奇心をくすぐるようなネタも多く、何か正解を導き出すというよりは自分で考えて発見する、という研究に必要なプロセスを進めているのもいいなと感じた。
子どもたちに見せたら早速ポケモンに食いついたので、今度読みながらいろいろ発見してもらえるといいかなと思う。
投稿元:
レビューを見る
小難しい部分もあったけど、私にとって新しくて面白い事実がてんこもりだった
にせたぬきじるとにせだぬきじるの違いに始まり
プリキュアにはなぜパピプペポなどの両唇を合わせる音が入る名前が多いのか?濁点のある音が入る長い名前は強そう、など何となく感じていたことを言語学の観点から解説されて面白かった