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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2002/11/01
  • 出版社: みすず書房
  • サイズ:20cm/169p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-622-03970-2

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紙の本

夜と霧 新版

著者 ヴィクトール・E.フランクル (著),池田 香代子 (訳)

心理学者、強制収容所を体験する−。飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。原著の改訂版である1977年版にもとづき、新たな訳者で新編集。人間の偉大と悲惨をあ...

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夜と霧 新版

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商品説明

心理学者、強制収容所を体験する−。飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。原著の改訂版である1977年版にもとづき、新たな訳者で新編集。人間の偉大と悲惨をあますところなく描く。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

ヴィクトール・E.フランクル

略歴
〈ヴィクトール・E.フランクル〉1905〜97年。ウィーン生まれ。実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開。55年からウィーン大学教授。著書に「死と愛」「フランクル回想録」など。

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著者/著名人のレビュー

1月27日は国連によ...

ジュンク堂

1月27日は国連によって定められた
「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」です。

1945年のこの日、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所が解放されました。
今日は、あまりにも有名な本をここに置きます。
収容所に捉えられて4年間、その中での凄惨な光景を見つくし奇跡的に
生還した心理学者・精神科医による、その体験記を。

【折々のHON 2011年1月27日の1冊】

書店員レビュー

ジュンク堂書店新潟店

大戦時、アウシュビッ...

ジュンク堂書店新潟店さん

大戦時、アウシュビッツを中心とするナチ強制収容所を生き抜いた心理学者の体験記である。
強制収容所といえば、そこでの残虐行為などがどうしても先立って想起されがちであるが、本書はそういう極限状態に置かれた人間の心理的変化を克明に綴ったものである。
いつ終わるとも知れぬ絶望的な毎日を送る中で、被収容者たちは生きる目的すら失ってしまう。段階を追って心の反応が描かれる様は痛ましい限りであるが、そこで著者の言った、なぜあるいはなんのために生きるかではなく、生きることは我々からなにを期待しているのか、未来には何かが待っている、というのは被収容者たちに大きな希望を与える。人生の尊さを改めて考えさせられた。

人文科学書担当 西村

ジュンク堂

みんなのレビュー1,210件

みんなの評価4.5

評価内訳

紙の本

訳者・池田香代子さんのインタビューもお読みいただけます。

2002/12/27 13:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

『世界がもし100人の村だったら』『ソフィーの世界』などの話題作を手がけた池田さんが、みすず書房のロングセラー『夜と霧』を改訳されました。新版に込めた思いと「100人村」からのメッセージをうかがいました。インタビューはこちら。

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紙の本

池田香代子講演会のおしらせ

2003/04/14 18:12

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

●『世界がもし100人の村だったら』『ソフィーの世界』『夜と霧』(新版)など多くの話題作を手がけている池田香代子先生をお迎えし、100人村のその後から現在に関わられているNPO関連活動、イラクのことなどお話し頂きます。
また、当日はサイン会も予定しております。既に著書をお持ちの方はお一人様一点限り、お持ちください。会場でも池田先生の著書を販売いたします。

●日時:4/23(水)18:00開場 18:30開演
会場:三省堂書店 神田本店 8F特設会場 
定員:100名様
参加費無料 ※参加には整理券が必要となります。
→ただ今、神田本店1Fレジにて整理券を配布中。

【ご予約・お問い合わせ先】
三省堂書店 神田本店 tel.03-3233-3312(代表)

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紙の本

いい人は帰ってこなかった

2004/04/17 08:41

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 池田香代子の新訳が出版された。読もう読もうと思いながらいまになってしまった。
 アウシュヴィッツ収容所の名や話を聞いたことは、多くの人があると思う。本書はその支所に収容された心理学者の率直な体験記ともいえる。

 一番印象に残った言葉は、「いい人は帰ってこなかった」

 こんな印象的な言葉はない、と思う。生きるために「利巧」に立ち回わることのできない人は、生命を奪われたということである。

 旧訳者は、治安維持法の思い出を語っている。言いたいことを正直に言ったものは、治安維持法のもとで生きていくこともできなかった暗黒の時代を経験した人としての重みがある。

 ヒットラーによるユダヤ迫害、虐殺は有名である。しかし、その収容所に送られた人の心理面を描いたものは少ない。貴重な本である。
 生きるために、人としての尊厳や感覚を忘れてしまう精神状態の描写。リアルな描写になぜかそうかもしれないと思ってしまう。
 賞賛できる生き方ではない、と思うが、精神的にそうなってしまうのかも知れないと…。

 ヒトラー・ドイツが破れ、自由を得た被収容者。「自由」の実感がわかない、という。
 「自由」を実感するまでに、いくたの現実を経験し、なおかつ時間がいるという。それまでに夢見ていた自由、現実の自由が訪れた時にすぐには実感が伴わないという。
 これが真実かもしれない、その心理状態には説得力がある。

 今日の政治的発言や国民の行動にも、そんな現実離れした心理状態があるのではないか。不安定な社会の中では、人の心も不安定になる。
 現象だけに惑わされてはいけない。その中に隠れた本質を見極める考え方が必要なのだと切実に思った。

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電子書籍

胸にどんと、、

2018/05/01 01:37

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:k - この投稿者のレビュー一覧を見る

どん、というか、ズシっ、というか、読み終わった今、表紙を見るだけでもその世界が未だに本の中に眠っているようで、とても不思議な気持ちになります。淡々と現実を受け止める強さ、冷静さ、或いは、職業病ともいえるかもしれない筆者の心情を、どう受け止めるべきなのか、考えさせられる一冊です。

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紙の本

強制収容所から見て

2007/09/09 21:27

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サイン - この投稿者のレビュー一覧を見る

強制収容所内での観察に基づいた書。
まさに生と死が隣り合わせの状態で、
「人間とは何か」
「人間の自由と何か」
ということを根底で考えている。
かといって、声高になる感じではなく、
静かに淡々と語っている感じである。

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紙の本

良質な本に低質な解説。

2009/10/11 18:57

5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本の価値は今更言う事はないが、旧版の翻訳者のことばと新版のあとがきには同意しかねる。だから星一つを減らした。
 確かに当時の日本がサンフランシスコ講和条約以降のような形での自由は存在しないにしても、(ナチスに負けない)超国家主義の悲劇、というと事実の誤認を導いてしまう。もっとも、当時を生きた人の回想だから、あれこれと言う事ではないだろうが。特攻について「彼」-昭和天皇の事を旧版の翻訳者は、こう書いている-が黙認した、とあるが、それを言い出したら、満洲事変から終戦までの歴史では、「彼」をはじめ、「彼」を輔弼する元老西園寺公望公や政府・軍の高官等が現地軍の暴走を「追認」してしまった事は、どうなるのだろう?(159~164頁)。
 独りよがりな屁理屈で「満洲帝国」を生み出した石原莞爾中将のような昭和の軍の歴史で最悪の軍人が盧溝橋事件の後に参謀本部作戦部長として、不拡大路線を現地軍どころか、参謀本部の部下にさえ徹底出来ないのに。
 そんな国家が大日本帝国というものだ。
 ところで同じ版元から最近刊行された北御門二郎氏の著書には叔父が海軍中佐にしても、進んで兵役拒否をしても、おとがめなしなのは、どういう事だろうか?第三帝国だったら死刑なのに。
 あとがきの「第四次中東戦争でアラブ側が初めて勝利した」(167~168頁)という緒戦のみに当てはまる事を拡大解釈したり、「1948年の『イスラエル建国』」(168頁)とイスラエル国家に括弧書きをおつけになる訳者は、この本の改訂版が出た1977年は、確か親の世代がヒトラーに同調した事に対する反発から生まれたはずのドイツ赤軍が「反イスラエル闘争」の一環としてエールフランス機をハイジャックして、ユダヤ人の乗客を「選別」したエンテベ事件を起こした年だという事をお忘れのようだ。
 「受難の民が度を超して攻撃的になることがあるという。それを地に行くのが、二十一世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。」(169頁)と訳者は語る。イスラエルが諸悪の根源だとお思いなのだろう。
 1977年当時のイスラエルの首相はディール・ヤシン事件の首謀者で後にレバノン侵攻(ガリラヤの平和作戦)を行い、ファランジスト党民兵によるパレスチナ人虐殺を止められなかったメナヘム・ベギンという両親をはじめ親しい人々を殺したドイツへの憎悪を前面に出した政治家だし。
 こんな反イスラエル的な事を語るより、ヴィーゼンタール氏の「ひまわり」を読んだ方がいい。
 それにしても、「以徳報怨」を唱えた蒋介石総統はすごいと思う。何しろ国府軍は(中共軍も)ドイツ人への報復をして、ついでに日本兵達をシベリアに連行した労農赤軍と違って、日本軍の捕虜や在留邦人への大量虐殺をしなかったから、自称「新自由主義者」達は苦し紛れに昭和12年の通州事件で「野蛮な支那人」と言っているのだから。
 岩波書店から出た「論語」の著者は蒋介石総統を批判しているところを見ると、報復してほしかったらしいが。(「論語 心の鏡」186頁参照)。
 旧版と違って「収容所群島」でソルジェニーツィン氏に同伴者として再三批判されているバートランド・ラッセル卿の偽善的な解説が無くなり、活字が大きくなっているので読み易い。

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電子書籍

絶望の淵に立たされた心理学者の考察書

2023/08/20 07:06

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:もしもし - この投稿者のレビュー一覧を見る

ユダヤ人の心理学者がナチスの収容所生活について記した書籍。
自身や周りの収容者や監視の心理状態を考察書物し、絶望の淵でも希望を持って生きながらえるにはどのような心理状態でいればいいのかの考察をしている。

絶望のなかにどのようにして希望を見出して生き抜くことができたことが記されているが、運に恵まれ生き抜くことができたからそんなことが言えるとも受け取れる。
生きる意味があるのかという問の答えをこの本から見出すことはできない。自分で見出すものと結論づけているから。

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紙の本

後世に残したい、人間の崇高さと尊厳を記録した名著。強く、心が揺さぶられました。

2009/04/03 21:57

31人中、29人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アウシュヴィッツほかのナチス強制収容所で、被収容者の生活を体験した著者が、心理学者の観点から、その悲惨な状況を観察し、描写した一冊。極限の苦しみの日々を送る人間たちを、自分を含めてひたと見据えながら、人間の生きる意味とは何か、人間の尊厳とはどういうものかを問いかけ、考察していくのですね。150頁あまりの記述の哲学的な色合いを帯びた深みがもの凄く、あちこちで慄然とさせられました。人間らしい心が麻痺してしまう想像を絶した収容所生活の光景に打ちのめされ、その中でも、生きる意味を見出そうとする人間の勇気、人間の覚悟に接して、心が震えました。

 収容所から工事現場に向かって、何キロもの雪道を歩く途中、愛する妻の面影、その微笑みを思い出すことで、ひととき、至福の境地へと至る著者。収容所の現場監督が取り置きしておいてくれた小さなパンが、自分に向けてそっと差し出されたとき、彼の人間らしい言葉、人間らしいまなざしにたまらず、ぼろぼろと涙をこぼす著者。このふたつのシーンは、とりわけ、胸がいっぱいになってしまった記述です。読みながら、こちらもたまらない気持ちになりました。

 あるいはまた、次の記述などに。
<カポー(被収容者監視員 ※筆者註)は劣悪な者から選ばれた。この任務に耐えるのは、ありがたいことにもちろん例外はいたものの、もっとも残酷な人間だけだった。(中略)そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。>(p.5)

 強制収容所の衝撃的な写真が掲載されていた旧版(1947年刊 霜山徳爾 訳)も読みごたえありましたが、こちら、シンプルなたたずまいの新版(1977年刊 池田香代子 訳)も素晴らしい。平明な言葉と文章。すっと頭の中に入ってきて、分かりやすかったことでは、本書のほうが上でしょうか。

 いずれにせよ、後世にきっと残したい、人間の崇高さと尊厳を記録した名著です。本作品は、小川洋子『心と響き合う読書案内』(PHP新書)でも取り上げられ、見事な紹介がされています。

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紙の本

新訳の翻訳者、池田香代子先生は今のところ翻訳のミスの訂正に応じてくれてはいません。

2011/03/07 16:44

34人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る

 旧訳の霜山徳爾先生の「夜と霧」にも、新訳の池田香代子先生の「夜と霧」にも、同じところで翻訳のミスがありました。
 霜山先生はそのミスを訂正して下さいました。これについては旧訳への私の書評で詳しく書いていますので、まずそれをお読みになって下さい。

旧訳への私の書評

 新訳の翻訳者、池田香代子先生は今のところ訂正に応じてくれてはいません。
私が新訳の存在を知ったのは初版のだいぶ後になってからのことでしたので翻訳のミスを指摘し訂正のお願いの申し出をしたのは2007年8月でした。みすず書房の編集担当者は新しい人に代わっていましたが会ってお話しましたところ訂正する意思はお有りになりました。あとは、池田先生の意思次第です。

 文章間の矛盾が明確だったからこそ、また重要な事柄だったからこそ、霜山先生と当時の編集担当者、吉田欣子さんは訂正して下さいました。

 訂正の内容は旧訳への私“みどりのひかり”の書評に書いていますが、ここにも主な文を載せておきましょう。

それは霜山先生訳の「夜と霧」の196ページに書かれています。引用します。これを《2》の文章とします。

《2》
『これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。』

で、この部分は正しい文章であり間違いはありません。問題は、このページの一つ前のページ、195ページの文章です。これを《1》の文章とします。

《1》
『人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである。』

この文章は、《2》の『われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。』という文章と矛盾します。

《2》の文章では、フランクルは決して、あらゆる人間が善意の人間だとは言っていません。二つの人間の種族だけがいると言っています。つまり、善意の人間とそうでない人間の二つの「種族」がいると言っています。

 だから、《1》の『人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである』というような、みんな善意の人とは言っていません。

で、結論としては、《1》の文章の

『人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである』

の、「あらゆる」と「人間」の間に「グループの」という言葉が入るはずです、ということです。つまり、ユダヤ人のグループにも、看視兵のグループにも善意の人を発見しうる、と言っているのであり、あらゆる人間が善意の人である、とは言っていません。

で、この私の考えを霜山先生も当時の編集担当者も認めて下さり、1986年の刊行のものから現在に至るまで、この部分は「グループの」という言葉が入れられ、

『人間の善意を人はあらゆるグループの人間において発見しうるのである』と改められています。

この、『二つの「種族」だけがいて、一方は善意の人、すなわち「残虐行為を嫌悪する種族」であり、他方はそうでない「残虐行為を好む種族」である。』という考え方はキリスト教文明圏では持ってはならない考え方であり、普通ならごうごうたる非難に見舞われるような内容です。ですが、これは、フランクルが何百万人もの命と引き換えに学んだことなのです。この学んだ内容は、事実は事実として認めて社会の制度に役立てなければ、またあの忌まわしいアウシュビッツが繰り返されることになります。

池田先生の新訳では、その《1》の部分は143から144ページに、《2》の部分は144ページから145ページにかけて載っています。

その部分をここに引用しておきましょう。
《1》
人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。


《2》
こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。


ということで、フランクルは決して「人間らしい善意はだれにでもある」とは言っていないということ。
そして、「この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と」ということを言っているわけです。

残虐行為を好む人間のことについては、脳のfMRIスキャンによって判ってきました。旧訳への私の書評の中にリンク先がありますので見て下さい。

ただ、残虐行為をして楽しむ人間とは別に、粗暴で直に怒りをあらわにする人がいますが、この人たちは本質的に残虐人間とは異なります。この人たちと残虐行為を好む人間を混同して、悪い子を愛と教育で良くしたと思い込むインテリ人がいますが、これは明確に異なります。フランクルも「夜と霧」(旧訳)の201ページ、202ページにその人のことを書いていました。引用します。


一人の仲間と私とは、われわれが少し前に解放された収容所に向かって、野原を横切って行った。すると突然われわれの前に麦の芽の出たばかりの畑があった。無意識的に私はそれを避けた。しかし彼は私の腕を捉え、自分と一緒にその真中を突切った。私は口ごもりながら若い芽を踏みにじるべきではないと彼に言った。(中略)「何を言うのだ!われわれの奪われたものは僅かなものだったか?他人はともかく・・・・・・俺の妻も子供もガスで殺されたのだ!それなのにお前は俺がほんの少し麦藁を踏みつけるのを禁ずるのか!・・・・・・」何人も不正をする権利はないということ、(中略)この真理の取り違えは、ある未知の百姓が幾粒かの穀物を失うのよりは遥かに悪い結果になりかねないからである。なぜならば私はシャツの袖をまくり上げ、私の鼻先にむきだしの右手をつき出して「もし俺が家に帰ったその日に、この手が血で染まらないならば俺の手を切り落としてもいいぞ。」と叫んだ収容所の一人の囚人を思い出すのである。そして私はこう言った男は元来少しも悪い男でなくて、収容所でもその後においても常に最もよい仲間であったことを強調したいと思う。


この人たちが残虐性を好む人間とは異なるのだということは、いっしょに暮らしていれば判ることなのです。インテリは彼らのそばで暮らしてないからそのことはわかりません。私はわかります。粗暴だけど本質的には良い人か、残虐性を好む人間かは身近に一緒に暮らしていれば判ります。
フランクルは、このことは重要と思ったからこそ文章を入れたのでしょう。

私”みどりのひかり”の著書はこれらの問題を考える参考になります。

般若心経物語
不落樽号の旅

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紙の本

“静かな書”

2008/04/12 18:41

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る

1977年刊の原書新版にもとづき新訳されたものである。日本版は2002年11月刊、手許のものは2007年5月第10刷となっている。旧訳以来、書名とその内容の断片はよく見聞きしていたが、私は今回が初読である。こうした名著を思い立ったときに容易に入手して読めるのが通販書店のありがたい点である。「心理学者、強制収容所を体験する」という飾りのない原題がつけられた本書は「人間とは何か」を科学者の目から描いた“静かな書”である。この我々には現実のものとしては想像もできないような壮絶な体験が淡々と記述されている。 160頁程度のものであり、私は、手に取ったまま一気に読みきった。

 よく引かれる「いい人は帰ってこなかった」という記述は冒頭部にある(P. 5)。 その他、静かな記述のなかに多くの鋭い指摘がみられる。 心に残った部分を挙げてみると、「人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、・・・・わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。」(p.27)、「ほとんどの被収容者は、風前の灯火のような命を長らえさせるという一点に神経を集中せざるをえなかった。原始的な本能は、この至上の関心事に役立たないすべてのことをどうでもよくしてしまった。」(p.53)、「自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのではなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅」(p.94)、「人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。」(p.114)、「人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる。これは人間ならではのことだ。」(p.123)、「未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。」(p.125)、「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。 この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。」(p.130)、「ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。」(p.134)・・・・・・

 もちろん、平和呆けと日常性の中に暮らす自分達がこのような心理を真に理解することは困難であろう。 類似の状況があるとすれば、不治の病と寿命の終期を宣告された時ぐらいであろうか。

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紙の本

高校生や大学生にぜひ読んでほしい

2003/01/09 19:41

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ナチスの強制収容所でなにが起こったか、今や多くの人が知っている。
 映画で、TV番組で、TVの戦争特集で、小説で、漫画で……。

 今更もう新しい知見などない? そうだろうか。強制収容所に暮らし、そこから奇跡的に生還した心理学者が極限の状態の中で何を見、何を感じ、何をしたか、つぶさに知ることは、単に古くおぞましい記憶を手繰り寄せ反芻すること以上の意味をもっている。

 第二次大戦後、「アンネの日記」とともにロングセラーとなって読みつがれてきたという本書を、恥ずかしながらわたしは読んだことがなかった。このたび、新版に基づく新訳が出版されたのを知って初めて目にしたわけだが、訳は平明で読みやすく、やはり評判どおりの深い示唆に富むすぐれたドキュメントだった。

 
 ユダヤ人でかつ高名な心理学者である著者が、自分をも分析対象にして、強制収容所での人々の心理状態をつぶさに著していく。いわば、「参与観察」の結果が本書の内容なのだ。ここでは、絶望の中で人はどのように生き延びるのか、あるいはその絶望ゆえにどのように命を落とすのか、心理学者の克明な描写が胸をえぐる。

 平和な時代、「極限の状況」などに陥るはずのないわたしたちですら、ここに書かれた内容が、人はいかに生きるべきかという普遍的なテーマにつながることをひしひしと感じる。ある意味で人はいつだって極限状況に陥りながら生きているのだ。希望と絶望は常にわたしたちのまわりをゆらめき、大きな重圧に、あるいはさまざまな些細なことにすら心が押しつぶされそうになる。

 心が疲れているときに読めば、きっと励ましになることが書いてある。いわば説教臭い教訓が書いてあるともいえるのだが、その言葉が空疎に響かない。ホロコーストを生き延びた人の魂の奥底から出た言葉には普遍的な力がある。

 収容所で人間の尊厳を生きのびさせる力が<知性>であったことを心に刻もう。人のよすがとなる最後の品格を支えるものは知性だ。そして知性は豊かな感性に裏打ちされる。

 わたしが教師なら、夏休みの課題図書に選定したい。若人よ、ぜひ読んでほしい!

 そして本書を読んだら、次は「カフカの恋人ミレナ」(平凡社ライブラリー)を読もう。ナチスの収容所で最後まで誇りと明るさを失わなかった知性溢れる女性の生涯が描かれている。

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紙の本

夜と霧

2017/11/24 18:12

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みかん - この投稿者のレビュー一覧を見る

一度は読んでおくべき本だと思います。

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紙の本

あのとき、なにが起こっていたのか

2017/04/22 09:57

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:さびねことほんだな - この投稿者のレビュー一覧を見る

映画を見ているかのように、フランクル博士が見た情景を再生できる一冊です。
難しい本なのだとばかり思っていましたが、新訳のおかげか、ただ読む分には全くストレスは感じません。ただ、描き出される情景があまりにも克明なのでページをめくる手が何度か止まりました。
歴史を繰り返してはいけない。なぜ?
その答えがここにあると思います。

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紙の本

夜と霧 新版

2015/08/30 23:00

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る

ジークムント・フロイトに精神医学を学び、ウィーン大学医学部精神科教授を務め、学者としても「実存分析」を唱えるなど、世界の精神医学・脳外科医学に多大なる貢献をしたヴィクトール・エミール・フランクルは、ユダヤ人の血をひくが故に、ヒトラー率いるナチス政権から様々な迫害を受けた。職を解かれ、ドイツ人に対する治療を禁止された。それのみならず、結婚9ヶ月語には強制収容所に送られた。両親と妻はその後別の収容所に送られ、再会することはなかった。彼は悪名高きアウシュビッツ収容所に送られが、幸運にも3日後には別の収容所に送られ、無事に生き延びた。
この本は、収容所生活を淡々と綴ったものである。収容所での生活は「生きているの不思議」といわれるほど過酷なものであるが、これだけ酷い目に遭ったにもかかわらず、彼は政権に対する恨み辛みを一言も言わず、淡々と日々の出来事を綴っている。その姿勢に、胸を打たれる人は多いだろう。本書は1956年の初版以来、長らく霜山徳爾の翻訳で発行されていたが、12年前に池田香代子の新訳が出たが、ここで紹介しているのはそちらの方である。かように過酷な体験をしたのに、なぜ彼はユーモアを絶やさないことが出来たのか?それが不思議である。

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紙の本

人間の本質を真実から記述した哲学書

2012/09/24 23:55

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:pappy - この投稿者のレビュー一覧を見る

ユダヤ人強制収容所での生活体験から過酷な環境に生きる入所者の心理を心理学者の立場で綴ったもの。限りなく死と隣り合わせに生活する中でも徐々に「慣れる」ことができたことから、「人間はなにごとにも慣れる存在だ」とするドストエフスキーの言葉を裏付けた。
文字通り必死に生きようとする中で、人間の感動は消滅するが、一方ではささやかな出来事にも感動するようになる。もはやなにも残されていなくとも愛する妻に思いをはせることは、心の支えとしての伴侶がいかに貴重かを思い知らされる。人間はひとりひとり、どのような状況にあっても、自分がどのような精神的存在になるかについて、何らかの決断を下せるのだ、とは、つい境遇に甘えて不平を口にしてしまう我が身に重く反省を強いる。
強制収容所で亡くなった女性の「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」という言葉には、つまらないことをくよくよと悩んでいる我が身を思わず羞恥心で満たした。
生きる意味を考えるのではなく、生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ、との命題には今後も考えていく必要があるだろう。苦しむとはなにかをなしとげること。つまり苦しむことでさえ課題だったのだ。
極限状況で詳細に自分と他人との心理を観察して分析した記述には真実があふれており、机上の論理を積み重ねただけの多くの哲学書が色あせて感じられた。

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