辺境取材作家流、ブリコラージュ語学法
2024/04/01 11:08
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投稿者:ブラウン - この投稿者のレビュー一覧を見る
これまで世界の辺境を探検してきた著者が、語学に焦点を絞ってこれまでの体験を振り返る。
ここで紹介されている学習法はコミュニケーションが好きな方なら今からでも実践できる効果的なものではないだろうか。著者の持ち味である小気味よい語りもいかんなく発揮されていて、「語学」に感じるハードルの高さなんてほとんど感じない。シャイな自分でも、こんな生涯学習に臨んでみたいと思ってしまった。
言語学習に関するあれこれの他、他所の文化に持ち込まれた文字の発音がどのように変遷していったか、言語におけるノリの重要性など、実体験からくる興味深い話が盛り沢山。特に終盤で触れている、文明レベルによって生まれる語彙の差に関する考察は秀逸の一言だ。
語学の天才まで一億光年
2023/10/25 20:57
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の言語学習経験がまとめられているのだが、それに付随するエピソードが面白すぎる。おおまかなことは既に著者の本で読んでいるのだが、それによって想像していた風景が、言語学習ということを踏まえるとまた新しく見えてくる。
タイトルに「天才まで一億光年」とあるように、著者は天才ではないと主張しており(自分にはそうは思えないのだが)、多くの失敗も踏まえた勉強法を提示する。
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投稿者:悟空 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、数多くの言語を話せても、自分は語学の天才ではないと謙遜しているが、私はそうは思わない。完璧にできなくても様々な言語学習に取り組む姿勢、それを続ける気概は見習わなければならない。
当たり前におもしろい
2023/03/12 20:08
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
高野さんの本はどれもおもしろいので、安心して手に取れます。いろんなおもしろさがありますが、言語に関するこの本は幅が広すぎておもしろいです。
面白かったけど、過去作の冒険記のが気になるかも
2023/05/10 04:01
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投稿者:S910 - この投稿者のレビュー一覧を見る
未知の探検に憧れる好奇心旺盛な若者だった作者の辺境探訪を経て培ってきた体験を、それぞれの言語学習を中心にまとめた語学エッセイ。
ゆる言語学ラジオで紹介されていたので気になり。
勉強があまり好きじゃない作者が、探検に行くために言語を覚えることについてはものすごくバイタリティを発揮するのが本当にすごい。
飽きっぽくて忘れっぽいそうなので身についているとは本人も思えないのかもしれないけど、ほとんど独学でローカル言語を学んでいくのは宣教師さながらだと思う。
数奇な人生すぎて詳細が書かれている過去の著書気になる。
ノンフィクション体験記ダイジェストとしてもそこそこ面白かった。肝心の語学エッセイの部分は、独学でいろいろと言語体系や言語習得アプローチについて作者なりの見解が書かれているし、言語学関係を学んでいる人には興味深いのかもしれない。
私は言語体系とか比較言語学とか進化論にはあんまり興味がなかったので、詳細は読み流してしまったけど。
むしろ過去作の辺境探検記のが驚愕すぎて面白そうだったから、いつかそちらも読みたい。
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辺境ノンフィクション作家と呼ばれる著者がこれまで学習した言語について、学習に至った背景や学習方法、現地での活用をまとめた本。著者特有の探検的アプローチが言語学習にもこれでもかというほど発揮されていて、本当に面白い内容だった。言語学習をしていた自分としても、「魔法の剣」としての働きをもつ言語という考え方には非常に共感したし、今後も言語学習における大きな価値となり続けるだろうと改めて感じた。
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語学の極意は、ブリコラージュにあり!
と高野さんは言うけれど、私はむしろバーリトゥードみたいだなと思った。
インドでパスポートと有金全部盗まれて英語力爆上がり、とか、仏文科を卒業したいからアフリカ文学翻訳、とか、破天荒過ぎる。
一番共感できたのは、教わった文法は身につかない、という指摘。高野さんは「よく出てくる動詞ランキング」を、誰に頼まれもしないのに自分で作って英語の理解を進めていった。分野は違うけれど、近い体験をしていることを知って、ファンとしてとても嬉しく思った。
知は待っていてもやってこない。
未知の世界に飛び込んで藪漕ぎするように分け入っていく高野さんの冒険に、これからも期待したい。
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高野秀行は語学の達人のイメージだった
今でもそう思っているが少しだけ印象が変わった
インド編
英語がわからない
生水にあたる
ご飯が食べられない
騙される
みんな悪人に見える
自分とまったく同じ経験をしていて驚く
あの高野さんがという驚き
伝える語学と親しくなる語学がある
言語にはノリがある
口元でぼそぼそ話す日本語
やさしいタイ語
力強い中国語
外国語は話したいことがあれば話せる
言語が下手な外国人をこども扱いしがちだが
スペイン語話者はスペイン語にこだわりがない
これからの何か外国語を習うならスペイン語だ
語学にまつわるいろんなトリビア?が印象に残る
全編通じ高野さんの冒険と語学学習が密接に語られる
いつもの冒険が主役ではないが語学学習自体がこんなに面白いものなのかと思わされる
こんなに濃密な経験をしていてまだ30歳くらいまでのエピソードだというのも驚き
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大抵のことはゴールを自分で設定しないとその目標を達成することはできないしモチベーションが保たない。けれど、「れっきとしたゴールがない」のが高野さんの語学だと感じ取れたからこそより一層ワクワク感が感じられた。本書に書かれている場所に実際に私自身が住んでいたことがあり、高野さんの鋭くておもしろい考察が、あの時の経験を呼び寄せてきて懐かしい気持ちにもなった。小さい頃から海外に親しみがある私は、それゆえに言語にも人一倍関心を持っている。だから高野さんの持論の部分は深く共感できることが多くて、ここには書ききれないほどだ。日本語以外の言語を喋るときは、日本語を喋る時の私とは性格が違うと自分でも思ってしまうときが多々あるが、これが「言語はその国の価値観までもを映し出す」ということか!!と思ったりもした。今まで語学はゴールという仕切りをしきりにつくりたがっていた私だが(決してダジャレではない…)この本をよんで成り行き任せで学ぶことに一種の憧れが芽生えた。
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著者の語学に対する貪欲さは「何者かになりたい」という劣等感やハングリー精神からきているもの。私は、、そこまで劣等感を感じるほど自分と向き合えてないし、貪欲さも持っていないから、羨ましい、真似したいと思いつつも一生できないだろうな。これは著者の才能。
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ノンフィクション作家である著者の、おおよそ20代を通しての一風変わった海外経験を素材として、「語学」という側面からスポットを当てて捉えなおしたユーモラスな体験記兼、ソフトな語学(言語)論となっている。時代としては1980年代中頃から1990年代中頃までの約10年間。全五章で、舞台となる国々は主にアジア、南米、アフリカの約8ヵ国にわたり、これに拠点である日本での語学習得や就業体験なども加わる。本書で習得の対象として登場する言語は12にのぼり、各章の表紙でどの言語が扱われているかが掲示される。約320ページ。活字以外に、随所で当時の写真も掲載されている。
現在もノンフィクション作家として活躍する著者のポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。このポリシーの原型は早くから心に秘められていたようで、外国語の習得は当時から著者の求める活動を実現するための重要なツールとして意識されていた。そんな著者だからこそ、UMA探索や覚せい剤栽培といった一般人であれば経験することのない数多くの奇妙な海外体験とともに、それに相応しい独特の言語学習方法が編み出されていった。本書はそのような著者の特性を活かした、「海外体験記」と「語学」のハイブリッドをコンセプトとしたノンフィクション作品になっている。
序文で断られている通り、本書内で扱われるエピソードには著者の過去作で紹介された体験記が数多く含まれる。そんななかでも本書は著者の海外体験の嚆矢となるインドでの英語にまつわる顛末に始まり、多感な二十代の約十年間の様々なエピソードを時系列に沿うかたちでたどりつつ、言語・語学の観点からの考察や分析などを織り交ぜていく流れとなっている。約四年前に出版された『辺境メシ』が著者の経験から「食」の要素を抽出するコンセプトだったとすれば、今回は「語学版」にあたるといえるだろう。
体験記としては、あらかじめ既出の著作と重複していることを意識して、各エピソードが過去のどの著作で登場したかが都度紹介されるため、各部の詳細に興味をもった読者が(再読も含めて)該当の作品に当たりやすいよう配慮されている。著者の体験記としてはダイジェスト版、すでに馴染みのある読者にとっては再放送的な側面は強いのだが、だいたいの著者作品に一度は目を通している私も楽しめて特に不満はなかった。この理由としては、本書が著者の20代全般を対象とした「青春記」も兼ね備えた体験記として他の著書との差別化がなされ、ひとつのストーリーとしての一貫性が保たれていることにもあるように思える。
本書随一の特色は何より、著者独自の海外体験を言語・語学の観点から捉えなおして、言語にまつわる情報や知見が紹介されるとともに、さまざまな考察がなされる点にあるだろう。
まずひとつは語学学習の側面について、25を超えるという多数の語学を学習した経験から、著者が有用と感じた学習法・コツが随所で具体的に紹介される。著者の言語との向き合い方をエピローグの言葉からふたつを挙げるとすれば、「ブリコラージュ的」で「親しくなるための言語」ということになる。つまり、手法としてはあり合わせの手作業・即時的で、コミュニケーションを潤滑にするという目的を重視する。これに対置されるのが、「エンジニアリング的」で「情報を伝えるための言語」であって、学校や資格習得で一般的な勉強法はまさにこちらに当たるだろう。最低限の座学はこなしながらも、ネイティヴとのコミュニケーションから生きた言語を貪欲に学び、その言語を操る人々とシンクロしようというのが著者の指向ということになりそうだ。なかでも、「言語特有のノリ」に合わせなければ、その言語を円滑に使うことはできないという視点は新鮮で、納得させられた。
語学だけでなく言語という観点でも、多数の言語への知識から言語同士を比較して俯瞰的に見渡す視点から導き出される数々の考察も興味深い。第三章で紹介される比較言語学と進化論の類比をベースとした捉え方は本書全体を貫き、各言語の類似や差異をイメージさせてくれる。個別の地域や言語としては、コンゴにおける言語の階層性や、南米のマジックリアリズム的現実を可能にした「平安京言語」としてのスペイン(ポルトガル)語の性質、定型の挨拶語や儀礼語が欠けている社会の特徴、などといった興味深い指摘が多く見られ、この点も本書を支える魅力のひとつとなっている。
ユーモラスな語り口で自虐も多分に交えつつ自身のユニークな体験を面白おかしく語るという著者特有の楽しさは相変わらずだった。同時に、随所で文化人類学・社会学的な視点から提起される鋭い観察眼が、語学・言語という新たな分野でも発揮されたのが本書だろう。ソフトでフレンドリーなスタンスを基本としながらも、社会や人間を見渡すときにみせる鋭さによって適度に起伏があり、一冊の読み物として飽きることなく読み通せる。個人的には言語という切り口への興味も手伝って、著者の新作を堪能できた。終章にあたる第五章のラストでは、かつて『アヘン王国潜入記』を読み終えたときの感動が鮮やかに蘇った。
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語学学習本…というよりはアドベンチャー語学本という感じ。やはりネイティブに教わって、まねして、自分で文章を考えて…というのが大切なんだなー。赤ちゃんだって言葉を覚えていくには(学校教育もあるけど)家族の言葉を聞いて真似して話して…だものね。
序盤のやる気のない先生に教わるフランス語の話(先生がやっていた暗黒舞踊とは一体)と、ムベンベ捜索の話のあたりが特に好き。
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すごく面白かった。語学ってこういう経験をしたら、そりゃ面白くてたまらなくなるよね。語学オタク(すみません。言い方がひどいかも)になるのも分かる。これらの体験が1人の体験っていうのもすごい。一つ一つのエピソードがびっくりする様なものばかり。私が一生かかっても一つも体験することはないだろうな…と思うと人生って不思議で面白いなあと思う。
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これまでに何冊か読んだ高野氏の著書では、本作は少し毛色が違う気がする。
破天荒で驚愕の行動力の氏のなせる業に、仰天しつつ爆笑しつつ、そんな中でも氏の教養深さを感じつつ、だったが、本作はその「教養深さ」が全面に押し出された作品となっている。著者もあとがきで言っているように、私のように単に高野氏の本が好きなだけの読者だけでなく、言語学の学習者やそのあたりの教養を持ち合わせた人にもそれなりに満足してもらえるものにしたいという思いがあったようで、非常に学術的な記述が多い。著者がワ州や南米など、いわゆる辺境の地でその現地の人々との交流やそこから文化や言語の歴史、成り立ち、関わりなどを体感し、学術的に落とし込んでいく様を読んで、私の読書歴の中のベスト3に入る面白かった本『ピダハン』を思い出した。そういえば、あの著者も言語学者で宣教師だった。布教目的でアマゾンの奥地へ入ったのだったなあ。高野氏がワ州に入るにあたってワ語を習ったのも牧師で、布教のために必要な牧師の能力は、現地語の読み書き、と言っていたことにも妙に符合し、合点がいった。
破天荒で常識破りなところは影を潜め(というか、そんなに潜めてもないし、あまり詳しく書いてないだけだと思うが)、言語学の学習者にもとても納得の興味深さに満ち溢れた作品となったのではないだろうか。
ただ、いつも氏の作品で「ええっっ」「まじか」とか大爆笑とかで楽しんでいた私にとっては、あまりに教養度が高すぎて(?)少し残念ですらあったかもしれない。
だけど、ハチャメチャな中にも、物事の本質を突いた考察は健在で、そこはやはりさすがは高野氏、と思わせてくれた。楽するためには膨大な努力も惜しまない(!)ところや、ハチャメチャなのにとても字がきれいだったりと、相変わらずのアンビバレントさも確認出来てほっとした。
途中途中で「~については『○○○』を参照されたし」という記述が入っているので、やっぱり私が望むものはそっちを手にしたほうが、より詳細なびっくりエピソードに出会えるのだろうな。
どの章も面白くて楽しかったけど、どんな土地へ行っても、現地の人としっかり信頼関係を作れるのは著者ならではの人間性なのだろう。
いずれにしても、昨年からなかなか手にする機会が得られなかった本書を読了できてよかった~。次はまだ読めてないワ州の『アヘン王国潜入記』を読んでみようかな。絶版になっているという氏の翻訳作品『世界が生まれた朝に』も、近隣図書館に蔵書があるようなので読んでみなくちゃ。
著者は、私も大好きなラテンアメリカ文学のマジックリアリズムがいいと言っているが、著者の作品もある意味非常に「マジックリアリズム」でしょう。
次回作も楽しみにしてます!
余談だけど、一応の読書家として友人から認識されている私は、時々「面白い本ない?」と言われることがある。私の本の好みがやや一般的でないため、いつも困る。そんな時は、よく著者の『謎の独立国家ソマリランド』を勧めている。はちゃめちゃだけど、とにかく面白いよ!と言って紹介しているけれど、どうだろう?あんまり普通の本じゃないかもしれない気がしてきた…大丈夫だろう���
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待ってました!高野さん久々の新刊(納豆絵本を除いて)。期待に違わず面白かったー。ご自身で「青春記」にもなっていると書かれている通り、これは語学という切り口で語った半生記と言える。
最初の海外旅行先カルカッタでの災難に始まり、ムベンベ探索、アマゾンへの旅、アヘン王国潜入、大連の莫先生と、高野ファンにはおなじみのエピソードが次々登場。どれもみなよく知っている話のはずなのに、これが実に新鮮なのだった。あれもこれも、「語学」(言語)がコトの本質に深く関わっていたのだなあと、しみじみ腑に落ちた。むやみやたらなエネルギーでインドやコンゴに突撃していた高野青年を、高野オジサンが俯瞰的な視点で振り返った図、とでも言おうか。いや、面白かったです。
そういう長年の高野ファンとしての感慨の一方で、言語についての考察にも実に興味深いものがあった。どれも自身の経験から実感的に語られていて、説得力たっぷりだ。
・高野さんが「言語内秩序」と呼ぶ法則「うまく話せる人のほうが優位に立てる」。「会話のうまい下手で、人間関係までもが『大人と子供』になってしまう」、これは実にその通りで、誰しも身に覚えがあると思う。日本人は英語を話す外国人をリスペクトし、むやみにビビったりするが、相手が日本語を話すと、とたんに横柄な口調になる人が多い、このことが、日本に暮らす西洋人などが日本語をあえて習おうとしない理由の一つだと思う、という指摘には膝を打った。私はずっと、日本に住んでいても日本語をしゃべろうとしない人(特に西洋人)に対して、「フン!極東の島国の言葉なんか覚える気にもならないわけね」と冷たい目を向けてきた(実際その通りだと思う)が、高野さんの言うような面もあるのだな。
・中南米のスペイン語についての考察も興味深い。中南米は貧富の差が激しく、多様な自然環境に多様な人々が密接して暮らしている。この現実がマジックリアリズムの源泉だと多くの専門家が指摘しているそうだが、高野さんはもう一歩踏み込んで、その最大の媒介者がスペイン語ではないかと言う。ヨーロッパ系の大富豪も麻薬マフィアの下っ端も先住民も旅人も、みんなスペイン語を話す。言語で分断されていない。他の国や地域では社会階層的に交わるはずのない人や物が、簡単にふれあい、まるでファンタジーのような現実が現れ出るのだ。
・どの言語にもその言語特有のノリや癖、何らかの傾向があり、それが語学では決定的に重要だと高野さんは言う。確かに、文法や単語や発音をどれほど正確にマスターしても、特に話し言葉はネイティブとはどうしても違う印象になる。「喋り口調や態度は言語の特性ではなく民族性だと思うかもしれない。だが、民族集団は言語集団でもある場合が多く、言語と話者の気質は切っても切れない関係にあると私は思っている」。これもいろいろな言語や民族性を思い浮かべると(日本語と日本人を筆頭に)具体的に思い当たることが多々ある。
エピローグで述べられているのは「どの言語もみんな美しい」ということ。
「誰がどういうふうに読んでも、ネイティブが話す言葉はみんな美しい」
「それぞれの言語には独自のリズムとテンポがあり、強弱と抑揚をなだらかにくり返す。そして、何よりそれらすべてに意味があり、細部に意図が隠されている。言語の美しさというのは、完成された体系が持つ調和の美しさなのである」
とても良い結論だと思う。