紙の本
とんでもない人だけど、私は好きになった
2020/10/14 22:20
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』で見事に島尾敏雄と島尾ミホの壮絶な関係を書ききった作者は、今回は原民喜を題材にしている、恥ずかしながら私はまだ原民喜の作品を読んだことが無く、というかほとんどこの人のことを知らなかった。友人の一人は彼を評して「ほんの少しの俗智もなければ俗才のかけらもなく、世間話や日常のちょっとした挨拶、してもらったことへの礼を言うこともできなかったので、他人から誤解されかねなかった」と言っている、これが事実なら他人から誤解されるどころか、全くもってふとどきな人なのだが、原は愛され続ける。そして一番、原を愛した人が戦中に亡くなった妻の貞恵さんだったのだろう、その美しい死に触れた原は原爆の死について「このやうに慌しい無造作な死が「死」と言えるのだろうか」と嘆くのだ
紙の本
多感な幼少期から、その死まで。生き難さを抱え、傷ついてもなお純粋さをつらぬいた稀有な生涯を描く、傑作評伝。
2018/07/30 12:01
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
原の自死は周到に準備されたものだった。その心は「すでに半ば死の側に」あり、その文学は「死者によって生かされる運命」だったが、臆病に踏みだした幼少期、妻との愛情の日々、孤独な晩年を辿る。作家への敬意を忘れずその内に踏み込んだ肖像画。
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かなしみの人生
2018/08/09 09:38
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
教科書に原民喜の詩が載っているから、誰でも作品とかれが広島で被爆し、その後鉄道自殺した人生を知っていると思う。
だが、それだけではなく、子どもの頃から内気で繊細な性格、大学時代の秘められた交友、妻との出会いと別れが描かれている。
戦争で喪われた一人一人の人生、忘れてはいけない。
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原民喜という人
2021/12/28 13:45
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
原民喜といえば原爆小説の代表ともいえる『夏の花』を思い浮かべる人が多いであろうし、現在のような時代であるからこの小説は読み継がれていかねばならない。同時に原は社会に適応できず他人とまともに口をきくこともできないほどの超のつくほど内気な人でもあり、こういった面でも現在に生きづらさを感じているような人の共感を得られるかもしれない。
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評伝にありがちな、思い入れが強すぎて神格化したり、文学的にしすぎたり、というのがなく、淡々とたどる。この姿勢はまさに「民喜」そのものではないか。
●原は自分を、死者たちによって生かされている人間だと考えていた。そうした考えに至ったのは、原爆を体験したからだけではない。そこには持って生まれた敏感すぎる魂、幼い頃の家族の死、厄災の予感におののいた若い日々、そして妻との出会いと死別が深くかかわっている。
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本当に著者作品ははずれがない。またも素晴らしい作品。ノンフィクションとしての出来もよいが、やはり原民喜の作品が凄い。特に「夏の花」というより作品「原子爆弾」のベースとなる被爆メモは圧巻だ。原民喜はこのメモを残すためにこの世に生を受けたのではないかとさえ思わせるものだ。偶然73年後のこの時期に読んだが、日本人が決して忘れてはならない歴史の1ページを鋭く捉えている。本作も「夏の花」も、私より若い世代に是非読んでもらいたい作品だ。
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原民喜と言えば、「夏の花」で「原爆文学」。そんな貧弱な文学史的知識しか持たず、国語の教科書にほんの少し抜粋されていた文章しか読んだことがなかった。この評伝を読んで初めて、ああ、こういう人だったのか、こんな孤独な魂の持ち主だったのかと、一人の人として目の前に現れてくる気がした。
以前著者が小林多喜二について書いていたときも同様のことを思った。教科書の平板な一行だけの記述の背後で、失われていくその人の切実な人生を、梯さんは丁寧な取材でよみがえらせ、そっと目の前に差し出してくれる。圧巻の傑作「狂うひと」とはまた違い、静かな悲しみをたたえている一冊だ。
原民喜が自死を選んでいて、しかもそれが鉄道自殺だったとは知らなかった。冒頭でその死の前後が描かれ、その後は、生い立ちからそこに至るまでの人生をたどっていく形になっている。原民喜という人は、本当に不器用で、世間になじめない人だったようだ。そういう自分を愛し庇護してくれる人や、やさしくあたたかいものを希求するが、それらははかなく手元から奪い取られてしまう。絶望と死に向かって刻々と引き寄せられながら、この世の地獄とも言える被爆体験が、かえって生に向かわせたという指摘には唸った。本当に「これを書かねば」という思いだけが、戦後の原をしばらく生きのびさせたのだろうと思う。
いつもながら、著者の筆致は冷静で、いたずらに感傷を煽ることなく淡々としている。原の自死についても美化せず、しかし、どうしてもそこに向かって行くしかなかった孤独な心情をしのばせる描き方になっている。過度な感情移入を避けながら、なおかつ取材対象に寄りそって書くことは、そうたやすいことではないだろう。その姿勢に揺るぎない信頼感がある。
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原民喜がここまで極端な個性の人だとは知らずにいた。あと、宮澤賢治以外で「透きとほった」って書くだけで清澄な空気があるんだって感じさせる筆力がある人がまだいるってことを知った。被爆後一時期南馬込の、多分谷中の集会所のある辺りに寄宿していたことも知れた。埴谷雄高、遠藤周作はいずれも北杜夫の随筆で知った作家だが、原民喜とこんなにも心を通わせていたんだ……とか。
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栗林中将の本がよかったので、本書を手に取る。
冒頭から話が重すぎて暗すぎて、読み進めるのがほんとうに辛いのだが、遠藤周作さんやタイピストのお嬢さんが登場してくる最後の章あたりから、モノクロのトーンだった話が急にカラーへと変わるように生き生きとしてくる。
私情を盛り込んだり、事実をことさら美化したりしないで書く著者ではあると思うが、あとがきには大きな震災をへて現代に生きる我々に向けたメッセージが伝わってきます。
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原爆作家としてしか知らなかった原民喜であるが、この評伝で妻がこの人を支え生きながらえさせた実生活に触れ、新たな視点を受け取った。この人は緘黙症のまま生きることになったかもしれない人であり、鎮魂歌にあるように「愛は僕を持続させた」のだと思えた。
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この新書は、今年の夏に本屋の棚に登場して以降、ずっとひとり立っていた。何故この本だけ全面写真カバーが付いているのか。カバーに云う「愛しすぎて、孤独になった。今よみがえる悲しみの詩人…。」原爆作家の原の字もない。夏の終わりに、ラジオ番組で本屋の書店員がオススメの本を紹介するコーナーがあって、熱を帯びて勧めていた。若い女性と岩波新書というのがチグハグで、やはり記憶に残った。早いうちに読もうと思った。それから一ヶ月あと。いっきに読む。いつもは数冊の本を並行に読むのだけど、他のを紐解く適わなかった。この本は小説ではないけど、知識の本ではない。読んで、体験すべき類いの本である。原民喜というピュアな人に出会ってしまうという体験。
虐められて、世の中から逃げるために自殺をするのではない。あまりにも純粋な世界しか見ることが出来ない稀な能力を持ってしまったために現世よりも死の世界の方に居場所を見つけた青年。けれども最愛の妻が「書いて欲しい」と言ってくれたから、自分しか書けない最悪の地獄を見てしまったから、愛する現世の人たちのために書き遺して置かねばならない、と決意して仕舞った青年。死の世界に行く前に(おそらく)10ー20年生き延びてしまった青年。そんなピュアな人は現実にいるのだ、と信じさせてくれる評伝だった。
梯久美子さんの本は、そうとは知らずに一冊だけは読んでいた。戦争で九死に一生を得た人たちに取材したインタビュー集である。氏の著作一覧を見ると、「死と愛と孤独」の人についてずっと書いているのがわかる。思うに、何かの賞を取らざるを得ない評伝だったろう。
2018年10月読了
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読み進めれば読み進めるほど、切なく哀しくなる…。目の前の現実を見つめず、ただやり過ごすだけの自分が恥ずかしくなる…。
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中学か高校の国語の教科書に、原民喜の詩が載っていたように思う。
カタカナで書かれた原爆の詩だ。
それ以前に、「少年ジャンプ」に中沢啓治の「はだしのゲン」が掲載されていて、他の連載作品とは違った印象を持った。
広島、長崎の原爆投下、それに続く終戦は、教科書でもドラマ、映画でも何度となく目にした。
しかし、自分が原民喜の作品を手に取るとは思いも寄らなかったし、評伝まで読むとは。
数年前に、新潮文庫の「夏の花」の入った短編集を読んだ。
その後、岩波文庫の詩集や同じタイトルの作品集を読もうと思っていたが、まだ未読である。
原民喜が鉄道自殺をしたとは知らなかった。また、遠藤周作との深い交流があったことも。
僕は、直接に戦争は知らない世代だが、両親は戦争経験者だった。
実体験と伝聞では、伝わり方に、大きな差があるだろうが、やはり、あったことはあったこととして、伝えていくべきではなかろうか。
この本を読んで、遠藤周作の純文学系の作品を読みたくなった。
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原民喜と遠藤周作の交流について知ることができ、興味深く読んだ。遠藤周作の描いたイエス像と原民喜の姿の重なり合いについての指摘にはなるほどと思わされた。
「うん、見ようかね」と、少女が差し出した絵を長い間じっと見つめる、ありし日の原民喜の姿。その姿を回想する遠藤周作。
また、喫茶店でのエピソード。
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原民喜の存在感と遠藤周作の存在感。
自死を選びながらも、残された人や未来に明るい希望を確信し託した原民喜。
原民喜として、その生を全うしたのだと思います。
イエスがイエスの生を生き、十字架にかかったように。
久しぶりに一気読みした一冊。
余計な解釈を加える事なく、最後に
「現在の世相と安易に重ねることもまた慎むべきであろうが、
悲しみを十分に悲しみつくさず、嘆きを置き去りにして前に進むことが、社会にも、個人の精神にも、ある空洞を生んでしまうことに、大きな震災をへて私たちはようやく気づきはじめているように思う。
個人の発する弱く小さな声が、意外なほど遠くまで届くこと、そしてそれこそが文学のもつ力であることを、原の作品と人生を通して教わった気がしている。」
と記し、謝辞をもって締めくくっているが、
非常に静かながらも力強く印象深い評伝であった。