投稿元:
レビューを見る
面白かったー!まさかのSF風味。
そもそもこれを読み始めたのは、映像クリエイターのキクザキリョウさんが「〝正調ハードボイルド〟。いちおう個人的な定義をしておきます。ポピュラーピープル/アウトサイダー、エリート/ドロップアウトといった《本来的には共感しあえない筈の階層の「境界に位置する人物」が両方の業を背負おうとする物語》、これが個人的な定義です。なので、「社会の裏事情に通じたアウトサイダー私立探偵」だけでなく「一般企業の会社員」「義務教育期間の子ども」が主人公であっても、ハードボイルドストーリーは成立すると考えています。超え難い境界を横断し他者の哀しみを「認識しようとする」。これがハードボイルド。」と言っていたのを「ほほぅ、なるほど。だからハードボイルド物に惹かれるのか」と思って探偵物読みたくなったからなのだけど、これだけど、これじゃない!みたいな。そりゃ〝正調ハードボイルド〟じゃ無いものね。でも、やっぱり当てはまってる気がする。
主人公のデブの中年探偵ニック。酒と女と競馬が大好き。もう馬鹿で下品で最低なんだけど、一人になった時の呟きが詩的で良い。楽観的な悲観主義。読んでいて心安らぐ。
登場人物達の掛け合いがくだらなくて最高だった。笑って笑ってあのラスト。これが遺作なんて、なんてクールなんだ。
投稿元:
レビューを見る
格好悪い主人公とハチャメチャなストーリーに散りばめられた鋭い批評
いい本か悪い本か、と言われれば悪い本だと思います。
飲んだくれで競馬が好きなダメ探偵の主人公ニック・ビレーンが次々と舞い込むおかしな事件に巻き込まれる。
そのドタバタには結局何の意味があるのかよくわからないといっためちゃくちゃなストーリー展開。
主人公の言葉は下品で、子どもには有害であること間違いなし。
なのに、何度も読み返してしまいます、この本を。
ところどころに、社会とか人間の本質を鋭く切ったような言葉が散りばめられてるんですね。
それを、このダメ探偵に言わせているところにセンスを感じます。
だれにも描けないと思いますし、作者のブコウスキーはカッコいいですね。
「わかるひとにはわかる」というタイプの本です。
柴田元幸さんの訳がすばらしいのもありますね。
投稿元:
レビューを見る
図書館で。
なんかよくわからない感じでダラダラ読むのもどうかなぁと断念。日本で言うといきなり川端康成が生きているか調べろとかそう言う事なんだろうか。まあ…自分には合わなかったようです。
投稿元:
レビューを見る
初めてチャールズ・ブコウスキーを読んだけど、こんなに面白い作家だったのかと夢中で読み進めてしまった。
投稿元:
レビューを見る
はちゃめちゃに見える物語の中に、人間の真理をズバっとついたような文章が散りばめられている。
まさに「パルプ」って印象を受けるけれども、実は何か大切なものが伝わってくるようにも感じる。
探偵小説とかハード・ボイルド小説を期待したら裏切られます。
まぁ固定概念に縛られないこと。
それに、この探偵、やはりタフですよ、タフ。
弱音は吐くし、しょっちゅう負けているけど、けっして逃げ出さない。
充分にタフです。
ラストで現れる「赤い雀」はやはり「死」のメタファーなのだろうか。
「死の貴婦人」だけが最後まで彼のそばにいるのも、何かを暗示しているのだろうか。
チャールズ・ブコウスキーの遺作。
当作品出版直後に白血病で逝ってしまった。
自身の死を暗示していたような気もする、ってのは深読みのし過ぎだろうか。
投稿元:
レビューを見る
ストーリーはなんだかもうムチャクチャなんだが、会話のやり取りやビーレンの一人称独り言がいい。鴨川つばめの『ドラネコロック』を思い出させる。
『と、サイレンが聞こえた。サイレンが聞こえなくなったらおしまいだ。聞こえないときは、あんたのために来ているのだ。』(154ページ)
なんて最高にクール。 その他にもかっこいいセリフが満載。セリフといえばビーレンのしゃべり方で粋がっていたり凄んでいたりしている中で急に「〜なの?」みたいな間の抜けた語尾になるのが愉快。
だがそんな中で、三人の女房と別れたビーレンが
『そのなれの果てが、いまの俺だ。じっと座って雨音を聞いている。ここで俺が死んでも、世界じゅう誰ひとり、一滴の涙も流さないだろう。べつに流してほしいわけじゃない。でも不思議だ。人間、どこまで独りぼっちになれるのか?』
などとつぶやくのが印象的でもある。
ただしラストがなんだかあまりにもあっけない。三流「パルプ」小説のスタイルをとっているのであれば、むしろワザとこうしたのかもしれないが…。ラストがグッと決まれば言うことなかったのに。ちょっと残念。
投稿元:
レビューを見る
この作家にしてこの小説ありという感じがする。
ほかの作家が同じ内容の小説を書いたとしても間違いなく日の目を見ることなく埋もれるだろう。それこそこの小説の本歌である凡百のパルプフィクションのように読み終えたらそのままゴミ捨て場に直行する類の本として。
チャールズ・ブコウフスキーが積み上げてきたスタイルとキャラクターが、雑器を雑器のまま名器にしてしまい、一つの文学としての読み方と魅力をこの世に表してしまった。その意味で遺作にふさわしい。書き手と作品の稀有な結婚例として、この作品に憧れる作家は多いんじゃないだろうか。
笑えるのはこの小説、シュルレアリスム小説などとは違い、一応にはきちんと筋が守られていることだ。よくぞ途中で放棄せず書き切ったと読後は喝采を送りたくなる程に、書き手の無関心に晒され続けたストーリーだがしかし、これが無ければ一転して完全な失敗作と化していただろう。
出来損ないのクソストーリーの中で、がちゃがちゃと遠慮なく出てくる何の深みも無いキャラクター同士の身も蓋もない会話劇。主人公のモノローグを装いつつもあからさまに割って入ってくる作者自身の過度に厭世的なぼやき。そうしたどうしようもないゴミの寄せ集めが、奇跡的な結実をもって、おかしくも愛らしい魅力を発生させてしまっている。これも一つのアメリカ文学の達成なのだろうと思って本を閉じたのであった。
ちなみに『パルプ』に比肩する小説を一つ上げるとすると、
中原昌也の『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』でしょう。
こういう小説が、実は一番元気がもらえる。
投稿元:
レビューを見る
ここまでハチャメチャで、ああ、これは何なんだという作品が、なぜかピュアで切実で、笑いながらも胸を打ちます。
ドタバタの軽さとニヒリスティックな世界観の重さが「文学」をつくりだしているわけで、まあ、言ってしまえば「奇跡」です。飲んだくれのブコウスキーという悲しい作家が、流れ星のように現れて、あっという間に去ってしまって、もう25年も経つのだけれど、もう一度読み直してため息をつきました。
ブログに感想書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202012070000/