紙の本
高学歴発達障害の事例が多数取り上げられています。
2023/10/24 11:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
高学歴ながら発達障害のため、働くに当たって苦労している人々の実態を取り上げたルポ記の1冊です。
実際に、高学歴発達障害の方々を多数、卒業した大学と学部名も含め紹介しています。
発達障害だと会社で働くのにこれだけ苦労するのだ、と読み進めて理解できます。私も会社で働くことにうまくいかなかった身なので、やはり自分も発達障害なのでは?と思いました。発達障害の実態を知りたい方々にはうってつけの1冊です。
紙の本
発達障害は知られるようになったが、わかったようでわからない
2023/11/17 21:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、題名のとおり高学歴でありながら、有名大学、大学院を卒業後、生きづらさを感じる方が一定存在することを取り上げたものである。確かに、有名大学を卒業した人を見ると、有能とか仕事ができる等の一方的な評価をしてしまうことが多い。しかし、結果を出せなかったり、ミスが多い、コミュニケーションが取れない等だったら、厳しい評価が下される。なぜ、学校での成績がいいのに、就職し、仕事をしだすと問題になるのであろうか。目次を見ると、
はじめに
第1章 発達障害とはどのようなものか
第2章 高学歴発達障害が抱える不条理
第3章 発達障害当事者の大学准教授が見た大学
第4章 アイデンティティと現代社会と発達障害
第5章 当事者に対する支援の取り組み
おわりに となっている。
以上のように展開される。そもそも、発達障害とはどのようなものかから始まる。単語は知られるようになったが、分かっているようで分かっていない現実がある。発達障害は何かから、高学歴での発達障害の事例を取り上げる。本書で最も分量の多いところである。10人もの事例を取り上げる。さらに、大学内部の当事者の声を取り上げる。精神科医の話しや当事者支援の動きとなる。発達障害といっても、いくつかの分類があり、複合的に現れる人もあれば、知的障害と合わせて出ている例もある。本人が苦しいのに、外部から見て気づかれないことも多々ある。できることとできないことの差が大きいケースも多いという。多くのことがそうであるが、発達障害の程度はグラデーション状であり、線引きが難しいことも多い。女性同士の話しに苦手な女性の例も出てくる。発達障害は、数十年前はあったのだろうか。以前から、高学歴でも仕事ができないとか、評価された人は存在していたが、行動成長期を経て、余裕のある人員配置がされ、抱え込むことができたので、表面化しなかったといことは事実であろう。発達障害は現代病のようにいわれる例もある。多面的に研究されるべき分野であろう。それを考えると、一読してほしい本である。
投稿元:
レビューを見る
高学歴でありながら就職後に様々な困難を抱え、退職や診療内科へ通院した経験を持つ人々を追ったルポ。際立った特性を持つ故に他の人が出来る「当たり前」が出来ない。この苦しさは誰にでもあると思いますが「高学歴」という一つのレッテルが更に本人を苦しめています。
投稿元:
レビューを見る
高学歴とくくる必要がない
著者は偏差値60の日本女子大学に入ったことを高学歴でもなんでもないと書いてるが、疑問。立派な高学歴ではないか。
また、これは健常者でも戸惑ふよなといふ事例もあり、健常者にたいして認識にズレがある発達障害のひともゐるのではないか。
あと、わざわざ高学歴発達障害と限定してゐて、高学歴とさうでないのとで、何か発達障害にちがひがあるのかとおもったら、できない仕事が多く社会に馴染めず、高学歴プライドで鬱憤がたまると言ふ。結局それは学歴または発達障害関係なく、誰にでも起りうる事である。
要するに、高学歴と限定する必要性を感じなかった。
なほ、発達障害の生きづらさの解決に向けて、示唆に富む部分は多かった。
案外かういふのは、Kaien代表の鈴木氏も言ってゐたやうに、日本のメンバーシップ型雇用社会が原因なのではないか。海外のジョブ型雇用社会における発達障害の話を聞いてみたい。
投稿元:
レビューを見る
発達障害は環境にうまくハマれば仕事ができるが、そうでない場合は活躍が難しい。
その特性に学歴というファクターが重なる事で、本人のプライドとどう折り合いをつけるかという問題も発生する。
投稿元:
レビューを見る
「エリートなのに仕事ができない」のではなく、選んだ仕事が間違っているだけのような気がする。別に会社員にコダワル必要はなくて、昨今のネット社会では人との関わりを最小限にして自由に働ける環境が整いつつあるのだから、そういう道を模索していけばよいのではないかと。頭さえよければ、在宅労働でもそれなりのことはできずはず。
投稿元:
レビューを見る
高学歴でありながら発達障害を抱えている人は意外に多い。こういった人たちが普通のふりをして社会で生きていくのが、一番辛い。一人ひとりが自分らしく生きることができる世の中にしなければと思う。
投稿元:
レビューを見る
現代はアメニティと引き換えに「生きづらさ」をかかえることになっているみたい。一方であらゆる事が細分化・専門化したことで、ここでいう高学歴だけど発達障害という悲劇も生み出しているのだろう。
かつて中教審がかかげた「生きる力」ってどこに消えちゃったのかな?
投稿元:
レビューを見る
良書。
発達障害がよくわかる。
個性だとか、誰でも失敗するとか、慰めの言葉が当事者には辛いこともあるとは。対応が難しい。声をかけないのもよくないし。
高学歴の人も悩み多く、幸せとは限らない。
投稿元:
レビューを見る
880
姫野桂(ひめの・けい)
フリーライター。1987年生まれ。宮崎県宮崎市出身。日本女子大学日本文学科卒業。専門は社会問題や生きづらさ。著書に『私たちは生きづらさを抱えている――発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『生きづらさにまみれて』(晶文社)などがある。
天職にたどり着いたASD女性高橋希美さん(45歳)上智大学理工学部卒業機能不全家族/女子グループが固まってしまう学科/パワハラ気質の社員/才能を活かせる穏やかな環境
「小さい頃から算数・数学がとにかく好きだったんです。小学校入学前にはもう足し算と引き算はできていたと思います。問題集があればひとりでできるところが数学の魅力です。理科だと実験道具とか要るじゃないですか。家でもひとりでできる数学には没頭していました。数学ができることが、得意なことと苦手なことの凸の部分なんだと思います」
「昭和時代の学校は、今でいう特別支援学級に入るような子どもがたくさんいて、ワイワイギャーギャーとカオスな世界が作られていました。わかりやすいのが『ドラえもん』のジャイアンとのび太です。医療的な目線では、ジャイアンとのび太は発達障害だと言われるでしょう。そしてこんにちの令和時代の目線では、ジャイアンやのび太はクラスに適応できないので、支援の対象とされるべきです。 しかし、ジャイアンやのび太のような人は昭和の時代では医療や福祉の支援対象として見なされないのが当たり前だったんです。学校だけじゃありません。職場にもそういう人がいて、そういう人は窓際族などになっていました。そういう人がいてもなんとかやっていたんですよ。
そういった意味では、昭和の時代に発達障害の方や知的障害の方が巷にいっぱいいて働けていたということと、身体的なコミュニケーション(暴力)が流通していたことはパラレルな関係にあると感じています。今の世の中は全て言葉で伝えないといけないですよね。狭い意味での暴力を含まないコミュニケーションで全て解決しなければならない。言葉だけでなんとかしようと思ってもなんともならない人がたくさんいるのは分かる気がします」
「産業革命の後に障害者の働き先がなくなったかというと断言するのは難しいところで、常々変わってきたという表現の方が適切かもしれません。第二次世界大戦が終わり、高度成長期ぐらいまでは工場の仕事がたくさんありました。工場の仕事や駅で切符を切る仕事などはASDの人が向いていることがままあります。また、職人にもASD気質の人が多いです。そういう意味では産業革命はある時期、発達障害の人に優しい部分すらあったようにも私は思います。
ただ、産業構造が変わって、例えばサービス業などの第三次産業の割合が増えれば、ADHDやASDの人が農業や漁業といった職に就ける確率は減っていきますよね。そういう人たちでもデスクワークをしなければならなくなる。第三次産業が台頭していくにつれて人間同士のコミュニケーションをする必要性が出てきて、どんな職場においてもうまく溶け込まなければならないといった要請が労働者の側に立ち上がってきます。
高学歴の場合、もともとの処理速度が速い人が多く、別のルートや手段を使うマスキングやカモフラージュといったある種の〝擬態〟ができる能力もある。私の友人の高学歴の当事者は、子どもの頃から字が汚く、書字教室に通っても改善されなかったため、早いうちからタイピングをこなせるようにした。また、大学では講義になかなか出られなかったり、居眠りしてしまうので、出席を重要視する科目を避け、テスト結果を重要視する科目を多く受講するなどの対策を取っていた。
「健常者なら朝起きて、準備をして、スムーズに出社できますが、処理速度が遅い人の場合、出社準備の優先順位に混乱し、遅刻しがちになってしまいます。
ある意味、悩みが高度すぎるのかもしれません。ある当事者の方が来世に期待しますと言っていたことがあったのですが、達観されているなと感じました。自分に合う環境を探していくことが大事ですが、コツはできないことが目立たない場所を見つけることです。妥協が必要になることもあるかもしれませんが、門戸は広がっているはずなので、悲観しすぎないでいただきたいです」
投稿元:
レビューを見る
株式会社kaien など発達障害をサポートする民間ができ始めていること。
精神科ガチャがあること
大学関連は
入試、履修、就活と卒論の両立、卒業研究など直面する場面が多いこと
そして当事者が大学が一番楽だったという割合が多いと感じ、また社会にでてからが本当に大変だということ。
投稿元:
レビューを見る
2024.04.22
ちくま新書のレーベル自体の評価を下げる一冊。
内容も捉え方がルーズだと感じる点も多々ある。何よりも問題なのは、何をもって「高学歴」とするかについての定義がまるでなされないまま冗長的に「ルポ」が語られていることに最初から最後まで違和感がぬぐえないまま終わった。
「高学歴」の定義をしたらしたで、読者から「それが高学歴?」のようなツッコミもあるだろう。それにしても、まずは何をもって「高学歴」として本著を作成しようとしたのかが甘すぎる。
これは編集者の責任もある。これで読者を捕まえて売ろうとするのは、「筑摩書房」らしからぬレベル感に感じるのは私だけだろうか。
テーマには興味を惹かれたが、ガッカリの一冊。
投稿元:
レビューを見る
■発達障害は「ニューロ・ダイバーシティ」(脳の多様性)であるという捉え方も広まりつつある。ニューロ・ダイバーシティとは発達障害を「障害」として捉えるのではなく、「神経系の多様なあり方」として尊重していくという考え方。
定型発達の人でも多かれ少なかれ凹凸がある以上、ニューロ・ダイバーシティという概念はあらゆる人を包含するものである。