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hontoレビュー

街場の戦争論

街場の戦争論 みんなのレビュー

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みんなのレビュー32件

みんなの評価4.5

評価内訳

32 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

そうか、そうだったのか、と気づきます。

2015/10/21 08:46

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ganji - この投稿者のレビュー一覧を見る

ずっと気になってた著者だった。ようやく読むことができた。
 自分にない視点からの物の見方をたくさん学ぶことができた。今の時代を「負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」との間にはさまれた時期だと設定し、現代の空気を独特の視点から切り取ってみせる。日本という国は敗戦の後の主権を回復していないこと、対米追従の中で国家としての意思決定ができない国であること、国家運営と企業経営を混同してしまい効率を最優先にしたこと、その結果として民主主義を壊して金儲け第一とする流れができていること、だからいずれ国のかたちが崩壊するだろうこと、特定秘密保護法も集団的自衛権の解釈改憲もそれらの流れから出てきていること、ところがその特定秘密保護法は本当に肝心な国家機密を守れない構造になっていること等々、まさに目から鱗の連続。もう少しこの人の著作を読みたい。

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2015/02/20 18:13

投稿元:ブクログ

ぼくたちが敗戦で失った最大のものは、「私たちは何を失ったか?」を正面から問うだけの知力です。あまりにも酷い負け方をしてしまったので、そのような問をたてる気力さえ敗戦国民にはなかった。その気力の欠如が戦後70年続いた結果、この国知性は土台から腐食してきている。僕にはそのように思えるのです。ですから、僕たちはあらためて、あの戦争で日本人は何を失ったのかという痛々しい問を自分に向けなければならないと思います。

ミッドウェー敗戦の時点で、「これまでの政策は失敗だった」という判断を下し、戦争指導部を「全員入れ替える」くらいのラディカルな組織改編が出来ないのであれば、もうその時点で降伏すべきだったのです。

普通の敗戦国 
異常な敗戦国
アメリカに負けた後に、次にアメリカに勝つためにはどうすればいいかという発想をまったくしなかった。できなかった。はっきり指摘すべきですが、これは異常なことです

高い城の男 フィリップKデック

敗北の検証が自力でできないくらいにまけた。これが日本の問題
戦後の日本のこの体制というのは、「敗戦した」という事実の帰結ではなく「敗戦の原因を自力で検証できないくらい徹底的に敗戦した」という事実の帰結だと思っています。「敗戦の否認」というのは「不愉快な事実から目を背ける」誰にも見られる病的傾向というよりはむしろ「不愉快な現実を直視するだけの精神力も体力も残らないほど徹底的に負けた」という日本に固有の具体的事実に由来するのではないかと僕は思います。

ドイツとイタリア 最終的に「自国民による敗戦原因の究明と戦争指導部の訴追」というぎりぎりの最低限は戦後何とか持ちこたえた

イタリアは最後の一年枢軸国側と連合国側についてイタリア人同士で内戦が行われていた

ドイツ ヒトラーとナチスにすべての戦争責任を負わせて、彼らを排除することで穢れを祓うという手が使えた

ヒトラー暗殺計画
ヒトラーと戦って英雄的に死んだ、顔と固有名詞をもった生身のドイツ人がいて、エリート軍人で伯爵だった(シュタウフェンベルグ大佐)

司馬遼太郎 幕末から日露戦争までの日本を「ほんとうの日本」 1906-1945までの40年間の魔の季節においていつわりの日本、戦後また本体にもどったという物語をつくろうとした。(ドイツ人が作ったように)

日本のシュタウフェンベルグ大佐はいなかった

日本には亡命政府がなかった。レジスタンスがいなかった。パルチザンがいなかった。

戦争中にも一貫して戦争指導部に反対し、戦争が終わった時に国民を代表して大日本帝国の引き継ぎを要求できる人がひとりもいなかった

戦後日本が主権国家になれなかったのは戦争に負けたからではありません。負けた後に、自力で戦争責任を糾明し、なぜこんな戦争を始めてしまったのかを明らかにし、「次は勝つ」ことをめざしてシステムを再構築するという「ふつうの敗戦国」の取る道をとれなかったからです。ド・ゴールやシュタウフェンベルク大佐のような戦前と戦後を架橋できる戦争主体を引き受けることができる���間がいなかったということです。東京裁判が明らかにしたのは、戦争指導部には戦争主体を引き受けることができる人間がいなかったということです。司馬遼太郎の企てが挫折したのは、第二本帝国臣民としてまっすぐに戦争責任を引き受け、それによって戦後日本国民の自己陶冶の範となるような「英雄」がいなかったからです。


アメリカの許可を得ずに日本が展開した外交の最後の企ては、1972念に田中角栄と周恩来の間で取り交わされた日中共同声明だったと思います。
戦後アメリカに逆らって独自外交を展開しようとした総理大臣が長期政権を保った事例はありません。

戦場にいたことのある人達は、「カオス的世界にも一筋の条理があり、それが見える人間がいる」ということを経験的にしっており、戦場にいたことのない人達は、そういう時間が持てないということです。

「平常時思考」をする人は、「どうしていいかわかるときには、正解を選ぶ。どうしていいか正解がわからない時には、なにもしない」という原則に従います。とりわけ受験秀才たちは後藤を病的におそれるので、「どうしていいか、わからないときには何もしない」というルールが身体深く内面化している。
けれども、戦場というのは平時のルールが適用できない場所です。「どうしていいかわからないこと」ばかり連続的におこる。だから「どうしていいかわからないときにはフリーズする」タイプの人間はすぐに死んでしまう。「どうしていいかわかる」人だけが生き残る

非常時対応とうはどういう人間的能力か
 どのようなカオス的状況のうちにも一筋の条理が通っていて、それをたどれば生き残れると信じる才能

非常時用人材を確保するために企業の採用担当者にお勧めしているのは、人事採用に際して、「バカ枠」を用意していおくこと 30人に一人くらい

マルクス(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)
ヘーゲルは、すべての世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れる、と言っている。ただ、彼は一度は悲劇として、二度目は茶番として、と付け加えるのを忘れた

2014/11/12 18:19

投稿元:ブクログ

僕とミシマ社との付き合いは2008年の「謎の会社、世界を変える。~エニグモの挑戦」に遡る。当時の勤務先が表参道だったため、よく青山ブックセンターや山陽堂書店に通っていた。そこでよく平積みになっていたのがミシマ社というよくわからない出版社の本だった。今では書店の必須アイテムになった手書きPOPの走りだったかもしれない。

次いで新潮新書「日本辺境論」で内田氏の著作に出会い、読み進むうちに気がついたら合気道多田塾に入門するほどに傾倒してしまった。(ミシマ社代表の三島邦弘さんも多田塾生なのでおふたりとも僕の兄弟子というわけ)

そんなわけでミシマ社から出る内田先生の本はちょっと襟を正して読むのだけれど、これはいつもとちょっと雰囲気が違った。ミシマ社と内田先生に底通しているのは、真面目ななかにもどこか(いやかなり)楽観的なところがあって、世の中の問題を真っ向から見据えて取り上げながらも最後はなにか希望を抱かせてくれる、そんな空気ではないかと思う。しかし、現在の第二次安倍政権が向かっている先にはかなりきな臭く、悲惨なものを見ているようで、すこし筆致が重いように感じる。

日本が60年間忌避してきた「戦争」というものを、わざわざたぐり寄せようとしている人間が、少なからずいるという事実。彼らはもちろん自分自身が戦場に行って危険にさらされることも、自国が戦場になって自分や家族が殺されることも想定していないだろう。「自衛隊員のいくらかは死ぬかも知れないが、その損失を補ってあまりある利益、国益があれば良いだろう」と考えているはずだ。あるいは「戦争ができる能力を高めるだけで、まさか戦争にはならないだろう。万一そうなったら、自分と家族は安全な国に逃げることはできるだろう」か。

そうした人間が政治や経済を動かしている現状。そしてそんな政治家を選んでしまう(あるいは投票すらしない)国民。

そこへの諦観が、本書では少しずつ強まっているような気がする。

東日本大震災と原発事故。

あれほどの災害と事故があってなお、そこから何も学ぼうとしない日本人に、やや絶望的な気分になってしまうのは僕だけではないと思うけれど。

微力だけれど、ひとりひとりの意識が変わっていくことがただひとつの方法だと思う。そのために理想を掲げること。文芸や芸術にできることはそれしかないのかもしれない。

2016/02/01 02:25

投稿元:ブクログ

 どうか、これから先を生きる未来の日本人が、苦しく、自国を受け入れられず、更なる未来を思い描けず、辛い思いをしながら、生きることのないように、

私たちはもっと、先のことを考えて、(それは未来の「自分」ではなく、もっと大きな流れのこと)生きねばならぬのです、

と、言われた気がした。



最近ネットのニュースで、「世界の全寮制の学校の学費ランキング」というものがやっていた。高い順にランク付けがされているのだが、そこの出身者も載っていて、

「あぁ、なんだ。お金持ちのコミュニティは、こういうところで作られて、こんな風に壁が作られていくのだ。」ということをまざまざと思い知った気がした。

何を今更、というような感想かもしれないが、
「意外にこの人も」という人がすごくお金持ちの全寮制出身だったりして、世の中のコネの強さを思い知ったというか、今表舞台に立っている人は、その人の実力のみで立っているわけではないんだ、という現実を突きつけられた気がした。


それと同時に、「日本にはこういうシステム、ないな。」と思った。いや、もちろん似たものはあるよ。お金持ちやコネがものをいう学校は。ただ、規模が違うというか、世界に比較したら猿真似に過ぎないというか、日本人で本当に今あるコネなり財力活かしたかったら、外国の全寮制行くよね、みたいな。たとえそこで行けたとしても、「代々お金持ち」とかじゃない、成金扱いというか、新参者感否めないよね、みたいな。


まぁ勝手にそんなことを思ったわけですが、

それと同時に、「なんだ、世界って思ったほど変わってないんだ。リベラルを、私は語るべきじゃないんだ。」と、脳天勝ち割られたような衝撃を受けた気がする。


いや、分かるのよ、気づくの遅すぎるって。

「私が、文化的なことに理解を務めようとしても、それは結局猿真似に過ぎない。」
「猿が人間の真似しようとしてるに過ぎない。」
「お前は地球が裏返っても、『リアル』にはなれない。」

 

 じゃあ、どう生きるのか。


 やはり、手の届く範囲のものを、手に届く範囲で、慈しむことしかできないのだろう。


 自分から、価値の転換を求めて、あれやこれや画策し、行動するのは、どうも身の丈に合わない。

 私は、この本でいう「強い現実」に、自分の足場を固めていたい。

 でもそれと同時に、自由でありたい。


 わたしはそのわがままな意思を貫こうと、今までもがき苦しんできました。いや、今でももがいています。


 どうやら、強い現実に身を置いていたければ、「自由」であることは諦めなさいよ。


 そう言われているみたいで。


 できそうな気がするんですが、集団の価値はそれを認めないというか。「俺が、私が諦めたもん、あんたは両方手に入れようったって、そうはさせない。」という圧力に引っ張られるようです。


 だから、しばし日本を離れる選択を��たのですが。

 やはりわたしはわがままなのかもしれませんね。

 ここまで自由を求める人間んであるとなると、

 わたしは余程、(日本にとって)変な人間であるはずです。でもそれが悪いだなんて、つゆほども思いません。

 自由であることって、なんなのでしょうね。

 責任を負わないことでしょうか。

 それだけでは、ない気がします。

 自分が大切にしている価値を、守れる、ということではないかと思います。

 でも、その価値が、「自分」であればあるほど、「集団の価値」から離れれば離れるほど、「我が強い」「面倒くさい」人間となり、孤立する。

 「それ、当然でしょ?」?

 本当に?

 
 随分と、わたしは西洋化された思想の持主らしいが、(本人はそう思ってませんが)
 この時代において、日本人もまた、全然考え方が西洋化してないんですよね。きっと。

 どちらでもいいんです。そんなこと。


 自分と、自分の周りを、慈しむことができるように、
 自分じゃなくて、もっと大きな流れを見据えて生きることができるように、生きていきます。


 私は、自分が嫌だと思うことを、しないで生きます。
 それと同時に、人のために、生きていきます。


 矛盾してますか。できると思うのです。

 でもそれが、とても難しい気がするのです。
 

2015/05/01 07:57

投稿元:ブクログ

2015.4.30
前半部分で日本はアメリカの従属国であることがしつこく書かれていて、あまりというか全然普段はそんなこと考えてないんだけど、きっとそうなんでしょう。ほんとアメリカってのは巧妙ですね。日本の政策決定とか選挙結果とかほとんどはアメリカの意向のままに動いてるのかもしれません。太平洋戦争までの日本(大日本帝国)の勢いを完全に、徹底的に潰したかったんでしょう。

2014/10/26 15:35

投稿元:ブクログ

14/10/26。すぐに読み始めた。いつもながら、やっぱ内田さんは、すごい。歴史のifからして、ぶっ飛び。しかもミッドウェイ海戦後に日本が降伏していたらというifが。
10/31読了。

2015/07/25 10:34

投稿元:ブクログ

今の政治に疑問を少しでも疑念を抱いている人は読んでいて本当に損はない本だと思います。

戦後70年のアメリカとの関わり、大きな大きな見えざる力が働いていること、そして人類の歩んできた民主主義の歴史に逆行するような改憲の動き。
根本に流れているのは経済成長を最優先させる政治・スタイル。国民も踊らされていないで、意を持って行動をしよう。
私は内田さんの考えにはすごく同感できることが多い。

2015/01/17 07:44

投稿元:ブクログ

最近読んだ矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』とこの本の第2章「ほんとうの日本人」で主張していることとはほぼ同じと想えます。つまり、日本は主権国家ではなく、アメリカの従属国であり、そして従属国であるという事実それ自体を隠ぺいしているということです。田中角栄氏のロッキード事件における逮捕や鳩山由紀夫氏の早期退陣にはアメリカの意向が大きく反映していたことを知りました。いまの政府はアメリカの良き僕に浸っていようとするかのようです。

2015/01/14 22:50

投稿元:ブクログ

安倍政権が復活してからの懸念に答えてもらったよう。
特に東京五輪招致の件は、決定当時のもやもやした気持ちの正体がわかってすっきり。
もっと知らないといけない。

2016/01/24 11:17

投稿元:ブクログ

この人の本は油断するとすぐに理解不能になる(笑
私に読解力がないだけなのだろうが。繰り返し読めばよいのだろうが、いつも1回読んでわかったような、わからないような・・・になってしまう。

2015/02/02 09:30

投稿元:ブクログ

歴史に「もしも」を導入して、「強い現実」と「弱い現実」を考えてみる。
歴史学では歴史に「もしも」はない、と言われるけれど、この見方、面白いなと思った。

戦後の文化、
映画:明治生まれの監督たち(戦中すでに大人)
漫画:昭和生まれの若者たち(戦中10代前半)
から復興。
一方、文学の復興は遅かった。
一線で活躍するであろう20・30代の若者:大正生まれが戦争で亡くなって、ごそっといなかったから、というのが戦争とは何かということの一側面を表しているように思った。

2015/06/20 14:15

投稿元:ブクログ

少しだけあとがきが良かったです。『「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていることを、別の視座から見ると別の様相が見えます」ということを述べているだけです。』議論をするとき、収束に向かうよう土俵に乗っていないといっていろいろな発言を排除していく進め方が多いような気がしますが、土俵から転がり落ちたときに見えたものの中に良いありようが含まれている可能性があることを忘れないようにしたいと思いました。

2015/02/02 23:20

投稿元:ブクログ

哀しいけれど
本当に その通りになってしまっているのが
たまらなく 哀しい

ちょうど「イスラム国」のニュースが飛び込んできた
時に読み進めていたので…

せつないほど
その通り(内田さんが予言している)に
なってしまっている
非常時になにもできずに
フリーズしてしまっている
この国の現状が
たまらなく 哀しい

よりによって
こんな時に
この本を読んでいる自分
何もできない自分が
哀しい

なにやら
感傷的になってしまいました

この一冊を読んだ人と
無性に馬鹿話がしたい
気持ちで一杯です

2016/08/25 05:44

投稿元:ブクログ

メディアが語ろうとしない、いまの日本の現状を赤裸々に語っている。第四章「働くこと、学ぶこと」、第五章「インテリジェンスとは」は、示唆に富む内容。
多くの人に読んでもらいたい一冊。

2015/02/02 12:15

投稿元:ブクログ

日本人へのテロの脅威、東京五輪誘致の成功要因、スパイ活動などなど。違う局面からの見方になるほどと頷いた。

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