入門書と辞典の合体
2004/07/02 21:01
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投稿者:アルケー - この投稿者のレビュー一覧を見る
入門書としてはとてもよくできた本である。
まず、章の題の付け方がよい。
失敗した理由、建築現場、見学ツアー、動揺である。これだけでも失敗した結果カントが何をどのように実際に行い、そして動揺を招いたかがわかってしまう。
内容のまとめかたがとてもよい。
こんなことをいっている。
物があるから、見える。(=実在論的発想)
物をみるから、存在する。(=観念論的発想)
もうこれだけでも哲学上の重要な問題がさらりと述べられている。
また、これは一見見過ごされることだが、見開きページのレイアウトがとてもよいのである。適当な間隔をあけ、引用文がすっきり引用されて読みやすく、重要な事柄は簡潔な表題がふされ、どこで何を読むべきかが明確にされている。
そしてこれが肝心なことだが、とてもよい索引が添えられているのである。このような本は読み捨てにするものではない。だとしたら索引がどんない役立つことか。入門書に索引がついていなかったら、それは入門書ではない。一度よんだら、こんどは入門書は辞書に変わるのである。それに索引がついていなかったら、読者はどうしたらよいのであろうか。
私はこの本をカント辞典としてつかっている。なんど読み返してもよくできているなあ、と感心する。著者のちょったした整理と工夫が読者に多大の利益をもたらすのである。
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
同じシリーズから出ている長谷川宏著『ヘーゲル『精神現象学』入門』は、確か「主体=実体」という簡潔なキーワードでもってヘーゲルのあの悪文──たとえていえば悪性新生物が「形態」をもとめてのたうちまわっているような文章──でもって綴られた『精神現象学』の肝心要の部分を鮮やかに叙述していたと記憶している。
黒崎氏の本書も「現象」の一語を理解すればカントの、少なくとも第一批判の実質はほぼ理解できるのだと読者の頭に徹底的に叩き込み、これもまた長谷川氏の著書がそうだったように、そこからの、つまりさんざんその魅力を語り読者を誘惑してきた当の書物からの脱出方法まで懇切に伝授してくれる。入門書とはそうでなければならないと思う。
著者は──第一版での、悟性(自発性)にも感性(受動性)にも属さない「第三のもの」としての構想力の位置づけを決定的に変更した──『純粋理性批判』第二版から最晩年の『オプス・ポストゥムム』にいたるカントの道は「思想的退化」であったと書いている。
《カントは…『純粋理性批判』で開示した力動的(ダイナミック)な真理観の展開をとざし、再び、固定的な体系による真理観へと退歩していったのである。》
著者は続けて、ニーチェの文章──《真理とは、それなくしては特定の種類の生物が生きることができないような一種の誤謬である。》(『権力への意志』)──に即して次のように書いている。
《ニーチェによれば、生物としての人間が安定した生を営むためには、世界は生成変化しているものであってはならず、固定的で堅固なものとして表象されなければならない。しかし、このように表象するのは、生にとって有益であるからであって、それそのものが「真理」だからではない。/ニーチェの表現は多分に生物学主義的ではあるけれども、カントがかいま見、そこから退避しなければならなかった〈新たな〉真理の本質を明確に表現しているように私には思われる。》
斬新にして明快。名著だ。
思考の極限への招待
2000/10/11 15:24
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投稿者:成田毅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
格好の入門書である。それに読みやすい。嬉しい一冊である。
学生時代に眺めはした『純粋理性批判』だが、数年前に何を考えたのかじっくり読もうとして買っておいた。まだ5分の1程度も読み進んでいないそれは、今では本棚の隅っこでほこりをかぶったまま、長い眠りについている。お恥ずかしい話だ。
だが、この入門書によって、すっかり目を覚ますことになった。カントの3批判書はとかく難解であるし、この『純粋理性批判』を理解しなくては、現代哲学にアクセスするにも難渋する場合がある。その点、本書はじつに役立つのである。それに、カントを論じながら、哲学、つまりものの見方のポイントも随所に展開されている。決して古びた哲学者ではなかったのだ。
読書の時間が待ち遠しくなってしまった。(成田毅/フリー・エディター)
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カント『純理』入門のための第一冊目。非常に分かりやすく書かれてある。悟性と理性の違い、感性、構想力について、など、まずもって『純理』を読む際におおよそ知っておくべき用語の説明から、純理の全体的な構造と、その問題点などがうまくまとめられている。これを読めば純理が身近に感じられることだろう。11.23-26.
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世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、という主張。
自分が十年以上前に、Newtonで「完全な客観性など存在しない」といった趣旨の対談を読んだ時の衝撃を思い出しました。
あれはここにリンクしていたんだ。
本の内容も興味深く、引き込まれました。
価値のある一冊です。
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*****
常識では,正しい認識とは,事物の姿を主観を交えずありのままにうけとること,と思われている。しかし,カントが『純粋理性批判』で明らかにしたのは,<あるがままの事物>をとらえられると考えるのはおろかな妄想にすぎず,認識は徹頭徹尾,主観的な条件で成立しており,そのことによってのみ,認識は客観性を有する,という主張なのである。つまり,素朴にありのままを認識しようとすれば,それは主観的なものとなり,逆に,世界は主観による構成物だと考えることで,初めて客観的認識が成立する,というパラドキシカルな主張こそ,『純粋理性批判』の根源的テーマなのである。(p.11)
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カント哲学は哲学の最終的な行き着き先であるため、カントを学ぶ前にプラトンやソクラテスは最低でも知って置く必要があるし、哲学とはと言う入門書は必ず必要となる。それ程までに純粋理性批判というものは取り扱うには難しい。ただ、ものすごく単純化すると、その存在の見る方向、その対象物からの方向がどちらに向いているのか、また、モノではなく事象としてどうなのか、だから、その事象は起こりうるのかなど、絶えず中心点は、軸をどこにおくのかだけ理解できていればなんとかなるかもしれない。本著については、入門書であるため、純粋理性批判がどのようなカントの生い立ちを背景にできたのか、カントという哲学者はどういったパーソナリティなのか、まずはそこから入るためには良著であると思われる。★を一つ減らしたのは著者がカントに傾倒しすぎて、感嘆文を入れているためである。
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一年に2度ほどは読み返さないと、だめだこりゃ。
あー大学のオープンキャンパスとか行ってみたい。
カント講義きいてみたいなぁ。
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「カント入門」よりもくだけた文章で、また初心者への用語の解説も丁寧なので、こちらのほうが理解しやすい。
「純粋理性批判」って響きがいい。「相対性理論」と並ぶくらい惹かれる。バンドの名前にしても面白いかも。
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カント二冊目。相変わらず難しくて文字の上を目が滑る滑るorz けれどそれなりに分かりやすく、所々砕けた文章で書いてくれているので読むこと自体は苦ではありませんでした。
個人的に後半(特に第三章)が難しかった;;
「時間・空間や因果関係などのカテゴリーは、人間の認識の成立の条件、つまり、現象の成立の条件なのであって、物そのものの成立の条件では決してないのである」という文章にはっとさせられました。まさにコペルニクス的転回!
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カント哲学が、肯定否定含めてざっくり概観できます。
日本語ばかりなので初心者でも読みやすい。ここで引用されている坂部さんやヘーゲルの著作も読んでみたくなりました。
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入門という名の通りに、著者が簡略的にして重要な概念を伝えてくれていてとても読みやすく、またわかりやすかったように思う。
カントについて知るには不十分だと感じたが、入門書として読む本の中の一冊にこれがあっても良いなと感じた。
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岩波の翻訳で何度か挫折していたので手に取ってみたが、序文から秀逸であった。著者曰く、解説書において大切なことは原書との距離感であるということだ。単なる目次や経歴の列挙でもなく、あるいは訓詁学のような詳細な解説書でもない。その絶妙な距離感が必要だと述べられていて、本書はその距離感を忠実に守っている。
世界の現象は客観的だが、認識は主観的。
認識は悟性(理性)と完成によって補完的な産物
などといった、現代的な感覚すれば、当たり前な気もしなくもない命題を導いたことにカントの本質があることがわかった。その時代からすれば、人間が神から心理を取り返した大事件だったのだろうと想起できる。
理性と悟性との違いなど本質的かつ詳細な解説もあり、岩波の翻訳を読んでいた時の多くの疑問が氷解した。もう一回、岩波を読めば違った世界が開けるのだろう。その意味で優れた入門書であった。
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「主観(私)」は「物自体」ではなく、その現象を認識する。その限りにおいて、人間のカテゴリーが適用できる。また、感性によって知覚、受け取った現象を悟性によって認識するというプロセス。
「純粋理性批判」を書く前に、10年間何も著作を出さなかった時期がある。この間にカントの思想が熟成したという。
また、晩年に向かうにつれ、「悟性一元論」へ傾くなど「思想の衰退、退化」がみられるという。これは、カントがのぞき込んで尻込みしてしまった「超越論的構想力(≒想像力)」の問題と深い関わりがあるらしい。カントは真面目すぎて、下ネタに赤面するか怒りだすような、冗談が通じないようなひとなのだろうか。
かなりわかりやすくダイナミックでユーモアにも富んだ解説書。
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入門という名前だが、この本自体が非常に難解である。とはいえ、ツアーガイドとして、その醍醐味を伝えることには成功している。カントの内面と言うよりは後進がどのようにカントを捉えているかという内容となっている。
この本を読んで思い浮かんだのは、映画「マトリックス」である。映画の主人公たちはマトリックスと呼ばれるコンピュータの作り出す仮想空間にいるという設定であった。
本書で言うところの「現象」は、コンピュータが作っているのだが、その事実を知って、抜け出そうとするヒトもいたし、とどまることを選択したヒトもいた。感性と悟性の合一が、現象の理解を得るとした時に、選択の優劣があると言うよりも、本人の経験と価値観の問題に還元されるのだろう。
工学、エンジニアリングの世界に生きてきた自分としては、哲学の答えのなさや実用性の無さは理解しかねるものであった。しかし、工学も経験を積むにあたり、評価のパラメータが多くなれば、ひとつの答えが正解とは言えないという事実に数多くぶつかってきた。
工学では数学という道具を用いて、曖昧性を排除する。しかし、その数学を適用するために、実態の一部をある観点で切り取る。その時点で本質から離れているのだ。
一方哲学は、経験と論理のみでモノゴトの本質を捉えようとする。言葉の定義という曖昧さは内包しつつも、出来るだけ捉えようとする学問なんだと改めて思った。