罪を犯した人は永遠に犯罪者とされる社会、その病巣は根深い
2024/07/04 22:26
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
一度罪を犯した人々には再犯で捕まり、裁かれる人がいる。本書は、家庭裁判所の調査官を務め、大学で講義、研究を行い、社会福祉士の資格を取得し、社会復帰を妨げるものは何か、どうした支援が必要かを新書でコンパクトにまとめ、多くの人に訴えかける。世の中では、実態もわからず、偏見が独り歩きしている。著者は犯罪と無縁の人などいないという。そこで、罪を犯した人を描き出し、司法と福祉をつなぐ努力にエールを送る。目次をみると、
序 章 刑事司法で「対話」は可能か
第1章 罪を犯した人たちのリアル ―刑事裁判から見えてくるもの
第2章 司法と「罪を犯した人」―刑事司法手続きの全体像
第3章 社会の中の「犯罪者」
第4章 社会福祉士が刑事裁判を支援する
終 章 社会の責任として
あとがき となる。
以上、展開される。裁判とは何かを問うものである。刑事裁判で有罪判決が確定するまでは容疑者であり、無罪が推定されるのは当たり前であろう。しかし、逮捕され、報道された瞬間に犯罪者として扱われる現実がある。著者は、自らの経験を踏まえ、刑事裁判を傍聴し、犯罪者といわれる人々の実態を白日にさらす。刑務所は多くの高齢者が収容され、老人ホーム化していることが報道される。警察、検察、裁判所はその実態に気が付いていても、正面から向き合わない。裁判で、被告に弁護士がつくが。多くは国選弁護人であり、裁判が終わると国選弁護人は被告に関与することは少ない。しかし、徐々に裁判所、検察、弁護側と社会福祉士を入れ、被告が再建できるように取り組むケースが出てきている。まだまだ、社会福祉士等の専門家が関わることが少ないのが現実であるが、今後の社会をみるだけでも、必要な措置であり、期待したい。ぜひとも、本書を一読されたい。
犯罪加害者の立場に立った1冊です。
2024/05/12 22:50
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
長年、家庭裁判所調査官を務めた著者が、犯罪加害者の立場・視点に立った側から裁判を追っている内容の1冊です。そして、純粋に裁判はどう進むか、犯罪加害者はどう扱われるのかなど、実際の裁判の様子を法学の視点からも客観的に説明しています。
どうしても犯罪加害者への風当たりは悪いものになる風潮になりますが、長年、家庭裁判所調査官として加害者側に立つお仕事をされて来た著者は、その風潮に対して毅然と疑問を投げ掛けています。「加害者側の気持ちなんて知りたくもない」と突っぱねず、ぜひ一度加害者側の立場も、当書を読んで触れてみていただきたいです。
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事件ついては大々的に取り上げられるが起訴された後の犯罪者のことは音沙汰が無いことに疑問があり、その理解の助けにと目次も読まず本書を手に取った。結論から言うと、本書の罪を犯した人とは障がい者や高齢者などの裁判前及び執行猶予確定後或いは出所後に福祉を必要とする人のことであり、一般的?というか犯罪者全般を取り上げたものでは無い。タイトルに福祉とついているので当然なのだが私の期待とは違っていたのでまずは明言しておきたい。また、だからと言って本書の評価に影響したわけではない。
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タイトルからは、出所直後の人などを支える人のことかと思ったが、それよりも手前の部分の話だった。
司法手続きの「川」の例えは、司法に明るくない自分にもわかりやすくよかった。
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実際に裁判を傍聴したことがないのですが、雰囲気を知ることができてよかったです。罪を犯した人々を支えたり受け入れたりすることは現在もなお難点ではありますが、考え続ける必要があると思いました。
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社会福祉士や弁護士の方々の犯罪者の人権を守り、更生を支援しようとする活動には頭が下がる。優しい社会になる事により罪を犯さざるを得なくなる人が少しでも減る事を願います。
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犯罪者一般に対する支援ではなく、障害者(特に、精神障害と発達障害)・高齢者・貧困者など、社会的弱者として犯罪を犯した人と、福祉の間を取り持つ活動の話。
高齢化が進んだり、貧困問題が大きくなりつつある現在では重要度が上がってくるテーマだと思うけど、一般向けには中々可視化されていない領域ではある。このような活動に従事される方々は尊敬に値するし、一般にもっと知られてもいいのかなと思う。
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01427764
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刑事司法がなんのためにあるか、その原理に沿って考えたときの社会として手助けすべきことに正面から取り組む責任を感じた。
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家裁調査官だった著者が、社会福祉士を取得し、少年犯罪だけでなく、罪を犯した人たちの実態を裁判傍聴、犯罪統計などの分析などを通して、良心に満ちた主張を展開しており、刑事司法が今のままで良いのか、自分には刑事問題は全く無縁の世界だと思っていないか?と覚悟を以って真剣に問いかけておられる。後書きではそのことに触れておられることが感動的でもあり、凄い人だと思う。刑事被告人の多くが決して凶悪犯ではなく、窃盗・詐欺・傷害・覚せい剤などの地味な事件によるものであり、社会の被害者とでもいうべき弱弱しい姿であり、裁判所において「執行猶予」判決を受けた瞬間から、ありとあらゆる具体的な手助けがなくしては、生きていけないような人たちなのだ。罰金刑でさえ、支払う能力のない貧困者。孤独な高齢者。サポートに取り組んでいる人たちがいることには救いを感じるが、まだまだ非力だろうと思う。とにかくこの弱弱しい人たちを助けるには生活の基盤となる土台づくりであることを痛感する。人の善意によるのではなく、国として何らかの対策は出来ないのかと暗澹たる気持ちになった。
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犯罪に至ってしまった人に対する福祉的なサポートの重要性が分かった。犯罪を個人に帰責させるだけではなくて、社会的に包摂していくことの難しさも同時に感じた。改めて、福祉職って社会に必要な役割なのに給料低いのおかしいよなと思う。
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自分がいかに刑事裁判において表面的なイメージを持っていたか気づかされた。少し時間が出来たら裁判の傍聴にも行ってみようと思うくらいには興味を持った。
刑事施設と更生保護機関はそれぞれ独立しており、連携はあまり見られない。それが治療や支援が必要であったとしても、それは刑の執行後という刑事司法の考え方が未だ続いている一要因なのではないか。だがその被告人の更生にどれだけの時間を要するかも個人差が存在することに加え、同時進行で行うこともそれに伴う諸問題が多く発生しそうで自分でも正解がわからなかった。
高齢者に合わせた処遇の改善は実践に至っていないと著者は感じているとあった。本当に後ろ盾・サポートが居ない孤独な高齢者が犯罪を犯すケースは読んで想像するだけでも悲惨であり、このような状態の者を考えた体制改善は難しいだろうとなんの知識のない私でさえ感じた。そんな高齢者の処遇よりも、まだ未来がある若者の処遇改善の方が優先されるべきではないかと簡単に感じてしまうが、そうはいかないのが複雑であった。
刑事裁判の担い手による、福祉ニーズへの無関心というワードが文中存在した。刑事裁判のみに関わらず福祉ニーズへの関心度の低さは世間においてあると思う。私もこの本を読むまで刑事裁判と福祉が結びつくとは考えていなかった。故に社会福祉士が更生計画を提示することが、刑事裁判上において判決に影響を与える行為となり始めていることを知ったときは感心した。
最後に、「今の刑事司法は社会の傷として生み出された犯罪において、社会の責任を鑑みず、犯罪者の心の傷をさらに広げるシステムである。」と著者は述べていた。これには賛成も反対もできるほどの知識がないため、意見はせずにいる。私自身が恵まれたことに犯罪を生み出すような環境に未だ置かれていないが故に、社会責任や社会体制の欠陥に無関心だった言わば平和ボケしているのだと思わされた。1歩違えば私が被告人として刑事裁判に立っていたかもしれないし、これからそうなる未来がないとも言いきれない。自らの置かれている世間をより多角的に知るためにも、自分の足で情報を集め、意見を持てるように努力するべきだと思わされた。
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出口戦略が大事は考えたことなかった
たしかに前科持ちの人間を所持金0で世の中に返した場合に何が起こるかは火を見るよりも明らかだわ
ビビるくらい良い人と出会ってサポートしてもらえない限り更生は難しいと思う
再現性の高い更生の仕組みを国が整備しないと堂々巡りするだけ
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本書は、後書きにあるように学術研究の成果ではなく著者の体験を主観的視点でまとめた本だ。
自分はタイトルから推してもう少し刑事司法の場における福祉的実践の実情や福祉的処遇に地域格差があると思っているのでその辺りの解決や問題点などの話が出てくるのかと期待していたが、思っていた内容とは正直違っていると感じて少し残念だった。
4章からの具体的な裁判における福祉的支援の話に向かうために前段の3章が語られて来ているのはわかるし、逮捕から裁判まで行く(あるいはいかない)流れを川に例える説明と図説はわかりやすかった。
けれど傍聴した裁判の話自体に文章を割きすぎている感が否めなかった。
いつ福祉的支援の実践の話になるのかと思いつつ読み進めていたが、後半3分の1くらいでもう少しここに文章(考察や今後の課題など)割いて欲しかったと思った。
初めてこのような内容に取っつく方々には良いだろうが自分は正直物足りないと思った。
後半の方に福祉士が作成した支援計画を実際の裁判で示すことで被告の裁判後の処遇が大きく変わった事例が相当数あったことが書かれており、実際の裁判の中での福祉的支援の大きな役割の重要性が理解できたのは良かった。
p138にあるように福祉ニーズ(刑罰的処遇ではなく福祉支援的処遇が被告の行動を変えていくのに必要があると思われるケース)が実際にある被告人はとても多いと思うが、刑事裁判の担い手はそのことに無関心であるというのも、本当に書かれているとおりだと思う。
(同じようなことがp146「検察官が被告人への支援の必要性に心を配ることはない」とも書かれている。検察官にはそれは求められていないし、必要性がないからだ「自分の仕事ではない」ということだ)
司法に関わる人たちは犯人(被告人)の生い立ちや来歴を見て調べはしてもそれはあくまでエピソード的に見ているだけで、その人の「生身の人間」を見ていないと感じさせられる人は多いと思う。
この部分の著者の指摘は家庭裁判所調査官として、さらにはその経験から裁判を数々傍聴してこられた考察から来る本音だろうと感じだ。
裁判における福祉的支援はどこの地域でも受けられるものではないのが現状だと思う。著者が在住する岡山は手厚い方なのではないだろうか。
仕組みとして地域差があるだけでなく、結局であった人間の人柄によるところも大きいようにも感じられる。(本書に登場する原田さんのような方はそうそういらっしゃらないし出会えないと思う)
本書を手に取るような人たちには帯の「犯罪も無縁の人などいない」や本文中の「(犯罪という事象に関わりのない人などこの社会には存在しない)だからこそ、罪を犯してしまった人たちを支えていく必要があるのだ(p115)」という言葉は染みたり響いたりするがしれないが、交通違反も「運が悪かった」くらいにしか思えない人には理解してもらえないだろうと思う。
大抵の世の人たちは、犯罪に巻き込まれたり関わったりする人は特別だと思いがちだ。
それまで功績があっで立派な人であったとしてもまるでそんなことはなかったか、��り消しになったかのように考えてしまう人のほうが多いだろう。本書にも出てくる池袋暴走事件の被告のように。
p9有罪判決によって彼の過去が全て否定されるのではないのは確かなのに世の中はそうなってはいない。
ここに書かれている福祉ニーズに対して社会の関心をもっと得ることや実際の、もっと多くの裁判の場への必要性をとても感じるが現実は厳しいように思う。
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裁判所に長く勤め、後に司法福祉の教授になった著書が退職後、改めて裁判所を傍聴し、司法制度の課題を書いている。罰した後に更生するというよりも、罰すること、恥をかかせることにまだまだ力点があることがわかった。