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多くの犠牲を払って得たものは何だろうかと思ってしまう
2025/02/08 21:18
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
日露戦争について、旅順攻撃と二〇三高地を巡っての書籍は昔から出ていた。本書は公式資料だけでなく、未公開資料を交えて新しい視点を提供するものである。戦史学者が、その視点で書かれたものであるので、全体史的な観点は期待できない。そもそも日露戦争の評価等は当然省略される。どちらかというと企業や組織経営、リーダーシップについてという観点で見ると有益だろう。日露戦争で、旅順攻撃という、バルチック艦隊が迫るなかで、無理なスケジュールで厳しい戦闘を強いられた将軍の立場は、嫌なことを押し付けられた管理職や社員というところだろう。本書の目次を見ると、
はじめに
第1章 齟齬 ―第三軍の編成と前進陣地の攻略―
第2章 迷想 ―第一回旅順総攻撃―
第3章 決断 ―前進堡塁の攻略と第二回旅順総攻撃―
第4章 屍山血河 ―第三回旅順総攻撃と開城―
おわりに ―伊地知と乃木の評価―
主要参考文献一覧 となっている。
以上のように展開されている。三回にわたる総攻撃で、数多くの死傷者を出したことで、第三軍の司令官の責任を問う声が多く、これまでの書籍でも避難することが多かったように思われる。正式な報告書というのは誰かに責任を押し付ける傾向があるかもしれない。そもそも、日露戦争という国力や軍事力の差が大きいなかで展開された戦争であり、帝政ロシアや日本の領土でないところで戦闘が行われている。この点は別の書で考えることになるだろう。本書で、当初の大敗を招いた原因を抉り出している。必要な砲弾を供給せずに、戦争を推し進めた陸軍省。日清戦争時の地図で作戦を立案する陸軍、旅順の防備を強化する時間の余裕を与えてしまったことの責任に海軍にもあることなどが良く解った。戦闘状況の厳しさも伝わる内容であり、兵士の命を軽く見ることもよくわかる。江戸時代は庶民が兵となることはなく、戦国時代も当たり前ではない。近代に入ってのことである。多くの犠牲の上で、窮地を切り抜けることができたことがわかるし、新しい戦法が採用されたこと、計画の変更等の過程を提示している。一読されたい。
司馬史観から離れて見た203高地
2024/11/27 15:39
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投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」では、日露戦争の旅順要塞への攻略戦において多大な犠牲を出しながら馬鹿の一つ覚えのような攻撃しか出来ない乃木司令官率いる満州軍第三軍を、天才的戦術家である児玉源太郎が指揮権を乃木司令官から預かることによりようやく攻略するという内容により、戦前は軍神と崇められた(軍神として神社に祀られ、郵便切手にもなっていた)乃木大将を殆ど愚将のレベルにこき下ろしたという点で画期的だったと思う。
本書においては、その司馬史観による旅順攻略戦について冷静に見直しを行い、当時の第三軍の作戦が正しかったかどうかについて新たに発見・公開された関係者の日記等からの再評価を行っている(センチメートルがサンチ、コンクリートがベトン等当時の用語になっている)。
旅順攻略戦は、日本陸軍に取っては初めての近代的な永久要塞への攻囲戦であり、当初満州軍では平地での会戦により雌雄を決する方針から、旅順要塞の攻略は想定していなかったが、北上する主力軍の後方の安定化の為に攻城を決定した後に、海軍が旅順艦隊のせん滅に失敗したことから、バルチック艦隊が到着するまでに旅順艦隊を片付けて後顧の憂いを除いておかなければならなくなったという複雑な背景を理解する必要がある。
本書においては旅順攻略戦を担当した第三軍の司令官・参謀長人事から入っているが、乃木司令官は当時の司令官クラスの序列の中では妥当であり、伊地知参謀長についても砲兵科出身かつ日清戦争でも旅順攻略戦を経験していることが買われたとなるが、優柔不断で決断力を欠く性格が参謀長として不適任だったとしている(乃木司令官も当初は参謀長に遠慮していたが、やがて自ら判断するに至っている)。
本書においては、第三軍司令部は愚か者の集団では無く、旅順要塞に関する日本側の事前情報収集がされていないこと(まともな地図も無かった)、参謀本部における敵戦力見積もりの甘さに起因する戦力ならびに砲弾不足が苦戦につながったという至極当然な話と、兵力と兵備が揃うのを待って攻撃したために、堡塁工事が完了してより強化された要塞を攻めることとなったという第三軍の判断ミスも指摘されている。
砲弾不足の上にコンクリートにより強化された要塞への砲撃砲には役に立たない旧式砲も存在し、会戦に使用する砲弾の不足を恐れる満州軍から砲弾使用の制限を受ける中では、児玉源太郎でも肉弾戦(白兵戦)しか採り得る戦術は無かったし、肉弾戦により自軍も被害を被る代わりに敵軍の兵力を削いでいくことが要塞戦の戦い方という説明であり(「坂の上の雲」で愚の骨頂と書かれていた白襷隊もあと一歩まで迫っていたが兵力不足で失敗している)、伊地知参謀長の更迭後最終的に第三軍参謀長となった一戸兵衛は旅団長として司令部の作戦に疑念を抱いていたが、参謀長就任後作戦日誌を読み返した結果、当時の司令部の作戦指導は妥当だったという結論に至っている(乃木司令官の人格は認めるが、名将とまでは言えない気もする)。
児玉源太郎が203高地攻略のために旅順を訪れた際には、第三軍も各堡塁への攻撃から203高地への集中攻撃に作戦変更を決定しており、近代要塞に効果のある新型砲を集中させた着眼点が児玉の天才的戦術家たる所以だろう。
それにしても、敵戦力見積もりの甘さによる戦力ならびに砲弾不足、根拠のない自信、陸海軍間の意思疎通の悪さについては、その後も改善されること無く、却って悪化(兵備不足を空疎な精神論で補おうとする等)して太平洋戦争を迎えた点で、昭和の日本軍には自己改善能力が欠如していたのでは無いかと思われる。
なかなか良かった。
2024/09/28 19:04
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投稿者:いけたろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
乃木愚将説、賢将説、いろいろあるが、丁寧に当時の状況を分析、説明した上で、賢将と最後に断じている。
確かに、あの困難な状況の中、チームを統率し続けていた行動は首肯せざるを得ない。
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