昔からユダヤ人は差別されいた
2019/01/27 21:11
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
悪徳高利貸しのユダヤ人がコテンパンに最後は仕返しされるという有名な作品であるが、シェイクスピアがこの作品を創作したとされる16世紀末期におけるキリスト教徒のユダヤ教徒に対しての差別意識というのを相当なものがあったことがこの作品でのユダヤ人の高利貸し・シャイロックへの「金に汚い」「自分勝手」というステレオタイプな役付けからも想像できる。商人が治める町ベニスでは法がすべてであるにも関わらずシャイロックの立場からすれば、「全然、公平じゃないじゃないか。公平が求められる法律でさえ、裕福なキリスト教徒の味方なのか」と思えてしまうであろう。ユダヤ人がせっせとお金を貯め込んで金融界を牛耳ってしまったのには訳があるのだ
明日は我が身かシャイロック
2022/03/31 22:44
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
こなれた訳文で読める英文学の代表的な古典
の一つです。
シャイロックに対する仕打ちを目の当たりにして
哀れを催す自分に、ほっとする読者も多いので
はないでしょうか。
人間性を教えられた
2022/03/31 21:43
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投稿者:ないものねだり - この投稿者のレビュー一覧を見る
借金を取り立てようとする商人と、借金を踏み倒す債務者と、債務者をかばう裁定者の口上と。凄い世界だなぁと絶句した。文章の巧みさ云々より、人間性の教科書だった。
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やっぱり法廷シーンが圧巻。ポーシャかオスカルかって感じで憧れたものです。シャイロックがああいう爺さんになったのはユダヤ人だからなのか、彼という人物がそうなのか。映画版のほうがラストは少しは気持ちがいいかも。
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喜劇。ただし悲劇的。観劇の前に再読。前回は「権利のための闘争」の後に読んだ。「守銭奴」のアルパゴンと異なり、シャイロックは感受性、人間性を備えた人物として描かれている。そこに垣間見える威厳と哀愁がただの喜劇に終わらせない所以だろう。シャイロックは悪を行うのに正直であり、相手は善をなすに猫をかぶっているといえる。それとあからさまなユダヤ人差別は不快感を覚える。やはり「ユダヤ人に目はないのか」以下は妥当だと考える。また、それぞれの幕が鮮明な印象を与える。
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面白かった。しかし、シャイロックが徹底的に悪人に描かれているにも関わらず、彼に同情してしまった。
裁判結果はやり過ぎじゃないかしら。
その辺を差し置けば、喜劇として−−とても面白い。ポーシャの指輪のくだりとかが笑える。
しかしポーシャが結婚を申し込む相手を扱き下ろしまくってる辺りで、とてもポーシャが心も美しい女性とは思えないのだけれど。
価値観の違いかなぁ。
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シェイクスピアの喜劇。中世イタリアの架空の都市における商取引と恋を廻る喜劇で、人命にかかわる内容の契約が現実になったことで起こされた裁判と、若者の恋愛を絡めた現代ではありえないような話。
登場人物の1人、高利貸しのユダヤ人シャイロックの言動や行動が強欲なユダヤ人という印象を与えたことで有名になった。読み終わって他の登場人物の名前は忘れても、裁判でコテンパンにやられて少し気の毒な感じのシャイロックという名前は忘れられません。
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人肉裁判,筐選び,指輪の挿話などをたて糸とし,恋愛と友情,人情と金銭の価値の対照をよこ糸とし,全篇を巨人のごとく一貫するシャイロックの性格像.シェイクスピアの喜劇精神が最も円熟した1590年代の作(アマゾンより)
初めてのシェイクスピア。戯曲は、読みものというより、観るものであろうという勝手な判断で、今まで避けていたためである。
実際読んでみた感想は、非常に面白い。テンポの良い展開や登場人物の引きこまれるキャラクター、軽快でウィットに富んだ会話などなど。さすがシェイクスピア、彼の作品が最高のエンターテイメントであることに議論の余地はないだろう。たぶんそれは、大衆を相手にした作品であること、そしてその制限の中で芸術や社会風刺を巧みに表現しようとしたからなのだろう。一方で大衆の目を意識し、他方でそこに迎合しないようにする、そういうバランス感覚にシェイクスピアは長けていたのではないだろうか。
ヴェニスの商人と言えば、良くも悪くも、シャイロックを思い出す人が多いのではないだろうか。一方では守銭奴のユダヤ人として評価され、他方では人間味のある悲劇的人物として解釈される。いずれにしろ、このシャイロックをどう捉えるか、これがこの作品の魅力であり、醍醐味なのだろう。
個人的には、シャイロックは、当時の慣習に対する間接的な社会風刺を体現しているように思えた。
1、ユダヤ人、守銭奴に対する偏見
まず第一に当時蔓延っていたユダヤ人に対する偏見について
「・・・おれの商売をだめにした、おれの友達には水をさした・・・いったい何のためだ、やつがそうするのは?おれがユダヤ人だからだ。ユダヤ人をなんだと思ってやがる?ユダヤ人には目がないか?手がないか?五臓六腑が、四肢五体が、感覚、感情、情熱がないとでも言うのか?キリスト教とどこが違う、同じものを食い、同じ刃物で傷つき、同じ病気にかかり、同じ薬で治り、同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じたりしないとでも言うのか?」
アントーニオ=善良なクリスチャン、友人思い、仁義に厚く、正義のヒ―ローのように描かれている。だけど、結局彼は、自分の投資の失敗と契約不履行に対する責任を負いきれていたのだろうか。
一方で、守銭奴、金貸し、ユダヤ教徒という理由で虐げられていたシャイロック。彼は、契約に基づき金を貸すが、返ってこない。自分の娘が駆け落ちし、その際に自らの財産も持っていかれる。彼の憎しみ、憎悪は、一概に非難されるべきなのだろうか。
ユダヤ人として、守銭奴として、虐げられる人々の悲痛な叫びのようなものが彼の言葉からは、ひしひしと伝わってきた。
2、正義と人間
アンパンマンみたいな人がいたら素晴らしいけれど、たぶん好きにはなれないと思う。たぶんそれは、「人間的」な部分が少ないからかもしれない。
「好きになれなきゃ殺す、人間ってそんなものか?」
と問われたシャイロックは、
「憎けりゃ殺したくなる、人間ってそんなもんだろう?」と問い返す。
続けて
「虫が好かんからといってすぐ憎むとは限るまい」
という���メントに対してシャイロックは、
「じゃあ、あんた、同じマムシに二度噛まれたいのか」と問い返す。
シャイロックに通底するこの究極のリアリズムは、どこか人間臭いものを感じさせる。一連のやりとりは、人間の本質を鋭く描写しているのではないだろうか。
3、奴隷制に対する批判
サウジアラビア生まれの文化人類学者であるタラル・アサドは、著書の『世俗の形成』にて、世俗主義のダブルスタンダードを指摘している。
たとえば世俗主義は、一方で、異文化の苦痛を伴う「非人道的な」慣習を批判しつつ、他方で、自文化内の、スポーツ、科学実験、死刑、性的快楽における身体的苦痛を許容している。
シャイロックが批判するのもこのようなダブルスタンダードな「規範」であった。
貸した金が戻ってこないので、契約書通りアントーニオの肉を一ポンド切ることを要求するシャイロックを、裁判官やアントーニオの友人は悪魔と呼ぶ。
それに対してシャイロックは、
「あなたがたはおおぜいの奴隷を買い取っておいでだ、そして牛馬同様、卑しい仕事にこき使ってらっしゃる、それというのも金を出してお買いになったからだ。・・・やつらを自由にし、跡とり娘のお婿さんになさっては?汗水流しての重労働はかわいそうじゃありませんか?・・・きっとあなたがたは「奴隷はおれのものだ」とお答えになるでしょう。」
と問い返す。ここでは、まず金銭による契約の正当性を主張すること、そしてヴェニスの市民たちのダブルスタンダードに対する批判が行われている。
正義を自負する人々が行っている奴隷制、そしてその人々に「悪魔」呼ばわりされるシャイロック。ここでは複雑な問題提起が行われているように思える。
初めてのシェイクスピアということで、恣意的な解釈になった感は否めないが、シェイクスピアの才能を感じることの出来る作品であった。
次回はシェイクスピアの何を読もうか、という贅沢な悩みを抱えることが出来るようになったことは、幸せ以外の何物でもない。
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台詞というだけあって中々理解するのに苦しみました
でもショイクスピアの中では簡単な方だった気がします
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ユダヤ人差別の物語かと思ってしまうほど。
話しの内容自体は面白いと思ったけど
酷いと思うところもたくさんありました。
ポーシャとネリッサは美しくて夫を愛しているけど、肝心な時に男より勝ってるところがすごく好き
「戦場のピアニスト」で引用されてた台詞も印象的
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「金」、「銀」、「銅」の箱を選ぶシーンが個人的には深いと思えた。
ユダヤ人を唯一の敵とすることで喜劇が目立っている印象を受ける。
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この週末の朝、とくに有名な"The quality of mercy"の場面を、Jacques Derrida, Qu’est-ce qu’une traduction “relevante” ? , L’Herne, “Carnets”, 2005. との関連で読みなおしました。
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シェイクスピアの喜劇?
なんとなくのあらすじは知っていたが、ずっとタイトルのヴェニスの商人が悪者役かと思っていた。
借金の抵当に肉1ポンドという発想が面白い。そして、解決方法は、血を一滴も流さずにというこれまた面白いトンチのような理論。
ただこの理論で言い負かすのがポーシャなので、いまいちカタルシス的には物足りない。
ヴェニスの商人、アントーニオが解決していればもっとスカッとする話になった気がする。
後で書くように、シャイロックが可哀想に感じる理由に、アントーニオという当事者が裁きを下したのではなく、ある意味部外者が裁きを下してしまったところにもあると思う。
シャイロックに同情してしまう。
確かにシャイロックも慈悲がなく金に汚い人間ではあったが、あまりにも可哀想。
金も肉も一切受け取れないばかりか、むしろ財産を奪われる始末。娘にも金を持って家出され、散々な目に。
時代なのかユダヤ蔑視が凄まじい。セリフの言い回しが面白いだけにことさら。
ヴェニスの商人であるアントーニオの友情の厚さは素晴らしく、最終的にシャイロックに慈悲を与えるのも優しい(?)が、キリスト教への改宗を条件にしたり、基本上から目線だったりと、現代の西洋人にも目につくような、キリスト教的傲慢さが垣間見える。
面白いセリフがたくさん。聖書でもそうだが、例えが上手く面白い。
勉強になる。