紙の本
読み直したくなる名著
2021/04/17 08:41
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
言わずと知れた、安丸良夫氏の名著。
ときどき、世の中の流れと自分の内面のバランスが取れてないな、などと感じた時に読み返す。
「無自覚のうちにそのなかに住むことを強要してくる習俗的なものが圧倒的に優勢でそこからはみだすとおちつかなくなり、ついにはほとんど神経症的な不安にさえとりつかれてしまうところに私たちの社会の過剰同調的な特質があるのである」
という、「はじめに」の一文に救われる気がするのである。
紙の本
神々の明治維新
2022/12/17 17:28
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本近代国家成立時に起こった「廃仏毀釈」について詳しく論じている。単純に神道を復興し、仏教を排斥するというものではないという点を指摘しつつ、この運動が江戸時代後期にすでに起こりつつあり、その理由が末寺を廃する事でその祭祀にかかる費用を他の事に使いたいという藩の思惑があったことも指摘している。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。
が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。
日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
神仏分離令による廃仏毀釈から神道国教化政策の展開と挫折に至る明治維新期宗教=「国民教化」史。神仏分離は単なる「神」と「仏」の分離ではなく、「民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするもの」と断じ、神道・仏教のみならず各種の習俗・信仰が受けた影響を明らかにしている。江戸後期の国体神学の成立、幕末諸藩における「廃仏」の実相等の「前史」、真宗(特に東西本願寺)の抵抗や制限付き「信教の自由」の確立過程等の「後史」を含め、基本的史実が過不足なく叙述されており、今もって神仏分離・廃仏毀釈の最適な入門書の座を失っていない。
投稿元:
レビューを見る
著者によると,「本書は,神仏分離と廃仏毀釈を通じて,日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた,と主張する」ために書かれたものです。
お寺を回っていると,高い確率で鳥居があったり,しめ縄があったりします。祠もあります。
で,縁起などの解説を読んでいると,廃仏毀釈でここにあった仏像は…とか,神社が移転で…などという文章にもよく出会います。
明治維新の時の神仏分離はどのようにしてなされたのか。そこには,神仏分離だけではなく,神神分離(私の造語)もあっただということが分かります。民衆の中に位置付いていた土着の信仰さえも,国家神道と分けることで,人々の管理を強めていったんだなあということを感じました。
真宗が生き残る道が結局は国家神道容認にあったのは,この時代では無理もないことだったのだと思います。
投稿元:
レビューを見る
織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の宗教政策を前史とし、明治維新とともに起きた神仏分離と廃仏毀釈について、深く,広く紹介している。
いろいろな場所に行き資料を拝見したり,いろいろな人にお会いしお話しをお聞きすると、腹に落ちて納得できることも多そう。
あちこちに行きたくなる本です。
参考文献も多く,時間をかけて勉強してみたい。
天皇制を考える際の基礎資料となるかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
神仏分離とは、地域の信仰と、そこに根付くコミュニティを破壊する為の「刀狩り」であった。 明治政府自体は直接的にこの〝悪法〟を施行したのではなく、各自治体の解釈によって 暴挙が広まった様だが、真相はいかがか。IS国が行なった様な歴史物への破壊活動が、かつてこの国にもあった事を風化させてはならない。この暴挙と太平洋戦争が無かりせば、より多くの歴史ある仏像を拝めたと思うと本当に惜しいなあ。
投稿元:
レビューを見る
伊藤博文も行き過ぎたといっている通りこの政策は失敗で国家神道という呪縛をかけた 今日本とはいったいなにかと考えたとき 明治維新のタリバーン政権および売国政権を否定しなければ 真の日本の回帰はないのだと思っています。
王政復古はよしとしても 平田 篤胤一派 水戸藩が主導する祭政一致 はイスラム過激原理主義となんら変わらない。
ただ タイトル神仏分離より 神仏判然としたほうが良いと思う。
投稿元:
レビューを見る
要約+私の少ない知識:
元来日本の民衆信仰の対象は、日本古来の神々であり、これが神道と呼ばれるものであった。後にインドや中国からの仏教の渡来を背景に、多くの寺院が建立され、人々の信仰を集めた。もともとこの仏教渡来の際にも、時の権力はこれを信仰すべきか否かで対立が起こっている。鎌倉時代に多くの新仏教が民衆に説かれ、その中で有力なものは発展・拡大し、織田政権と対立を重ねた一向一揆はその一例である。また、中世では、非業の死を遂げた者が怨霊となって祟ることを防ぐために、彼らを祀る御霊信仰が流行していた。しかし、幕藩体制の成立期をさかいにそのような現世の秩序を脅かすような神的威力は零落し、権力者やそれに仕えて功績あるものを優位の神格として祀ることが近世における特徴となっていったのである。この時期仏教はむしろ幕藩体制下で信仰が推進されており、反対に1549年に宣教師を通じて渡来していたキリスト教は初め歓迎されるものの、豊臣政権後期、幕藩体制期において厳しく弾圧される。その理由が、キリスト教が反秩序性を有し、人心を惑わすものとして考えられたからである。ここで、日本の権力者、織田〜徳川に共通する点として、宗教が人の心を権力の外に引き付け、秩序を乱すような行動を起こすことに、憎悪や恐怖を抱いていたということができる。仏教も政治権力と争ってきた歴史があるものの、その民心掌握力ゆえに、近世の幕藩体制期では権力体系の一環として組み込まれていた。
しかし近世の仏教信仰は、民衆の宗教的関心に応じて、それなりに自由な発展の可能性があった。また、現世利益とも深く結びついていた。これが幕末になり、幕府権力の揺らぎが生じると、民衆の信仰の中に国家が深く入り込んでこようとする試みがなされる。例えば祀っていい神様、いけない神様を厳格に区分しようとし、地域に土着している地元の神社への信仰を廃止させるなど、民衆の不安や恐怖が煽られる結果となった。
このような背景のもとに再び仏教の反秩序性に目が向けられ、激しい廃仏き釈運動や神道一本化政策が進められる。(前半)
とりあえずここまでしか読んでないんだけど、ここはいったん割り切って別の本に移ります。またの機会に目を通します。
投稿元:
レビューを見る
伊勢神宮が神社の最高峰のように扱われるようになったのが明治以降だと知ってびっくり。歴史で「廃仏毀釈」ということがあったことは習ったいたが、ほんの150年くらい前に、こんな文化を踏みにじるような所業が行われていたものだとは知らなかった…。明治の時代、辛酸をなめたお寺もたくさんあったんだろう。
梨木香歩さんの『海うそ』が廃仏毀釈の話をもとにしていて、お寺にそんな歴史があったとはあまり認識がなかったので、ちゃんと廃仏毀釈のことを知りたくて読んでみた。
投稿元:
レビューを見る
廃仏棄釈は民衆のエネルギーの爆発ではなかったのですね。神社祭祀の体系化を目指したものですか?今、神社と聞いて思い浮かべる鳥居・社殿・参拝作法の多くは明治の国家政策を起源にしていると気づかされました。一方で、列強に対して国家死守を賭け切羽詰まったほどの危機意識を読み取りました。廃仏棄釈関係は封印されているのかと思うほど出版物が乏しいのですが、知るべきことは多い気がしました。
投稿元:
レビューを見る
幕末、新政府によって「国体神学」がその思想の中心に据えられると、それまでの日本人の信仰の姿は一変。この人為的な信仰の再編成のために行われた「権威のある神々」以外の排斥はこんなにも凄まじいものだったのかと、現在の信仰のかたちにさえ疑問を抱くことになる一冊。
投稿元:
レビューを見る
「安倍政権を理解するにあたっては日本会議と神社本庁の理解が欠かせない」との意見を受けて、国家神道の成立過程に関心を抱いた。元より、現代の日本における宗教の混在•パッチワーク状態(という印象を私がもっているだけだが)に至る歴史的経緯には以前から興味があった。読みたい。
投稿元:
レビューを見る
廃仏棄釈の話に止まらず、江戸期の宗教事情や明治期に生じた日本の宗教地図を一変させた変化まで含んでいる。個別の事例も豊富で読んでいて面白い。注目するべきはやはり浄土真宗の特殊性か。
投稿元:
レビューを見る
「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
215p ¥320 (2017.09.04読了)(2017.08.31借入)
副題「神仏分離と廃仏毀釈」
明治維新のころ、廃仏毀釈がおこなわれ多くの仏像、仏画、仏具、経文、などが破壊・焼却されたり、海外に流出したりしたということは展覧会などで知りました。
なぜそのようなことがおこなわれなければならなかったのかを考えたことは特にありませんでした。
先日、50年来の積読を経て読んだ島崎藤村著『夜明け前』を読んだときになぜ廃仏毀釈がおこなわれたのか、が少しわかりました。国学だったのですね。
本居宣長、平田篤胤、などの国学思想が、尊王思想を醸成し、尊王攘夷、大政奉還、王政復古、と進んだ結果、日本のもとは神道であり、外来思想である仏教は排斥されなければならない、となって、廃仏毀釈が実施された、ということなのでしょう。
『夜明け前』の主人公も、国学思想に染まり、一時明治政府の一員として働いたり、神社の宮司を務めたりしています。
この本の副題に「神仏分離」という言葉が出てきますが、これは、仏教が日本社会に浸透してゆく中で、本地垂迹、神仏習合、という考え方が浸透し、日本古来の神と渡来の仏が一体化していたので、廃仏毀釈のためには、神と仏を分離しないといけなくなった、というわけです。山岳仏教などの場合は、神と仏が融合してしまっているので、分離不能といったことも起こったようです。
仏教を排除して、天皇崇拝の国家神道を浸透させるためには、伝道師が必要だったのでしょうけど、神職の人々では足りず、説法を得意とした和尚たちの力を借りないといけなかったとか。また、仏教信徒たちの信仰をすべてやめさせるというのも至難の業なので、仏教は残りました。海外との付き合いとの関係で、信仰の自由という問題もありますので、キリスト教徒の弾圧ということも辞めざるを得ませんでした。
【目次】
はじめに
Ⅰ 幕藩制と宗教
1 権力と宗教の対峙
2 近世後期の廃仏論
Ⅱ 発端
1 国体神学の登場
2 神道主義の昂揚
Ⅲ 廃仏毀釈の展開
Ⅳ 神道国教主義の展開
1 祭祀体系の成立
2 国家神の地方的展開
Ⅴ 宗教生活の改編
1 〝分割〟の強制
2 民俗信仰の抑圧
Ⅵ 大教院体制から「信教の自由」へ
1 大・中教院と神仏合同布教
2 「信教の自由」論の特徴
参考文献
●国教ともいうべき地位の仏教(26頁)
16世紀末まで、政治権力としばしば争った仏教は、その民心掌握力のゆえに、権力体系の一環に組み込まれた。仏教は、国教ともいうべき地位を占め、鎌倉仏教が切り拓いた民衆化と土着化の方向は、権力の庇護を背景として決定的になった。
民衆が仏教信仰を受容するようになった民俗信仰的根拠は、さしあたり次の二点から理解することができよう。
第一は、仏教と祖霊祭祀の結びつきで、これを集約的に表現するのが仏壇の成立である。
寺請制・寺檀制と小農民経営の一般的成立とを背景として、近世前期にはどの家にも祀られるようになっていった。
第二��、多様な現世利益的祈祷と仏教の結びつきである。観音・地蔵・薬師などはその代表的なもので、これら諸仏はやがて、子安観音、延命地蔵など、多様に分化した機能神として、民衆の現世利益的な願望にこたえるようになった。
●国学(37頁)
明治初年に急進的な廃仏毀釈を推進したのは、水戸学や後期国学の影響を受けた人々であった。
明治初年の新政府の宗教政策の直接的前史をなすものとしては、水戸藩、長州藩、薩摩藩、津和野藩などにおける寺院整理と廃仏毀釈があった。(38頁)
●神道(60頁)
記紀神話などに記された神々と、皇統につらなる人々と、国家に功績ある人々を国家的に祭祀し、そのことによってこれらの神々の祟りを避け、その冥護をえようという思想
●信仰心(92頁)
信仰体系の強制的な置換が、信仰心そのものの衰退を招いた
●苗木藩(106頁)
(苗木藩の)廃仏毀釈は、寺院仏教をほぼ完全に絶滅したが、民俗信仰を絶滅することはできなかったし、民俗信仰と結びついた様々な行事や芸能なども、やがて復活伝承された。
●朝廷の意思(115頁)
廃仏毀釈のような強引な政策は、地域の権力の意思だけでは容易には実施しえず、廃仏毀釈は朝廷の意思だとか、全国でおこなわれている(やがておこなわれる)などと強調することで、はじめて実現可能になった。
●修験(145頁)
修験は、神仏分離政策の影響をもっともつよくうけたものの一つである。
各地の修験組織も僧侶出身のものに支配されていることが多かったから、仏教色がつよかった。しかし、その宗教としての実態は、修験たちの山中修行を中核に、神道とも仏教とも区別しがたい独自の行法や呪術などからなりたっていた。こうした性格の修験に神仏分離が強行されると、しばしば信仰の内実そのものが失われ、各地の修験は、還俗して農民となったり神官となったりした。
●神田明神(160頁)
神田明神は、もともと将門の御霊信仰として発展してきたものであった。
☆関連図書(既読)
「明治維新の分析視点」上山春平著、講談社、1968.06.28
「明治という国家」司馬遼太郎著、日本放送出版協会、1989.09.30
「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.02.05
「夜明け前 第二部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.03.15
「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
「翔ぶが如く(二)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
「翔ぶが如く(三)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.02.25
「翔ぶが如く(四)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.02.25
「翔ぶが如く(五)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.03.25
「翔ぶが如く(六)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.03.25
「翔ぶが如く(七)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.04.25
「翔ぶが如く(八)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.04.25
「翔ぶが如く(九)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.05.25
「翔ぶが如く(十)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.05.25
(2017年9月14日・記)
(amazonより)
維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。