5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:照葉樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
プラトンの著作の中では最も取っつきやすい入門書。しかし、哲学の専門家からしても「想起説」や「知識」に関する概念が先駆けて登場するため、プラトンの理解には書かせない短編であり、評価も高い。「国家」を読む前に手にするべき一冊。
プラトンが生涯をかけて追及した課題の集大成!
2016/06/25 09:14
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、プラトンが生涯をかけて追及した実践的な課題を集めたもので、プラトン哲学の入門書とも言われる図書です。プラトンの他の著作に比べると、比較的読みやすく、プラトンを学ぼうと思われている方々にはうってつけの書だと思います。ぜひとも、本書をまず手にとられることをお勧めします。この後、かの有名な『国家』に移っていかれるとより理解が深まるのではないでしょうか。
想起されるべきもの
2017/04/03 10:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
プラトンは、師ソクラテスがアテナイの街かどで、人びととおこなった対話の模様を書き残した。最初は実際の対話を忠実に書き写したかのような書きぶりだったが、いつしかそれはソクラテスの口を借りたプラトン自身の哲学という様相を呈するようになった。徳は教えることができるのかという問題が議論される本書は、解説によると、ソクラテス的な対話篇と、プラトン哲学の両方が展開されているという。ここでいうプラトン哲学の典型は、いわゆる「想起説」である。
対話者メノンは、知識の探求に関するつぎのような議論をソクラテスにふっかける。人間は、すでに知っているものについては、これを探求する必要はなく、また知らないものについては、何を探求すべきかも知らないはずだから、何についてであれ、人間は知識を探求することはできないと。」それに対してソクラテスは、次のように答える。人間の魂は不滅であり、永遠であるから、魂はすでにあらゆる知識をもっている。しかし、現在の人間としての生においては、それらが忘れられている状態である。知識を探求するとは、この忘れているものを想起することにほかならない。ソクラテスはこう述べて、召使の少年に、自らの力で数学の問題を解くよう導く。このように、すでに知識が彼自身のうちにあることを明らかにすることによって、ソクラテスは想起説を根拠づける。
ここで私には、ある疑問が浮かぶ。知識とはいっても、いろいろとある。たとえばある日会社に行くと、見知らぬ人がいる。私はその人を知らないが、人には名前や素性というものがあるのを知っている。だから、私は同僚にあれは誰かとたずね、あれは取引先のSさんだと同僚から教えられ、納得する。
この場合、私がもともともっていたものは、「S」という名や「取引先の人間」という素性などではなく、「名前」や「素性」という、それらを容れるいわば知識の枠組みであった。私は、Sという名前や取引先の人間という情報を度忘れしていたというわけではない。単にそれを知らなかったが、今はそれを知っているというだけである。それを想起と呼ぶのはどうも腑に落ちない。ここでいう想起される知識とはいったい何だろう。
プラトンが探求したのは、真理そのものであった。それは他と境界を接することによって存在を示し、名づけられることによって、整理・分類されるたぐいの情報ではなく、あらゆる個別物の背後にある唯一絶対の真理にほかならない。それは、感覚にとらわれたわれわれ人間には、知覚できないが、しかしそれでも、存在すると私たち自身が信じている、いや少なくとも、そう感じている何かである。そのような信念はどこから生まれるのかというと、かつてわれわれが冥界にいたときに真理そのものをいだいていたという記憶からである。
それゆえ、プラトンがここでいう想起の対象とは、感覚があたえてくれるあれやこれやの知識ではなく、それらの根底にある、より根源的な真理そのものとみるべきであろう。そしてこれこそ、人間の魂が求めてやまない真の知識なのだ。
『徳』についての対話
2021/01/23 21:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『徳』とは何か?『徳』とは教えられるものか?など、『徳』に纏わるソクラテスとメノンとの対話の遣り取りが本書です。
対話の論述の流れと展開、運び方が私にとって体験したものではなかったので、新鮮で良かったです。具体的に言うと、中盤辺りで「いやいや、その結論には至らんやろ」とか「いやいや、本当にそう言えるか?極端過ぎやろ」と突っ込みたくなる箇所が散見しましたが、最終シーン辺りでそれら伏線(?)が収束した点です。
ところで本書に限らずプラトンのこうした対話書の幾書かに思うのですが、タイトルが『メノン』という人物名になっており、何故に『徳について』の様なものにならなかったのかという気が些少乍らもたげてきます。
「知」への問いを行う傷だらけの勇敢な戦士
2018/05/16 13:49
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「絶対確実な知識とは何か」という問いを基にソクラテスとその弟子が繰り広げる対話篇。本書には、有名なソクラテス(プラトン?)の想起説が具体的に記載されている。「知識」や「知」の根本を問う重大な一歩を踏み出した書籍である点では、評価できる。しかし、その内容としては、理論は基本的に穴だらけであり、理解して批判的に読んでいないと抽象的に過ぎ去ってしまいそうなものである。
投稿元:
レビューを見る
「徳とは教えうるものか、そもそも徳とは何か」対話によりソクラテスはメノンをアポリアに追い込んでいく。考えれば考えるほど判らなくなるのが知の本質。プラトンの想起説より、儂は禅の頓悟の方が好き。
投稿元:
レビューを見る
言語学の「プラトンの問題」への関心から手にとったが、実際読んでみたら、その言語学の生成文法における、「経験を知識が上回っていること、幼児が少ない言語データから完全な言語能力を身に付けること」について、直接的に記述している部分はなく、ただ想起説として「探求し学ぶということは、魂が生前に得た知識を想起することだ」ということを、「徳」とは何かを考えるにあたってソクラテスが提示しているものだった。
メノンとソクラテスの対話形式であり、問答法という、ソクラテスの誘導尋問のような形式には抵抗を感じたが、その推論の立て方や論理の進め方には閉口した。現代人のエゴというか偏見だが、古代にこのような優れた思考、議論が成立していたことにはやはり驚く。いつも思うが、解説者や批評家もまた偉大だ。
内容は難しく、結局徳は教えることの不可能である点で、知識でもなく「思わく」である、と結論づけられていたが、しっくりこないし、時代の大きな差のせいか、「徳」という感覚そのものやそれが重視される理由が根本的に分かりにくかった。
投稿元:
レビューを見る
徳への定義を明確に示さない限り、徳は教えられ得るか?という問いに正確に答えることはできないといっときながら、この本では、徳がそもそもなんであるかについて明らかにされない。
でも、解説を読んで、この本の裏に含意されているプラトンの意図に気づかされ、驚いた。それが正しい解釈であるかどうかは別として、この本で、プラトンがといている「徳は教えられ得るものではなく、神から授けられるものである」という仮説は、徳をもしも教えられる人がいるならば、その人こそが本当の知者であり、よって徳は教えれ得るということを逆説的に説いているということなのだ。そしてその人物こそソクラテスなのだと。
投稿元:
レビューを見る
やっぱりソクラテスは面白い。
ソクラテスの妻は悪妻だったというが、あんな理屈っぽい、しかも毎回正論を言う人が夫だとストレス溜まって悪妻にもなるだろうな。本人に自覚のないところがさらに苛立たしいだろうな。
悪妻を持つと哲学者になるのではなく、哲学者を持つと悪妻になるなのでは?
徳については、ソクラテスの弁論の神がかりてきな流れにただただ敬服。
投稿元:
レビューを見る
徳は教えられるかどうか?
誰が教えるのか?
道徳教育を云々しているひとはやっぱり目を通しているのかな
投稿元:
レビューを見る
「徳は教えられうるか」という問
「徳とはそもそも何であるか」という問に置きかえられ,「徳」の定義への試みがはじまる
投稿元:
レビューを見る
徳を題材とした、ソクラテスとメノンの対話短編。「徳の性質」にこだわるメノンに対して、ソクラテスは「徳とは何か」に論題を見事に誘導し、対話者を操るかのようにして結論へと導く。解説文の言う通り、圧巻の「珠玉の短編」。
「徳とは何か」を対話を通して得ようとしたソクラテスだったが、解説にもある様に、仮定の上での徳の本質までしか、本書では言及されていない。解説ではこれを後のソクラテスの論と対比して、イデアの論拠が『メノン』の段階ではなかったと指摘する。
それ以外にも、初期対話篇と対比して、ソクラテスの「何であるか」への執着の度合いや、メノンの人間性をクレアルコスと『アナバシス』のクセノポンとの関係から考察するなど、解説だけでもかなり読みごたえのある見事な出来栄えになっている。
そんな具合で、とても頼もしい解説に任せて特に言うことはないのだけれど、解説のように歴史的背景を思考の範疇に入れずとも、ギリシャ哲学史に特別詳しくない僕のような人でも、この珠玉短篇は爽快・圧巻の物語として楽しめると思う。その物語から現代に連れ戻されるかのようにして読む解説も、また。
投稿元:
レビューを見る
<思うこと>
議論の方法について教えてくれる本。ソクラテスが無知であるように描かれつつも一番の知者であることが伝わってくる名作。
>・古い履物を修繕したり着物をつくろったりする人たちは、着物や履物を引き受けたときよりも悪くして持ち主に返すようなことをすれば、30日間もそれがばれずにいつことはできないだろ>うし、もしそんなことをすればたちまち餓死してしまうだろうに、プロタゴラスの方はどうかといえば、自分と交わるものたちを堕落させ、引き受けたときよりも悪い人間にして返すということ>を40年以上も続けながら、全ギリシアがそれに気づかなかったとは!
教育の正当性・妥当性に対して疑いを抱かせた一文。自然に淘汰される部分もあるのだろうが、何をもって正当な教育とするのか、ということには恐れをいだく。
しかしほとんどの部分についてきわめてロジカルであるのに最終的な結論が「神」で説明されるのかが直感的に理解できなかった。神はいない、といっているのではなく当時のギリシア人にとって神とは何だったのか、なぜ神を信じのるのか、神を信じることの利得は何か、という社会心理的・功利的視点から疑問が持たれた。
<気になった点>
・そして問答法においては、質問者が知っていると前もって認めるような事柄を使って応えるのが、おそらくその約束により叶ったやり方というべきだろう。
・してみると、どうやら君の言う獲得ということには、正義とか節制とか経験とか、あるいはその他なんらかの徳の部分が付け加わらなくてはならないようだ。
・徳とは何であるかということは、ぼくにはわからないのだ。君の方は、おそらくぼくに触れる前までは知っていたのだろう。今は知らない人と同じような状態になっているけれどもね。
・それはつまり、探求するということは、じつは全体として、想起することに他ならないからだ。
・そういうわけで、どうやら我々は、何であるかがまだ分かっていないようなものについて、それがどのような性質のものであるかということを、考察しなければならないらしい。
・古い履物を修繕したり着物をつくろったりする人たちは、着物や履物を引き受けたときよりも悪くして持ち主に返すようなことをすれば、30日間もそれがばれずにいつことはできないだろうし、もしそんなことをすればたちまち餓死してしまうだろうに、プロタゴラスの方はどうかといえば、自分と交わるものたちを堕落させ、引き受けたときよりも悪い人間にして返すということを40年以上も続けながら、全ギリシアがそれに気づかなかったとは!
・徳というものは、これまでの推論に従う限り、神の恵みによって備わるのだということになる。
投稿元:
レビューを見る
質問「徳は教えることができるか?」
結論「徳」は「知」ではなく「神の恵み」でもたらされる「正しいおもわく」というものなので教えることはできない。
「徳」とは何か?という探求をしたかったソクラテスに無理を言って、後に俗物の権化のように評価されるメノンとともに辿り着いた結論である。但し、解説によれば「真の徳」が「知」であることを知るソクラテス自身を除けばということである。
ソクラテス・プラトン哲学の導入部であり、初期プラトン対話集という位置づけの短編としてなかなか面白かった。
特に初等幾何学の問題を解決へ導く手法から、魂は不滅でわれわれはかつて学んだ事柄を想起するだけだという有名な話はとても面白い。先日、ホーキング博士の天国も来世もない、架空のものだ、という記事を読んだばかりだったのだが・・・(笑)
教えているのではない、質問することで「想起」させているだけだ、というソクラテス。誘導尋問だろうが!(笑)
いろいろな有名人の名を挙げ、あいつは「徳」を息子に教えているか?「否」、故に「徳」は教えられない、というある意味、個人中傷論議は笑ってしまった。(笑)
さらに言えば冒頭での議論。「形」とは何か?「形」とは、つねに色に随伴しているものである。何だ、そりゃあ!?(笑)まあ、その後を読めば何となく言いたいことはわかりますけどね・・・。というか、昔の自分によく似た発想かも。(苦笑)
後世にソクラテス(プラトン?)の幾何学例題がこれほど論議を呼んでいるとは初めて知りました。各種解釈を読みましたが、ひさびさに数学脳でうにうにになりました。(笑)
ソクラテスの最後の捨て台詞?「やっぱ、徳とは何かを知らないとね!」ふむぅ。
投稿元:
レビューを見る
個人的に人間は善い悪いで行動しているわけではない。むしろ、有益か不利益で行動している。しかし、有益というのは金銭とかそういう意味の有益ではなくてもっとより原始的な有益である。なので、そこに善悪は必要ない。善悪は制限となったりするものの、善悪だけで行動したりはしない。有益というのは、しかし、それはある種の無意識的なレベルでの、本人とっての有益なので、それは万人共通のものではない。ソクラテスは誰も悪しきことをしようとして悪しきことをしている人などいないと言っているけれどそれはある部分ではあたっているけれど、それでは零れ落ちるものがある。つまり、悪しきことをそれと知っていて、それを行う者だっているからである。何がいいたいかというと、有益という概念には一見不利益と思われるもの、不利益としか思われえないものすら含まれるということだ。人を無差別に殺して死刑にされるとして、そのことを本人が後悔することもあるだろうが、少なくとも無差別に人を殺したときにはそれが本人とっては有益だったのである、と言いたいのだけれどこれは伝わるだろうか?
さて、ソクラテスに触発されて個人的な簡易哲学を展開させてしまったけれど、メノンの持ち味はそこにあると思われる。結論だけを書けば、プラトンのイデア論への前段階のような思想が本著では記されている。
(※ちなみにソクラテスには著書がないので、全てはプラトンによって記されている。なので、ソクラテスに述べさせている言葉がソクラテスで、全てを含めたものがプラトンと分けて考えるべきなのだろう)
ソクラテスは所々詭弁と思わしき議論を展開させているのだけれど、しかし、延々と一つの命題を考えていくあたりの姿勢が真なる哲学者ソクラテスを思わせる。ソクラテスにとってメノンは彼に異見や質問を与えることによって、彼の思考の展開の一助を担ってくれるものでしかないのである。ちなみにメノンなる人物は悪名高いようであるがこれは本著からはそれほど明確には浮かび上がってこない。個人的に面白いのはやはりソクラテスの弁証法なるものかもしれない。ソクラテスの弁証法は徹底的に質問を投げかけて論破していき、そこから浮かびあがる姿のようなものを見つけ出すといったところだろうか?知らないものをいかにして探求するか?というところから、想起論が生じてくるが、これはイデア論の元型と言えるのだろう。魂は不死であり、神々が存在している。我々はありとあることを本来は知っているのだけれど、それをある種忘れている。なので、一見知らないと思えることも知っているのだから、それらを引き出すことができるのである。そして、ソクラテスは本著で本質的特性という語を使っているけれど、これこそがイデアであり、これはある種の本質的な抽象的な概念(=観念)とでも呼ぶべきものであろう。
少し横にずれたけれど、本著で語られているのは「徳」なるものについてである。ソクラテスは得なるものが定義できないということを論証し、では、徳なるものは教えられるのかどうか、という問いへとシフトし、知識と正しい思惑という二つの言葉が登場する。知識とはこの場では知識としか語られないがこれはいわゆるイデア的な���のであり、正しい思惑というのはある種感覚的経験的な無意識的思想とでも呼べばいいのかもしれない。結局のところ徳が知識だとしたら、徳は延々と伝播され続けるだろうけれど実質それが為されていないとソクラテスは言うのである。では徳は知識ではなくて正しい思惑にすぎないということになる。正しい思惑がどこから生じているかとすればそれは想起であり、神々によってもたらされた実存なのだろうといったことになるのだろうか?解説によれば、正しい思惑はここでは肯定的に捉えられているものの、後にプラトン自身にとって批判されるようだ。感覚的経験的思考では無知の知は実感されずそれゆえにイデアは得られないということなのだろうと思う。正しい思惑をそれについて意識的に思考することによって永続的に縛り付けて知識とする、なんていうあたりはなるほどなと思うけれど、勉強とかしていないのに頭がよくて小器用な人なんかは、たぶんそのあたりの感覚と経験能力が異様に優れているのだろうと感じる。ちなみに解説は更にもう一歩踏み進めて、ソクラテスが序盤で「これまで徳を持っている人物に出会ったことがない」と語っている部分を挙げることで、プラトンは実は「ソクラテスのみが徳を持っていた」と主張したかったのだろうと推測している。これは訳者ならではの鋭さである。もし、仮に徳者がこれまで存在していないとするならば、徳が教えられないかどうかは実は不明なのである。さて、それではさらに訳者よりもう一歩踏みこませてもらうならばこう言える。
「ソクラテスは徳者である。そして、わたし=プラトンも徳者である。ゆえにソクラテスによって教えられたものである。それならば、わたしもアカデメイアで徳を教えられるのである」と繋がりはしないだろうか?ここにソクラテス礼賛と、ある種のナルシズムと、後進育成のプラトンの三機軸みたいなものが感じられる。