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紙の本

美術史とはこんなに面白い学問だったのかを教えてくれる最先端の絵画論

2000/07/10 20:49

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投稿者:平岡敦 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書の表紙に掲げられたカラヴァッジョの『聖トマスの不信』は、一度見たら忘れがたい印象的な絵だ。主の復活を疑う弟子のトマスに、キリストは磔の傷跡を触らせ、信じるよう諭しだ。絵は傷痕をじっと見つめ、そこに指をあてるトマスを描いている。『ヨハネ福音書』のエピソードから取ったこの主題自体は、キリスト教美術のなかでべつだん珍しいものではない。だがキリストの脇腹にぱっくりと開いた傷口と、そこに入りかけたトマスの指先のリアルな描写には、見る者の身体に直接訴えかけてくる不思議な力がある。

 ところが本書の第五章「『傷』のメトニミー」によれば、この絵が持つ2つの大きな身体的インパクトである傷と指を、従来美術史はメタファーとしてしか解釈してこなかったらしい。例えばキリストの脇腹の傷は教会のシンボルであり、そこに作者カラヴァッジョの「教会への恭順」が表現されているという説。あるいはキリストの傷に指まで入れて確かめようとするトマスは実証的な精神を表し、そこに作者の「自然主義的な平等主義」があるという説。なるほど、たしかにこれでは、「《聖トマスの不信》の傷と指を見たときの私たちのある種の『ショック』、あるいは視覚的な攻撃の性格」は説明されない。

 そこでは著者は「身体的な暴虐という絵の策略」を明らかにするため、中世の写本挿絵からボーヴォワール『第二の性』の一節まで引きながら、傷、唇、女性器、乳房、子宮というメトニミー的連鎖がこの絵が見る者のなかに喚起する意味作用を明快に描き出す。その手際のよさは、あえてありふれた比喩を使わせてもらうなら、「上質のミステリーでも読むような」というのがぴったりだ。また本書のイントロダクションとも言える第一章では、こと美術に限らずわれわれが芸術家について語ろうとするとき、つい当たり前のことのように口にしまいがちなひと言——「天才と狂気は紙一重」を俎上に乗せ、この言葉が、いったいいつ、どこで、誰によって言い始められたものなのか、そしてそれはいかにして日本に広まっていったのかを跡づけている。ステレオタイプ化した思考に疑問の目を向け、問い直そうとする著者の方法論的な立場がよくわかる章である。これを読んだあとでは、うかつに「天才と狂気は紙一重」なんて言えなくなりそうだ。

 他にも本書に収められた論考は、自画像というジャンルが内包する問題を鏡のパラドクスから論じた「『私』を表象する」や、疫病と美術の関係を扱った「ペストと美術」など、いずれも従来の美術史が抱える無意識的な先入観、前提、思考回路を暴き、絵画の生み出す意味に新たな光をあてようとする興味深いものばかりだ。美術史の最先端を論じながら、同時に美術史とはこんなに面白い学問だったのかを教えてくれる啓蒙性をも兼ね備えた一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:平岡敦/大学講師・翻訳家 2000.7.11)

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