京都ぎらい
著者 井上章一
あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言するのは、京都育ちで、ずっと京都に住んでいる著者だ。千年積もった洛中人の毒や、坊さんと舞子さんとのコラボレー...
京都ぎらい
商品説明
あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言するのは、京都育ちで、ずっと京都に住んでいる著者だ。千年積もった洛中人の毒や、坊さんと舞子さんとのコラボレーションなど、「こんなん書いてええのんか?」という衝撃の新京都論。
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書店員レビュー
著者の精神史
MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店さん
井上章一の本は、どれを読んでも「いけず」だと思う。
顕著なのは、東大について。京大出身の井上章一は、ことあるごとに東大で発展した学問に異議を唱え、徹底的な再検証を行う。すると、それまで定説だったものが、みるみるうちに「学内の師弟関係」などで説明されてしまうことになる。
このパターンが痛快で、ぼくは井上章一の本を読み続けているのだが、今回の『京都ぎらい』を読んで、このような姿勢が実は「京都」に対するルサンチマンによって育てられたものだとわかった。
洛外の「嵯峨」で育った著者は、しばしば洛中の人から田舎者と侮蔑され、憎しみを募らせる。しかし、他の地方の人からは室町も西陣も嵯峨も、宇治でさえもぜんぶ同じ「京都」ということにされてしまうので、悩みを理解してもらえない。
京都への怨念が自身の精神形成にどのような影響を与えてきたかが延々綴られており、これまでの著作での意地の悪い書きぶりを「なるほど」と頷きながら振り返ることが出来る。
しかし、名古屋人のぼくから見れば、結局のところ井上章一は立派に京都人である。本書を読むと、京都人が「いけず」と言われるのは、みんな大なり小なり、同じような経験をしているからではなかろうか、という気がする。京都人のいけずと、井上章一のいけずな著作は、イコールのように見える。
というわけで、この本は井上ファンにとっては必読だが、著者の本を読んだことがない人には、真っ黒な怨念に満ちた謎のエッセイと映るだろう。
あとがきはかなり笑える。著者にはやはり、いけずな視線で東京VS関西の本をもっと書いてほしいと思う。
年季の入った京都ぎらい
2016/03/29 00:08
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:デュークのりのり - この投稿者のレビュー一覧を見る
京都でも洛外からの年季の入った京都ぎらい。東京からみた横浜問題とは違う奥深い京都ぎらい。
イケズなのか、目糞鼻糞を笑うなのか。
2019/03/26 14:20
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
都人の気位は高い。昔から現在に至るまで田舎と呼ばれている土地の者には理解できない差異が、まるでグラデーションのように存在しているのだろうと想像するしかない。
京都の観光地と言ったら、洛中にも洛外にもあるじゃないのとしか言えないです。
しっかし、むつかしいですねえ。
京都人の心は複雑
2015/10/25 23:00
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ごみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
嵯峨に育ち、宇治に住む井上先生が独特の屈折した語り口で、洛中の京都至上主義への意趣返しを試みる。ところが話は、リオのゴキブリ退治会社(KIOTO)、僧侶と芸子、文観税・古都税闘争、江戸幕府の京都貢献、明治維新から大戦、靖国神社にまで及ぶ。
【学んだこと】
・洛中の人は、洛外を見下す文化があること(非常にローカルな話だが)
・嵯峨を見下す源流は、南北朝時代の嵯峨大覚寺統の敗北に源泉があること
・天龍寺を足利尊氏が建立した後醍醐天皇の鎮魂(怨霊思想)から学ぶ、現代に転生した形があること
・京都の寺院は、江戸幕府が復興・経営システム確立させたが、明治新政府がシステムを破壊し、高度成長期に拝観料で復活したこと
京都の歴史の何重もの層
2016/05/31 11:07
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:脳天さかおとし - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者自身が京都の嵯峨の生まれなのだが、洛中の人間からすると嵯峨など京都のうちに入らない、というよそものにはおよそ想像を絶する京都人の差別意識が事細かく解説されて、いけずな連中だなあと改めて思う。
京都の寺の多くが応仁の乱で焼けてしまったのを再建したのが家康だったり、いわゆる京都の伝統というのがその時々の権力におもねて存続してきたことも改めてわかる。
やや脇筋だが、明治維新が無血革命だという俗説に対して、京都の蛤御門の変や会津藩に対する所業などとても無血などとはいえない、靖国神社が敗者を祀っていないのは敗者が祟るのを恐れて祀ってきた日本の伝統に反するという意見も説得力あり。
なるほどなるほど
2017/01/19 12:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:おえん - この投稿者のレビュー一覧を見る
京都生まれの京都育ちのわたしが、読んでも思わず、膝を打つ事が、多い作品です。そらあ、きらわれるでと と思わず納得の作品です。
古都のいやらしき「中華思想」
2016/04/30 17:15
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チップ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ええか君、佐賀は京都とちがうんやで」
「嵯峨あたりは言葉づかいがおかしかった。僕らが中学生ぐらいの頃はよう真似してわらおうたもんや」
西陣出身の高名な国立民族学博物館館長の言葉。
しかし、その話を中京の新町御池で生まれ育った男に言うと
「京都を西陣の奴が代表しとるんか、西陣ふぜいのくせにえらい生意気なんやな」
になるそうだ。
いやはや京都は怖い街である。
アンビバレントな存在
2016/09/21 00:10
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちゃっぴー - この投稿者のレビュー一覧を見る
洛中人からは見下されながらも、京都人という意識は完全に捨てられない、そんな存在を感じます。広義の京都人でさえもない、パチモンには到達し得ない意識ですが、京都に住んでみて何となく分かる話です。
もっともっと色んな危険な暴露ばなしも披露して、議論を広げてほしいようにも感じます。
京都のあれこれ
2016/06/22 15:21
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:千那 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ3年京都に住んでいますが、所詮大学生活の範疇なので京都人とはそれほど関わりを持っていませんが、なかなか楽しめました。京都人はよそ者に厳しいと昔きいたことがありますが、それも土地柄なんでしょうね。
現代版「京の茶漬け」
2016/04/11 18:45
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
落語に「京の茶漬け」というネタがありますが、あれが面白い!というかたは、この本でも楽しんでもらえるでしょう。「京都ぎらい」とありますが、井上さんは、結局のところ京都を愛しておられることがよくわかります。裏から見た京都入門、といえるでしょう。
「京都ぎらい」については、よくわかりません。
2022/03/18 20:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:satonoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
住んだ人でないとわからない心の屈折、苦々しい地域事情などがあると思いますから、「京都ぎらい」の人をどうこう言う筋合いは私にはありません。
「京都の人はいけずだから、話を鵜呑みにして聞いてはいけない」とはよく聞きましたが、あいにく私が知り合った京都人は、進学先や就職先が京都市内だっただけで、出身は洛中ではありません。
そのため「いけず」は、いまだにわかりません。
ただ、南北朝時代など学校の日本史で習っていながらするりと忘れて欠落していた事柄でした。
なるほど、この人とこの人がこういう事情でにらみ合ったのか…もちろん筆者の説にすぎないかもしれませんが、全く異なる地域に住まう私には、興味深く読めました。
いつか京都に行けるなら、嵯峨の辺りを散策したいです。
確かに、洛内出身者は偉そうw
2019/01/29 22:31
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
たまにテレビでおみかけする作者の姿は、「おまえらなんか関西違うわ」と蔑まされる紀州人の私からみたらどう考えても、いやみな京都人にしか見えないのだが、作者自身は「私は洛中の人からは洛外の人間とみなされる嵯峨生まれの宇治在住者です」という。歴史的にみると作者の言う通り、昔は彼の生まれ育った嵯峨は首都京都の副都心の色合いが強かったのかもしれないが、足利尊氏が徹底的に南朝勢力を叩き潰したせいで、大覚寺派の総本山であった嵯峨は洛外にされてしまった。この本はそんな作者の洛中の人々への恨み節がこめられていて楽しい。首都東京から見れば、洛中の京都人も単なる地方都市の市民でしかないのだという作者の叫びがかなしい
京都(洛中)がよくわかる
2016/12/05 20:11
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投稿者:甚兵衛 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルが「京都ぎらい」ですが、京都が好きだと感じられる文章です。京都の底辺に流れる「洛中」「洛外」の京都人の感じ方がよくわかり、京都が一層深く感じられる一冊です。
憧れか妬みか
2016/09/22 10:10
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投稿者:akira - この投稿者のレビュー一覧を見る
京都が大好きな自分は、最初にこのタイトルを見たとき、読もうとは思わなかった。だけど、書評などを読み興味が出てきて、読んでみた。
人は自分の住んでいる所を一番にしたいから、そのために周囲の地域を一段下に見るんだと思う。この本を読んで、京都は特にそういう意識が強い地域だと思った。それは歴史的な要因がとても大きい。そんな意識が洛中を中心に同心円を描いていくように広がっていき、筆者も同じような意識を外側の地域に持っていると認識している。
自分の属する同心円より内側の地域に憧れを持って捉えるか、妬みを持って捉えるかで、好きか嫌いかが別れる。神戸は憧れの対象になることが多いが、横浜は妬まれる、そんな違いかと思った。
視点のある本
2016/08/24 09:11
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投稿者:gon - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、外部視野から見れば京都人、内部者から見れば゜京都こばんざめ」((・・?)。京都中心部の外に生まれ育った人でないと感じ取れない微妙な「京都」の排他性を、卑屈にも読める文体で暴露している。大好きな京都の別の側面を感じることができた。昨今、別地域の人が京都にマンションや町家を買う風潮があるようだが、そういう人は、この本を一度読んでみるとよいと思う。論旨・視点が明確なので、この本に対する京都中心部に「生息」する「生粋京都人」の反論なり同調なりを是非聞いてみたい。
山科が洛外だったとは!?
2016/03/17 11:22
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まるぱぱ - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代山科に下宿していて、私は暫く京都に暮らしていたと、今まで周囲には、割と自慢気に話をしていました。
しかし、この本を読んでみて、認識を変えなくてはならないのか、面白がって手にするんじゃなかったと、若干落ち込みました。
しかし、私はやっぱり、たとえ東山が西に見えても、山科は京都だと思うんだけどね!!