紙の本
老いることにより固まる価値観
2023/03/08 16:06
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ネット右翼になった」高齢者とはいかなる人をいうのかと疑問に思い読み始めた。ネット右翼という言葉の定義の曖昧さはあるが、著者の父は、ネット右翼に見えて実は一貫性がない、精神の柔軟性を無くした高齢者ではなかったかと思う。著者らとの世代間コミュニケーション障害も関与していたかもしれない。自分との違いを認識しすぎて、共通する価値観を見失っていたのかもしれない。加齢に伴って価値観のブラッシュアップができなくなる。老化は、新しい情報を得て理化して取り入れる機能そのものが低下する面があることを記憶しなくては。
紙の本
亡き父への贖罪か
2023/03/08 17:29
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の作品は非常に面白いので複数読んでいる。しばらく会わないうちに父親がネトウヨになっていたという話は、以前ネットで見たので、その顛末が書かれた本だと思って読み進めたが、少々違っていた。
一言でいうと、亡き父が本当にネット右翼だったのかどうかを息子が検証した本、と言える。結果、ネット右翼的な言動はあったもののネット右翼ではなかった、父子の間で生じた分断は解消可能であったのにそれに気づいたのは父亡き後だった、という経緯がつづられている。
親や高齢者のネトウヨ化の背景や理由を知りたくて手に取ると、肩透かしにあった感じがするかもしれない。
確かにネット右翼的な用語を使う父に拒否反応を示し、そこでシャットアウトしてしまった息子としては、後悔もあったのだろう。父に向き合い、検証する行為を経て、わが身を振り返る行為は(著者にとって)非常に重要なことだったのだと思う。
が、ネトウヨとまでは言えないにしても、やはりこうした著者の父親の言動は世間的に許されるものではなく、はたから見ると、父親の尊厳を守りたいとか自分の親がネトウヨだとは信じたくないといった著者の心理が見え隠れする。
それも含め面白く、対話のヒントを探るためには一助になると思うが、なんだかもやもやする。
紙の本
いま読んでよかった
2023/03/10 23:14
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投稿者:sakuraんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「おうち」にいる昭和の男という存在に手こずっているのは自分だけじゃなく、友人たちもみんなそうである。
昭和の女でさえ手こずっている。昔は言えなかったことも言えるようになり、理解を示すひとも多くなったので、彼女たちも黙っていない。
しかし、昭和の男はなかなか変わらない。
変わりようがないのかもしれない。
ではどうすればいいのか。どちらも不幸にならない方法があるのか。
タイトルを読んで「おお、ここに答えが出てるかもしれない」と思って手にとった。
答えはあった。著者のキモチの変遷、キモチの分析を読んで、自分の分析もできたからである。
しかしあまりスッキリする答えではない。結局はこちらが折れるしかないのか、推しはかるしかないのか。そう思うとつらい。
ただ、父を見送った著者のことを考えると、間に合ううちに読んでよかった、とは思う。
こまやかに綴られた一冊なのだ。本書に出会ったのも縁だろう。
しばらくしたら、また読みたい。
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どうしてもしんどくて、最終章から読んだ。
(推理小説は最終章から読む派)
>どうしても好きになれなかった、けれど大事な人だった。
「神話における親殺し」の現代版という感じのする一文。
「ナマポ」というのは「生活保護者」の差別用語で「差別用語は肉声で出してはいけない」という世代にとってはものすごいパワーワード。
でも「バカチョン」という言葉を悪気なく使える人にとってはそもそも「差別用語を口頭に出すこと」はそんなに大したことではないかもしれない。
(チョン=朝鮮人であり、「劣った人種であるから征服してあげるのは正しかったのだ」という歴史観のあるなしに関わらず)
もしかしたら「肉声に出すことより活字体に残っていることの方が強い」体感なのかもしれない。
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良い関係を築くには例え家族であっても双方の努力が必要だと改めて思った。夫婦は他人同士から始まっているからまだしも、親子や兄弟姉妹はなまじ血が繋がっているせいで、相手をわかっている、自分のこともわかっているはずという思い込みを抱いてしまうのかもしれない。
アナフィラキシーに近い拒絶感情によって分断を生んでいるのは自分の方かもしれない、というのは、私自身思い当たる節があり、これからはその分断を修復していきたいと思えた。私はまだ間に合うのだから。イデオロギーであれ社会正義であれ、そういった理念のために自ら壊すには、家族関係はあまりに得難い。
ただ気になった点は、「いちばん手を組みたい隣国の政策は、ナショナリズムが色濃く、反日教育を進め、差し伸べた握手の手をはねのけたり、嚙みついたりする」等の記述。
「反日教育」とさらっと書いているけれど何をもって反日と判断しているのか。日本による韓国への植民地支配、従軍慰安婦問題、徴用工問題、そういった歴史を教えることだろうか。
「差し伸べた握手の手をはねのけたり、噛みついたり」というのは具体的に一体何を指しているのか。
はねのけられたり、噛みつかれたりと著者が表現したその動きは、正当性のある抗議だった可能性はないのだろうか。
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高齢の父親が亡くなる数年前から、ネット右翼になったので、その原因を探ってみたら、自分(息子)の思い過ごしだったという話。がっかり
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ネトウヨのような発言をする父とこれに嫌悪する息子。
その背景に、世代の違いによる言葉の意味や使い方の違い、高齢になると世の中の価値観の変化に対応することが難しくなることなどがあることを著者は発見する。また、同じ家族でありながら、いやむしろ家族であるからこそ、コミュニケーション不全が起きることもある。
著者の個人的な体験の深堀りが様々な問題の一般論を提示している。
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実家から帰る新幹線で読む本を電車の待ち時間に探していたら、先日Voicyで紹介されていたこちらを発見したので手に取った。
と、いうことで、買いたてホヤホヤのこの本を
新幹線待ちのホーム、
わりと軽い気持ちで読み始めた、ら…、
あかん、
コレ、泣いてしまうやつや…。
著者のお父さまが亡くなる病床のシーンから始まるんだけど、ちょうどね、著者の方とわたしは世代が近いのよ。
で、状況的には、ついさっき駅まで送ってくれた父を、なんだかんだで思い出しちゃうのよ。
外で読むのは完全に失敗でした。
と、いうか絶対今この状況で読んだらダメなヤツだった。
でもやっぱり気になるので、
続きは少し落ち着いてから車内で。
女性や子供の貧困などをテーマにルポを書いているという著者の立場で読み進めると、お父さまの変節、このケースなら確かに「ああ、おとん、右傾化しちゃったな」「この人ちょっと無理だな」って感じてしまうのも頷ける。
ただ、どちらかと言えばちょっと右ぎみなわたしからすると、「え、ここでこんな風に書いちゃう?」「むしろあなたのバイアスが酷くない?」て思うところもあって、4章ぐらいまでは、釈然としない箇所が多々あった。
特に、ご自身でも書いていらっしゃるが、お父さまがお亡くなりになった直後に実際にwebメディアに寄稿した文章は、怒りと悲しみとやるせなさに任せたかなり一方的な内容になっているように感じて、率直に読むのがしんどかった。
さて、一端は右傾化してしまった父の死にあたって結構しんどい決めつけで父との分断、その原因を論じたものの、そのままの結論ではどうにも納得のいかなかった著者は、家族や親族、父の友人を巻き込みながらこの問題をときほぐしていく。
父をネット右翼にしたのははたして何だったのか?誰だったのか?
世界は複雑で、それを構成する人間も当たり前だけど複雑で、ごくごく近い視点から気に入らないところだけをフォーカスしてラベリングすることがどれだけ愚かなのかが読み終わった後にわかる。
そもそも右だの左だの、簡単な2項対立で、世界を、人間を分けられるほど、世界も人間も単純ではないのだ。
「どうしても好きになれなかった、
けれど大事な人だった」
ラストの、この部分にまたもや号泣。
(これは家だったけど出かける前だったからメイクし直した)
家族や人間関係の分断について、分かりやすくロジカルに書かれていながら、着地点がとても感情的で、なのに清々しく、温かい気持ちになれるのも素晴らしい。
いつか来るその日のために、大事な人のことはたくさん知る努力をしよう、と思わせてくれる良書でした。
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書店で気になったときは、いわゆる反・ネトウヨ本の一冊かと思い、興味はあったものの入手に至らず。その後、いくつかの書評で目にするにあたり、やっぱりということで読了。これはしかし、良い意味で想像を裏切られたし、読むことにして良かった。
読み始めて、まず心を掴まれたのは、まさに同じ年、似たような関係性と言えなくもない父を亡くした自分を感じたこと。ただ違うのは、ぶつからなかったことに後悔を感じていない点。このあたり、どんな展開を見るのか、興味津々。そして読み進めるうち、なるほど!と膝を打ったのは、誰もが避けられない年齢ないし病魔による衰えに、極論が付け込みやすいという側面を、臆面もなく利用しているメディアが存在する異様さへの言及。しかしこれは、独自の論考という訳でもないみたい。更に論考は進む。老いによって、価値観のブラッシュアップが困難になる、ってのは自分も感じること。でもそこに理由を求めるのは安易では?と判断は保留にしたけど、やはりそう考えるしかないのか。その結果、思春期以降の子どもとはコミュ障になる…なんか分かる気がする。ついでにいうと、自分もそうなりそうな予感がして怖い。
詳細にわたる言動のいちいちを検証した結果、父はネトウヨじゃなかったという、まさかのタイトルとは違う結論に到達する訳だけど、上記のごとく、我が事としても追体験しながら通読し、十分腑に落ちたのでした。実に見事。素晴らしい。
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ネット右翼になった父、とは本当は何者だったのか。言動の端々のフレーズや購読雑誌などで簡単にネトウヨ判定されてしまう昨今だが、父親という存在をそう簡単には割り切れない著者が家族や交友関係に聞き取りを重ねつつ自身の記憶を辿る事で、そのネトウヨ的言動の細部に渡る背景にとことんまで迫る様は、読者の胸を打つ。しかしそこには著者の当初の思い込みを裏切る事実が掘り起こされる。
これまで語られてきた貧困弱者だったり中高年だったり富裕層だったりの、捕まえたと思ったら逃げ水のように消えてしまうネトウヨ像の背景には本書の父のような無数の個人が佇んでいるのだろう。最終的に見えてきたのは盛んに世間で取り沙汰される「分断」の浅薄さなのかもしれない。
そこに気づかせる秀逸なノンフィクションと感じた。
追記)
著者が自身を分析するくだりで「第4波フェミニズムの洗礼によるミサンドリー」をあげているのが目を引いた。それ以前のリベラルとは決定的に物の見方が変わる分水嶺として、確かに大きな意味を持つのかもしれない。
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もしかしたら自分も同じ過ちを犯すかもしれない案件
言いたいことが溢れてくる。溢れすぎて整理できない
これはほんとに大事(かつ大変困難)な作業だったに違いない。だが鈴木さんが先を見せてくれたから自分は
ああ、この道は知ってる道だ。と冷静に通れそう
そして何より自分を一度ちゃんと見直すことを向き合おうかなと思えた
とても大事な一冊になりました
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自分の親子関係を見直す中で、新たな等身大に近いような父親像を発見していく、という過程は面白いが、私はどうしても最初の疑問が晴れず納得がいかなかった。どうして、知的にもっとまともな気がしていた人が、老年になって内容がどうしようもないようなYoutubeの番組を愛聴し、信じて感化されるような言動をとるようになるのか、については全然納得できない。もともとそういう傾向があって、老年による知的衰えが拍車をかけた、というのであれば、著者の最初の考察は結局間違っていないのではないか。もし、それが老人のそういう傾向や衰えにつけこむようなものなのであれば、やはり対策を考えないといけないのではないか、と思う。なんか話をそらされたような不全感がちょっとある。
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"様々な分断の主因は、「相手の等身大の像を見失うこと」であり、その溝を埋めるのは、相手の等身大の像を取り戻す、改めて見直すことだと思う。"(p.242)
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著者の本人、奥様の脳関連本を興味深く拝読していた。
今回はお父さんが?、どうしたんだろうと。タイトルではだたならぬ感じがする。
しかし、結末に救われた。
親年代・世代、この違いがあるとはいえ、いつの世もお互い深く知ることはなく、親と子は別れていくのだろう。これだけ深く検証することもなく。
お姉さんの心情がいちばんしっくりする。
親子とはまか不思議である。
そして、ネット右翼や関係するスラング、世代ギャップなどその他いろいろと勉強になった。
とともに、今の時代の考え方についていけない、微妙なお年頃に差し掛かったことを認識してしまったかも(汗)
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読み始めから面白い!と確信。
…確信したのだが、最後に近くなると、そこまでこちら側が「降りて」行かねばならないのかな、と思ってしまった。
作者より「ネトウヨ」嫌いでミサンドリーなんだろう、私は。
家族だから、理解しあえる糸口はあるはず。たしかに。それを怠って分断したまま家族が死んでしまうのは痛恨の極みだ。そこは重々わかる。
だが、「ネトウヨ」的発言をする父親を理解するのに、ここまで自分の至らなさを反省しなくてはいけないんだろうか?父親の「罪」と自分の「罪」は同等なのだろうか?そんなにこちらが頑張っていい人にならなければならないのかな。
最後の「相手の等身大の姿」を見失わないこと、というくだりは全面賛成。そこは肝に銘じようと思う。それが分断を乗り越える唯一の方法だと思う。