室町時代初期に世阿弥によって著された能の芸道論であり、また同時に日本の美学の古典とも言われる貴重な一冊です!
2020/04/30 09:23
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、室町時代初期の大和申楽結崎座の申楽師であった世阿弥によって著された21種の伝書の中の最初の作品です。同書には、亡父観阿弥の教えを基に、能の修行法、心得、演技論、演出論、歴史、能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっています。能の芸道論としても読めますが、他方、日本の美学の古典とも言われ、世界中からも高い評価を受けている書です。同書の内容構成は、「第1 年来稽古条々」、「第2 物学条々」、「第3 問答条々」、「第4 神儀云」、「第5 奥儀讚歎云」、「第6 花修云」、「第7 別紙口伝」となっており、興味深い一冊です。
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投稿者:ACE - この投稿者のレビュー一覧を見る
『風姿花伝』は、世阿弥が記した能の理論書である。
亡き父観阿弥の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など、世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。
15世紀の初め頃に成立。全7編あり、最初の3つが応永7年(1402年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。
「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現は、ここにその典拠がある。
最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論とも言える。
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『風姿花伝』は、世阿弥が記した能の理論書である。
亡き父観阿弥の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など、世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。
15世紀の初め頃に成立。全7編あり、最初の3つが応永7年(1402年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。
「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現は、ここにその典拠がある。
最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論とも言える。
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世阿弥作、能楽論の古典。実際のところは、父・観阿弥の思想を後代に伝承するために書かれたものらしいです。「花」という言葉が多用されているため、一見、詩的・幻想的なことが書かれているのかと思いきや、内容はかなり現実的。たとえば、身分の高い人が観能にくるときは待たせぬよう開演時間を早めるのがよい、とか。室町時代、義満や公家の保護を受けていた能は、一歩間違えれば、いつ路頭に迷うかという不安もあったのかもしれません。実際、ドナルド・キーン氏の「能・文楽・歌舞伎」(講談社学術文庫)によれば、江戸時代、祝いの席での能を少しでも間違うと、切腹を命じられたという記述もあります。この本は、父(観阿弥)の子(世阿弥)に対する厳しさのなかの優しさを秘めた書だともいえます。
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「道」を極めるということはどういうことであるのか、それは全てこの本に書いてある。と高校時代に習ったわけです、あたしは。音楽の先生に。2年間教わったのに名前を忘れてしまったなぁ。名前に「藤」がついた気がする。とても風変わりな先生で(現役のピアニストかなんかだったと思う。CDも出してたりするって聞いたことがある)、その授業は音楽ではなく、むしろ芸術論とかそういうものに近かった。人間としての生き方とか振る舞いとか、心の持ち様とか、「美しい」とは何なのかとか、人間の多様性とか、そういう話ばかりしていた。楽器の練習とかって一度もなかったなぁ。。「風姿花伝」に関しても1年か2年か忘れたけれど、半年くらいかけてその音楽の授業で習った(その年の期末試験の問題は「『誠の花』とはなにか?」とかそういうものだった気がする)。今思うと、よい授業だったなぁ、あの音楽の授業は。(06/4/10)
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名前だけは知っていて,「秘すれば花」の文句だけは知っていた風姿花伝.まじめに読んでみると,本当に,演技をやる人は一度は読まなきゃ!といった内容でした.簡潔に本質だけを述べていてすごいと思いました.古文だけど時代が新しめだし,文章も短いので読みやすいです.
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タイトルからして美しいことです。
古典というには新しい時代になるのでしょうが、
久方振りに古語辞典が必要やった。
読むのに四苦八苦で、
ページ数は少ないのに難儀した。
「否定を2回重ねてんやな」
「否定の後に断定やな」
などなど声に出して自己確認。
積み重ねた技と己の姿形を花に例えるあたりから、
精神論とか観念的なこと言われるのかと思ってたんだ。
しかし、
世阿弥にしても将軍の庇護を受けてた訳で、
高貴な人のパトロンを得る為に演じるノウハウ有り。
いやはや現実的な実践論です。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知る事、肝要の花なり。
そもそも、一切の事、諸道藝において、その家々に秘事と申すは、
秘するによりて大用あるが故なり。
しかれば、秘事といふことを顕はせば、さしたる事にてもなきものなり。
印刷データを仕上げる自分にとっても、
試行錯誤と制作の行程はお客に教えてはいけないし。
見せてもいかんと思います。
「あっ、簡単に色って変えられるんや」
「思ったより簡単やん」
そんな風に作業が簡単だと思われても困る。
段取りと打算がバレてもあかん。
ある程度もったいぶっておこう。
無茶な事言われん為にも、
未知なる部分は必要だ。
それに、
出したデザインには
予断を排して素直に評価してもらいたい。
他所から見たらしょうもない事や、
言葉にしたら陳腐なこと、
頑な部分。
誰にも見せないし話さない。
そんなことをひっそりと心に抱き隠し持つこと。
それはきっと自分を深く、
おもろいやつにしてくれるんだと思うんだな。
昔々、初めて付きおうた彼女が教育実習で古文を教えとって、
その予行演習で生徒役をやったのが最後の古文授業。
こんなことなら、
もっとしっかり聞いておくべきだったなぁ。
そんな事を思い出したり、反省したり。
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藝術を語るならば・・・の一冊である。芸能ジャンルであるが、表現の何たるかが書かれている。それをそのまま今語っても当てはまらぬが、それを踏まえねば、何も語れない。
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もう少し若い内に出会うべき本だったかも。
少し偏りはあれど、芸の事について問うた素晴らしい本だと思います。
出来れば13〜15歳の間に読みたい。
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稀代のエンターティナーが残したソリッド(すぎる)教本。
日本語の響き、日本の「風流」をもっとも凝縮している、黒い小宇宙のような本。
密度が濃すぎて、たまに酔う。そんな本。
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そのうち現代語訳も読みたいけれど、
はじめにシンプルな原文を岩波で読んでよかったと思う。
六百年も前の言葉なのに
削ぎ落とされているから結構読める。
全編芸をする、そこに花を咲かせるということを
浮き彫りにする言葉がぎっしり。
なのにその花は頭に浮かぶようで掴みきれない。
鬼の役は力強いだけではダメで、巌に花だから珍しい、
力強いだけなのはただの巌、というところが好き。
秘本であることを証する文で締めくくられ、
自分なんかが読んで良かったのかとドキドキする。
んーかっこいい。
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古典も読もうシリーズ第二弾。約600年前に書かれた能楽の奥義書。知人が絶賛していたから読むことにした記憶がありますが、Amazonのほしいものリストに入れたのがずいぶん昔なので誰だったか忘れました。
完全に文語というか古語なので苦労しましたが、解説を読みつつ進めて行けばだいたい理解できました。口語訳も出ているようですが、この程度の分量ならやはり原典で読みたいものです。
さて内容は能をする者の心得であり、練習方法やコツが述べられています。本来は一子相伝で外部には出さないもので、世間に知られるようになったのは昭和になってからとのこと。しかし書かれていることの多くは、現在では芝居の基本として一般化しているようなものです。もちろんそのルーツがここにあるのでしょうが。そういう意味でこれは演劇論の原点なのでしょう。
まあ私は能も演劇もやらない人ですからあまり役に立つこともありませんが、教養読書としてはなかなか面白い経験ではありました。
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評判が良いので、読みはじめたが、やはり解説が詳しくないと内容がすぐに入ってこない。入門書からまた後ほど読むこととする。
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岩波青1-1
図書館にあったのはワイド版だったのでそちらで。
風刺家電と一番最初に出したポメラに爆笑(笑)。
物まね=演技と解釈して読みました。
第一章で、三〇歳位で悟ったつもりになっていろいろ言っているのはよくない、と書いている割に、後書きの注釈を見ると37歳くらいの時のものだったりする。
第一章 稽古について~7歳から50歳をすぎるまで
第二章 演技について~よくある役柄と演技のコツ
第三章 Q&A~一問一答
第四章 申楽の歴史~故事来歴から現在まで
第五章 大和猿楽と近江猿楽
第六章 台本について
※抜き書き
また、一切の事に、相応なくば成就あるべからず。よき本木の能を、上手のしたらんが、しかも出で来たらんを、相応とは申すべし。されば、よき能を上手のせん事、などか出で来ざらんを、皆人思い馴れたれども、不思議に出で来ぬことあるものなり。これを、目利きは見分けて、シテの咎もなきことを知れども、ただ大方の人は、能もわるく、シテもそれほどにはなしと見るなり。そもそも、よき能を上手のせん事、何とて出て来ぬやらんと工夫するに、もし時分の陰陽の和せぬところから、または、花の公案なき故か。不審なほ残れり。
>ここの解釈がよくわからない。
一読して、台本も役者もよいのに、さして売れない芝居があるのがなぜか、確かなところはわからないという意味かと思うが。
第七章 別巻~「花」とは何か
※抜き書き
花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり。
あっさり言い切る。
ですよね、としか言いようがない。
※抜き書き
物まねに、似せぬ位あるべし。物まねを極めて、その物にまことに成り入りぬれば、似せんと思ふ心なし。さるほどに、面白き所ばかりを嗜めば、などか花なるべき。
役になりきってしまうことの危険性について述べているのではないか。
どこかで冷徹に自分が観客にどう見えているか、計算して動かなければ、独りよがりに陥ってしまう。
※
能に十体を心得べき事。十体を得たらんシテは、同じ事を、一回り一回りづつするとも、その一通りの間久しかるべければ、珍しかるべし。
>十体とは演技の役柄のこと。この後に、「それに加えて過去の自分自身の所作(子供の頃とか、壮年の頃とか)を忘れずにいて加えて、自在に取り出すことができるなら、どれほど素晴らしいか」と続くが、「そんな位に届いた人は聞いたことがないけど」ともある。
・・・・・・確かにそんな役者、聞いたことない。いたらものすごい人だろうと思うけど。
秘すれば花、も七章だった。
いきなりここから、弓矢とか敵とかいう言葉が出てくる。
前に勝負ごとの時の心得が出てきていたから、もしかしてこの時代、よく能の流派同士で勝負があったのだろうか。
「相手の知らない所を得意にして勝負すれば必ず勝てるから、そこは絶対秘密にしておくこと」
本番直前まで秘密にしておいて、本番で四回転半ジャンプだったら勝てたかもなあ、この間のオリンピックも。
���抜き書き
この別紙口伝、その芸において、家の大事、一代一人の相伝なり。たとひ一子たりといふとも、無器量の者には伝ふべからず。「家、家にあらず。次ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもて人とす」といへり。これ、万徳了達の妙花を極むる所なるべし。
・・・・・・文章化されるだけでも不本意だろうに、文庫本化までされて気軽に読まれてしまうなんて、さぞ不本意だろうなあ。ごめんなさい。でも面白かったです。
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現代語版を読みたいと思いつつ、忘れかけた古文を掘り起こして読んでいます。「芸」とは「花」とは・・・。人生論、教育論に通じる部分も多く、何かの折に読み返しています。