一つの時代の終焉。
2015/08/30 16:29
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投稿者:historian - この投稿者のレビュー一覧を見る
転戦の末、追いつめられた西郷・桐野ら一党は城山において自刃、西南戦争は終わった。しかし、大久保の政権も長くは続かず、翌年に不平士族の凶刃に倒れる。こうして、一つの時代が終わった・・・
この大長編の魅力は、主人公の西郷と大久保の友情と葛藤だけではなく、準主役の桐野・川路、更にその周囲の薩摩人も長州人もその他要人も反政府の人々も、無数の登場人物に惜しみなく紙数を割いて描写した点だと思う。間違いなく、司馬遼太郎の傑作の一つといえる。
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投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
山好きとしては延岡からの山岳縦走逃避行をあっさり終わらせたのは寂しいです。ここだけで一冊使ってほしかったですね。
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投稿者:HIRO - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬遼太郎さんの大作を読破できました。
本当に人生の行き様を考えさせていただきました。
私も熱く生きていきたいです。
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【概要など】明治時代の物語。いろいろな人がでてくるが、その中で、遠藤新平という人が出てくる。彼は近代日本の基礎を築いたが、合理的な人以外は切り捨ててしまっていた。結果、Yesマンに囲まれ、担がれ、悪人として処刑されてしまった。
【面白い!という点】自分のことを駄目だと思っている人に反抗するのではなく、理解を示すべきであるということを示唆している点が面白い
【こんな人にお勧め】長い話なので、通勤時間が長い人にお勧め。
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ついに、西南戦争も西郷の死とともに終わりを迎える。
結果的に、この乱によって鎮台兵や警察の力を高めたという点では、この後の日清・日露戦争に繋がっていっているのではないのだろうか。
このころ、木戸・大久保・川路など維新の立役者が倒れ、時代が変わり伊藤などの小物が中心になっていくのだろう。
日本人というのは絶対的なリーダーを求める傾向があるのではないだろうか。
十人十色というものの、実際にそこまで自分の信念を持っている人というのは多くないと感じる。
頭の固いおじさんというのは喜ばれないが、何を考えているか分からない若者というのは、さらに喜ばれないだろう。
私自身は、こうやって思考を文章にすることで、土台となる信念を固めているところがある。
しばらく、こういった歴史小説の類を読み進めて、日本人のルーツをたどってみることで、自分の信念を形付けていこうかと思う。
最終的には漢学まで行くんだろうか??
それならそれで面白いか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ってね。
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政府軍に圧されながら薩軍は鹿児島へ戻る。故郷の地で死にたいという思いは、半年も続いている戦の目的すら忘れさせる本能である。「西郷札」が一部で流通していたことに驚きを覚えた。
西南戦争の最後は、薩軍が政府軍に囲まれ西郷が落ち、桐野・村田らが次々に生を閉じ終末を迎える。そして、翌年、西郷を死に追いやったとされる大久保が斃れ、明治維新から続いていた建国の時代に終止符が打たれる。
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「日本の政府は結局太政官ですね。本質は太政官からすこしも変わっていません」敗戦後、戦後社会がやってきたとき、ひどく明るい世界に出たような気がし、敗戦を、結果として革命と同質のものとして理解する気分にとりつかれた。いまでもその気持ちが変わらないが、よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った。太政官からすこしも変わっていません、というのは、おどろくに値しないほど平凡な事実なのである。大正デモクラシーの時期の政党も、戦後の政党も、社会の保護者として徹底するよりも「官」の寄生集団として存在するという性癖をもつ。このことも、明治10年までにできあがった太政官国家の祖型と無縁でないかもしれない。かつては西南戦争以後に明治国家の基礎が成立すると思っていたが、まったくの思いちがいであった。「官」そのものも、またその思想も、あるいはそれに対する在野意識も、さらには「官」にあらざる者たちの側の持つすべても、それらの基礎が明治10年までにできあがってしまっているような気がしている。
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ついに西郷が滅びる。
村田新八が西郷軍に身を置きながら、政府軍の軍容を見て、もうこれで海外から攻めてこられても大丈夫だ。と言った。
彼にとって、西郷の義へ報いながらも、最後まで日本国の将来を大局的な視点で憂えていた。
薩軍とは、日本の野党の先駆けであり、
政府攻撃において、外交問題を掲げる時に昂揚するという性癖と
激しく倒閣を叫びながら、政権交代のための統治能力を本気で持とうとしない性癖の元祖といえる。
フランス人における三銃士、アメリカ人における風と共に去りぬと同じように、
歴史小説とは、日本人に祖国の歴史を、生き生きと思い浮かべさせてくれる史料である。
司馬遼太郎などの文豪作品を通して、歴史が実際にこの国で起きた出来事であり、
当時の時代背景・人物・思想等を生々しく想像させてくれる題材として貴重である。
教科書の説明だけでは、単なる事象の羅列で、意義や感動が胸に迫ってこないのである。
反乱軍の大将である西郷の銅像が上野公園に設置されたことは、
世界でも稀な事であり、日本人の特殊性・また、西郷の人格がどのようなものであったかを
今も無言で訴えかけてきているようである。
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司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww
舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう本。
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明治時代初期、日本は白紙といっていいい状態。
そのキャンパスに、はじめの一筆をいれる情熱と決断のぶつかり合い。
もう一度読み返そうと思います。
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全巻通読後のレビュー。
全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。
しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。
島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。
物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。
明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。
後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。
西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。
西南戦争の中身についての描写は一流である。
時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。
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主題の理解に到達せず。今後の研究。
○日本の統治機構は、政府というべきなのか、それとも「官」といったほうが語感として本質に近いものなんのか
○日本の政府は結局太政官ですね。本質は少しも変わっていません。
○私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です
○敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は菅にのこり、他の省はことごとく残された。
○すさまじい権力と権威を官員たちがにぎったのだが、当時の権力外の者からみれば、かれら官員の成立は他愛もない。
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司馬さんの本にしては読みにくかったのは、主人公のひとりである西郷隆盛を、司馬さん自身も、よくつかめていないようで、魅力的ではないからに尽きると思います。
どちらかと言えば、桐野利秋や川路利良、大久保利通のほうが生き生きと描かれているかと。
明治維新から西南戦争に至るまでの流れは非常によくわかりました。
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桐野利秋の思慮の無さに苛立ちを覚えた瞬間もあったが、砦での颯爽たる様子を読み、男の生き様を見る思いがした。結局、誰もが自分の意志に基づいて生きていることを前提とすれば、桐野の生き様は否定されるべきものでは無いと思った。
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・3/29 いやー、読了.とうとう読み終えてしまった.最後まで坦々と経過が描かれていて、情景が見えるようだった.城山には行ったはずだがあまりちゃんと覚えてない.事情も知らずに行ってるからだろう.今度はちゃんと場所を確かめながら行ってみたいと思う.