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紙の本
二日つづけてこの本がbk1で取り上げられてたので、三日目は私(何やら、読書会みたいです)。
2008/05/06 09:56
13人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が、二日続けてbk1の新着書評で取り上げられておりました。
それじゃ。私も、だいぶ前に書いたのですが、載せてみましょ。
そうそう。何だかbk1上で読書会でもしているように。
月刊雑誌文藝春秋の2005年12月号。
そこにある、特集「消える日本語」が楽しかった。
ついつい26名の短文を読んじゃいました。
そこでの、出久根達郎氏は「おてんと様」という題で、こうはじまっておりました。
島根県松江のラフカディオ・ハーンは、朝陽がのぼる頃に、あちこちから拍手(かしわで)を打つ音がするのを聞くのでした。「明治23年のことであった。『お天道(てんと)様』信仰は、この頃、松江だけでなく、全国で当り前に行なわれていたと思われる。一日の、最初の挨拶みたいなものだったろう。太陽に今日の無事を祈って、それぞれの稼業を始めるのであった」
茨城県から上京した出久根さんは
「東京に住んだのは昭和34年だが、その当時、毎朝、陽を拝む人は、まだ見られた。老人が多かった。江戸のなごりをとどめる下町だったからか。拍手を鳴らす人はなく、静かに拝礼していた」
そして、年表を調べ、昭和37年に『スモッグ』が流行語となり、この年の12月は、14日間も東京の空はスモッグにおおわれた。と確認した出久根さんは「おてんと様という言葉が、遣われなくなったのは、この頃からではあるまいか」としております。
印象深い箇所は上京する出久根さんに母親が
「『おてんと様に顔向けできないような真似だけは、しないでおくれ』と言った。おてんと様は何事もお見通しだからね、とも言った」
とあります。
ああそうだ。ということで思い出したのが、今回紹介の本でした。
思い浮かんだのはこの箇所です。
「小渕さんはとにかく早起きなんです。六時くらいには起きてましたね。そして必ず太陽に向かって拝んでました。・・小渕は海外に行くといまでも、太陽を拝んでいる。太陽が出る東の方角がわからないときには四方八方に向かい拍手を打つ。」
そしてインタビューに答える小渕首相の言葉が続きます。
「太陽は親父が拝んでいたのを、見よう見まねで子どもの頃はじめた。自分の運命を考えてみても、天地宇宙、人知の及ばざることは多いと思う。べつに総理大臣になったから偉いなんて、おれは全然思ってないんだ。・・ただこれだけの重責を負った以上は果さなければならない。これまでを振り返ってもずいぶん転機があった。それは自分でこしらえたものじゃない。そう思って、毎日、太陽に向かって手を合わせるという素朴な気持ちなんだ。・・・」
なぜ、小渕恵三氏の本が思い浮かんだのかなあ。
そういえば、
最近、曽野綾子著「『受ける』より『与える』ほうが幸いである」(大和書房)という本を手にとりました。 最初の方をめくると2000年10月号の雑誌に掲載されたことのある 教育改革国民会議「第一分科会報告」が、あらためて掲載されておりました。題して「学校で道徳を教えるのにためらう必要があろうか・・日本人へ」。
ちなみに、この教育改革国民会議を開催したのは小渕首相でした。
中央公論2000年3月号に「司馬さんに教わったこと」と題して、
司馬遼太郎の奥さん福田みどりさんと小渕恵三氏が対談をしておりました。
そこには、こんな箇所。
「僕はいま、教育改革国民会議というのを開こうとしているんですよ。いままでのこういう会議では、政府が人を選んで、その人たちに案を出してもらっていました。僕は逆に、『野に遺賢なからしむべし』で、いろいろな百五十人余の人に手紙を出して意見を求め、そのうえで会議を進めようと思っている。しかし、最後にお願いしたい人となると、司馬さんなんだ。しかし、いらっしゃらない。」
そして、ご存じのように小渕氏は2000年4月2日緊急入院。5月14日に亡くなっておられます。そういえば、今年も5月5日の子どもの日が過ぎて、もうすぐ小渕恵三元首相が亡くなった5月14日が来るのでした。
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