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5件
文学論
著者 夏目漱石著
1903年苦しいロンドン留学から帰国した漱石は帝大でいよいよ文学を講じる.後の文豪は世界文学といかに出会い自らの文学を築いたか.Fやfの用語など一見難解な外観と厖大な原文は人を圧倒するが,独特の苦渋とユーモア漲る痛快な口調で語られる文学修行の精華.西洋と日本の近代をつなぐ迫力満点の講義録.【亀井俊介注解】
文学論 (下)
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文学論 下
2021/01/06 12:19
漱石文学論の応用
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
上巻では漱石文学論の基軸である「F+f」の公式の理論的基礎が盛り込まれていたが、下巻ではこの公式の応用を試みている。とくに、漱石の生い立ちから西洋の文学作品の例にこの公式を当てはめて、理論的分析を行っている。公式の詳細や応用から導き出された文学の類型論など、読むに値する論考であると言える。この作品を読まずに文学に携わることはできない。
文学論 上
2021/01/06 12:16
漱石文学の集大成:文学の基礎理論
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
夏目漱石の言わずと知れた文学論。漱石好きではなくても、文学好きには必ず読んでもらいたい作品。上巻では、漱石文学論の要である「F+f」の理論的基礎を具体例を交えながら解説している。この公式は、古今東西通用するような文学理論だと感動した。西洋的な文学論が構造的であるならば、漱石の文学論は意味的・内容的だと言える。
文学論 上
2007/04/22 20:09
文学理論の悲惨さは昔も今も変わらない。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉田健一という文筆家がいた。政治家・吉田茂の息子で、父に逆らって文学を生業とした。三島由紀夫とも親交があったが、晩年に至って袂を分かっている。ドナルド・キーンは双方に仲違いのわけを尋ねた。両者とも答は同じだった。「日本の伝統を知らなさすぎる」。キーンはこう書いている。「しかし日本の伝統という言葉の意味は三島と吉田では異なっていた。三島は古代中世以来の日本文学の伝統を言っているのに対し、吉田の言う伝統とは、戦前の上流階級の暮らしを体で知っていることを意味していた」。では戦前日本の上流階級の暮らしとはどういうものだったのか?
三島はその最後の小説『天人五衰』で、少年を養子に迎えた老主人公が洋食のマナーを仕込む場面を描いている。老主人公はこう言うのである。「自然な動作で洋食を食べれば育ちがよいと見られて得をする。そして日本で育ちがよいというのは、洋風の暮らしを体で知っているということに過ぎないんだからね」。ここには吉田健一への痛烈な批判が込められていると見てよい。
吉田茂は戦前外交官として仕事をし英国に暮らした。首相となって各国の要職者と渡り合えたのもそうした経験があったからだ。そしてふだんの暮らしぶりにも英国風が取り入れられていた。言うまでもないが文化的素養がなくては外交官は務まらない。それでも彼にとって英国文化はあくまで政治の従属物に過ぎなかったろうが、息子・健一になるとそれが逆転するわけだ。ちなみに英国風が近代日本を形成するのに果たした役割は、皇室も英国王室を模範として近代化を図ったことを見れば、その意味は相当に大きい。第一次大戦まで地球上の覇権国家とは英国だったのだから。
さて、漱石である。漱石が英国留学中にノイローゼになったのは有名な話だ。理由は色々考えられる。そもそも日本人などごく少数しかおらず文化的経済的差異も大きい異国に船で地球を半周して出かけていくのだから、その心理的圧迫感は今日の留学の比ではない。また後年の漱石を見れば、もともとそういう素質を持っていたとも推測できる。肉体的な劣等感もあったかも知れない(ちなみに今日でも英国人と日本人の平均身長には5センチ以上の差がある。この差は、栄養によるものではなく、コーカソイドとモンゴロイドの人種的な違いと見た方がよい)。要するにノイローゼの原因は複合的なのであって、一つだけ理由を挙げて済ませてはいけないのである。それでは、何でも階級闘争史観で説明した左翼や、社会の悪は全部ユダヤ人のせいにしたナチや、現代なら理解できない事柄は何でもサヨクで済ませる人たちと同じレベルになってしまう。
一つの要因として挙げられるのが言葉の問題である。周囲と会話が通じなかったのだ。漱石の英会話能力は低くなかったが、彼が身につけたのは帝国大学に雇われていたスコットランド人の英語だった。ロンドンではコックニーと呼ばれる訛った英語が使われており、漱石にはまるで聞き取れなかったのである。英国留学してもそういう事情が分からない人は、川島幸希『英語教師夏目漱石』を読まれたい。
漱石の文学論は昔から評判が悪かった。同時代の文人・日夏耿之介にも揶揄されている。しかしそれは文学理論というものにつきまとう宿命と見るべきだろう。だが文学や文化を単に好事家の暇つぶし程度にしか考えない人は、吉田茂の息子が文学をやった理由も分かるまい。それはつまり人間が分からないというのと同じことである。今日のロンドンは地下鉄料金が4ポンド(900円)もして日本人を閉口させるが、大英博物館やナショナルギャラリー(美術館)は入場無料なのである。文化にカネをかける意識が根本的に異なっているのであり、漱石も吉田健一もその点で英国の影響下にあったと言える。単純な物差しで国家間の優劣を計るような真似は慎みたいものだ。