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歴史小説かと思ったら、苦手なファンタジー的な話でした。にも関わらず読めたのは筆力の成せる技か、或いはエロチックな要素が散りばめられたせいなのか?結末には衝撃を受けたものの、読後感は悪くない。
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素晴らしい!本書が著者の遺作というのも素敵過ぎる。高丘親王という実在した人物のエピソードを元にして、これだけオリジナルで毒とユーモアと魅力に満ちた東南アジアの描かれるとは・・・・。また入院中の著者自身と重なる部分もありその意味では切なさも増してしまった。単純に好きな一冊になったと言いたいが、著者の本書に綴ったメッセージや比喩など全てを読み切れていない感じも残った。何度も読み返さないとダメかなぁ・・・(苦笑)
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澁澤 龍彦が書いたと思うとそれほどグロくない。
でも、まあ、アルコール抜きの場では語りづらいことも。苦笑。
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22年ぶりの再読。あれ?こんなマイルドだったけ?「パタリロ!」と世界観が重なる。珍動物とか、エロ風味とか、奇想天外な感じが。て、パタリヤパタタ姫のせい?実はパタリロのほうが、先に発表されてるのは驚きの事実。
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道具立ても雰囲気も興味深い。それを語り手の声が損なっているのが非常に残念。作者の澁澤に感情移入できる人なら喜ぶのだろうけど。
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澁澤氏の遺作となった作品。『うつろ舟』を読んで彼の世界にハマった身として、とても面白く読んだ。人面鳥身の女、犬頭人、獏、諸々の奇怪な生き物と出会いながら、高丘親王を育てた藤原薬子の転生を軸に繰り広げられる冒険譚。読み物として楽しいし、一気に読んでしまった。
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『高岳親王航海記』素晴らしい物語だった。
高岳親王がお供の安展、円覚、秋丸、そして春丸を従えて天竺を目指す物語。
飄々としたみこと、その旅の道中で出合う様々な妖しいものたちの不思議な魅力に惹かれる。
半分はみこの夢の物語なのだが、読んでいると夢と現実との境が分からなくなり、いつしかその幻想的な世界に引きずり込まれている。
そして、おかしみのある幻想的な夢物語の根底に流れている死のにおいに気付くとき、いきものの儚い宿命に涙するのである。
みこの魂は、天竺へ辿りつけただろうか?
P.S.みこ、みーこ、ミーコという呼び名には個人的に強い親近感を覚えた(笑)。
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とても美しい。読み終えるのが惜しくて大事にすこしずつ読んでいった。きっと何度も読み返すに違いない。大切な本になった。
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きらめくもやに包まれた極彩色の世界。手に取ったのはマンドリン合奏曲がきっかけ。もっと人生経験を積んでからまた読みたい。
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【本の内容】
貞観七(865)年正月、高丘親王は唐の広州から海路天竺へ向った。
幼時から父平城帝の寵姫藤原薬子に天竺への夢を吹きこまれた親王は、エクゾティシズムの徒と化していたのだ。
鳥の下半身をした女、犬頭人の国など、怪奇と幻想の世界を遍歴した親王が、旅に病んで考えたことは…。
遺作となった読売文学賞受賞作。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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渋澤氏が亡くなって随分とたつ。この所、色々とあり古い本ばかり読み漁っているが、「眠り姫」よりもこの話が好きである。氏の最晩年の作品であり、癌と闘いながら書き綴っていた軌跡が、物語の背景に雪洞の灯のように薄く儚くさしている。
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貞観7年正月、高丘親王は唐の広州から海路天竺へ旅立つ。
幼い頃に藤原薬子が添い寝で語った天竺の話。
薬子の思い出と寄り添うように天竺へ旅をする。
「そうれ、天竺まで飛んでゆけ。」
夢か現か。
異国の景色、むせ返るようなジャングルの熱、しんとした湖の舟。大蟻喰い、儒艮、蘭房の女、獏園、蜜人、卵生の娘、王妃の肉身像。
夢のようで、でも天竺までの彼の地ならそんなことが起きても不自然でないように思うのは西遊記が頭にあるからかな。
ほんわかとじっとりとミーコと一緒に旅をしてきた。
親王の歳を感じさせない好奇心と行動力にニヤリとしつつ。親王の薬子への想いが甘酸っぱさとヒリヒリした闇を垣間見させて切ない。
地図を見ながらミーコの旅したあとを追ってみたくなる。
「一生に一度しか夢を見ず、夢というものの効能も知らずに死んでゆく人間が、この国にはざらにいるのじゃ。おまえは天竺へ達することを一生の念願としているそうだが、そんなに夢を見ることに堪能ならば、どうしてまた天竺なんぞへ足を運ぶ必要があろう。天竺は夜ごとの夢で見ていれば十分ではないか。」
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貞観七年(865年)正月、高丘親王は唐の広州から海路天竺へと向かう。その旅の合間に見る幻想的な夢の数々。
澁澤龍彦だからこその濃密さを、さらりと描写されています。さっと書かれる一言や一場面の奥には膨大な知識が土台となり支えているのだろうとうかがい知れます。
鳥の下半身をした女、犬の頭を持つ犬頭人、人をミイラにする花などが、夢と現の境を曖昧にし、生と死の境も曖昧にします。これが遺作となり病床で書かれたと聞き、より一層生死の混濁した色合いを深めるように感じられました。
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#11年ぶりの再読、やあ、こんなに自由だったかな! P13で秋丸が『バジル氏〜』のルイ君で思い浮かんで以降、今回のビジュアルイメージは坂田靖子が担当。坂田と澁澤が相性良いなんて昔は思わなかったな。
#P19「なにもかもがわたしたちの世界とは正反対」な天竺を象徴することばとしての、アンチポデス。大蟻食いと儒艮、秋丸と薬子、春丸とパタタ姫、またP67の左巻きの貝などの細部の描写や、あるいは全体の夢と現実の照応など。では高丘親王のアンチポデスとは、高橋克彦の解説にあるように、物語を合わせ鏡にした澁澤自身のことなのか、それともP204「わたしの死ぬところが天竺だ」とあるように、死そのもののことなのか。
#P34「とても楽しかった。でも、ようやくそれがいえたのは死ぬときだった。おれはことばといっしょに死ぬよ」 P181「もっとも、ことばをおぼえたおかげで、わたしは地上で一度は死ぬという運命をまぬがれるわけにはいきませんでした」 それとも、死の足の裏にはことばが倒立しているのかな。まだまだわかりませんので、ではまた10年後に!
(2009/11/22)
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時間も空間も夢も現実も自在に行きつ戻りつ、こんな幻想譚…、楽しいなぁ。
美しくも死の象徴である真珠を飲んで親王が喉の病いを患ってしまう最終章は、本作を執筆していたのが筆者の咽頭癌末期であったことを知ると切ない。