紙の本
ぴしり、と心に穴をあけ、言葉が飛び込んでくる
2005/08/17 12:17
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
工藤直子さんはこの詩集でも、短い一行でどきりとさせ、自分では知らなかったものの見え方を教えてくれます。「痛い」は人を好きになった時どうして心が痛いと感ずるのかを、「こころ」はなにかで砕けてしまった心はそれでも大切なもの、と。猫の舌を「ちいさな赤いハンカチ」とみたてる「おしゃれ」も、素敵なもののみかたに目を開かせてくれます。いろいなものにあいたくて、とまとめられたこの詩集の最後の「また あいたくて」は、別れの悲しさも「また あいたくて」と歩き出す力になると励ましてくれます。数行の詩の中の、たった一行、数個の文字が心に飛び込んで世界を変えていくみたいです。
日常世界と詩歌の世界の境界について、物理学者の寺田寅彦さんは書いています。「稀に、極めて稀に、天の焔を取って来て此の境界の硝子板をすっかり熔かしてしまう人がある」。工藤直子さんの場合は、この境界の硝子板にぴしり、と小さい穴をあけて飛び込んできて、、日常世界の私たちに向こう側のあることを驚きと共に教えてくれるといったところではないでしょうか。あいた小さい穴からは、向こう側の世界が少し覘いたり、風が吹き込んできてまた驚かされるのです。決して強い言葉でもなく、難しい言葉でもないのですけれど。
佐野洋子さんの画は、「てつがくのライオン」などに比べてはかなり控えめに添えられているというところ。
紙の本
ほんのり温かい
2001/05/01 05:44
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投稿者:あう - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩には、心の中で黙読したくなるものと、声に出して音読したくなるものの二種類があるように思います。そうだとすると、これは間違い無く後者に当てはまると思います。私自身、何度も何度も声に出して読み返しました。こんなに読み返した詩集は他にはありません。
始まりの詩「あいたくて」と、最後の詩「また あいたくて」、そして間に挟まれた44篇の詩。その詩の順番や構成の仕方がとても好きです。面白くて笑ってしまう詩から、胸がチクリとする詩まで様々ですが、どれもどこかほんのり温かいです。なかでも、猫に対しての10篇の詩がとてもいいです。猫への愛情が感じられます。猫(おそらく亡くなった)に語りかけるような、「猫よ」という詩はじーんときます。
読み終え、自分は今、何に会いたいのだろうと考えました。そして脳裏に浮かんだのものは、不思議にも、遠い日の自分や亡き父親など、もう二度と会えないものばかりでした。もう会えないと分かっているから、余計に会いたくなるものなのかもしれませんね。そして、未来の自分はどんなものに出会ってゆき、どんなものに会いたいと感じるのかなと思いました。
紙の本
一瞬、息を止めた。
2002/07/08 11:57
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投稿者:本箱屋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋をして「息が出来なくなるほど苦しい」とか「切り裂かれたような」気がするとか、
そんな例えは今までいくつも聞いた。それぞれ、わかるようで、わからないようで、
恋でなくてもそれはあるなどと思ったりした。でもこれは違う。
ああそうなのか、と息がつまった。そうだった、だからこんなに、くるしいのだ。
心をちぎってあげるのだ。自分の中の痛みだけでなく、
ちぎれたはずのそれが、自分の一部でありながら、そうでない苦痛に
甘い喜びを感じるからだ。そうしてまた、差し出されたそれが
受け取られずにいるかも知れぬ可能性に、震える。それが
好きになるということなのだ。そうだった。そう思って、止めていた息を深く吐いた。
紙の本
大人が読んでもたのしい
2001/02/23 18:28
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投稿者:つる - この投稿者のレビュー一覧を見る
すきになるということは
こころをちぎってあげることなのか
だからこんなに痛いのか
このような優しい言葉の詩である。
子供対象だが、大人が読んでも楽しめる。癒し系の詩集といえよう。
優しさだけでなく、ユーモアがあるのがこの詩人の特徴で、とくに動物をうたった詩などなんともいえない暖かい味を醸し出している。
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最初の見開きに泣きそうになった1冊。
この本は迷いなく展示会で購入。
切なくもやさしいまなざしで言葉が綴られた1冊。
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まずは自分から。
それから人に目を向け、さらに周りの風景に目を向ける。
そして、猫に気付き、出会う。
じぶんにあう、ひとにあう、風景にあう、猫にあう。
この順番。
最後に、猫にあうってところが面白い。
やはり、人生に猫は欠かせないのでしょうか。
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それは私が感じていることなのよ。
誰かにあいたくて、何かにあいたくて、そして何かを手渡したくて・・
私は猫は苦手だけれど、この中で猫を観ているあなたに共感する。
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5/17は生命・きずなの日
「だれかにあいたくて なにかにあいたくて 生まれてきた- そんな気がするのだけれど…」。
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柳田邦男さんの本で、この工藤直子さんの『 あいたくて』が紹介されていた。読みたくて、この本を手に取った。
愛犬を亡くしたちょうど今、本当に『 あいたくて』が心に染みる。
他にも「痛い」「夜なか」「思い出」が心に深く深く染み込んでくる。
悲しみに沈むとき人はきっと無性に詩が読みたくなるんじゃないだろうか。そして、そんな心に寄り添ってくれる詩があることの慰めを感じている。
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工藤直子さんの詩と佐野洋子さんの絵。
表題の「あいたくて」で、がっちりつかまれた。
“わたしも、そう思っているよ”と、詩に向かって話しかけそうになった。
【じぶんにあう】【ひとにあう】【風景にあう】【猫にあう】の四章からなる詩集。
他に今回気になった詩は『生きちゃったイ』
『生きちゃったイ』
地球が ほれぼれと 太陽を めぐって
月が ほれぼれと 地球を めぐって
―――いるように思える ある日あの時は
太陽を うでに抱いた銀河が
宇宙の田舎で はなうたうたって散歩して
―――いるように思える ある日あの時は
あなたが一瞬この世にあらわれた その一瞬に
わたしの ほんのチビっとの一瞬を 重ねちゃったイ!
―――って思える ある日あの時なのだ
それがコタエられなくて
きょうも生きちゃったイ
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
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工藤直子さんの詩は初めてで、別に深く考えずに借りたのだが、まさか、こんなに今の自分の心境と合致するとは思わなかった。
「あいたくて」という言葉、すごくいいですよね。
ただ、厄介なことに、年齢を重ねれば重ねる程、それを実感しつつも、重苦しく感じるのだから、いい加減、私のこのネガティブな感情をなんとかしたいものだと思っていたら、こんな詩と出会いました。
『すきなこと』
ここに こうしてすわって
こーんな あくびをしたり
あーんな ためいきをついたり
泣くかとおもえば 笑ったり
なにやってんだ ばっかなやつ と
じぶんのあたまを こづいたり…
とどのつまりは これも
すきで やっているのか と
そのせいでしょうか わたしは
ふしあわせも 愛します
不幸せを愛するという、この思いに、私はとても、はっとさせられるものがあり、この人は自分自身にすごく愛情を持っているからこそ、相手に対しても、同様の思いを抱けるのではないかと感じたとき、今の自分の、どうしようもない苦しみと感じるものを、少し冷静に見つめ直すきっかけをくれた気がします。
それでも、片想いというやつは、こんなに辛いものだったっけと、思わずにはいられないのも確かなのだが。
しかし、そんな私の気持ちにも寄り添ってくれる詩がありました・・・
明日からは、もっと自分自身も愛しながら、想い続けよう。
『痛い』
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから こんなに痛いのか
『ほんとう』
愛する という言葉を知ったら
「ほんとうのことを言おうか」という
言葉のこわさも知りました
『こころ』
「こころが くだける」というのは
たとえばなしだと思っていた ゆうべまで
今朝 こころはくだけていた ほんとうに
ひとつひとつ かけらをひろう
涙がでるのは
かけらに日が射して まぶしいから
くだけても これはわたしの こころ
ていねいに ひろう
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心を穏やかにしてくれる優しい詩集。
心地良く沁みてくる。
あいたくての中には、4つ。
じぶんにあう
ひとにあう
風景にあう
猫にあう
「痛い」
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから こんなに痛いのか
これは、短いのに凄く伝わってくる。
「こころのなかに見える景色」
これは、長いけれどわあわあ泣いているこどもは
私なんじゃないかと…
何度も何度も読み返して、こころのなかで景色を描いてみた。
そんな気になる詩。
「思い出」
ああ こんな夕日を たしか…
で始まる詩。
蘇ってくる遠い日を懐かしむ。
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普段は詩集なんて手に取らないのだが、フォローさせて頂いている方の本棚に登録されていた本を図書館で見かけたので。
いやぁ短歌以上に難しい。
行間を読むのが苦手な自分としては、解説なき詩集は向いていないかも。
この詩人さんの「らしさ」がどこなのか掴み切れていない気がするし、いろいろ消化しきれていない気がする。
それでも「はじめて」の初心を思い起こさせる懐かしい感じとか、「なぜ」の素朴な疑問と対比させる人間の身勝手さとかには意識を改めさせられる。
また自然を題材にした「風景にあう」の章にはすがすがしさを感じるし、唐突に現れる「猫にあう」の章のこれでもかというぐらいの猫推しの詩たちに圧倒されるおもしろさがある。
挿絵がなんか独特だなぁと思っていたら、佐野洋子氏は『百万回生きたねこ』の作者だったのね。
そして夫が谷川俊太郎氏かぁ。
また、娘の今月の詩の作者が工藤直子氏だった。
そういった意識し始めたときに訪れる妙な繋がりに「へぇ」を感じるような読後体験でした。