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緑の家 上 (岩波文庫)
町外れの砂原に建つ“緑の家”、中世を思わせる生活が営まれている密林の中の修道院、石器時代そのままの世界が残るインディオの集落…。豊饒な想像力と現実描写で、小説の面白さ、醍...
緑の家 上 (岩波文庫)
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商品説明
町外れの砂原に建つ“緑の家”、中世を思わせる生活が営まれている密林の中の修道院、石器時代そのままの世界が残るインディオの集落…。豊饒な想像力と現実描写で、小説の面白さ、醍醐味を十二分に味わわせてくれる、現代ラテンアメリカ文学の傑作。【「BOOK」データベースの商品解説】
【ロムロ・ガリェーゴス賞】【スペイン批評家賞】【ペルー国民小説賞】〔新潮文庫 1995年刊の修訂〕【「TRC MARC」の商品解説】
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私としては、ノーベル受賞したからって簡単に手出せる作家だとは思いません、この人。たしかに 『緑の家』は有名でしょうけど、面白さでは『フリアとシナリオライター』じゃないかと。『チボの狂宴』なんてもっと難しい・・・
2011/11/30 17:31
10人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が出たのと前後して、バルガス=リョサのノーベル文学賞受賞が決定し、書店で過去の作品も含めて並べられることが増えたのも一瞬、どうもリョサにはマルケスのようなコアなファンがついていないのか、書棚の扱いも以前に戻った感があります。ラテン文学ブームが一段落したというのも大きいかもしれません。なんといっても、日本に紹介されているラテン文学にはエンタメ性が少ないですから。
でも、です。私が以前読んだ『フリアとシナリオライター』は面白かったです。いまでも粗筋は覚えていますし、時間があれば読み返したい本の一冊でもあります。個人的には、マルケスよりも自分には合っている、と思うほどです。ところが、『緑の家』は、よく売れているようですが、『フリアとシナリオライター』はさほどでもない。新刊の『チボの狂宴』も売れている気配があります。
つまり、日本人の読者は、海外のノーベル賞受賞作家の場合、受賞時前後の新刊には興味を示しても、増刷がされないような以前の作品には手を出さない傾向がある、ということなんです。しかも、私自身『緑の家』を読んで、或いは『チボの狂宴』に少しだけ目を通して分かったのですが、リョサ、難しいです。扱う世界も特殊だし、むしろ『フリアとシナリオライター』が異常なほどに読みやすかったと考えたほうがいい。
だから、フェアが終わると一気に客足が遠のきます。それでも、この岩波文庫版には独特の魅力があります。それが文庫のカバーです。装幀関係について、本には
*
カバー=中野達彦
写真=ペルー・アマゾンの森(永武ひかる撮影)
*
下巻には
*
オリジナル写真撮影=永武ひかる
*
と微妙に表記を替えて記載されています。岩波にどのような意図があってこうなったのか、尋ねてみたいところですが、そんな疑問をぶっとばすほどに素晴らしい写真です。どんなカメラで撮ればこんなに美しい写真が生まれるのか、永武に聞いてみたくなるほど。個人的には、岩波文庫史上最高のカバーではないか、なんて思っていて、私がこの本に手を出したのも、このカバーあってのことです。
お話ですが、とりあえず文庫カバーの文章を引用します。まず、上巻のカバー折り返しには
*
町外れの砂原に建つ〈緑の家〉、中世を思わせ
る生活が営まれている密林の中の修道院、石
器時代そのままの世界が残るインディオの集
落……。豊饒な想像力と現実描写で、小説の
面白さ、醍醐味を十二分に味わわせてくれる、
現代ラテンアメリカ文学の傑作。(全二冊)
*
下巻のカバー折り返しには
*
〈緑の家〉を建てる盲目のハープ弾き、スラム
街の不良たち、インディオを手下に従えて他
部族の略奪を繰り返す日本人……。ペルー沿
岸部の砂の町とアマゾン奥地の密林を舞台に、
様々な人間たちの姿と現実を浮かび上がらせ
る、バルガス=リョサの代表作。(全二冊)
*
とあります。舞台となるのは南米、ペルーのビウラにある〈緑の家〉、サンタ・マリア・デ・ニエバの町、などです。話としては面白いです。文章自体も読みやすい。にもかかわらず、難しい。時間軸にズレがありますし、章が変わるわけでもないのに、場面や登場人物が入れ替わっていたりして、正直、戸惑ったまま読み終えたといっていいでしょう。
で、解説を読んで納得がいき、でもそうなるとノート片手に、全体の構造を解析し、再構成してもう一度読み直す、つまり最低でもあと二回よまなければいけない、そういう意味では難しい話になっています。人種差別、暴力、軍事行動、南米での布教活動、恋愛、売春とキリスト教といった要素が盛り込まれていて、個別の話はどれも面白い、いや面白いという言葉が不謹慎なくらい深く書き込まれているのですが、それをあえてバラバラにしてつなぎ目を分かりにくくしています。478頁の解説で木村榮一は
*
作品の舞台は、ペルー・アマゾンにある町イキートス、アマゾン源流地域にある町サンタ・マリア・デ・ニエバ、およびその周辺、それにアンデス山脈の反対側にある砂漠の町ビウラになっていて、そこで五つのストーリーが相互に関連し、絡み合いながら展開してゆくという設定になっている。以下その五つのストーリーを大まかに説明しておこう。
*
となっていて、その説明も結構な分量になります。それを私が要訳すると
一 作品冒頭の治安警備隊の隊員たちとシスターたちがキリスト教教育のため、インディオの住む集落から少女を連れ去り、サンタ・マリア・デ・ニエバの町にある修道院に住まわせることから、拉致された少女ボニファシアが逃亡し、謎の多い女性ラリータの家に引き取られ、治安警備隊の軍曹リトゥーマに出会い結ばれる。
二 放浪の歌手アンセルモがビウラの町に流れ着き、町外れに売春宿《緑の家》を建てる。一方、捨て子だった少女アントニアは農場主のキローガ夫妻に引き取られ幸せに暮らしていたが、夫妻が盗賊に襲われたとき瀕死の重傷を負い、目も見えず口もきけなくなる。少女を引き取ったアンセルモは少女と結ばれ、子供をもうけたもののアントニアは死亡、《緑の家》もガルーシア神父によって焼き討ちされ、アンセルモは楽士として過ごし、子どものラ・チュンガが成長して《緑の家》を再建する。
三 仲買人を通さず直接ゴムの売買をしようとして捕まったインディアンの部族長フム、ブラジルで事件を起こし投獄されたものの脱獄してアマゾンの奥地に身を潜めた日本人フシーアの行う盗賊行為と、彼のもとに身を寄せるフム、感染症に罹り奥地にある療養所に向かうフシーアと友人アキリーノの話。
四 イキートスの町に住む政治家のフリオ・レアテギは地方のボスとして絶大な権力を握り、ゴムの採取を行っているインディオを搾取して莫大な利益をえている。そのことでフムを痛めつけ、フシーアをつけ狙う。
五 ビウラの町のマンガチェリーア地区に住む若くて向う見ずなリトゥーマとその仲間たちの物語で、その後、リトゥーマは治安警備隊の軍曹になり、アマゾンの奥地に赴任、ボニファシアと出会うことになる。
ということになります。ちなみに、本文に警察の言葉が出てきて、どうも治安警備隊を指しているようなのだけれど、警察と治安警備隊は別物のはずだし、警察官に軍曹というのもなんだかなあ、と思います。原文がそうなっているのでしょうが、こういう部分は訳者が整合を取ってもいいのではないでしょうか。それはともかく、私などはこうやって解説を要訳して、やっと「そうか」と思った次第です。五つの流れは、きちんとしているので、各々の話ごとに時系列順に構成をしなおせば、もっと読みやすくなる、さほどに構造が読みにくいお話です。でも、それが読書の妨げになるかといえば、とくに下巻になればそういうことはなくなる、ここらはラテン文学の凄さかもしれません。
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緑の家 上
2021/04/23 23:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ペルーのノーベル賞作家、バルガス=リョサの長編小説。密林や砂漠を舞台に、5つの時間軸で物語が進み、やがて登場人物同士が交錯していく。この点を押さえて読まないと、面食らってしまうかもしれない。ただ、文章は語りかけるような調子なので、とても読みやすい。一方で語りゆえの分かりにくさ(誰が語っているのか)もある。
内容はとても面白い。
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歴史は女達に刻まれる
2012/07/13 00:34
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつだってそうだ。男達が酔って殴り合っても、激高して撃ち合っても、彼らの暮らしは何も変わりはしないのだ。船が大西洋を越えて新大陸に辿り着いても、拡張主義と搾取が吹き荒れるだけだ。しかしそこに送り込まれてしまった修道女達の人生はどうなる。ヨーロッパ文明を拒否する人々、アマゾン流域の奥地に住む原住民を、彼女達が教化できるわけもない。小さな女の子を騙して、脅して、懐柔してさらって来て、あたかも信者であるかのように修道院で育てれば、行動様式だけはそれらしくなる。子供たちは大きくなってこ綺麗にして、白人の家のお手伝いや売り子として働きだして、誰かと結婚して、子供を作り、そうして新しい血縁が繋がっていく、そこが歴史ということではないだろうか。
その人々の生きていく姿は真実だが、歴史学的事実である以前に、人々の記憶であり、血の繋がりであることが歴史なのだ。
だからこの物語は、その記憶の連鎖として語られる。
密林の奥深くでゴムを買い付けてあこぎな商売をして、その挙げ句に警察に追われる日系とおぼしき男。地位を利用して私財を蓄える男。兵隊。船頭。ハープ弾き。彼らの女達。白人の、インディオの、混血の女たち。名家の娘も、零落して貧しい女に育てられて、そしてまた新しい血統を伝えていく。彼ら、彼女らが誰かを思い出し、時がたち、また誰かを思い出し、そうして時間を行きつ戻りつして語られて、時には因果関係も分からず、話の順序も、誰と誰が同一人物かも分からないままに綴られていくのだが、人間の理解する歴史ってそういうもの。
首都リマからは遥かに遠い、小さな町、さらに奥地の村というより集落、原住民しか寄り付かない隠れ家。一人の調子のいい男がふらりと現れて、町外れに一軒の屋敷を建てる。それが緑色の外装から「緑の家」と呼ばれ、そこで働く女達もまたどこからか集まって来る。そんな罪の屋敷を舞台にした純愛と裏切り。燃え尽きたその家から巣立っていく女達。それもこの国の歴史の一コマであるだろうし、都会とアマゾンとが浸食し合う世界の中ではごくささやかな営みに過ぎないかもしれない。
主要な登場人物たちも順に死んでゆき、町は鉄とコンクリートに覆われた現代都市へと変貌していく。その時間の中では、戦争や革命や独裁などもあったのかもしれないが、それよりも傷つけられ、虐げられ、時に歪んだ愛の対象にされてきた女達の日々の方が、よほど僕らにとって意味のある歴史と呼べるのではないか。そう思わせられるのがこの作品の語り口だ。
男だって女だって、政治や国家や戦争よりも恋人のことが大切なのだ。
そんな当たり前のことを、このアマゾンでもやはり当たり前だということを描いて、それでいてミステリアスで、すべての人が愛おしくなってくるのがこの作品なのだ。
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手製の登場人物表を片手に
2023/01/10 10:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
アンセルモと緑の家、フシーアの物語、軍曹とポニファシア、ホセフィノとレオン兄弟とリトゥーマ、様々なプロットが並行して進められていく、時系列も地理もよくわからない、お手製の登場人物表で名前を確認しながら読み進める、面倒くさい読書だが、そうせざるを得ない魅力がある