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6件
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
著者 鹿島茂
偉大な皇帝ナポレオンの凡庸な甥が、陰謀とクー・デタで権力を握った、間抜けな皇帝=ナポレオン三世。しかしこの紋切り型では、この摩訶不思議な人物の全貌は掴みきれない。近現代史の分水嶺は、ナポレオン三世と第二帝政にある。「博覧会的」なるものが、産業資本主義へと発展し、パリ改造が美しき都を生み出したのだ。謎多き皇帝の圧巻の大評伝!(講談社学術文庫)
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
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怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
2020/03/27 10:12
「間抜けな皇帝」と呼ばれる一方で、「世界史の流れを変えた人物」とも称されるナポレオン三世とは一体、どのような人物だったのでしょうか?
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、偉大な皇帝と言われるナポレオン・ボナパルトの甥にあたるルイ・ナポレオン、一般に「ナポレオン三世」と呼ばれる人物の本格的な評伝です。彼は、1815年のナポレオン・ボナパルトの失脚後、国外亡命生活と武装蜂起失敗による獄中生活を送りましたが、1848年革命で王政が消えるとフランスへの帰国が叶い、同年の大統領選挙でフランス第二共和政の大統領に当選しました。その後1852年に皇帝に即位して「ナポレオン三世」となり、第二帝政を開始した人物として知られています。しかし実は、彼は、漁色家で、放蕩家で、陰謀家で、一般的には「間抜けな皇帝」と言われています。ただ、他方、当時において、パリ大改造、消費資本主義を発明し、世界史の流れを変えた人物でもあります。こうした一見矛盾するような性格をもったナポレオン三世は本当はどのような人物だったのでしょうか?同書では、彼の素顔を追っていきます。
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
2019/09/03 13:46
マルクスの評価を覆す、渾身の歴史書
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カール・マルクスの代表作である『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、
「ヘーゲルはどこかで言っている。世界史的な大人物や大事件は二度あらわれる、と。しかし、こう付け加えるのを忘れていた。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と。」
の名言から始まる。
一度目の「悲劇」はフランス大革命を終結させたナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン1世)の“ブリュメール18日のクーデタ、「茶番」はフランス第2共和国大統領ルイ・ボナパルト(後のナポレオン3世)の帝政を準備するクーデタを指す。
マルクスは、ボナパルトという取るに足らない小人物の政権奪取は、ブルジョワが政権を単独で担う力を失い、かつ労働者が政権を担うだけの力をつけていないという勢力均衡の間隙を縫って成功した、階級闘争の幕間劇だったとしている。
本書は、このマルクス史観に真っ向から異を唱えた渾身の歴史書である。
主人公のナポレオン3世はナポレオンの甥に当たる。ナポレオン没落後、共和制に戻ったフランスで稚拙な一揆を起こして鎮圧されるだけの、野心に燃えた若者は、監獄から脱出、やがて大統領の地位を得るに至る。立法府との対立からクーデターで実権を握ると、伯父の跡を襲うかのように、帝位に上った。1852年のことである。
もっとも、彼の帝政のイメージは早くから独特のものだった。フランス革命のめざした民衆主権と自由の理念を守り、それを秩序のうちに実現するための権威が、彼の夢見る皇帝であった。皇帝と民衆が直接に手を結び、中間にある旧貴族やブルジョワの反動を排除する-これは典型的なポピュリズムの思想だといえる。
「ナポレオン3世は、イデオロギーを持った唯一の君主だった」と、著者は言う。その思想基盤はサン・シモン主義である。ルイ・ナポレオン時代に『貧困の根絶』という著書をものした。彼の内政方針は,産業育成と社会福祉拡充であった。政府主導で、産業を興して富のパイを大きくし、そのうえで正しい徴税を徹底して、再配分を行う。これは、正に戦後日本の復興政策ではないか?
第二帝政下においてフランスは鉄道大国となり,イギリスに次ぐ工業国・資本主義国となっていく。金融改革も進み,信用銀行が設立され、労働者住宅や共同浴場を整備して福祉政策を充実させた。そして、「パリの大改造」。現代のパリはこの時に創造され、世界有数の都市に変貌した。都市の近代化は産業育成の上でも社会福祉拡充の上でも至上命題であった。
これほどの業績を上げた君主であれば、ナポレオン1世以上に、その功績を讃えられて然るべきだと思うが、然にあらず。この皇帝には二つの大きな「欠陥」があった。
一つは経済重視を裏返した平和主義で、軍備の充実は二の次であり、伯父の1世に似ず、軍事的な才幹を全く欠いていた。おかげで二度の戦争で苦戦を重ね、最後の普仏戦争ではみずから捕囚の辱めを受け、帝政終焉が決定的となった。
もう一つは後世にまで名を馳せた漁色家であって、高級娼婦から庶民の娘、果ては部下の夫人に至るまで、多くの女性に分け隔てなく愛を注いだ上に、贅沢な宮廷社交にうつつをぬかした。
荒淫が過ぎたことで膀胱炎にかかり,晩年は終始体調不良で,政治的決断力が大きく鈍っていたとされる。
「この皇帝がときに観念的な理想王義に走り、自分の利益を裏切る性癖があった」という著者の指摘は、特に、晩年、普仏戦争の直前に議会の民主化を進め、皇帝権力をわざと弱める政策をとった点、などに現れている(このため、議会の普仏戦争参戦決議を拒否しきれなかった)。これが、「怪帝」と呼ぶべきゆえんだという。
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史
2019/01/28 15:26
まともな人だったのかも
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナポレオンについてお勉強したあとは、やっぱりその甥であるナポレオン三世についてお勉強して見なくてはと読み始める。はっきりいうと、ナポレオン三世のことなんて日本史専攻だったから全く知識がない。それどころか第二帝政なんて初めて耳にした。ルパン三世ならよく存じ上げているのだが。ここしばらく、フランス革命からナポレオン、そしてナポレオン三世と18世紀後半から19世紀前半までの歴史を初めて勉強してみて、やっぱりこの時代のフランスは面白いと感激。全くよいイメージがなかった彼が、著者のいうところでは、もし第二帝政がなければフランスが近代国家の仲間入りできたかどうかも疑わしいと評価されている。パリがきれいな街になったのは彼のおかげなのだとも言っている。人は見かけで判断してはいけない見本のような人だ