わかりやすい解釈
2024/03/15 14:11
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
多くの作家等が解釈を書いている「歎異抄」。読んでみたいけど難しいのはお断りと思っている人にはお勧め。人に語る口調で分かりやすく書かれている。「悪人正機」や「他力本願」、念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける理由などを説いている。一般的知識を得たいのに役立つ。
投稿元:
レビューを見る
浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人のことばを正しく伝えたいと弟子である唯円が書いた『歎異抄』を著者がわかりやすく翻訳されたもの。とても易しい言葉で書かれていて、文字面だけを読むならそんなに時間はかからない。でも、ひとつひとつの言葉が奥深く、自分なりに内容を咀嚼して読むのには時間がかかった。行く着く本質は同じでも、そこに辿り着くまでの考えや思いは人それぞれなのではと思った。
投稿元:
レビューを見る
親鸞が現代にいたらこう話すのだろうと思うくらいわかりやすく書かれている。
ただ平易な言葉だからこそやっぱり解釈が人によって変わってしまうのは当時も今も同じかと思う。
作者があとがきで解説したくなってしまう気持ちがすごく理解できる。
悪人正機の私の理解。
世の中には良いことを言う人、良いことをする人がいてみんなから尊敬されている。
そして多くの人がそうなりたいと願い、そうしようと努力する。
それではダメだ、むしろ害になると喝破したのが親鸞。
良い事悪いことなんて人間にわかるわけがないし、仮にわかったとしてもみんなに対して良いことなんてできるはずがない。人間なんて弱い存在=悪人だと認める事こそが唯一の救われる方法なのだと。、
この立場に立つと人を非難する事も憎む事も少なくなり、
そして自分が被害者、相手が加害者という視点もなくなる。
ウクライナやイスラエルの現状を見ていても親鸞の思想があればと思ってしまう。
ただ唯円が嘆いたことが現実になり、日本の浄土真宗は親鸞の教えとは異なる教団になってしまっていて人を救う力はなくなっているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
文化人×仏教ものは回避がちなのだけど周囲の評判がよかったので読んでみた。
これはすごくいい。高橋氏が『歎異抄』を自分のことばで現代語訳をしている。これは高橋氏の読み方、受け取りなのだ。それを自分が読みながら、自分の読み方、受け取り方を確認していくような、ここは一緒だな、似ているな、違うなと対話していくような読書経験ができる。
「あとがきのあとがき」、「名前を呼ぶこと」がこの本の意図をしっかり語ってくれている。高橋氏ならではの文学、演劇からのことばのうけとめはとてもよかった。
これを教科書的に正しい一つとして読むと言うのではない。あくまでも『歎異抄』を読んだひとりの人間の受け取りを聞くのだ。
”できうるなら、みなさんも自ら「翻訳」することで、『歎異抄』ではなく、みなさんひとりだけの『タンニショウ』に出会えるといいと思う。あらゆる本は、いや人間が作る者はすべて、そのように「一対一」の関係の中で出会うべきものなのだから。”
『歎異抄』を知らない方が初見で良さを分かるよさはことばの魅力中心かもしれない。そして高橋氏の出会った「フジイクン」を感じるのだろう。高橋氏もあくまで自分は宗教的な見方でこれを書いているのではないとされている。
親鸞聖人の教え、真宗になじみのある方は一層感じるところが深くあるだろうと思う。おすすめ。
投稿元:
レビューを見る
高橋源一郎氏による歎異抄の現代語訳とその解説。
とても分かりやすい口語で翻訳していたため、歎異抄の内容がよく理解できました。
この本を読むまでは、歴史の授業などで登場する『歎異抄』という書物の名前と「他力本願」、「悪人正機」という用語を何となく知ってるだけでした。
何となくの理解から何となく抜け出したいと思い、この本を手にしました。
無宗教な私ですが、今よりも生きることがはるかに厳しい時代に、人地を超えた何かに救済を求めた当時の人たちの想いの一端を感じ取ることができました。
投稿元:
レビューを見る
『歎異抄』本文訳は簡潔な文章で、小学生にも読めそう。
だが、その分だけ大人には難しくなってしまっているかもしれない。
後書きが面白かった。
投稿元:
レビューを見る
歎異抄は読んだことがあるがこれは平易な、しかも切実な言葉で訳されていて肚に落ちる。いろんな分野に博識な筆者だが親鸞の理解力に脱帽。
投稿元:
レビューを見る
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
で知られる歎異抄。この言葉の意味、わかるようでやっぱりよくわからない。
ただ、この本のおかげで少しはわかった気がするし、そもそもわからなくてもよい気がする。この本に出てくる親鸞は、穏やかに、そういうことではないんだよと言ってくれそうです。
ー「シンラン」にはわかったのだ。「ふつうの人」のこころの中にはそんなものはないのだということが。「念ずるこころ」も「菩提心」も「慈悲心」も、「ふつうの人」にとっては贅沢品なのだということが。そんなものよりもっと単純で、もっと根本的なものが、そこにはあるのだ。ただ「つらい」があるだけだ。「死んだら楽になれるのかなあ」という淡い思いがあるだけだ。
上記の解説から、浄土真宗が民衆に広まった理由がよくわかる。やさしくやさしく書かれていて、宗教って本当はとびきり人間に優しいものなのかもと思えるような内容だった。
投稿元:
レビューを見る
藤井さん。将棋界の藤井聡太さんではない。法然と親鸞の罪人名は藤井善信と藤井元彦。なぜ藤井姓なのかは謎である。そんな元彦さん(親鸞)の教えを唯円が書き残した「歎異抄」をわかりやすく解説した高橋源一郎さんの『一億三千万人のための「歎異抄」』。「南無阿弥陀仏…」と唱えるだけで何人も浄土に往生できるという安易さに個人的に疑問を抱いていたところ、著者は「ことばとこころの関係ではいつでもことばが先行する」と述べ、納得。確かに思いもしないことが口に出たりする。ことばが先行、まずは唱えよう!
投稿元:
レビューを見る
法然展がきっかけで「法然の編集力」を読み、次は親鸞の歎異抄へ。高橋源一郎さんによる現代語訳(きわめて平易な言葉で)。もともとが貧困や飢饉にあえぐ庶民に向けた歎異抄だから、こういう語り口調は合うと思う。とにもかくにも、歎異抄全体に触れることはできた。
投稿元:
レビューを見る
凄く深くて、簡単に感想なんか書けないな…
でも、無人島に持って行くならこの一冊とされる歎異抄、原文で読むことはまず無理だろうなと思うから、この高橋さんの意訳でまずは読めて、良かったなと思う。
投稿元:
レビューを見る
親鸞。
学生時代に吉川英治の小説で読んで知った。
のちには五木寛之の小説で読んだ。
でも、親鸞の言葉を記した歎異抄を読むのは、初めてだ。
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」。
他力本願。
念仏。
これらの言葉はもちろん小説を通して知っていた。
でも、意味が分かっていたか、と言われれば、怪しいものだ。
今回の高橋源一郎さんの訳を通して、改めて考えた。
この新書にも、いや、歎異抄自身にもあるが、
「意味もわからず念仏を唱えるだけで浄土に行けるなんて、おかしい!怠けてる」
そう考える。多くの人はそう考える。
努力もしないでいい思いができるわけがない、と。
親鸞は違う。
もっと深い。
今回そこを考えた。
努力したから、勉強したから、これだけやったからその引き換えに浄土に行けるだと?
阿弥陀様はそんなもんじゃない。
何を勘違いしてるんだ。
お前がやったことはそんな偉いことじゃない。
人間は無力だ。
学があるやつが浄土に行けて、字も読めない者は行けないというのか。
阿弥陀様は、浄土はそんなものではない。
無心で念仏を唱えさえすれば、浄土に行きたい、と思いさえすれば、だれでも行ける。
善行悪行も同じ。善行をしたから浄土に行けるのではない。
善行も悪行も自分の意志だけではどうにもならないもの。
阿弥陀様はそんなものは見ていない。
唱えること、浄土に行きたいと思うことがすべてなのだ。
人間は無力だからこそ他力本願で、念仏を唱える。
無心だろうが、苦痛だと思おうが(親鸞自身そういってる)構わない。
とにかく現世の苦しさ辛さから逃れたい、浄土に行きたい、と思うことが大事。
その思う手段として念仏を唱えるのだ、と。
・・・高橋さんの訳を読みながら私なりに解釈したのは上記。
そう、思えばいいんだったら念仏も唱えなくてもよさそうだけど、
人間おろかだから、何かしないと違うことを考えちゃう。
だから唱えて、祈るのだ。
・・・今の私にピンとこないのは、
そうまでして浄土に行かなくてはいけないのか、ということ。
これはわからない。
今がそれだけつらい、苦しい、ということか。
宗教なんてそういうものなのかもしれない。
でも、私は私自身で生き方を考える。
読書がその支えだ。
1(アミダのお誓い;ジゴクこそわたしにふさわしい場所;悪人だからこそゴクラクに行けるんだ;ジヒってなんだ;いくらネンブツをとなえても誰も救えない;ネンブツはアミダからの贈りものだ;ネンブツは自由だ;ネンブツは、「修行」でも「善行」でもない;ぼくは告白した)
2(もしくは、ぼく自身のための序文;アミダのお誓いの不思議な力;信じてもいいし信じなくてもかまわない;「人を千人殺してみろ」と「あの方」はいった;みんなを救う、ひとりも捨てない;アミダの「ホンガン」という「船」に乗り、ぼくらの「苦海」を渡り、���つかジョウドの岸辺にたどり着く;ほんとうの「回心(エシン)」は生涯にただいちど
ジョウドのかたすみに転生(テンショウ)したって大丈夫
寄進やお布施なんか必要ない)
その二 ジゴクこそわたしにふさわしい場所その三 悪人だからこそゴクラクに行けるんだその九 ぼくは告白したその十三 「人を千人殺してみろ」と「あの方」はいったその十四 みんなを救う、ひとりも捨てないその十五 アミダの「ホンガン」という「船」に乗り、ぼくらの 「苦海」を渡り、いつかジョウドの岸辺にたどり着く*宗教ってなんだ(『歎異抄』(タンニショウ)を「翻訳」しながら考えたこと)ネンブツと文学/ただひとりのために/正しそうなものには気をつけろ
宗教ってなんだ(『歎異抄(タンニショウ)』を「翻訳」しながら考えたこと)