紙の本
唐帝国と「中央ユーラシア型国家」
2016/02/23 14:49
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投稿者:山好きお坊さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
(親本の『興亡の世界史第5巻シルクロードと唐帝国』講談社 2007年2月刊を読んでのレヴュー)中華思想に発し大中国と称されてきた国は漢民族が建国維持してきたものではなく、中央アジアの遊牧民がその建国、拡大に大きく覆い重なって推移してきた。そしてそれを可能にしたものが、唯一の機動性も持つ軍事力であり最も早い情報手段である馬の所持であった。盛唐を衰微させた安史の乱(安録山の乱)は、遊牧民の力が国の内と外で大きく動き、さらに西へそして東へ拡張していったものである。実に説得的に著述されていて分かりやすい。
電子書籍
シルクロード
2020/07/14 13:00
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
シルクロードを舞台に活躍したソグド人を中心に唐や突厥、ウイグルといった帝国の歴史を書いた本。中華中心史観の歴史と違い中央ユーラシアが世界史に与えた影響がよくわかった
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シルクロードを舞台にして世界史を見ていきます!
2020/03/08 11:18
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、著者である森安氏の最新の研究成果をもとに書かれたシルクロードにおける騎馬遊牧民族の動向を中心に据えて見た歴史観です。ここには、これまで支配的であった中華思想やヨーロッパ中心の歴史観とは一味も二味も違った面白さがあります。著者によれば、シルクロードは、単なる「近代のロマン溢れる交易路」ではなく、まさに様々な民族が織りなす政治や経済、宗教文化交流、戦争の現場であったと主張されています。そして、そこはそうした世界史の舞台だったのだと強調されています。同書は、こうしたシルクロードを舞台にして、世界史を再検証した非常に興味深い一冊となっています。世界史ファンには、また違った視点を与えてくれる、たまらない一冊になることに違いありません。
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大上段な言い方も楽しめれば。
2016/08/09 19:54
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投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
興亡の世界史の一冊。ソグド人が中央アジア史に中継商人としてだけでなく、もっと創造的な役割を担っていたという氏の論は至極まっとう。ただ物言いが大げさで、好戦的なのが好みの分かれるところ。
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唐はすでに漢民族の国ではない
2016/12/12 22:47
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投稿者:マハラオ - この投稿者のレビュー一覧を見る
隋を建てた楊堅や唐を建国した李氏の姻戚関係から隋唐政権の上層部は漢の時代と異なることはかねて指摘されてきた。本書で森安教授は唐を漢の復興と見るよりむしろ北魏の系譜を引くものとする。たしかに班田制の起源は北朝にあるから首肯できる面はあるが、すると従来遼にはじまるとされている征服王朝を再考しなくてはならず、唐文化の世界性といわれているものも非ー漢民族性と捉える必要がありそうだ。もうひとつ教授は従来イラン系といわれてきた「胡」はっきりソグド系と言うべきだとする。トルコ系といっても今のトルコを連想しないのに、イランといえば昔ペルシアといった国を連想してしまうからだ。書名にも入っているシルクロードファンには冷水を浴びせることになるのだが。(それにしても「イラン」を広く西方と解するなら秦への西方の影響が改めて問われよう)安史の乱後、唐の税制は両税法へと変ってゆくが教授の力説するソグド人の活躍がこのことにかかわることはないのか。
最後に特記すべきは2007年刊行原本の「忠実な」文庫化ということである。普通文庫になると原本刊行後の進展、解釈の変更などアップトゥーデイトが測られるが、教授は原本の内容維持に意を用い、追加情報はない。(研究の進展に伴い内容の訂正が一カ所あるが、その訂正も本文中でなく文庫版へのあとがきでなされる徹底ぶりである)
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ソグド人とシルクロードと唐帝国
2019/08/29 10:44
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投稿者:Carpaccio - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルに反して内容はほぼソグド史。シルクロード交易による高い経済力と情報網を持つソグド人に注目し、彼らの果たした役割について述べ、中央ユーラシアの視点から歴史を描いている。研究内容は素晴らしいのだが、著者の政治的主張や自身の業績を誇る自慢話が随所に見られるのが非常に残念。
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序章 本当の「自虐史観」とは何か
第1章 シルクロードと世界史
第2章 ソグド人の登場
第3章 唐の建国と突厥の興亡
第4章 唐代文化の西域趣味
第5章 奴隷売買文書を読む
第6章 突厥の復興
第7章 ウイグルの登場と安史の乱
第8章 ソグド=ネットワークの変質
終章 唐帝国のたそがれ
著者:森安孝夫(1948-、坂井市、東洋史)
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2019/3/18
唐よりシルクロードのオアシス諸国家の事が細かく知りたかった。日本の歴史教育に対する作者の否定的意見の多さに辟易した。
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世界史は西欧中心主義に基づき長年に亘りインプットされてきたが、このシリーズは地球の人類の歴史を扱っている。普通の世界史は、4大文明から地中海文明そしてヨーロッパの歴史が3/4であるが、このシリーズで西欧史は1/4程度。ユーラシア大陸の中心で活躍していた騎馬民族は、世界史で取り上げることがなかった。
とても科学的で説得力があります。
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「興亡の世界史」に合わない。
唐の興亡とシルクロード世界の関わりが主題と思いきや、何かと「ソグド人」ばかり出てくるし、自分の成果ばかりが鼻に付くし、資料の紹介も細かすぎる。マニアック過ぎて一般の読者向けではない。
西洋史観に対する批判には多いに賛成
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【総評】
新たな知見など、傾聴に値する箇所も多い。だが、序章・あとがきが、書名(本論)と関係の薄い、高校世界史教育などの「近現代日本批判」が、頭ごなしで一方的な主張で、強い攻撃性を感じた。このため本書と著者森安氏に強い拒絶反応が起きた。正直私にとって、序章とあとがきは、本章理解の助けにならぬどころか、【有害】だった。「アジア下げをするな」には同意できるにせよ、行間から「欧米下げ」を感じた。また、「中央アジア史こそ『世界史』」と言わんばかりの文章には辟易した。欧米コンプレックス批判よりも、「中華主義とは何か?」を論じてほしかった。
【序章・あとがきについて】
森安氏が、アジアが低く見られていることに不満なことには同意できる。また、国家や民族の定義は、賛否は保留ながら、傾聴に値するものだった。
しかし、はっきり言って、序章・あとがきは、「国家・民族の定義(特にトルコ民族・ウイグル人に関する部分)」以外は、不要。本章理解に役立たずどころか、本章を読む気にさせないという意味で【有害】だった。その理由は、以下の3点である。
1、書名と関係が薄い内容が多過ぎる上、攻撃性が強い文章
読者の立場からすると、書名(本論)と関係の薄い、高校世界史教育、日本人の歴史意識(欧米コンプレックス・自虐史観)、政治・マスコミ批判の「近現代日本批判」と「欧米批判」に、「序章」「あとがき」「学術文庫版あとがき」の51ページ中、控えめに言って半分は使っている。厳しく見積もれば、書名と関係の薄い部分が、7、8割ぐらいいくのでは?
シルクロードの本を買ったのに、くどくどと高校世界史教育批判と自虐史観論を、なぜ読まされなければならぬのか?
これらを書くぐらいなら、序章で本論のキーワード「中華主義」について、「中華主義とは何か?」「なぜ生まれたのか?」「どうして強固なのか?」を、きちんと論じてほしかった。
文章が非常に攻撃的なので、次のように感じた。
史学界では、講演会・討論会で聴衆や討論相手に、本論とは関係の薄い前置きを長々述べて、しかも喧嘩腰の先制攻撃を加えるのが常識なのか? (場を離れたら、何のわだかまりもなく、雑談を交わし、食事を共にする関係なのも、また常識かもしれぬが)。
本書が講演会・討論会だとして、論者の前置きのせいで、質疑応答の9割が「前置き」に集中して、題名が「シルクロードと唐帝国」から「高校世界史教育問題と自虐史観」に変わるのが当たり前なのか? 論者が勝手に、主題を変えて良いのか?
また、あまりにも頭ごなしな序章とあとがきなので、本章理解に使うべき、意識とエネルギーが、序章とあとがきの反論に向いてしまった。
例えば、明治維新以降の日本の西洋化批判については、森安氏に対し、以下のように質したい。
日本的なものを「恥ずかしい」として、捨てようとしたとのこと。だが、文明開化・西洋化の象徴たる、明治5年の鉄道開業式に、明治天皇は和服の「直衣」でお出ましになった。欧米列強の公使を多数招待する場で、和服が「恥ずかしい」と考えるのなら、大日本帝国の統治者たる明治天皇が、和服をお召しになるのか? 洋服でお出ましになるのがしかるべきでは?
もし、明治維新で日本が西洋化しなかったら、その後の日本はどのような歴史をたどったのか? それまでの伝統を維持したまま独立が保たれたのか? それとも欧米列強の植民地となり、日本語をはじめ、すべての伝統を失ったのか?
本書がなぜ日本語で書かれているのか? 「国語英語化論」「国語フランス語化論」もある。日本の国語が、なぜ英語やフランス語にならなかったのか?
北魏滅亡の一因は、「急進的漢化政策にある」とされている。言語、文化、伝統、生活習慣の強制的な変更には抵抗はないのか? なぜ日本人は西洋化を受け入れたのか? 強制するにせよ、それがなぜ可能だったのか? 日本では、ナイフとフォークが苦手な人のために、フランス料理でもはじめからテーブルに箸が並べられていることもあるのはなぜか?
「和魂洋才」「和洋折衷」の考えに対する見解は?
2、高校世界史教育など「近現代日本批判」のページが少ない
「近現代日本批判」「欧米批判」のページ数は、「序章」「あとがき」「学術文庫版あとがき」併せて51ページ中の半分を占める。ただし、これは控え目な数字である。
51ページ全部使っても、序章の「本当の「自虐史観」とは何か」は、十分に論じられるページ数なのか?
講談社は、森安氏の史観、史論、研究、高校世界史教育に関する取り組みは、当然熟知しているはず。だったら、森安氏に「「本当の「自虐史観」とは何か」との書名で、「独立した一冊」として、執筆を依頼してほしかった。
どうしても、本書の中でやりたいというなら、別に2、300ページ確保して、「分売不可の『別冊付録』」として添付してほしかった(販売価格は、もちろん付録なしの場合と同額で)。これぐらいの太っ腹なところを見せてほしかった。
たくさんのページを使って、十分に論じられていれば、「攻撃的」とは感じなかった可能性もある。
3、「『森安ファンクラブ』会報」的序章・あとがき
本章を含めて森安氏の自慢グセが鼻に付く。本書の想定読者は、「高校社会科の教員と大学の史学系学科の学生・院生」とのこと。ただ、実際には無意識のうちに、森安氏の研究内容、高校歴史教育問題に関する活動を知っている人。もっと言えば、森安氏が関係している、大阪大学主催の高校歴史教員向け研究会参加者、より極端な表現をすれば「森安史学信奉者」と限定してしまっているのではないか?
「あとがき」で、『集史』を「真に「世界史」の名に値する最初の歴史書」としていた。ただ、『集史』がいかなる歴史書であるかは、ほとんど具体的に書かれていない。ましてや、高校の世界史教科書と内容を突き合わせることをしていない(それだけで本が何冊もかけるだろうから、それをやられると、『シルクロードと唐帝国』が、「『集史』の解説書」になってしまう)。
さらに、『集史』に次いで「世界史」を書いたのは、日本の明治以降の「中央アジア史研究者」と���自己の専門分野を持ち上げまくっている。
本章ではそれほどでもなかったが、序章・あとがきでは「中央アジア史こそ、『世界史』」と言わんばかりの印象が強い。
また、本章「第二章」の「ソグド研究小史」では、中国の研究を「脅威」とまで書いている。「人種に優劣はない」としながらも、他国の研究にこんなに敵愾心をむき出しにするものなのか? これが日本の中央アジア史研究界の常識なのか? 他国や他の研究者の研究に敬意を持って、「良き好敵手」と認識し、切磋琢磨するのなら分かる。しかし、他国の成果を「脅威」と捉えるとは。功を焦って、検証不十分な新説をぶち上げて、後で取り消すハメにならぬか? ましてや、成果を捏造してしまわないのか? 日本史で、自分で発掘品を埋めて、自分で取り出す、との事件もあった。声高に「私の責任で」「私は愛国者」と叫ぶ人を、どこまで信用して良いやら。先人たちが築き上げた信用を、いっぺんに失いかねず、心配である。
【本章の良い点】
・唐朝は、第3代高宗皇帝が、父の第2代太宗・李世民の側室だった則天武后を、父の死後自分の正室にしたり、玄宗皇帝も息子の嫁(楊貴妃)を奪って自分の側室にしたりと、前々から遊牧民的気質が強い王朝と言われていた。なので、唐朝が「非漢民族王朝」とされることには、それほど違和感はない。ただ、そのイメージが本書で強まった。
・歴代中国王朝の首都・副都の多くが、農業地帯と遊牧地帯の境に近い所にある、との指摘は新鮮だった。
・シルクロードといえば、東西のイメージが強いが、南北もまた重要とのことには、目から鱗が落ちた。北は、現在のモンゴル国辺りまでは取り上げられていたが、長安・洛陽より南側の記述がほぼなかったのは残念。
・一時的とはいえ、唐の覊縻支配(自治区)が、シベリアのバイカル湖北端にまで及んでいたことに驚いた。
・シルクロードは、決済手段として絹が重要な地位だったことを考えると、「シルクロード」と称するのがふさわしいと思う。
・唐の長安ではやった、西方伝来の音楽や踊りがやや詳しかったのが良かった。
・「第五章 奴隷売買文章を読む」が興味深かった。
【本章の残念な点】
・書名が『シルクロードと唐帝国』ではふさわしくない。一試案だが、ソグド人が「主役」だから『シルクロードの主役・ソグド人から見た唐帝国』はどうか?
・本書で「近現代」は16世紀以降を差す。だだ、その説明が「第一章」なので、「第一章」を読まないと「序章」が理解できない。説明の順番が逆では?
・序章とあとがきが、「中央アジア史こそ『世界史』」と言わんばかりのわりに、「世界史における中央アジア史」が感じ取れなかった。
・馬や内陸部を重視するあまり、海を軽んじている感じもした。ポリネシアなど、太平洋の島々には古くから高い航海術を持つ人々もいる。
・ある程度理解できる箇所と、そうでないところの差が大きい。文化や生活関係のところはある程度理解できた。だが、軍事関係となると、争っている勢力の関係が頭に入らず、ほとんど理解できなかった。
・馬やラクダの重要性を説いているならば、その生態についてもう少し踏み込んでほ���かった。
・ソグド商人については、本書の中で細切れになっていて、印象が薄い。
・YouTubeに、配信者が自分の一日の生活を紹介する「ルーティン動画」がある。ルーティーン動画のように、「何時に何をした」と時間を追って、ソグド商人、酒場や胡旋女の胡姫、キャラバン、隊商宿の一日を紹介してほしかった。
・絹馬貿易はもう少しページを割いてほしかった。
・奴隷は「きわめて非道い地獄のような生活を強いられたと思い込みがち」なら、奴隷の一生を推定できぬか? 「馬鹿息子より有能な奴隷を」とあるなら、奴隷の一生を年単位で書いてほしかった。
・「突厥宮廷は唐宮廷からみても決してダサくはなかったのである」ならば、カラーでの「遊牧民族の「テント宮殿」想定再現画」を見たかった。
・マニ教について、どんな宗教かがほとんど書かれていない。教義、聖職者、寺院、祭祀、拝礼作法を具体的に書いてほしかった。
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唐の内部事情をのみ扱うのかなと読みはじめたら外部との関係の話題がほぼ占めており、やや戸惑った。特に1章から2章へ接続して、ソグド人にまつわる論が展開する流れは読む目的がよくわからなくなってしまった。
ところが、3章以降は比較的に面白く読めて、私が不勉強なだけだが、突厥と古ウイグル(回鶻でいいのかな)の唐との影響関係などは抜群におもしろい。つまり、唐というフレームで論じるのが土台無理というのがハッキリするし、つまりそれは企画の限界に到達ってことだ。シリーズは4巻まではユーラシアで一貫して扱うようだが。
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漢民族の国ではない、中央ユーラシア史に位置づけられる唐帝国の歴史を描く。その中にはシルクロードで活躍するソグド人の商人、取引される奴隷、唐の社会で流行を巻き起こした「胡」の文物などが描かれる。確かに高度な内容なのだが、限られた資料から歴史を読み解く面白さも味わえる内容だと思う。
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ソグド人をメインとして遊牧民族に焦点を当てた歴史の叙述はとても面白いのだが、筆者が西欧・中華中心史観を敵対しする描写が強すぎて逆に偏りを感じてしまう箇所が多かったのが少し残念。まあそれだけ実際の教育や研究も西欧中心史観に偏りすぎていたということではあるのだが。でも主張の内容自体には納得できる。