電子書籍
八甲田山死の彷徨
著者 新田次郎
日露戦争前夜、厳寒の八甲田山中で過酷な人体実験が強いられた。神田大尉が率いる青森5聯隊は雪中で進退を協議しているとき、大隊長が突然“前進”の命令を下し、指揮系統の混乱から...
八甲田山死の彷徨
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八甲田山死の彷徨 改版 (新潮文庫)
商品説明
日露戦争前夜、厳寒の八甲田山中で過酷な人体実験が強いられた。神田大尉が率いる青森5聯隊は雪中で進退を協議しているとき、大隊長が突然“前進”の命令を下し、指揮系統の混乱から、ついには199名の死者を出す。少数精鋭の徳島大尉が率いる弘前31聯隊は210余キロ、11日間にわたる全行程を完全に踏破する。両隊を対比して、自然と人間の闘いを迫真の筆で描く長編小説。
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紙の本
指揮官の責任の重さ
2002/06/25 13:03
14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:奥原 朝之 - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画化もされた有名な話である。
本書を読んでない方または映画を見ていない方でも、八甲田山における陸軍の雪中行軍遭難事故を知っている方は多いだろう。しかし本書を読んでいない方の中で、遭難せずに無事帰還した部隊もあることを知っている方がどのぐらいいるだろうか。
本書では雪中行軍に成功した部隊と失敗した部隊とを対比することでどこに遭難の原因があったのかを克明に浮かび上がらせている。
またこの時には日本最低温度記録を打ち立てるほどの寒気団が日本列島を襲うなどの不運も重なり被害を大きくした。この時に記録された最低温度は未だに破られていない。
成功した部隊は地元民を案内役に仕立て方角を見失わない様にし、遂行人員も厳選して小隊編成で行った。それにもまして計画を立案した大尉自ら指揮権を誰にも渡さないことを上官に認めさせたことが大きいだろう。
これに対して遭難した部隊は一個小隊で行うはずが、何時の間にか総員210名という一個大隊並みの編制になり、しかも指揮権を持っているはずの大尉がうやむやのうちにオブザーバーであったはずの少佐に指揮権を握られてしまったことが起こるべくして起きた事故へと変化させてしまった。
指揮系統の乱れ、行軍中の小田原評定など、なんとも御粗末な行軍である。明らかに雪の恐ろしさをなめてかかっている。助かった十数名も五体満足なものはおらず皆凍傷によって指や下肢の切断などの後遺症を残した。
陸軍は太平洋戦争末期に精神論で戦争を乗り切ろうとしたりするなど、近代化には程遠い軍隊であったことを暴露しているが、実は日露戦争以前からそうであったことが本書で明らかにされる。日露戦争を目前にして、訓練の名の下に行われた人体実験。旅順を攻略するとき以上に人的被害を出したとされている。
最後に師団長の言葉が紹介されている。『遭難した青森五連隊、無事帰還した弘前三十一連隊のどちらが勝負に勝って負けたのか。どちらも勝ったのだ。青森五連隊のおかげで、これまで申請しても認められなかった冬期装備が認められたのだ。』非常にナンセンスな言葉である。冬期装備を確保するために約200名の命が必要だったのだろうか。読了後は深い虚無感に誘われた。
紙の本
事前学習に
2015/08/20 13:49
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しましま - この投稿者のレビュー一覧を見る
八甲田へ旅行へ行く前に、事前学習に読みました。史実をベースにしているとはいえこの作品はフィクションですが、読んで行って良かったです。八甲田をうろうろしていると雪中行軍事件について案内板が出ていたり銅像があったりなので、「あの場面はここか」と、イメージがふくらみます。
遭難した部隊がパニックに陥り崩壊していく様は圧巻です。さすが新田次郎。行軍を成功させた隊と遭難した隊を対比させる書き方になっていますが、単にリーダーの善し悪しですませてはいない。生還した方の隊長は、指揮系統をがっちり押さえ、入念な準備,目的意識のはっきりした少数精鋭の選抜など組織のリーダーとして優れたところがあった。しかし、軍人以外には人を人とも思わぬ態度で人間としてどうなの?という一面も見せて、単にすばらしい人が指揮官だったから生還できた、とはしていない。もう一方の死んだ隊長も、死を前にして行軍が失敗した要因を冷静かつ正しく分析しており、暗愚な指揮官ではなかった。そういう人が陸軍という組織の悪弊によって力を発揮できず死に追い込まれていく。結局この壮大な人体実験に勝者はいない。
電子書籍
軍の歴史を垣間見る
2022/06/30 18:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さぬきうどん - この投稿者のレビュー一覧を見る
衝撃的で、震えがくる内容だ。
やはり映画とは違うものを感じる。
現在の陸自 第5普通科連隊の、ある連隊長経験者を知ってるが
全く異次元なほどの違いを感じる。
日本国民全員が読むべき。
紙の本
冬山の厳しさと人間模様
2019/07/06 07:16
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:バベル - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み進めるうちに、冬山の厳しさと人間の身勝手さが伝わる作品。自然の力の前では、人はいかに無力か、また人の判断がいかに影響するかが分かる。一度その場所を訪れてみたい。
紙の本
記録文学の傑作
2016/12/29 08:55
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『強力伝』で第34回直木賞を受賞した新田次郎氏の作品の中でも最も人気の高いもののひとつが、本作品だろう。
新田氏は1980年2月に67歳で亡くなっているから、すでにその人なりを記憶している人も少なくなっているかもしれない。(ちなみに、奥さんの藤原ていさんは2016年11月98歳で長寿を全うされた)
新田氏は気象庁に勤務し、富士山気象にも関わったことがある特異な作家である。
明治35年に起こった雪中行軍の遭難事故は200名近い死者が出た歴史上有名な事故だが、今日までそれが記憶として残っているのは、新田氏のこの作品のおかげともいえる。
青森5聯隊と弘前31聯隊はある日の「冬の八甲田山を歩いて見たいと思わないかな」という旅団長のちょっとした言葉から厳冬の八甲田山縦断に挑むことになる。
この作品では多くの死者を出した青森5聯隊と一人の死者も出さずに縦断に成功した弘前31聯隊の行動過程を描くことで、組織がどのようにして失敗していくかを描いている。
新田氏の文体はほとんど業務連絡のように事由だけを積み重ねていく。さらに氏の得意とする気象知識がそれを補足し、人をして「記録文学」とまで呼ばせることになる。
もちろん新田氏はそういう表現方法をとることでまるで読者をもまた厳冬の八甲田山に迷い込ませたといえる。
その一方で弘前31聯隊を案内して最後には過酷に放り出される農民たちの姿を描くことで地に生きる者たちへの優しい視線も忘れてはいない。
「山というものは優しい姿をした山ほど恐ろしい」。
山を愛した作家新田次郎氏ならではの言葉である。
紙の本
帝国陸軍の官僚制がもたらした悲劇
2010/03/08 00:12
8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治35年、日露戦争が勃発する2年前、第4旅団の2個聯隊が一つの実験をおこなった。露国の艦隊が津軽海峡、陸奥湾を封鎖した場合、八甲田山山系を縦断して青森と弘前、青森と八戸とをつなぐことができるか。ことに冬季において。これが実験のテーマであった。総里程は60里、約240キロメートルであった。
歩兵第31聯隊から選抜された1個中隊は、弘前から出発し、一夜のうちに全滅した。
悲惨な結果をもたらした一因は、指揮権の混乱である。当初神田大尉(史実は神成大尉)が指揮をとるはずだったが、出発直前に割りこんだ山田少佐(史実は山口少佐)が指揮権をとりあげた。山田少佐は、神田大尉が事前に手配していた案内人を、何の根拠もなく、いや軍の権威を理由に追い払ったのである。
31聯隊の惨たる事件のため成功に翳りが生じたが、青森から出発した歩兵第5聯隊の1個小隊は、無事目的を完遂した。指揮官徳島大尉(史実は福島大尉)は、案内人の手配はもとより持参する食糧から防寒の工夫まで周到に用意していた。隊員も、志願した見習い士官以上を中心とし、しかも各自に研究課題を与えることで緊張を持続させた。
しかし、徳島大尉もまた軍人だった。たとえば案内の民間人を人とも思わぬ態度が随所に活写される。
本書がもたらす恐怖は、常勝将軍ナポレオンを敗退させたロシアの冬将軍に匹敵する八甲田山の雪ではない。いや、雪はたしかに恐ろしいが、それ以上に恐ろしいのは明治の陸軍の旧弊固陋な官僚的組織である。
歩兵第5聯隊の目的合理性にかなう行動を描くことで、陸軍に組織見直しのチャンスがあったことを著者は示唆している。
しかし、帝国陸軍はなにも学ばなかった。歩兵第31聯隊の悲劇は、後にインパール、レイテ、その他の戦場において再現されたのである。
紙の本
人はこのような死に方をするべきではない
2004/03/08 08:56
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:紫月 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はかつて映画化もされた著名なもの。
雪中行軍は厳寒、深雪を通して軍の移動ができるかどうかの人体実験でした。
二つの部隊に分かれ、それぞれ逆方向から八甲田山踏破を目指したうち、片方は壊滅状態に陥ります。もう一つの部隊は完全踏破を成し遂げましたが、本書はこの実験そのものの虚しさを訴えたものです。
第五聯隊を率いる神田大尉は、死の直前、なぜ踏破に失敗したのかを頭の中で整理しています。
——案内人を頼まなかったこと、下士官に突き上げられて前進したこと、夜中に雪濠を出発したこと、特務曹長が誤って部隊を死地に導いたこと、少佐が自分の指揮権を奪ってしまったこと。
しかし、根本的な誤りは、このような人体実験が実施されたことにあります。
当時の身分制度をそのまま引きずった軍の体質、戦争へ突き進んでいく日本の姿は、根っ子の部分から相当に歪んでいたのでしょう。
一切の責任を自らにあると見て、舌を噛む神田大尉の姿。
弟の遺体を背負って歩きたいと申し出る兵士。
兵士が発狂し、凍え、死んでいく様。自然の猛威。
数々の悲劇が繰り広げられる様を、作者は過剰な装飾なしに淡々と書き上げています。
生還した第三十一聯隊の指揮官や兵士たちも、わずか数年の時をおいて戦死という形の最後を迎えます。
いずれをとっても彼らの上に訪れた死は、本来ありうるものではなく、人の死に様としてはあってはならない形のものでしょう。
気象学者でもあり登山家でもある著者は、極限状況にある人間ドラマを、さながら記録でも記すかのように、冷徹に描ききっています。
紙の本
凍傷は怖い
2018/08/12 20:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:金吾庄左ェ門 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「天は我々を見放した」「眠ったら死ぬぞ」の名セリフはさておき、凍傷の怖さがよくわかる作品でもあります。手に物が持てない、歩く事もままならないうえに、凍傷になって排尿ができない、できてもそこから凍る。漏らしてもそれが凍って命取りになるというのは恐怖以外何物でもありません。
遭難した第5連隊は、その原因となった山口少佐や進藤特務曹長が死ぬことで責任を果たしたとも言えますが、案内人に無理強いをした第31連隊の成功を褒めたたえるのもどうかと思います。
紙の本
面白かったです
2021/11/19 10:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:iha - この投稿者のレビュー一覧を見る
実在の遭難事件を基に創作された話です。高倉健さん主演の映画を見たきっかけで、この本を手にとりました。映画に輪を掛けた凄惨な内容に読み進むのが辛かったです。
紙の本
神は我を見放したか
2002/02/08 13:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:渡辺拓 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルにもある、有名な台詞は本書が映画化された時に宣伝の際に使われたシーンで、軍人の将校が言い放つものだ。
雪中行軍にいける悲劇的な遭難の様子を描いた作品で、その絶望感と、地獄絵図には身を震わせずにはいられない。日露戦争のころの軍人の振る舞いや、気象に対する認識の甘さなど、このような大遭難にいたった経緯が丁寧に、しかも物語として描かれているところが、著者の真骨頂だと思います。単なる遭難パニックものではなく、その相対を俯瞰し、さらに人間の視点まで降りて描かれている希有な本です。同じ作者の「聖職の碑」もあわせてどうぞ。
紙の本
雪中行軍という人体実験が浮かび上がらせたもの
2022/01/15 21:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とりこま - この投稿者のレビュー一覧を見る
八甲田山での帝国陸軍の遭難事件が克明に描かれ、雪山の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。
この事件が伝えるものは、陸軍の組織的な欠陥であり、具体的には責任回避、指揮命令系統の不徹底、調査不足などである。さらに、雪山を軽視しているとしか思えない競争の煽り方はまさに人体実験であり、ここから何も教訓を得ることなく、昭和まで進んでしまったんだろう、ということを思い知らされる。
紙の本
八甲田山での大量遭難事故の真相に迫るノンフィクション
2024/02/14 18:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
日露戦争直前に、実際に発生した八甲田山での遭難事故を題材にした山岳小説。登場人物名は実在の名称から変更されていますが、ほぼノンフィクションと捉えて良いと思います。
日露戦争を見据え、雪中行軍の経験を積む目的で冬季の八甲田山を舞台にした演習が立案されます。同じ師団に属する第31連隊(指揮官:徳島大尉)と第5連隊(指揮官:神田大尉)がその任務にあたりますが、両部隊の任務に対する姿勢は非常に対照的です。
行軍参加メンバーを少数精鋭とし、行軍参加部隊の指揮の全権を徳島大尉に委ねた第31連隊。徳島大尉は慎重を期し、行軍の全てのルートで山岳ルートに詳しい地元民を先導役として参加させました。
神田大尉も同じ姿勢で行軍計画を立案しますが、その上官は第31連隊へのライバル心から「同じやり方は好ましくない」とし、200名を超える大人数での行軍を指示。さらに「実戦となれば、案内役は不在」との理由から、地元民の先導役の参加を許しませんでした。さらに指揮権を神田大尉に与えておきながら、その上官が随伴し、結局は途中で指揮権を神田大尉から実質的にはく奪して混乱を発生させました。
結果として、第31連隊は全員が予定のルートを踏破するのですが、第5連隊はほぼ全員が凍死するという悲惨な結果を招きます。
事を構えるに際し、合理的な準備や判断が重要であることを示唆しているのはもちろんですが、本書はそれだけではなく、第5連隊の神田大尉のキャリアも微妙に影響があった事に触れています。当時の軍隊は、士族・華族出身者が幹部となる事が多いのですが、神田大尉は平民出身でした。指揮権を途中からはく奪しようとした上官(士族出身)に対し、遠慮があったのではないか、と分析しています。著者は気象に造詣の深い新田次郎です。極寒の八甲田山の山中がいかに厳しい寒さであるのか、リアルにかつ、余分な脚色なく冷静に描いています。さすが長年読みつがれている(文庫だけでも私が手にしたのは第98刷!)だけの内容だと感じました。