0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
ぶらっと歩くのに、とても素敵なまちです。コンパクトで、なんだかあったかくて。おいしいものがたくさんで。できることなら、もっとちょくちょく行きたいのになあ。
投稿元:
レビューを見る
長野県・小布施町のまちづくりの軌跡がわかりやすくまとめられています。湯布院や臼杵のまちづくりと対比させて読むことができました。ぜひ小布施にも今度訪れてみたいです。
投稿元:
レビューを見る
修景とランドスケープ的な手法。街並み景観については、どうしても建物とその保存についてに焦点が当たりがちだが、庭や生活道も含めて「らしさ」を追求していくべきという事を再認識。結果観光の町。学ぶ所は多い。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
毎年一二〇万人の観光客が訪れる長野県小布施町。
この小さなまちの何に、人々は惹きつけられるのか―。
そのヒントは、「修景」というまちづくりの手法にあった。
伝統的な町並みに固執しすぎない。
とはいえ、まちの歴史をまったく無視した再開発でもない。
いまあるもの、そこに暮らす人々の思いを大切にしながら、少しずつ景観を修復して、まちをつくってゆく。
奇跡ともいわれる小布施流まちづくりを内側から描き出す。
[ 目次 ]
第1章 北斎に愛された小さなまち(ヨーロッパのような印象深い景観;五感で楽しめる凝縮した集落;人口の一〇〇倍の観光客が訪れるまち ほか)
第2章 過去を活かし、過去にしばられない暮らしづくり―修景(伝統的町並み保存との根本的な違い;そこに住み、働く人たちが主役;当事者すべての希望をかなえること ほか)
第3章 世代を超えて、どうつなぐか(信頼関係の成熟が「内」を「外」に変える;世代交代でゆらぐ、まちづくりのイメージ;古い商店街が空洞化するメカニズム ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
人口1万2千人の長野県小布施町に年間120万人の観光客が訪れると言う。人口の実に100倍の観光客が訪れるまちとはどんなまちなのか、その秘密を知りたくて読んだ。
作者は東京理科大学の教授で、「小布施まちづくり研究所」の所長も務める川向正人氏。
建築士の観点から、利便性ではなくデザイン性を重視したまちづくりの経緯は興味深かった。
日本は高度経済成長時代から、景観やそのまちの文化を無視して、開発をやってきた。しかし、建築の文化、とくにまちの文化は、一度壊したら戻らない。そのあたりをふまえて、「修景」のまちづくりを学ばなければならない。
松岡正剛が初期の段階で目をつけたのが建築。
建築の内容を把握しながら、もう一度精読する価値あり。
投稿元:
レビューを見る
小布施に行ってみたくなる本です。町の名士、政治、経済界がひとつになって、少しずつステップを踏みながら町を整えていく姿に感心しました。
先日、実際に小布施に行ったところ広くはない町なのですが、コンパクトに見所があって楽しむことができました。オープンガーデン、栗の小径、北斎館等々充実した旅になりました。
投稿元:
レビューを見る
長野県小布施町がいかに「奇跡」であったかがわかる本。
小布施に行く前に読むと、気付かなければ通り過ぎてしまうようなことが、
人々の尽力に依って成立しているかが理解できる。
そして、小布施に行くと「これで奇跡か」と考えさせられる本。
1万人の人口に対し、年間100万人の観光客がやってくることは素晴らしい。しかし、中心部の世界に通用するクオリティーと農村部の差は埋めがたい。でも文化だ、それも。埋めなくていいのだ。
もやもやする中、「オープンガーデン」の取り組みは素敵だ。
一般家庭のお庭を開放しているこの事業。「30年間でもっともお金がかからず、もっとも成功した事業」とは、確かにその通り。
日本でこういった許容範囲の広さを見られるとは思わなかった。
素敵です。
投稿元:
レビューを見る
川向正人著、「小布施 まちづくりの軌跡」を読む:
確か、記憶に間違いなければ、司馬遼太郎が、「庭の景観というものは、一代や二代で、出来上がるモノでなくて、何世代にも亘って初めて、完成されるのである。」というような趣旨の発言を、「街道をゆく」シリーズか何かで、読んだことがあるが、景観のみならず、街自体を、「まちづくり」として、変貌させて行くことは、言葉で言う程、実際には、時間も金も掛かり、容易なことではない。今日、駅前のけばけばしい景観や、旧何々銀座と称された駅前商店街通りのシャッター化など、或いは、仏作って、魂入れず式の箱物行政、単なる土建屋向けの膨大な公共投資の問題やら、更には、観光客誘致合戦という経済的な採算名目だけの無駄な予算投入など、「まちつくりの課題」は、そこかしこに、散見されて止まない。むしろ、現状では、ますます、その深刻化が進みつつある。たまたま、信州、小布施による「あおい林檎、プライムリー」の取り組みを知り、その官民挙げてのプロジェクトのまちおこしに、興味を持ったので、この本を読んでみた次第である。湯布院のドイツ型の長期滞在、エコ・リゾートとは、一寸、異なるが、日本のまちつくりや再成長戦略を考えるときには、何か、そこには、役に立つノウハウとヒントがあるような気がしてならない。
「街並み保存」とは異なる手法である修景の特性を生かして、空間や空間の持つ雰囲気を、自然な状態を可能な限り、残してゆく。そして、そこに住む人々の生活が、現に在り、ひしひしと感じられる、そういった生き生きとした「景観」を、継続的に作り出す。常に、現在進行形、工事中、継続的にブラッシュ・アップし続けること、街全体と個々の建物の空間・雰囲気との調和を重視する。単なる「歴史文化財」として「保存・凍結」するのではなくて、或いは、古美術品を展示する「箱物的な美術館」ではなくて、その時の状況、状況に応じた成長・変化を許容する「まちづくり」になっている。「外」に対して、オープン・ガーデンのような「内」を作ったり、身の回りの全てのものを修景の素材ともしてしまう手法。
「空間体験」と建物同士の大小の隙間、路地や広場・小径という「外部空間」の重要性、おもちゃ箱をひっくり返したような雑然とした景観ではなくて、「つなぎ」の重要性に着目した設計に着目して、「舗道を歩く」ことによる連続的な空間の体験により、その印象が深まり、リピーターが増えるという手法、等…
黒川紀章のコンパクト・シティーをベースに、五感で愉しむ触覚的な体験の生活が活き付く街、或いは、曳き家、土壁、瓦、等、観光都市化させるものではなくて、日常生活の中で、「歴史文化」を自然に感じられるような環境を整備し、「道空間」、「道の建築」の考え方に基づき、「外」は皆のもの、「内」は自分たちのものという考え方を払拭し、「生きた街」が、同時に、「生活感」が、実感出来るような設計、町並み保存とは異なる(・・・・)手法、内と外の関係性を補う(・・・・)手法によるまちつくり。住民が歴史文化の豊かさを実感できる日常的な生活環境の整備を目指した街つくり、宮本忠長のデザインは、広場的な「たまりの空間」を設け��路地裏や裏通りの必要性を説き、導線を幾何学的に整えないで、且つ、意識的に避け、職も住も、商も芸術・文化も、人間の多様的な活動が混在する、ゾーニングとは一線を画した、異なる街つくりを目指した。「外と内」との間に固定された境界線はなく、境界は 流動的(・・・・)であり、密接に繋がっている状態、これを「繋げる設計」を採用し、「景観」を「共有財産」と考え、住民総出の外を協力して良くする清掃活動などの地域普請ボランティア活動等を通して、「自発的な内なる自由を有する運動の継続性の必要」をも説いた。空洞化するシャッター通りのメカニズムの解明と、内の問題を、生活環境に整備・回復する修景手法で、解決しつつあるが、同時に、巨大化する観光都市化の波と外からの商業主義的な土産物屋の圧力など、光と陰も、現実には交錯し始めている。
それにしても、建築家の良きコンセプトの具体的な実施、市村良三町長、市村次夫小布施道社長など、町民を含めた多大な努力、或いは、これまでの豪商に培われてきた高井郡の歴史的、伝統的な良さを何世代も掛けて、持続継続させてきたその粘り強さは、一地方都市のまちつくりのノウハウとして、単に、語られるだけでは、全く、勿体ない話であろう。閉塞した日本の街つくりへのヒントと方向性を、日本人ばかりではなくて、海外から来訪するお客様にも、愉しんで貰えるような街、今後の成長戦略へも繋がって行くようなものにしてゆかなければ、相変わらず、シャッター街や、地方都市の高齢化、過疎地化、不採算ローカル線の廃止に伴う陸の孤島化の問題は、全く解決つかないであろう。子供の頃から、学校などでも、こうしたまちつくりの学習や地域おこしの活動を日常化してゆけば、もっと、違った意味での「持続的・継続的な・多世代に亘った」サポーター組織が出来るのではないかと考えるが、、、、、、。そこには、どうやら、街歩きという「商業観光都市用」の言葉や、キャッチ・フレーズは、もはや、必要がないように思われる。自ずと、又、その魅力に、魅入られるように、回帰し、リピーターになるのであろう。そんな気がする。まだ、原石のまま、磨かれていないそんな信州の小京都は、他にも、たくさんあろうが、、、、、、、、、。気が付いていないのは、そこに住んでいる人々だけだろう。
投稿元:
レビューを見る
昨年、小布施若者会議でお世話になった小布施町のまちづくりの歴史を綴った本。あまり予備知識なく訪れてしまったが、泊めていただいた市村良三町長のお宅をはじめ、修景という一大プロジェクトが民間主導で行なわれたことが理解できた。
修景は建物単位で昔ながらの風情を再現する街並み保存と違い、あくまで現代社会の日常の暮らしを守りつつ全体のバランスを調和させる手法。建物単位ではそれぞれの家主や建築家の意図で、結果的には街並みがバラバラになってしまうところ、家の屋根の向きや角度を統一し、建物の位置関係で塀などを無くして生け垣や樹木による滑らかな境界線を描いている。
その結果、修景地区と言われる街の中心部には12000人の人口の100倍の観光客が訪れ、また栗の小径やオープンガーデンといった普通の暮らしの風景が観光資源になるなど、住民参加型でまちづくりを進めている全国でも稀有な地域となっている。
観光需要によって税収が増加して、さらにそれを起業を志す若者たちに再投資することで雇用を創出するといった経済と人材の循環が生まれている。他の地域が真似しようと思っても、小布施町のように合併を拒み自治的に20年もまちづくりを進めてきた地域には決して追いつくことはできないだろう。
まちづくりとは、もちろん経済と人材を抜きにしては語れない。だがそれらの要件を満たすためには、修景のような目に見える事業も必要なのだ。
投稿元:
レビューを見る
小布施を訪れたのは昨年秋。まちづくりの稀有な成功例として取り上げられることが多い小布施町。訪れたときもたくさんの観光客で賑わっていた。
日本人が共有する原風景を喚起するような要素で構成されたまち。そして、とくに感じたのは、まち全体に調和があること。まちと言っても、実際の町の一部、整備が進んだ区画だけだけれど、そのまち全体がまるで1つの空間であるかのように、建物だけではなくその間の通り(隙間)も含めて、同じ意思が込められ、作り上げられていることが至るところから滲み出てる。それはわざとらしくなく、押し付けがましくもない。まちの居心地の良さが生み出されてる。
形、形式だけを真似て整備される街並み保存、観光地化を目指したこれまでのまちづくりとは違う意思、方法によって作られたものだからこのまちができた。まちづくりの経緯、取り組み、そして、それを成功に導いた要因。本書ではその中身を詳しく綴っている。
表面的な形式保存ではなく、住民が歴史文化の豊かさを実感できる日常的な生活環境の整備を目指したこと。まちに誇りをもち、大切にする、そんなまちの存在を目指したことがこの成功の土台にある。
住民が望む形をコーディネートし、それを作り上げることができる、土地に密着した建築家(宮本忠長)。同じ意思を共有できる建築家を重用し、周りを説得する気概と見識をもっていたリーダー。行政だけに頼るのではなく、自分たちの力でその道を歩き続けている住民。それぞれが目指すまちづくりを議論し、ゴールを共有し、それを作り上げるための方法を考え、それを実行した。
関わる人間たちの意思、そのバランスが他にない成功へとつながっている。
小布施の事例は、夢を見させてくれる。将来、そしてその可能性。自分に何が出きるのか、もっともっと考えていきたくなった。
宮本は、建築設計にたずさわる者にとって「まちづくり」が大きな課題であることを強調したうえで、その「まちづくり」に取り組む心構えを、次のように語っている。「まちづくりには長い時間がかかり、10年、20年ぐらいのスタンスで考えなくてはならないし、建築家側もそれに取り組む姿勢がなければいけません。もう一つは、地域との関係です。(まちづくりは)どこまでが仕事でどこまでが仕事でないか分からない、そういったルールの世界に融け込むわけですから、自覚がないとできません。犠牲になることろはたくさんあるが、一つの使命感をもち、環境デザインとはこういうものだという自覚をもって、取り組まねばなりません。ただ表面的につくり上げて、まちづくりができた、というものではありません。」
投稿元:
レビューを見る
川向正人『小布施 まちづくりの奇跡』新潮新書 読了。伝統的な街並み保存ではなく、生活者が調和を保たせながら景観を修正していく「修景」によって行われてきたまちづくりを解説する。些細な工夫や地道な努力の積み重ねこそが魅力の形成に不可欠で、一朝一夕の「まちおこし」的手法では到達できない。