半藤一利さんが生きていれば、どう評価しただろう
2025/01/09 16:47
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
すごい小説を読んだ。
というのが、小林エリカさんの『女の子たち風船爆弾をつくる』を読み終わったあとの素直な感想。
そして、茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』という詩を思い出した。
その一節。
「わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/(略)」
おそらく、この小説の女の子たちは、この詩の茨木のり子さんより少し年下。
けれど、やはり「一番きれいだった」はず。
物語は日露戦争30周年を迎えた昭和10年(1935年)から始まる。
この年、女の子たちは小学生になり、できたばかりの宝塚少女歌劇団に夢中になる。
やがて、女の子たちは、カトリックの女学校や躾の厳しい伝統校や公立の学校へとそれぞれ進学していく。
主人公となる、特定の女の子はいない。
いるのは、この時代を生きた「女の子」だ。
次第に戦争の足音が高くなり、生活も変わっていく。
憧れだった制服は着れなくなり、やがて学校の授業もなくなっていく。
女の子たちが向かったのは、かつて宝塚少女歌劇団が華やかに歌い、踊った場所、東京宝塚劇場。
そこで、女の子たちは風船爆弾をつくることになる。
この作品は「ポエティック(詩的な)長編」と謳われていて、
確かにまるで詩の断章のような文が続く。
そして、歴史の真実を巧みに混ぜ合わせて、ノンフィクション作品のようでもある。
もし、歴史探偵を自認していた半藤一利さんが存命であれば、
この作品をどう評価したか、聞きたかった。
それにしても、すごい小説だった。
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【少女たちの知られざる戦争体験】戦争末期、女学生たちが東京宝塚劇場に集められた。今日から風船爆弾を製造するのだ。膨大な資料や取材を基に描く意欲的長篇小説。
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膨大な量の文献とその引用に驚いた。こんなにも酷いことが出来る大人が大勢いたことが、哀しくて恥ずかしくて情けない。
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一月後の、今年の折り返しを前に・・・
既に今年のベストかもしれないと思わせられる一冊。
①本書をテーマにした、小林エリカ氏のオンライン対談イベント
→「オンライン対談イベント」https://blog.goo.ne.jp/rekitabi/e/2686f34937089c8f2a192e84585951b7
②本書の感想文
→「女の子たち」は続くhttps://blog.goo.ne.jp/rekitabi/e/8f1b958c9ebebac93381b531a203f92d
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アジア太平洋戦争下で日本軍が秘密裏に打ち上げた「風船爆弾」の製造に雙葉・跡見・麹町の各女学校生徒が動員されていたこと、風船爆弾の製造工場の一つが東京宝塚劇場だったことをモチーフに、少女の一人としての「わたし」と少女たちという意味でもあり、帝国日本の臣民という意味でもある「わたしたち」という人称をリフレインのようにくり返しながら、時代を生きた女性ジェンダーの生を呼び返そうとする試み。戦争の時代を扱っているのに、軍人や政治家たちは決して固有名では呼ばれず、戦争の死を死んだ被害者――「風船爆弾」で命を落とした米国人の女性と子どもを含む――の名前のみが書き込まれる。
特定の固有名に依存しない語りを採用したことで、本作の作者は、宝塚歌劇の少女たちが欧米へ、満洲へ、中国大陸へと幾度も派遣されていたこと、つまり彼女たちはつねに憧れの対象だったと同時に、利用される客体でもあったことを詳細に書きつけていく。こうした問題意識があったからこそ、作者は日本敗戦後で小説を終わらせず、かつて「従軍学徒壮行会」が行われた会場が建て替えられて、無観客のオリンピック開会式の舞台となったこと、そこに再び国家のために歌わされる少女たちが召喚されたところまでを射程に収めることができたのだろう。
巻末の注釈と参考文献リストを見るだけでも、圧倒的なリサーチによって作られたテクストであることは明らか。ここからどんな思考を引き出すことができるのか、改めてじっくり考えてみたいと思う。
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風船爆弾って聞くと、最近は爆弾ではないけれど北朝鮮から韓国に飛ばされているゴミ入りの風船のことがニュースになってますよね!でも、この作品での「風船爆弾」は軍事兵器なんです。第二次世界大戦末期、日本で開発されたもので、和紙をこんにゃく糊で貼り合わせた直径10mの風船の中に爆弾を仕込んで、偏西風を利用してアメリカ本土を爆撃することを目的としたものです。
第2次世界大戦開戦前小学校に入学した少女たちは、開戦後、制服を着ることは許されず国民服を着て、長い髪は束ねないと空襲時に焼けてしまうと三つ編みにし、戦争末期は授業もなく戦時学徒動員として働く日々…。東京宝塚劇場は、中外火工品株式会社日比谷第一化紙工場となり、少女たちは風船爆弾を増産するために集められたのだった…。
いちばん楽しくて、輝けたときを少女たちは国のために捧げ、空襲で親兄弟や友人を亡くし自身の命も危ぶまれる中、支給の覚せい剤を服用し(信じられない…)、睡眠時間さえ削られ何を作っているのかも知らずに、風船爆弾を作り続けた…。戦後、彼女たちは自分たちが風船爆弾を作っていたこと、それで死者が出たことを知り、驚愕する…。
音楽朗読劇にもなってるらしいこの作品…独特な言い回しがまた切ないんです…。
『14歳以上の学生はみんな、わたしたちの兵隊のために、
わたしたちの国を守るために働くことになる』
敗戦後は
『わたしたちの国が、わたしたちの政治家の男たちがさしだした、
わたしたちのうちの女が、少女が姦される』
『わたしたちは、わたしたちがもう戦争をしないと、決めたことを知る。』
『わたしたちは、わたしたちの日本国憲法で、
わたしたちの人権の保障と男女の平等を決めた。』
現在は
『わたしたちが、ひとり、またひとりと死んでゆく。
少女たちが、ひとり、またひとりと死んでゆく。』
風船爆弾のことはこの作品を読む前から知っていましたが、ただ、あったことしか知らなくて…この作品から、当時の少女たちの思いや社会状況など知ることができてよかったです。この史実を後世に引き継ぐこと、大事なことだと思います。
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個性を持った一人一人の〝わたし〟が集まって成り立っているはずの〝わたしたち〟の国。実体が見えなくとも強力な〝わたしたち〟によって、少しずつ〝わたし〟の日常が制約されていく。そして、それは何も遠い戦時下の話ではない。今もまだそれは地続きの物語なのだ。さまざまな多くの女の子たちのささやきが聞こえてくるような、不思議なフォーマットの読み物。
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興味があるテーマなので読んでみたかったのです。
しかし何という文体なのでしょう・・・
私は○○する。
わたしは××する。
その合間にその時代の歌や、出来事などがまた箇条書きのように入る。
そう!すべてが箇条書きのようなのです。
事実もしくは起こったことを箇条書きにして残しておこう、みたいな。
感情移入もなにもあったもんじゃない。
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風船爆弾については、いろいろなところで読んできた。アメリカの原子爆弾に対抗して、日本は風船爆弾をアメリカに向けて飛ばしていた、と言う本を読んだときにはこれは本気だったんだろうか?これでアメリカに勝てると思ってやっていたのだろうか?半ば冗談の話では無いなんだろうか?と思いながら読んだ記憶がある。
本書で風船爆弾を作る少女たちの物語を読むにつけ、陸軍登戸研究所、満州国731部隊、日本全国で100,000発の直径10メートルの風船爆弾を作っていたと言う事実に驚かされた。
様々な物語は、語り継がれること、語り継がれずに歴史の中に消えていくこと、戦争をどう考えるのか?いろいろなことを考えさせられた。
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物語は、日中全面戦争前夜の1935年(昭和10年)、東京都心で生活し、学校に通った少女の目を通して、第2次世界大戦の戦前、戦中、戦後を生活史の視点で描きます。1937年の南京陥落では提灯行列を行い、戦勝記念に湧きます。戦中は、風船爆弾組み立て工場として使用された東京宝塚劇場に集められ、製造に携わった女学校の生徒たち。風船爆弾は9300発がアメリカに向け放たれ、約1000発が米本土に到達したと推定され、アメリカ人6人が犠牲になった事実も丁寧に考証します。少女たちの目線から、戦争と無縁に見えた日常が国粋的な空気に包まれ、国家総戦力に駆り立てられる空気。戦争は、軍隊の戦闘による生死だけではなく、非戦闘員である生活者に最も被害が及び、国家の名のもとで駆り立てられる国民を自省史観でとらえる事の重要性が伝わります。この本は、248項の注釈、8ページの参考文献リストが巻末に記載され、校史や同窓会記録、証言資料など詳細な記録に基づく証言録ともなっています。そして、男性の戦争加害者、政治家等の名前を一切出さない異色の歴史小説であり、近現代史を男性名で学んだ人にとっては、理解に苦しむ作品かもしれません。そこに、この小説の名もなき女性、言葉を残したくても残せなかった少女らの名前を刻む著者の思いが伝わります。
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この物語の主人公は、「わたしたち」である。
戦争の話として登場する人々は、階級や役職や通称としての名は書かれているが、実名はない。
歴史に名を残すことなく、静かに暮らす人々を淡々と記したお話である。
前半はその表現に拒否反応がおこり、読む速さが落ちてしまったが、後半からはリズムがつかめ「わたしたち」に感情を寄せることができるようになった。
春が来る。
桜の花が咲いて散る。
と言う一年を表しているフレーズと、冒頭の
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
に込められた無常感を思うと苦しくなる。
しかし、それを静かに掬い取った作者の力に感動した。
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戦時中
女学生たちは、風船爆弾をつくった。
「わたし」で語られる個人史と
「わたしたちの兵隊」「わたしたちの満州」「わたしたちの大政翼賛会」など「わたしたちの」で語られる情勢。
戦争被害者ではあるけれども
加害者でもあることが「わたしたちの」で突きつけられる。
そして、それは当時を生きた人だけでなく戦後に生まれた私たちにも。
歴史は、良きことも悪しきことも地続きであると感じた。
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去年の夏から秋にかけて『文學界』で集中連載されていた(連載時のタイトルは「風船爆弾フォリーズ」)のをずっと読んでいたが、いろいろな点ですごい作品だったので単行本でもう一回読み返そうとずっと待っていた(の割に5月からいままでバタバタしてて購入が遅れてしまったが…)。
戦前のまだすこしのどかだった時代から時間を追って、戦争の足音が近づき、戦争が始まって終わって、戦後の日々が続いていく中を生きていく女の子たちの日常が綿密な取材をもとに描き出される。
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戦争
もう遥かに遠いところまで来てしまったつもりでいるけれど、この彼女たちの声が次々に
耳元で聞こえる。全然遠くなんてない。
華やかな時、辛い時、痛い思いをした時、女の子たちはいつも声をあげている。
いまの私達にできることはこの彼女たちのあげた声を聞き続け伝え続け、そして考えること。
多くの資料を元に書かれたこの本は決してフィクションなのではなく本当にあったこと。
この機会で手に取らなければ、きっともう読まなかったかも、だって風船爆弾ですよ!
人間って愚かな生き物だと改めて思います。
その後、図書館で『女たちの風船爆弾』
亜紀書房刊をみつけよんでみたらよりノンフィクションで恐ろしかった。こちらの本は、
ISBNもなくブクログでは検索できないほんだった。女の子たちの笑顔の写真も多く、より痛々しい。
今回の新しい文藝春秋社刊の本がなかったら、こちらの図書館の本は人知れず埋もれてしまったのかと思うと切ない。
小林エリカさんの舞台芸術のような本に出会えてよかった。でも、もう一冊の方の本にも出会えてよかった。
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関東大震災以降、長く続いた先の戦争の時代、さらに戦後から現代に至るまで、権力側ではない市井の人々が、権力側の人々により翻弄された(というか、破壊された)生活を、今も変わらず差別されている人たち(少女)からの視点で描かれてる
事実をもとに描かれてる(と思う)、ただ表現の仕方に、読んでて初めは戸惑ったけど、わたしたちのと何度も何度も繰り返す意図が少し理解できてくると、今まで見たことがなかった表現に深く同意するようになる
とても良かったです