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20件
ヨコハマ買い出し紀行
著者 芦奈野ひとし(著)
お祭りのようだった世の中がゆっくりと落ち着き、のちに“夕凪(ゆうなぎ)の時代”と呼ばれる近未来の日本。人型ロボット・アルファは、喫茶店『カフェ・アルファ』を営みながら、オーナーを待ち続ける――。アフタヌーン本誌で12年もの間、読者の支持を集め続けた異色のてろてろSFコミック。
ヨコハマ買い出し紀行(14)<完>
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ヨコハマ買い出し紀行 14 (アフタヌーンKC)
2006/06/02 16:43
“夕凪の時間”に身をまかせる心地良さは永遠に・・・
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:カルバドス - この投稿者のレビュー一覧を見る
ゆるゆるとした時間が、とても心地良かった。
後の世で“夕凪の時代”とよばれる、数多の都市が水没した近未来を舞台に紡がれた、アンドロイドと人間達の物語。
物語が始まった12年前といえば、今ほどではないにしても、世の中がかなり物騒になり始めていた頃だ。人と人の心がうまく噛み合わなくなってきて、常に何かに対して神経を尖らせていた。そんなピリピリとした感情を「まあまあ」となだめ落ち着かせてくれたのが、この『ヨコハマ買い出し紀行』という作品だった。登場人物達と共に「ほぅ」と息を抜くと、ようやく自分自身が見えるようになった気がしたものだ。
ゆったりてろてろと流れていたような時間はやはり「光陰矢の如し」で、人間の登場人物達はどんどんとその姿を変えていった。ちょっと生意気だった子供達は大人になり、人生の先輩達の姿は次第に見えなくなっていった。変わらずにいるのは、主人公のアルファさんをはじめとするアンドロイド達だけ。人々と同じように、大地もまだその姿を変え続けている。
この作品を、一体何人の友人知人に紹介しただろう。無意識のうちにそうした人物を選んでいたのかも知れないが、一読を勧めてファンにならなかった人間は一人もいなかった。みんながみんな「なんか落ち着くよね〜」とか「癒される〜」といった感想を述べていた。きっと彼ら彼女らも、既に最後のこの巻を味わったことだろう。
スローライフだのロハスだのと言っても、現代人は常に時間に追われている。心が急いていたのでは、落ち着くものも落ち着けない。本書を含めた全巻を通して読み、心に休息を与えてはいかがだろうか。
2021/05/22 22:34
世界を優しく美しく終わらせたい
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:にゃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
盛夏の空が深紅から濃紺に変化するのを見るような感覚の物語。物理的ディストピアと精神的ユートピア(豊饒さ)を同時に表現しているところが面白い。
ネビル・シュートの「渚にて」に感じる悲壮感よりも、本作に漂う物悲しさの方が日本人の終末観にあっているのかも。
神経が過敏な夜に最適なコミックです。
ヨコハマ買い出し紀行 13 (アフタヌーンKC)
2006/02/26 06:43
とうとう完結してしまいました。雑誌連載で完結回を読んだので、最終巻ではない巻に投稿しています。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:suguzr - この投稿者のレビュー一覧を見る
センター試験の前日だった。書店で見つけた、コバルトブルーの空が鮮やかな一巻の裏表紙。6巻までしかなかったその6冊は、速やかにレジを通り、こなさなくてはならないはずの問題集を押しのけて、勉強机を占領した。わたしの意識は夕凪の時代にエスケープし、体は、まだ見ぬ、いや、どこか見たことのある風景に、文字通り実際に打ち震えた。明日はセンター試験だって言うのに。
無数の線を並べて重ねて描かれた、住宅の跡地を覆いつくすススキと、電柱を包み隠す葛。まだ見ぬ、いや既に見た風景。激しい既視感が、忘れていたあの世界を呼び覚ました。
東京へ電車で一時間少し、もう一駅いくと田畑のみという、ぎりぎりの地点は、バブル期に一斉に宅地開発され、バブルが弾けたとたんに一斉に凍結された。わたしたちフライングで完成してしまった家の子らは、もう家の建つことはない、しかし車庫や階段、ごみ集積所までも既に完成している、建物だけが無い住宅地で、ススキ、葛、キリン草の不自然に茂る人工の原っぱに遊んだ。(キリン草は作中には描かれない。こことあそこはやっぱり違う場所なのだった。もしかしたら作者は自分の家の近くに住んでいるのではないかと想像してしまっただけに、残念。こういう場所は、日本のいろんな場所にあるのだろうか。)
ヨコハマの世界と違うのは、かつて人が住んでいたわけではないことだ。しかし、
人の住まない宅地、
踏まれない階段、
土埃を停める車庫、
いない主を守る要石、
水の出ない蛇口、
渇いた無臭の下水道、
回収するもののないごみ集積所、
車の通らないアスファルト、
誰に命を下すでもない交通標識、
角の先でなくわたしを映すカーブミラー、
何も守れないガードレール、
何処にも繋がっていない電線、
人工の灰色の樹となる電柱、
光るために光る街灯、
インカムの無い自動販売機、
開かないシアン金網の門、
黙殺される立入禁止、
乗り越えられる鉄条網、
脇を通り抜けられる虎縞の鉄屏風、
入口も出口もない二車線、
もう走らない乗用車、
苗床となるゴムタイヤ、
開いているマンホール、
無関係者が立ち入る飯場、
ガラスの無い窓、
水の代わりにゴムマリの溜まる貯水池、
稲ではなく葛の茂る、もと水田の住宅地。
それらすべてを、作中で描かれているように、葛とススキ(とキリン草)が覆い尽くし、かつてそこに人が住んでいたのか、人の住むまえに滅びてしまったのか、もはやわからなくなっていた。
それらに、最近、再開発が始まった。少しは景気がよくなったのだろうか。もつれる葛は刈られ、二十余年を経てようやく家が建ち始めた。
<アルファ>達が見つめる夕凪の世は、静かに、やさしく夜に溶けていくが、いつも青々として、終わらない夏の中にある、生まれる前に終わったはずのわたしの思い出の世界は、再び生まれ直そうとしている。
本作が完結したことも、思い出の世界が無くなってしまうことも、少し寂しい。でも、完結することによって、無くなってしまうことによって、物語は思い出は完成する。この14冊は死ぬまで大切にして、死んでも子供に譲ろうと思う。
(雑誌連載で完結回を読んだその日に書いたので、最終巻ではない巻に投稿しています。)
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